十九、飛騨の現状
なにはともあれ、入府した。その夜である。草太は平助と弥次郎兵衛とを連れて、座敷に座っていた。下座に対面するように三人の男が座っていた。一門衆に当たる姉小路家庶流の後藤帯刀、牛丸重近が両脇に、そして中央に実質的に飛騨姉小路家を取り仕切ってきた古川富氏である。城井弥次郎兵衛が、直答を許す、と略式ながらも言い、会談が始まった。
まずはこの飛騨の状況を説明せよ、と言われて古川富氏が絵図を出し口を開いた。
「飛騨には小さな盆地が沢山あり、また川沿いにも小さな集落はありますが、主だった郷は五つだけです。まずは江馬氏が治めし神岡の郷。そして内ヶ島家が治めし白川の郷。中央に位置するのが我らがいる国府、そしてそれに繋がる高山の郷。最後に木曽川を南に下った三木氏の治めし益田の郷でございます。国府は我ら姉小路家が治めておりますが、高山の郷は我らと三木氏が対立しており、一進一退。村ごとにどちらに着く、或いは半々に両方に租を治めるということをしております」
「うむ」
「宗門は一向宗が多くおり、隣国越中、越前のように一揆が起こる気配もありますが、現在のところは静かです」
「うむ。では石高はどのくらいか」
「他は確かとは分かりませぬが、国府の我らの領域で、八千石程にございます。飛騨全体で三万国余といわれておりますゆえ、大体二割が我らが直轄地でございます」
「うむ。商業はどうか」
「運上金は、ほとんどありませぬ。ご覧になったかと思いますが、街自体が小さく、矢銭を課すことが出来るほどの大きさもございませぬ。材木商からは運上金がございますが、それもさしたる額ではございませぬ」
具体的な金額がないな。誤魔化しているのか、本当に微々たる金額なのか。
と、城井弥次郎兵衛が口を開いた。
「高綱様はどこにおわすか」
これには、庶流の二人とも古川富氏の顔をみた。二人とも何か知っているのであろう。
「実は」古川富氏が口を開いた。「実は、高綱公は既にお隠れになっております」
これには草太は、なんと、という顔をする。平助は刀に手をかけ、城井弥次郎兵衛がそれを制する形となる。無論演技である。充分予想の範囲内であった。ただし、こんなに簡単に口を割るとは思わなかったが。
「いつじゃ、お隠れになったのは」とは後藤帯刀である。声に怒気が籠っている。
「最後にお元気な姿を見たのはもう十年以上前だ。病の床についているのは昨年も見たが、微動だにせなんだな」牛丸重近がいう。おそらく何か、何年も前から妙なことが行われていると感づいてはいたのだろう。
「先代の済俊様がお隠れになり、高綱様が継ぐことになったがご病気と称して我らが行っても微動だにせず、江馬家から養子を貰うか、我らのいずれかを養子にするか、いずれにせよそうして名跡を継ぐ話だったではないか。そのいずれにするかで揉め、今に至っているではないか。そうか、貴様が」
「よせ」
鋭く言ったのは草太であった。
「それ以上言うと、言葉では済まなくなる。言いたいことはあろうが、今は飲み込め」
どうやらこの二人は、名跡を継がせるという甘言により丸めこまれ、結局草太が名跡を横から攫うということとなったのを不満に思ってもいるだろうし、おそらく先代済俊、そして継ぐはずだった高綱の二人も慕われていたのだろう。その死に不審もあったに違いない。
だが、今それを追求しても始まらない。例え古川富氏一人をここで打ち首にしたところで、何の意味もないのだ。
京の公卿世界を知っている草太や弥次郎兵衛からすれば、裏には三木氏がおり、三木氏の誰かに名跡を継がせたいのだろう、というのまで透けて見えた。ここで秘密を暴きたて騒いだとしても、結局三木氏が力を伸ばすだけでしかない。正に意味がないのである。
「まず、高綱殿は隠居し、しばらくして落ち着いた後に死去した形として葬儀を執り行うこととする」
その上で、だ。これを草太が、国司が行うから意味があるのだ。庶流同士の内紛ではなく、正式な裁きとして行うから意味があるのだ。
「裁きを申し渡す。古川富氏、そなたの罪は許し難い。高綱殿の死を隠し、次代への継承を妨げたのだからな。それゆえ、磔獄門とする。……と言いたいところではあるが、これまで飛騨の国を治めていた功績もあるのも事実。よって罪一等を減じ、お主への沙汰は、私財没収のうえ追放とする。後藤帯刀、牛丸重近、その方らはこの件に関わったとはいえ、どちらかといえば継ぐのを妨げられた側。よって、古川富氏の私財没収、追放の実務一切を任す」
私財没収、追放となって逃げる先など、どうせ三木氏のところに決まっている。場合によっては江馬氏か。三木氏は滅ぼす。これは草太の中では確定事項である。実際問題としても、三木氏をそのままにして飛騨統一はあり得ない。滅ぶ勢力のところに亡命されたところで、痛くも痒くもない。獅子身中の虫を飼うよりは早めに処分することとした。
磔獄門にせずに罪一等を減じた、ということで古川富氏に恩のある連中に対する慰撫にもなる。私財も手に入る。悪い策ではない。
「後藤帯刀、牛丸重近、両名の者、その者を引っ立てぃ」
平助の声に、二人は古川富氏を両脇から抱え、引きずるように引きたてて行った。その背へ草太が声をかける。
「追放故、南へ、三木の勢力範囲に捨ててくればよかろう。屋敷へも手のものを向けよ。検分役に我が手のものをつける故、捨ててきたらお戻り願いたい。父の話を聞きたい」
三木の勢力範囲、と聞いて何か思い当るところがあったらしい。なるほどな、などと怒気を含んだ声を向け続けながら追放すべく連れて行った。
古川富氏については、三木家の勢力下に捨てられた後、妻子も顧みずに三木氏配下の一人広瀬氏の籠る広瀬城へ入ったと報告が入っていた。妻子も同様に三木家の勢力下に捨てたが、妻子はどうしてよいのか分からぬままそこで泣き喚き叫び、そうするうちに広瀬城から迎えが来て城へ引き取ったという。
着の身着のままで放り捨てたので、屋敷や蔵はそのまま残っていた。金銀、書画、刀槍、陶磁器の類など、価値は分からないがそれなりに値打ちがありそうなものが全般に多く、また銭も数百貫はあったようだ。確かに個人の財産としてみた場合には巨万の富と言えなくはないが、国を運営するには少ない。書画や陶磁器は目利きを呼んで鑑定してもらう必要もあるようではあったが、とりあえず金、銀、銭といったものはそのまま押収し、書画骨董などは目録にして鑑定させることとなった。ある程度の目利きは弥次郎兵衛もできるが、出来たからすぐさまそれが何かの役に立つわけではない。例えば皿が高麗青磁の良いものだと分かったとしても、皿はあくまで皿でしかない。売れれば銭になる、というだけである。
某ゲームのように、内政の効果が上がったりするわけはないのだ。
一方、その夜は、草太が酒こそ飲まなかったものの、三人で酒盛りをしつつ高綱という人物について話を聞いた。和歌に通じた、文武共に優れた人物であったらしい。領民にも慕われていたが、ある日突然気鬱と称して古川富氏以外は面会が許されなくなり、そうして最後には数年前に一度、年賀を述べたいと牛丸重近が強硬に迫って百足山の隠棲地、百足山城を訪れたが、確かに布団に臥していたが、声をかけても微動だにせず、気鬱の病とはこういうことかと思っていた、などという話から、本当に他愛のない、高綱公が子供の頃の話に手習いの字が上手かったこと、こっそりと抜けだして後藤帯刀と共にいたずらをした話など(牛丸重近はあれはお主らだったかと驚いていた)、草太の本当の父親の話を聞かせてくれるように聞かせてくれた。草太には本当の父親の話を聞いた経験がほとんどない。名前と、生きていたら云々という話だけを何回か繰り言のように聞かされただけだ。
「しかし、あの高綱殿の子供とはのぉ。分からぬものじゃ。確かに、言われてみれば面影があるのぉ」
牛丸重近のこの言葉は、偶然なのか、単なる世辞なのか、草太には分からなかった。だがこの夜、草太の中の父親像として、姉小路高綱という人物が刻まれたのは、確かなことであった。
眠る刻限になって、控えていた高屋平助が、御免、と入ってきた。
「これからは親戚筋、一門衆として、宜しくお願い致します」
と言って部屋を出た。残された二人はその後も酒を飲みながら話をし続けた。
流石は高綱様のご落胤だ、我らでもりたてなければ、そう言いながら飲み続けた。そうして酔い潰れて眠った。
草太の着任と高綱の死、古川富氏の一件について報告する手紙が一条家に残されている。それによれば、古川富氏は悔悛の涙を流し、私財を残して去った、とある。高綱は表向き隠居し、飛騨の国が落ち着いてから葬儀をする、という旨が記されている。
この会談の裏で、行列として飛騨入りした三十名のうち二十名による蔵改めが行われていた。つまり、現在国府である小島城にどれだけの蓄えがあるのか、資材、兵糧、金銀、弓矢刀槍具足に至るまで、全て帳面と照らし合わせている。同時に城に改修すべき点がないかも見ていた。
その結果、この城は、資材、兵糧、金銀、すべてほとんどが存在しない。帳簿上の数字ではあるはずの備蓄は空となっていることが分かった。流石に弓矢刀槍具足は千人分程度あったが、本当に最低限度しかない。他に城はといえば、百足城という城が築かれているが、現状では城ではなく小屋程度でしかないという。当然備蓄は全く存在しないが、そこで高綱殿が病臥しているという。
岡前館が平時の屋形であり備蓄もそちらにあるという下役の話を受けてそちらも調査しているが、結論からいえば備蓄は帳面の半分以下でしかない。
翌朝、この報告を聞いて、まずは帳面を見せるように弥次郎兵衛が言った。そして一見した後、苦笑しながら言った。
「旦那、じゃないや御屋形様。これは酷いですな。堺の商家であれば手代ですらもう少しましな帳面をつけるでしょうな」
見てみると、確かに草太でも苦笑する理由がわかった。全て大雑把に出納が書かれており、しかも加算減算が混ざっているため混乱したのであろう、兵糧を運び出しているのに帳簿上の兵糧が増えていたり、逆に金銀を受け取っているのに減っていたり、しかも加減算も正しく行われていない。帳面が帳面の意味をなしていないのである。そして、時折朱引きで数字が消され「徴発ス」とある。つまり足りなくなったから徴発して正しい数字に合わせているのだろう。
「御屋形様、これではおそらく検地からやり直す必要がございますな」
そうのんびりともしていられないのだがな、と草太は暗澹たる気持ちになった。




