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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第五章 混迷と混乱と
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百八十三、山崎の合戦(三)


 三好家の軍勢の第一陣の先陣を受けた三好長将が三好長徳率いる兵二千を山崎城に向け、これに対応するために山岡景隆隊を出撃させ、三好長徳隊が壊滅した次第については既に述べた。だが三好家の第一陣は前進を続け、渡辺前綱が守る防衛陣へと向かっていた。



 足利季世記の山崎の合戦の項にこうある。

「十河左衛門尉一存、兵を連ねて西の方より京を攻む。渡辺前綱山崎にて鉄砲三千を連ねて之を迎え撃ち、数多の手負い討死之有。三好長将、手負い討死を顧みず自ら陣頭にて戦うも、時ならぬ側面よりの鬨の声、崩され十河左衛門尉一存に助けらるるも敗走せし三好長将が兵に隊を乱され十河左衛門尉も働き出来ず、また渡辺前綱鉄砲を射掛け(略)かくして十河左衛門尉一存、三好長将と共に芥川山城目指して落ちたり」

 朝のうちに始まった山崎の合戦は、正午頃までに第一陣であった十河一存隊は敗走した、というのはおおむね事実である。軍記物や小説では鉄砲隊による姉小路家の一方的な勝利と描かれることの多いこの戦ではあるが、それには理由がある。限定的であり多分に偶然の産物であったといわれるが、史上初めて組織的な十字砲火による攻撃が行われ、一万の三好家の軍勢がほとんど何もできずに打倒された、という意味では、この戦はまさに鉄砲の勝利であったといわれる戦いである。

 鉄砲隊の有効に機能する戦場においては鉄砲隊が戦場の勝利を決めるとさえ考え、他の兵装を軽視する鉄砲隊至上論が登場する、その最初の戦いがこの山崎の合戦の前半である。実際にこの後、三好家にも鉄砲隊至上主義の嵐が吹き荒れるのであるが、その端緒を切り開いたとさえいえる姉小路家には不思議に鉄砲隊至上主義はなく、この後弓矢に回帰する局面さえあるのだから面白いものである。

 ともあれ、三好家の軍勢と渡辺前綱隊が激突したこの一戦は、いくつかの面で歴史の転換点であったといえるのかもしれない。



 三好長将隊が水無瀬川を渡り渡辺前綱隊との距離が三町に迫り、渡辺前綱は鉄砲隊に銃撃準備を命じた。距離二町を切れば撃つのが常であったが、竹束を持ち、それも常よりも太い竹束を持っているのが見えていたため、距離一町に掘らせた空堀まで銃撃を控えた。竹束を持ったままでは空堀は越えられず、一度空堀を降りるために行軍が止まり、また竹束が倒れることも多くあるためであった。更に距離一町で敵が密集するということであれば、投げ槍の射程でもあった。

 距離一町に迫り空堀を前に三好長将隊が足を止めたところで渡辺前綱は投げ槍を一投させた。二本三本と投げさせなかったのは投げ槍を惜しんだわけではなく、単にその数で十分なためであった。七千という数の投げ槍が宙を飛び、そして三好長将隊に吸い込まれていった。


 三好長将はこの攻撃に少なからず驚いていた。噂には聞いていたが、竹束を飛び越えて、まさに槍の雨が降るような投げ槍の攻撃に五千の兵は三千を超える被害を出し、指揮を執る三好長将の近習にも少なからぬ影響が出た。それでも三好長将は隊に前進を命じていた。

「進めぇ。竹束を押し上げるのだ。後詰、十河一存隊に手柄を取らるるな」

 やっとのことで竹束を空堀の上に押し上げて立て、前進を進めようとしたところに渡辺前綱隊の銃撃が始まった。千丁ずつ三隊に分け三交代での早合を用いての銃撃であり、十数える間に次を撃った。全員が三発撃ったところでいったん打ち方を止めた。


 中筒でも容易には竹束を貫通するわけではなかったがそれでも全く貫通しないというわけではなく、更に竹束と竹束の隙間を通った弾が兵を削った。また竹束も銃弾を数発受けるうちに徐々に削られ割られ、距離が近くなっていくこともあり貫通することも多くなっていった。縛っている荒縄が切れるものもあり、その場合には竹束は纏まりもなくなり盾を失った兵が中筒の弾に倒されていった。

 三好長将は馬に乗っていたためまだ空堀の後ろにいたが、空堀から七八丈も進まないうちに竹束が用をなさなくなっていくを見た。すぐさま後方の十河一存に使い番を出してこの状況を知らせるとともに自身は急ぎ馬を捨て空堀を渡り兵を纏め始めた。幸いなことに銃撃は止んでいたが、兵は既に千ほどしか残っておらず竹束も半数以上が失われていた。

 三好長将は竹束を押し立てての前進を一旦諦め、十河一存隊との合流を目指して竹束を半円に立てて防御を指示した。


 程なくして後方から十河一存隊七千が前進してきた。竹束は大部分を前衛の三好長将隊に配備していたため十河一存隊も持ってはいたがさほどの数はなく、更に三好長将隊に配備した竹束も半数以上が失われていたため、十河一存は陣を組みなおさせた。陣を組みなおす間に銃撃がなかったのは幸運だったためでも渡辺前綱が銃弾を惜しんだためでもなく、竹束を前に出したまま隊の大部分を空堀に入れた十河一存の機転によるものであった。十河一存は幅十間程に竹束を二重に立て並べさせ、その後ろから兵が続く陣形を取った。

 竹束を押し立てての前進はある程度細く長いものにならざるを得なかったのは仕方がないことではあったが、必然的に十河一存隊の後方は竹束でも守り切れぬ部分があった。渡辺前綱は竹束が二列以上にわたるのを見て竹束を即座に撃つのを諦め、市川大三郎に命じた。

「市川大三郎、油壺のうち五百の使用を許可する。一鍬衆千で竹束に炮烙を投げつけよ」

 市川大三郎は京で仕入れた油壺三千のうち五百を持った一鍬衆三千を率いて防衛陣を出た。この時の油壺は簡単に言えば火縄をつけた素焼きの壺であり、その名のとおり内部に油が入れられているものであった。各寺院に納入するための油が大量に存在する京でなければこれほどまでに容易に調達することはできなかった。彼我の距離は一町を切ってあり、更に接近して半町を切ったところまで前進して市川大三郎は投擲を命じた。三好側も弓鉄砲を撃ったがさほどの被害を出す前に油壺が全て投げられた。五百の油壺が飛び、次々と竹束にあたっては油をまき散らし、そして火縄によって引火し竹束に燃え移った。市川大三郎は油壺の投擲と命中が終わると陣中へ戻っていった。

 油がかけられ火がつけられた場合に最も最初に燃え落ちるのは、竹同士を結び付けていた荒縄であった。縄が切れれば竹束は竹束としての纏まりも持てずにばらばらになり、竹束としての意味をなさなくなっていった。

 市川大三郎隊が陣中に入ったのを見て、渡辺前綱は再度銃撃を命じた。



 ほぼ同時刻、水無瀬川を下って平野部に入った山岡景隆隊は三好家の軍勢が陣から一町まで接近しているのを見て、やや後方から側面へと攻撃を加えることとした。その最後尾には、おそらく飼葉兵糧の類であろう物資を積んだ輜重隊が続いていたのを見て、山岡景隆は少し気が変わった。

 山岡景隆は近江の武士であり、その郎党も近江のものであった。彼らは当然の嗜みとして弓を引くことができ、特に近江の武士であれば日置流の流れをくむ歩弓術に長けているものも多く、山岡景隆達もその一人であった。弓も矢も携えており、矢を火矢とする程度はありあわせのもので可能であった。

「まずは後尾の荷車に火矢を打ち込む。一台当たり二名ずつ、それぞれ五本打ち込めば二十台程度は燃やすことができよう。突如後方から火の手を上げ、浮足立たせるのだ。……中筒隊に攻撃準備を。それから一鍬衆にも突撃を準備させておけ」

 ないとは思ったが自分たちに向けての攻撃が開始される可能性を懸念し、山岡景隆は兵に戦闘準備を命じた後火矢を用意し、次々と射込んだ。


 この時三好家の輜重隊は本隊の一町ほど後方の水無瀬川にまで進んでいたが、この水無瀬川を渡った地点で山岡景隆以下十名の火矢の攻撃を受けた。次々に五十の火矢が打ち込まれ、十八の荷車に火が付いた。三好家にとって幸運だったのは、火薬を運んでいた馬車は無事だったことあり、不幸だったのは先頭付近にいた馬匹の飼葉を乗せた荷車に火が付いたことであった。消火だ、荷車を路肩に放棄するのだ、と交錯した命令が叫ばれ、ほとんどが人夫で構成していたことも原因であったのであろう、輜重隊は被害こそほとんどなかったがひどい混乱に陥っていた。


 輜重隊の混乱を見た山岡景隆が敵陣を見ると、その先頭と思われる辺りから既に火の手が上がっており、真後ろから攻撃をかけるのは危険であると判断した。渡辺前綱の銃弾、その流れ弾が飛んでくる可能性が高かったためであった。命令では横やりを入れるようにとあったが、自軍の銃撃の邪魔となるのであれば本末転倒であった。そのため山沿いに回り込んで進み椎尾神社前へ回り込んで帰陣することとした。



 渡辺前綱は竹束が火炎に包まれたのを見て鉄砲隊に銃撃の準備をさせた。市川大三郎隊の収容を待っての銃撃を意図したものであった。

 程なくして市川大三郎隊の収容が終わったのと十河一存隊が陣形を変えて鋒矢の陣を組み突撃を開始したのとはほとんど同時であった。これほど早くに陣形を組みなおすことができたのは、やはり十河一存の指揮能力が高かったためであろう。小筒ではあったが鉄砲も撃ち弓も射ながら、十河一存隊八千は突撃を開始した。

 その突撃を見て渡辺前綱は再度の銃撃を命じた。

「撃て。敵を近づけるな」

 だが一町ほどしか距離がなく、駆ければ人でさえ二十も掛からずに着くほどの距離であり、二度目の銃撃のころには最前線では逆茂木を挟んで既に一鍬衆と敵兵の戦いが始まっていた。こうなると最前列の一鍬衆が対応する以外にはほとんど有効な対抗手段はなく、中筒隊も一鍬衆の間から撃つ関係上、その撃ち方もかなり遅いものにならざるを得なかった。

 中央部、逆茂木の切れ目では少数ながらも十河一存隊の突破を許し、一鍬衆がその対応に追われていた。当初から突破されることは織り込んで陣は構築されていたために突破直後から一鍬衆の挟撃にあい、程なくして壊滅したが、十河一存はそこが弱点という確信を強く持ち、全軍へ督戦をかけた。

 最前線の千五百ほど以外はまだ敵陣に到達できておらず、六千以上の兵が前進中であった。



 そこへ十河隊の側面に銃撃が来た。言うまでもない、山岡景隆隊の中筒隊千による銃撃であった。十河一存隊には既に銃撃から身を護るすべはなく、十五数えるうちに一度ずつ放たれる中筒に対応する手段はなかった。既に五千を切った手勢を見、十河一存が一度後方へ引き第二陣、三好実休の一万八千と合流しての再度の城攻めを考えたのは無理のないことであった。

「引け」

 引き鐘を鳴らさせ脱出を図った十河一存隊であったが、撤退は困難であった。十河一存もそのことは分かっていたが、このまま戦っても全滅ではあるもののここで退けば千五百でも残れば次につながる、と考えればまだ退いた方がましであった。幸いにして三好長将を含む武将は未だ健在であるため、合流し兵を率いればまだ戦える、そう考えていた。

 五千の兵が逆茂木からも離れて引いていくのを見て、渡辺前綱は再度銃撃を命じた。

「中筒隊、二連、撃て」

 千の弾が撃たれ、五つも数えぬうちに次々と、都合六千の弾が十河一存隊を襲った。山際からは丁度渡辺前綱の銃撃と直交するように山岡景隆隊の銃撃が継続しており、こちらは十五数えるうちに千が撃たれており、五千の兵のほとんどが死傷し脱落するまでさほどの時間はかからなかった。


 十河一存、三好長将といった諸将は馬に乗っていたために逃れることに成功し、一乗寺に入れ替わりに本陣を構えたはずの第二陣と合流すべく落ち延びていった。

 時は午の刻が迫っていた。

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