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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第五章 混迷と混乱と
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百八十二、山崎の合戦(二)

 京の支配をかけて三好家と姉小路家が正面から戦いの戦場は大きく三つ存在したが、その最大規模の兵が衝突した山崎の合戦が遂に始まった。最序盤の小手調べとばかりに三好家の第一陣を受け持つ武将、十河一存は船と呼ばれる兵装を出したが、渡辺前綱の与力として陣にいた市川大三郎率いる一鍬衆に撃破された。撃破されるのは織り込み済みであった十河一存は、三好長将と共に軍勢を前へ進める命令を下した。この次第については既に述べた。



 姉小路家日誌天文二十四年文月十三日(1555年8月2日)の項にこうある。

「渡辺前綱殿、山崎にて民を慰撫するに、ある村人来たりて首を献じ候。首実験をするに三好長徳が首なり。刀槍具足を問えども既に焼き捨て候との事なれば、ただ売られしのみと察し候。村人を賞せし後、渡辺前綱殿、首を返さんと三好長慶に文を致し候」

 戦国時代の武将の死のうち、最も悲惨な死に方の一つが落ち武者狩りの最中に民の手にかけられた場合である。特にその民に恨まれている場合には、落ち武者として味方のほとんどいない中での帰陣は、危険極まりないものである。というのもこの当時の民は、徴収すれば兵になるという意味で全員が雑兵とほとんど変わらず、またそれほど質はよくないが槍や刀もどの家にもあるのが普通であり、狩りもする地ならば弓矢もあるのが普通なのである。統率されていない以外は雑兵と変わらないのがこの当時の民の実態であり、これを大量に動員することができたのが一向宗の強さの理由の一つである。

 三好長徳は敗戦後、落ち武者狩りにあい落命したようであるが、その首は多くは敵対勢力に売られ、農民たちの現金収入になったようである。このような首は晒された後に無縁仏として処理されることが多かったようであるが、渡辺前綱はその首を丁重に扱い、特に対価もなく三好家に返還したとされている。

 この後三好長徳の首は三好長将の手により三好家の菩提寺である見性寺に葬られたと記録がある。



 船の失敗を受け、三好家の第一陣の軍勢は三好長将が兵五千を従えて先陣を務め、主将である十河一存も兵七千を従えて後詰として、一乗寺前を出発した。西国街道を進めば姉小路家の陣まではわずかに一里であり、三好長将は軍を密集させて進み、半里を四半時で進んで船が擱座した水無瀬神宮から八町の距離に至った。

 ここで三好長将は小休止を兼ねて隊伍の組み直しを行った。それは少しだけ思いついたことがあったためだった。三好長将は傍らにいた近習に言った。

「山崎の街道沿いに兵力が集中している、そして我らの方が兵数は倍する。それは確かだな」

 御意、と近習が返すと父の遺臣でありこの度の戦に従っている数少ない自身の配下の一人、三好長徳に言った。

「兵二千で山崎城を攻撃せよ。山崎城の兵が少なく落ちればよし、落ちぬでも街道沿いの兵が動揺すればよし、だ」

 これには三好長徳は反対した。

「若、合戦を前に兵を分けるなど、宜しくないことにございます。しかもこちらの動きは敵からも見えており、兵を分ければすぐに対応されましょう。お考え直し下され」

 若、と家督を継いだばかりの三好長将を継ぐ前のままの呼び方で呼んだが、それに対してほとんど気分を害した様子もなく三好長将は言った。

「いや、兵二千は敵に対応させるために分けるのだ。兵数はこちらの方が上、我が隊のみでもほとんど拮抗するほどの兵数だ。ならば、だ。そちらの隊に兵数を割けば街道沿いの陣に籠る兵が減る。陣を攻める兵五千、それに後詰の叔父上の、十河一存様の兵七千、合わせて一万二千。これだけで山崎にいる姉小路家の全兵力に匹敵するのだ。問題はあるまい。行ってもらえるな」

 ここまで言われては三好長徳も山崎城へ向かうことに同意せざるを得なかったが、山崎城攻めは形だけで済ませ姉小路家の防衛陣を側面から攻撃することを考えていた。



「敵第一陣の先陣、三好長将は兵の一部を割き天王山を攻める模様。天王山に向かう兵は二千、将は三好長徳と見えましてございます」

 渡辺前綱の元に報告がもたらされたのは、三好長将が兵を分けた直後であった。流石に距離も近いため、物見が走るまでもなく三好家の動きは姉小路家の陣中でも手に取るように見て取れた。渡辺前綱はご苦労と短く言った後、少し考えた。山上の山崎城には兵はほとんどおらず、わずかに三十の一鍬衆が盗賊などをよけるために籠るだけであった。そのため二千の兵が押し寄せれば落城するのは必至であった。そのため対応する兵を出す必要があるのは確かであったが、対応だけで兵を分けるのはあまりにも効率が悪かった。そこで山岡景隆に命じた。

「一鍬衆千、中筒隊千を率いて天王山に上り、三好長徳隊を撃滅せよ。撃滅した後は山を大周りに下り山崎城の南西若山台より出、敵を側面より攻撃せよ」

 二千の兵と共に二千の敵を迎撃し更に万余の敵兵の側面を突くというのは、他家であれば相当に無理があると評されるであろう。だが姉小路家の実力、特に鉄砲の力をよく知っていた渡辺前綱はさほどに無理のある作戦だとは考えていなかった。これは姉小路家と行動を共にし、先ごろの三好長逸との合戦も経験した山岡景隆も理解しており、特に一鍬衆の精強さについては山岡景隆は舌を巻いていた。無論、その強さは行き届いた訓練と充分な装備に支えられているのは言うまでもないことであった。

 兵二千は三間槍の先のみを外して手槍とし、外した長柄は十数名ごとに纏めて荒縄で縛って担ぎ、森の中でも戦えるように支度を整えた。こ姉小路家では三間槍は取り回しの問題があるため避け、木立の中や城内では手槍、そして小太刀で戦うこととされていたためであった。一鍬衆を先頭に、後方に中筒隊を配する二段構えで山岡景隆は山へ入っていった。山岡景隆が一鍬衆と共に進んだのは当然のことであった。



 天王山に入った三好長徳、山岡景隆の両隊であったが、相手を先に発見したのは三好長徳であった。敵兵を引き付けるという最低限の目的は達成したという安堵と共に、山崎城を攻めるのは姉小路家の部隊を倒した後でなければならなかった。城攻めの最中に後方から攻められれば不利は否めないためであった。

 鉄砲を警戒して木立を縫うように進んだが、山岡景隆隊は三好長徳隊を発見できなかった。流石に距離が一町を切った頃にようやく三好長徳隊を発見したが、発見が遅れたのは木々に遮られただけではなく三好長徳の接近させた手腕を褒めるべきであった。だが、山岡景隆は距離一町でも特に動じず、一鍬衆千をそのまま三好長徳隊二千への攻撃へ振り向け、また自身も最前線に立って督戦を行った。

「同時に戦える兵は限られておる。手傷を負ったものは後方に戻り手当をせよ。無駄に穂先、小太刀を消耗させるな」

 督戦と言いながら、山岡景隆の督戦は戦えというよりも消耗するなという命令が多かったのは、勇猛な将というよりも粘り強い戦いに向いた山岡景隆の性格というものであった。

 一方の三好長徳は兵の後方に居り、この差が士気の差となり、そもそもの兵の地力の差があり、大兵力が同時に戦うわけにはいかない山中の木立の中ということであれば差は決定的なものであった。じりじりと三好長徳隊は倒されていったが、山岡景隆隊は前線を巧みに入れ替えながら戦い、手傷を負ったものも後方で手当てを受けて戦線に復帰する者も多く、被害はほとんどなかった。

 四半時もかからずに三好長徳隊は崩壊し、三好長徳は落ちていった。

 三好長徳隊の崩壊と再編成がないことを確認して、山岡景隆も隊を率いて山を南に下り水無瀬川沿いに淀川沿いの戦場へ向けて進軍を開始した。




 供回りの一人、藤兵衛を残してほかの兵はすべて討たれたのか逸れたのか、三好長徳の周囲には既に見えなかった。山の中のことではあったが、事前に大まかな地図を見ていたため方角は何となくわかった。後方の山が山崎城のある天王山であるならば、前方の山は成合の山間であり、それを越えれば一乗寺の付近に出るはずであった。一乗寺には既に第二陣である三好実休隊一万八千が入っており、そこまでいけば何とかなる、そう考えていた。


「落ち武者だァ」

 突如大きな声が上がった。その手には鎌が握られ、他には腰に脇差らしきものが差されているだけなので、近隣の村人のようであったが、周囲に多数の村人の気配が突如沸き上がった。

「身なりが良い、身分も高かろうな」

「鎧具足も売れるぞ」

 口々に言いたてながら三好長徳と藤兵衛を完全に包囲した村人たちであった。と、藤兵衛が口を開いた。

「貴様ら、無礼であるぞ。これなるは三好家のご連枝、三好長徳様なるぞ。貴様らは道を開けよ。……麓の陣まで案内すればこの百文を出そう、どうだな」

 懐から財布を出した藤兵衛であったが、村人たちは薄ら笑いを浮かべたままであり、主だったものが言った。

「ここでおめぇを殺せば、その百文は誰のものになるだかね」

 藤兵衛は完全に失敗であったと悟ったが、それでも一縷の望みをかけて道を開けるように懇願した。だが村人たちはつれなかった。

「大体よ、お前たち三好が細川様らと戦ってこのあたりでも何度も合戦をした、合戦するといって銭だ米だと持って行った。兵にするといって無理に連れていき、女子衆も攫った。それでも俺たちのためのことは一つもしなかった。それにひきかえ姉小路様の配下だという渡辺前綱様はどうだ、合戦になるから悪いがと避難させ、山の中では寒かろうひもじかろうと差し入れの酒にコメの握り飯だ。米だぞ米。俺たちが年に何度も食えぬ米だけの握り飯だぞ。俺たちがどっちにつくか、なんて考えるまでもなかろうよ」

 この村人が一斉にとびかかり、三好長徳は武勇は人並よりは上であったがこうなると達人と呼ばれる武士であっても切り抜けることは難しかった。たちまちのうちに二人は絶命し、首をかかれた。

「刀、槍、鎧具足の類ははぎ取れ。首は落ち着いたら姉小路様に献じて褒美をもらうから塩漬けにでもしておけ。体は山犬が食ってもいかぬから、その辺に穴掘って埋めておけ」

 数日後、この首を献じて賞金を得たのは言うまでもないが、その際に渡辺前綱が一言、その村人に言った。

「次からは生きたまま連れてこい。その方がこちらとしても使い出があるからな」




 さて三好長徳隊を送り出した三好長将は、残りの手勢五千に前進を命じた。すぐ後方には後詰の十河一存隊が迫っており、後方の備えは万全であった。

 三好長将隊の最前線は竹束を持ち、前進を開始した。竹束は常の竹束よりも竹を多く束ねて鉄砲の弾を防ぐようにしており、十河一存も効果のほどが分からない船などという兵器よりもこの竹束の方が信頼がおけるようであった。当然三好長将も竹束をより信頼しており、鉄砲はすべてではないにせよこれで防ぐことができると考えていた。目指すは姉小路家の防衛陣、その中央付近に通る街道の部分にある逆茂木の切れた部分であった。この部分は渡辺前綱が西国街道を合戦の直前までふさぐことはせず、合戦が終わればすぐに元通りに街道を復帰させる必要を感じていたために設けられたものであり、固く踏み固められた西国街道を掘り返すようなことはせず土嚢を積んだ障害物を設置しただけであった。これにはもう一つの意味があった。それは三好家に突破すべき隙を見せることで三好家の矛先を誘導し、対陣に終始するという展開を避けたものであったが、この意味は三好長将の与り知らぬことであった。


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