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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第五章 混迷と混乱と
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百八十、丹波の鬼(五)

 丹波老ノ坂を目の前にした王子の地で、三好家の軍勢一万二千と内ケ島家の軍勢六千が遂に激突した。内ケ島家の赤備えにも千二百という被害を出しながらも、山口秀勝隊三千が降伏、中軍および瓦林秀重隊九千は壊滅し、内藤宗勝、松永久秀、瓦林秀重をはじめとした将に率いられた五百が八木城へ落ちていっただけであった。この次第については既に述べた。



 籾井家日記にこうある。

「籾井教業様、姉小路家が一手内ケ島氏理殿と行動を共にし、須知城を発し亀岡から京へ向かう老ノ坂前、王子の地へ向かい候。大井神社に兵を伏せ候処、南東より三好家の軍勢之有、内藤宗勝なり。ただ一戦すべしと突き崩し多数を打ち取り内藤宗勝の首を見るも、後方を進みし松永久秀隊の回避を許し候」

 講談「丹波騒動」のクライマックスは、籾井教業が王子から落ち延びようとする内藤宗勝を一騎打ちで倒し本懐を遂げる、という場面であり、その首を菩提寺である本休禅寺の墓前に供える場面で幕となる。だが既に述べたように王子での合戦では籾井教業は王子の合戦には参加しておらず、伏兵という形で大井神社にいたことが分かっており、籾井家日記もこれを裏付けている。

 ただ大井神社に兵を伏せた籾井教業隊が内藤宗勝を打ち取ったのは事実であり、松永久秀はこの後八木城に入ることができたのも事実である。ただしその直後に松永久秀はごくわずかな供回りを連れて京へ向かったため、何らかの交渉があったと考えるのが妥当なのかもしれない。この松永久秀が向かった際に、草太との謁見が行われたのであるが、それは項を改めることとしよう。

 因みにこの戦を含めた多くの戦で身に着けていた具足一式は藍染であり、これが籾井教業の異名である青鬼の由来となっている。対に語られることの多い赤鬼、赤井直正の鎧は丹塗にぬりであり、これらは今でも内ケ島氏理のものと伝えられる朱を混ぜた漆塗りの甲冑と揃いで国立博物館で見ることができる。




 内藤宗勝、松永久秀が兵を率いて退却し、内ケ島氏理隊が丘の上を占拠したのは日も傾いた酉の刻であった。

 内ケ島氏理は疲労の色も濃く、また武具も投げ槍は既になく槍もそろそろ限界を迎えつつある状況を見て、突撃は難しいと考えていた。また中筒隊を任せた中河兼顕からは発砲数が一丁あたり十五を超えているとの報告もあり、山口秀勝隊を攻めるのはかなり難しいと考え、また日も落ちつつあることから三好家の中軍の築いた陣に入り疲労を回復させ、また小笠原長隆の補給隊の到着を待った。疲労は休息すればよく兵糧はまだ二日分はあり水も確保は難しくないとはいえ、武器の類については補給がなければこれ以上はどうにもならなかったため、合戦自体は防衛に必要なもの以外は避けなければならなかった。

 内ケ島氏理はこの期に及んで未だ大きな動きのない山口秀勝隊は動いても夜襲であろうと考えた。食事を摂らせた後、夜の見張りに必要なものは先に休ませ、残りは警戒させつつ武具の手入れを行わせた。槍であろうとも脂が付き切れ味は落ち、また場合によっては穂先が潰れているため研ぎなおす必要があった。戦場のことであるためできることは多くはないが、それでも血の脂を取るなど最低限度の手入れをするかどうかだけでも大きく違いがあるものであった。中筒隊は半数ずつ尾栓を開けての整備を行わせ、残りの半数は早合を合わせさせた。早合が合わせ終われば休憩をとらせた。といって戦場では完全な整備は望むべくもないが、それでも暴発の危険性は相当程度に緩和されることが期待できた。

 戦場の後処理の結果、再使用に耐える投げ槍が一鍬衆に一人あて一本ではあったが回収できたのは大きかった。これらの結果、最低限度戦える、内ケ島氏理はそう考えていた。

 だが幸いなことに、実際には合戦は起こらなかった。山口秀勝隊は目の前での中軍、そして瓦林秀重隊の壊滅を見て完全に戦意を失い降伏、その将であった山口秀勝はわずかな供回りを引き連れて落ち延びていった。



 さて瓦林秀重隊の壊滅の後、撤退に成功した内藤宗勝、松永久秀、瓦林秀重率いる兵五百は、徐々に脱落者を出しながらも北西へと逃げ進んでいた。亀岡を過ぎるころ、一つの岐路があった。一つは八木城へ向かう道であり、もう一つは大きく西へ向かい山内川沿いに谷を越えて猪倉城に入る道であった。馬上、内藤宗勝は松永久秀、瓦林秀重と、八木城へ入るべきか相談をした。

 松永久秀は難しい顔をして考えたが、瓦林秀重は即答した。

「八木城へ入るべきでしょう。八木城が落ちていないならば、あの城は我ら三好方の丹波攻略の中心地、また城も堅固であるからには少数の兵であっても守りきることはできるでしょう。更に八木城の櫓には、敵来襲の合図も落城を知らせる合図も上げられてはおりませぬ。翻って我らが猪倉城へ落ちるならば、三好家の兵は内ケ島氏理が手勢に叩きだされたことになり、丹波国人衆の支配はこれまで以上に難しくなりましょう」

 こう注進したのは瓦林秀重であった。

 松永久秀は八木城が無事だったのは内ケ島氏理が全軍を王子の地での決戦に回したためか、或いは何らかの罠があるのかの判断がつかなかったが、この瓦林秀重の言には一理あった。一敗地に塗れただけであれば、勝敗は兵家の常、なんとか取り戻しもできるやもしれないが、完全に叩きだされ足がかりを失ったとあれば取り返しは難しく、下手をすれば猪倉城へ入った後に長沢重綱が心変わりをして闇討ちに討たれないとも限らなかった。しばし考えたがほかの方法は考え付かず、松永久秀は罠があるとは疑いながらも八木城への道を選ばざるを得なかった。


 進むこと半里、疲労の極みにある兵にむち打って進んでいた内藤宗勝隊四百は大井神社の脇を通り過ぎようとしていた。既に百近くが脱落していたが、それでも足を止めるわけには行かなかった。後方より内ケ島氏理隊が追撃をかける、或いは別動隊が八木城を攻める、その前に八木城へ帰りつき入城する必要があるためであった。

「進めぃ。八木城に帰り着いた後は好きなだけ休ませてやる、今はただ進めぃ」

 そこかしこで馬に乗った鎧武者が部下を叱咤しながら軍を前に進ませていたが、既に時は戌の刻に入り日も落ちていた。松永久秀は、夜に入ったことが少しありがたかった。というのも、目指す八木城の灯火が見える以上、攻撃を受けていれば灯火の合図で分かり、自分たちも夜陰に乗じての行動であれば追撃を受ける危険性が減るためであった。夜の闇は三好家を護る帳であり、この帳に紛れて八木城へ入ることができる、そう松永久秀は考えてはじめていた。楽観的に過ぎるのは確かであったが、それでも夜の闇で敵が見えないことが敵からも(・・・・)見えないことを・・・・・・・意味する・・・・、そう思ってしまった。



 だが、果たして罠はあった。

 大井神社に伏せられていた籾井教業隊五百は、松明を手に進んでくる内藤宗勝隊を見落とさなかった。報告を聞いた籾井教業は、笑止、と一言言って左右のものに命令を出した。預けられた一鍬衆を取りまとめていた石山喜八という元猟師だという青年に言った。

「石山殿、敵部隊は疲労の色も濃く、一撃に粉砕することもできよう。それ故ときの声と共にあの敵部隊の中央に横腹から突撃する。我ら籾井家の兵は先頭方向へ向かう故一鍬衆は後尾方向へ攻め立ててもらいたい」

 石山喜八は、後方を潰すのに流石に四百の兵は多すぎると感じていた。

「敵兵は精々四五百、それも疲労の色も濃く士気は地に落ち槍もない兵も多く見ゆるとか。それならば三百にて仕りましょう。籾井教業殿は一鍬衆百を含めた二百で先頭へ攻め上り下され」

 中腹を横腹より攻撃し先頭方向へ攻め上った場合には、敵兵の背後から攻撃する形になり、もちろん向きなおることもできるが後方に逃げ延びる先があるとなれば必死の戦いはできない、この辺りの呼吸を知っている籾井教業はこの案に同意し、二町を超えるほどに延びた三好家の軍勢が目の前を通り、その半ばが通り過ぎるのを待った。



 松永久秀は暗闇の中を進みながら胸騒ぎがしてならなかった。八木城は攻撃されていない、それだけは確かであったが、逆に言えば確かなことはそれだけであった。八木城下に敵が伏せていないという保証はなく、また後方より内ケ島氏理隊の追撃を受けた場合には一撃で粉砕されるのは火を見るよりも明らかであった。遅々として進まない軍勢に多少苛立ちつつも、さりとてこれ以上急がせることは難しかった。脇道を通ってはいたがその分道も細く隊列は伸び、また所々にある木立が視界を遮っていた。進軍を急がせようと中央にいる内藤宗勝と松永久秀は先頭に出たものの、やはり隊としての纏まりも最低限維持しているだけでしかなく、というよりもこの纏まりが維持できているだけでも既に賞賛すべきことのようにすら思えるような状況であった。

 いくつ目か分からない木立を過ぎた松永久秀は、突如後方でときの声が上がるのを聞いた。



「突撃ィ。三好の兵は逃すな」

 籾井教業は伏せた兵に合図を出し、兵はときの声を上げて突撃を開始した。藍染の鎧下に胴丸を付けた籾井教業は自ら槍をふるい、一鍬衆は三人一組の戦術で、それでなくとも疲労のために既に士気など地に落ち組織的な戦闘をする余力のほとんどない三好家の軍勢に襲い掛かった。既に三好家の軍勢には立ち向かうものもほとんどなかったが襲い掛かる籾井教業隊は容赦なく槍をふるい、瞬く間に百数十が打倒された。

 三好家にとって幸運だったことは、中腹にいた瓦林秀重が辛くも逃げ延び松永久秀に報告することができたことであった。報告を受けた内藤宗勝は、松永久秀に強い口調で命じた。

「全員逃げよ。無事に八木城へ落ち延びるのだ。兄者、いや松永久秀、そなたが先導せよ。……十ほどは我とともに来い。槍をつけてくれる」

 内藤宗勝はやはり武将であった。殿しんがりを務め、内ケ島家の兵を食い止めてその間に松永久秀、瓦林秀重を落とすこととしたのであった。唯々諾々と逃げる松永久秀ではなかったが、内藤宗勝は重ねて強く言った。

「ここは逃げてくだされ。兄者がいれば松永家は建てられます。今は、逃げてくだされ」

 そう言って松永久秀の馬を叩き、走り出させた。


 半刻の後、内藤宗勝は物言わぬ骸をさらしていたが、松永久秀は八木城に入ることができた。瓦林秀重も逸れたのか討たれたのか見当たらず、山口秀勝は未だ八木城へ戻っていなかった。また八木城の四手井家保は大村城から兵が出撃したが内ケ島家の兵と合戦に及び敗退した模様、と報告をしてきた。ここからすれば、大村城においた海老名友清隊三千もほとんどが失われたと見た方がよさそうであった。また楠木正虎もどうなったのか、よくて降伏、或いは討死しているかも知れなかった。少なくとも当座は手元の将に数えることはできそうになかった。

 兵もほとんどを失った。将も、弟である内藤宗勝をはじめ戦える状況にはなくなった。松永久秀は八木城に入ることには成功したが、丹波攻略を進めることはもはや不可能であった。事ここに至って、松永久秀は内ケ島氏理に使者を出すこととした。三好家の丹波からの撤兵、それが条件の全てであった。

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