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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第五章 混迷と混乱と
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百七十四、山崎合戦前夜

 姉小路家の上洛、それに先立って渡辺前綱を派し三好家を山城国から駆逐した。姉小路軍は山崎城を占拠して防衛陣を張り、芥川山城を根拠地として畿内制圧を目指す三好家と対峙していた。一方で丹波攻略を目指した松永久秀、内藤宗勝は内ケ島氏理率いる姉小路家の別動隊に阻まれ、その丹波攻略は頓挫していた。三好長慶は山城での敗報と三好長逸の討死の報を聞き、芥川山城を訪れた本願寺顕如、下間頼廉と協力して姉小路家から京を奪回することを目的とした軍を出すことを決し、丹波の松永久秀、内藤宗勝にも老ノ坂越えに京を攻撃するよう命を下した。

 この次第については既に述べた。



 西洞院時当の日記、天文二十四年文月十一日(1555年7月31日)の項にこうある。

「征夷大将軍足利義輝公、姉小路房綱殿と共に参内、これよりは足利義輝様は京に座すとのこと、大慶也。夜、歌会あり、されど姉小路房綱殿は洛外の不穏なるをもって出でず。或るいは姉小路房綱殿の無教養を嗤うも、一条房道公、お叱り給い(略)」

 姉小路家の上洛を期に始められた、三好家、石山本願寺、六角家、後にここに河内畠山家、伊勢北畠家が参入し、更に姉小路家側に立って大和筒井家が参陣するこの一連の戦いは、第二次姉小路包囲と呼ばれることがある。第一次姉小路包囲に比べて統一した意思を持たず、戦いとしても散発的であり姉小路家もほとんど窮地らしい窮地もなく各個撃破されていったため、小包囲網と呼ばれたり省略されたりすることも多い。しかしこの第二次姉小路包囲網の結果として姉小路家は畿内を手中に収めていったのであるが、姉小路家も畿内だけに注力出来る事情ではなく、結果として第二次姉小路包囲網は長引いたのである。

 文月十一日の合戦の際、足利義輝は参内し歌会を行うなど合戦には全く関係のない風を装っていたが、その実配下の石川長高を填島城に入れて備え、また比叡山の僧兵千を京に配して万が一に備えさせるなど、将軍家としての務めも行っていたことがいくつかの文書で明らかになっている。

 ところで三好家が兵を集め京を攻めようとしていたことを、いくら公家であったとはいえ西洞院時当が知らなかったのはいささか不思議なことである。姉小路家の情報統制が上手く行っていたのか、三好家が兵を集めるのはよくあることでしかなかったため見過ごされていたのか、定かではない。




 文月十日(7月30日)夜、一条房通の屋敷の離れに四人の客が来ていた。近衛前久、草太、将軍足利義輝、そして西洞院時当であった。西洞院時当は一人だけ格が二枚も三枚も下であり、居心地の悪さを感じながらもおそらくは話を聞かせ何らかの役割を果たさせるべく呼ばれたのであると考えていた。

 床の間を背にしたのは関白である近衛前久であり、上座を一条房通と将軍足利義輝が、その下座に草太が座り、戸口近くに西洞院時当が座を占めた。一通りの挨拶が済むと、一条房通が言った。

「足利義輝殿、よく京へお戻りになった。姉小路房綱、将軍家の上洛手伝い、大儀であった。上洛早々の二人を朝議に先立って呼んだのは、用があるためだ」

 何なりと、と将軍足利義輝が言うと、近衛前久が言った。

「先だって足利義輝殿の室に妹が入り、また姉小路家にもひ文字が入っている。両家は縁戚、そうあるという事でよいな。それで、だ。姉小路家を幕府の要職に付け、京、そして畿内の取り締まりを姉小路家に命じてもらいたい」

 だが将軍足利義輝の返事を待たずに草太は言下に言った。

「お断りいたします」

 この言葉に、近衛前久はおろか将軍足利義輝ですら声を失った。だが一条房通だけはさもありなんという顔のままであった。

「だから言うただろうに。姉小路房綱殿が唯々諾々と命令に従う、などとは思わぬと。大体、足利義輝殿、姉小路房綱殿はそなたの配下かな」

 将軍足利義輝は苦笑しながら否と答えた。

「姉小路家は公家であり飛騨の守護ですらありませぬ故、どのような名分でも配下ではございません。精々朝廷の位階での配下ですが、それで配下として命令を下せるのであれば天下は乱れませぬ。こじつければ守護代であることをもって配下ではございますし、加賀守護でもございますが、しかし足利将軍家が与えた領土でもなく自力で切り取った地である以上、追認しただけで配下というのも些か」

 問答を聞いていた草太は更に口を挟んだ。

「京を守護する、と申しますが、足利将軍家が京にあり京を守護する、それが宜しいかと」

「三好が京を攻める、と申してもか」

 近衛前久の言に草太は返した。

「近々攻め入る、その構えを見せているのは存じております。もとより姉小路家は足利将軍家を助けて三好家の侵攻より京を守る所存にて。既に手の者を桂に布陣させ山崎城に入れ、また足利将軍家の手の者が填島城に入ってございます。今はそれで充分かと」

「戦の事は武家のそなたらの領分、我らは口を出さぬ。出さぬがな、それでも宸襟しんきんを安んずるためにはな」

 尚も食い下がる近衛前久に一条房通が一喝した。

「よさぬか。今の足利将軍家に何の不足がある。越前を領し姉小路家と良好な関係を築いている、我らとの関係も悪くはない。不足はあるまい」

 戦のことは武士の領分、と言ったという事は朝廷のことは公家の領分である、ということの裏返しであり、朝廷内部での政争についてであろうと草太は察した。

「三好側の公家はどなたでございますか」

 一条房通が苦い顔で、九条殿だ、と言い、さらに続けた。

「石山本願寺の座主、顕如は九条殿の猶子であり、三好家の当主三好長慶の弟十河一存の妻は九条殿の娘だ。九条殿には今一度関白にという野望がある、我らはそう見ておる。そのための後ろ盾が三好であり石山本願寺だ」

「九条殿が後ろで糸を引いていると」

 草太が聞くと、一条房通が言った。

「いや、糸を引くのではなく両者を利用しようとしているだけだな。両者を九条家のために使うことが出来るほどの力はない」

「二条殿は」

 将軍足利義輝の問いに、近衛前久は短く、中立だ、と答えた。


 この話を聞かされている西洞院時当は、自身が何を聞いているのかをはっきりと分かっていた。これは聞いてはならない類の話であった。生きた心地がしなかったと言っても良い。

 だが一条房通が突然話を振った。

「西洞院時当、そなたにもひと働きしてもらう。……なに、そう構えるな。我らと足利将軍家の間の連絡役、これを務めてもらう。よいな」

 はは、と西洞院時当は平伏しながら、これは日記には書けぬな、と心のどこかで思っていた。



 同じころ、芥川山城では出陣の支度が密かに進められていた。密かに、とはいえ数万の人間が芥川山城という城とその周辺に集結していたのであるから、限度があった。もっとも兵はこの数万のうち二万に満たず、同じくらいの数を商人や遊び女、人足、兵ではないが陣借りをしに来た牢人など雑多なものが占めていた。当然にして姉小路家もこの集結を知っており、山崎城下の陣では夜襲を警戒して陣立てを整え街道を閉じていた。それを横目に、芥川山城の一室では、出陣前の酒宴が行われていた。酔う程は誰も飲まなかったが意気を上げるものも多かった。対照的なのは静かに飲む三好実休と十河一存であった。とはいえ彼らは機嫌が悪い訳でも騒げぬ訳があるわけでもなく、出陣前の高ぶる気を内に秘めながら高め、傍目にも近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。

 この場には酒を飲まないものが少なくとも三名いた。一人は未だ若年であるためにと断っていた本願寺顕如、一人は下戸であるとして飲まなかった九条稙通、もう一人は父親が討死したばかりの三好長将であった。宴を眺めながら九条稙通はどうやら気が昂っている娘婿の十河一存には近寄れなかったらしく、三好長慶に言った。

「戦の前の宴で気を高める、真に結構なことじゃな。戦の事は分からぬながら、婿殿も戦上手、長慶殿も実休殿も揃っての出撃、更に御仏の加護も揃っておる。姉小路家といえども鎧袖一触、京に入るのも容易なことだろうよ、のう」

 能天気な、と三好長慶は心の中で思いながらも、摂家という札はこれから先も畿内支配を進めていきたいのであれば是非とも手に残すべき札であった。少なくとも畿内では朝廷という存在は無視すべからざる隠然たる力を持っていたためであった。

「戦に絶対はありえず、容易いと思う戦ほど危ういものはございませんよ。まして姉小路家は飛騨の山奥から身を起こして瞬く間に今の勢力を築き上げました。我らと戦った六角家、あれも姉小路家に敗れて琵琶湖岸の地を失ってございます。油断すべきではございませんな」

 だが九条稙通は酒も飲まないのに上機嫌であった。

「姉小路家を追い落とし将軍家を追いやり、そうして京を手中に収めた後は三好幕府、作って見せよう。そのためにも、な」

 三好長慶は内心うんざりしながら、この九条稙通という公家の関白位への執着に手を焼いていた。三好幕府など作るつもりもなく、足利幕府を或いは担ぎ上げて旗印に、或いは追い落として勢力を落として三好家の利になる様にすればそれでよかった。三好長慶の当面の目的は河内畠山家の打倒であり畿内の支配であった。幕府は三好家に都合のよい裁定を下す、ただそれだけの存在でよく、三好家が幕府を開くなどという話は、三好長慶にとって苦労ばかりで利もない馬鹿げた話でしかなかった。


 適当に話を切り上げ、三好長慶は三好長将を召した。まだ若武者であったが三好長逸の嫡男であり家督を継いだため、この席でも上席に座っていた。近くに召したが沈鬱な表情の抜けない三好長将に、暫し声を何と声をかけたものかを考えた。酒宴の喧騒をよそに、沈黙があった。

「父のことは残念だった。我が柱石としてまだ働いてもらいたかったものを」

 三好長慶がしばしの沈黙の後言うと、三好長将は言った。

「そう言って貰えれば父も浮かばれましょう。明日の戦では手柄を立て、父の墓前に据えて見せましょう」

 うむ、と三好長慶は答え、陣は山崎の陣であったか、と言った。

「左様でございます。山崎の陣、その先陣を賜りましてございます。ただ兵は大半が失われ集める暇もございませんでしたから、十河一存様の陣の一手の将としての働きでございます」

「そうか。……板東信秀、竹鼻清範、江戸備中守、それに若槻光保、あの者たちも戻らなんだか。惜しいな」

 三好長将は、配下の名まで覚えており、失ったことを悲しんでいる三好長慶に、大きな感慨を受けた。そして是非ともに手柄を立てなければ、と考えていた。



 この酒宴を、ある意味では外側から眺めていたのは本願寺顕如であった。下間頼廉もこの席にはいなかったためもあり誰とも話さず、この喧騒を冷めた目で眺めていた。この者たちがあの姉小路家を斬る刃となる、と思えば喧騒も愛おしく思えたが、三好実休を筆頭に相当な数の熱心な日蓮宗の宗徒がいたためどこまで一向宗と行動を共にするか、否、石山本願寺としてどこまで三好家と歩調と共にするか、考えていた。言うまでもなくそれは姉小路家を叩き姉小路房綱という人物の首を見る、そのための協調であった。そうでもなければ日蓮宗の宗徒と行動を共にするなど、日蓮宗と一向宗は常に武力をもって戦ってきた間柄であり山科本願寺を破却され数万ともいわれる門徒を殺害された恨みがあり、絶対に許容できることではなかった。


 ……精々、殺しあうが良い。


 僧侶にあるまじき暗い炎を心の底に灯しながら、本願寺顕如はそれでも心のどこかでこれではいけないと思っていた。僧侶であるという身を顧みれば、仏法によってこそ願いを成就すべきであり、日蓮宗の根絶も一向宗への改宗という形で行われるべきであった。だが時は末法乱世の世である、と本願寺顕如は自らの心を慰めながら、暗い炎をどうすることもできない自分の弱さを隠していた。




 酒宴は終わりを迎えていた。酒宴の締めに三好長慶が言った。

「次は勝って酒宴ぞ。皆、気張るが良い。京より姉小路家を追い落とし、畿内は我らが領土と思い知らせるのだ」

 はは、と一同が平伏し短い酒宴が終わると出陣の時間であった。十河一存は山崎に攻め寄せる第一陣、三好実休は第二陣を受け持つこととされて出陣を待ち、またここにはいないが南山城には安見宗房が下間頼廉率いる一向一揆と共に既に交野城を出発した頃であった。更に八木城の松永久秀、内藤宗勝兄弟も亀岡から老ノ坂越えに京を突くべく陣を進めていた。


 開戦の時刻は、刻々と近付きつつあった。

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