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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第五章 混迷と混乱と
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百六十七、鈎の陣

 六角家が姉小路家へ南近江の支配を明け渡し、小部隊に分かれての攪乱戦術を基本とした鈎の陣を展開させ、同時に一向宗による金森御坊を中心とした一向一揆が勃発した次第については既に述べた。姉小路家の南近江支配は揺るがなかったが、それでも姉小路軍の活動には大きな制約がかかったのは確かであった。また南近江を中心とした地域の内政に付いて姉小路家は大きく手を焼き、特に治安維持の観点からの活動は大きく阻害されこれが一向宗の活動に拍車をかけるという悪循環が始まっていた。



 姉小路家日誌天文二十四年水無月十日(1555年6月28日)の項にこうある。

「姉小路房綱公、浮気城に滝川一益を入れ多羅尾光俊を岩倉城に入れ城門を開かせ候。全ては一向宗への備えに候えども、少数の野盗止み不候。金森御坊の僧道信、金森御坊は一向宗なれども挙兵もせず一揆との関係なしと述べ、また周辺の地侍土豪の類、いずれも一揆に参集すべく離れたもの之無候はば(略)。沖島牛太郎、一向一揆を取り鎮め候」

 姉小路家による南近江支配の最初の一月は混乱が収まらず、永原重虎による街道の復旧も行われていたが軌道に乗ったのは夏過ぎであった、というのが定説である。更に長浜から高島への琵琶湖水運を使い、更に途中から若狭街道を経て京に入る街道は京へ入るための街道としては便が良く、南近江を通る街道の治安が確保された後であってもそれなりの数が利用し続けたとされている。風待ちさえなければ二日から三日ほど旅程を短縮できる場合があり、また船賃も旅籠に一泊する金額に比べれば安いことがあったようである。

 ともあれ、水無月から葉月の末にかけては、商人人足もいないわけではなかったが、ほとんどが琵琶湖水運を利用していたか、場合によっては北回りに永原、今津を経て高島の街に入るものもあったようである。このため鈎の陣の最中であっても被害にあった商人人足は限定的であったが、南近江への行商人は変わらずに南近江を移動する必要があったため治安の悪化は彼らを圧迫し、民の生活を圧迫した。これが一向宗の下間頼照に利用されて姉小路家への一向一揆が南近江各地で五月雨式に発生した原因でもあったというのが通説である。

 無論、その行商人の圧迫は六角家と結んだ石山本願寺が起こしたものであるため、酷い自作自演である。

 これを鎮めるために出てきたのが沖島牛太郎という近江の顔役である辺り、姉小路家が一向一揆を鎮めるために武力ではなく民の力を使い、他の事例のように根切りなどは一切しなかったというのが、姉小路家らしい特徴である。



 水無月七日(6月25日)夕、草太は広間にて重臣たちと六角家に対する対応を話し合っていた。対応の対象は六角家だけではなく伊勢北畠家、大和筒井家、そして三好家も含まれていた。草太の右前には大和から戻った平助が座っていた。

「まずは現状を確認したい。……弥次郎兵衛」

 草太が言うと弥次郎兵衛が言った。

「治安維持のために一鍬衆を十名前後の隊として出しておりますが、これについては未だまとめられておりませぬ。少なくとも四十五隊に二百の死傷者が出ております。この他十数の隊が未だ連絡が取れず、ただ帰還予定日は先でございますので連絡が取れぬだけということもあり得ます。この他、民にも被害が出た村あり、とのことでございます」

 民の被害、と出たところで草太が詳細を、と目で促した。

「民の被害でございますが、治安維持のための隊がいた村では一鍬衆が攻撃を受けた際に巻き添えのように攻撃を受けたようにございます。一方、いなかった村では野盗のごとき集団が押し入り、ほとんど生存者もなく食料、銭などは持ち去られ、家屋は焼かれてございます。焼かれた村は把握しているだけで二十一、おそらく三十は超えるかと」

「そのような集団は今までもいたのか」

 滝川一益が不思議そうに言った。南近江は滝川一益にとって馴染みの深い地であり、生まれ故郷ではないにしても堺、京から近江にかけての地域で、これまでの人生の大半を過ごしたといって良かった。それでもそのような野盗がいるとは聞いたことがなかった。服部保長はその言葉に対して答えた。

「つい三日前まではそのような野盗はおらなんだな。しかも、村一つ、集落一つでも落とすとなればかなりの戦力が必要で、それを同時に二十、三十と行うとあれば自然に発生したものではない。となれば答えは明らかだろうさ」

 六角家か、と色めき立つ諸将を抑えるように弥次郎兵衛が言った。

「まだ報告は終わっておらぬ。対応の協議は報告を終えた後に致そう。……彼らの他、医療隊と輸送隊にも被害が出ております。兵糧を含む物資を積んだ荷駄隊が二隊攻撃を受け、そのうち一隊は戦場となり食糧難になった犬上川付近の村々を回っている最中、食料を焼き払われました。医療隊もこの隊に随伴していた隊であり、医師一名が死亡しております。ただ物資は焼かれましたが人的な被害は少なく、物資も佐和山城から再度輸送隊を出したため予定が一日程度遅れただけと、被害自体はさほど大きくもありません。もう一隊は鯰江城への補給隊でございますが、こちらは護衛のための部隊により撃退しております」

 撃退した、と聞き草太は興味を持った。

「その指揮をしていたのは誰だ。話が聞きたい」

 某にございます、と木田八郎が末席より声を上げた。促すとその合戦次第を話した。簡単に言えば、道の両側にそれぞれ猟師のような者二十五程度、刀を持った者二三程度の集団があり、合わせて七十程の兵力による待ち伏せであるという事であった。

「我が隊が遭遇した奴らは集まっていなければ普通の猟師と見分けがつきませぬ。幸いにも奴らが集まりこちらに一撃を加えんとした際に発見したため、こちらから攻撃し撃退することが出来ました。しかし発見が遅れれば弓による被害は避けられなかったかと」

「襲撃された小部隊の生き残りにも話を聞きましたが、ほとんどが林などから弓を射かけられて被害を受けております。相手を目撃したものもありましたが、普通の猟師と見分けがつかぬ、と」

 弥次郎兵衛が補足するように言った。草太をはじめ諸将は、厄介なことになったと感じていた。

 一般的な解決方法は根切りであった。つまり敵と見分けがつかないものも全員まとめて殺すという方策であるが、それを許す草太ではないことは諸将は知っていた。つい数日前、姉小路家に来たばかりの山岡景隆、青地茂綱でさえその評判からそう知っていた。そのため根切りなどは誰も言い出さず、更に根切り以外の方策は誰も思いつかなかった。


 ふと服部保長の与力となった多羅尾光俊が声を出した。

「一向一揆はどう動いておりますかな」

 不思議そうな顔をした草太に対して多羅尾光俊は言った。

「六角家が動くならば一向一揆も動く、さもなければ甲賀へ姉小路家がなだれ込んで話は終わりますからな。そうしないための足止めをするというのは当然でございましょう。のう、青地茂綱殿、そなたならば知っておろうよ」

 名指しされた青地茂綱は、確実な話ではございませんが、と前置きして言った。

「某が聞いた話は犬上川の合戦への出撃よりも数日前、我らに対する援軍として石山本願寺が後方より一揆を起こす、そのために石山本願寺から僧が金森御坊に派遣されてくるというところまででございますな。……話をしたのは確実な話ではございませんし、何よりも我が旧知の者が青地城付近に居りますが一揆は起っておりませぬ故。流れたかと存じます故話しました」

 多羅尾光俊は納得がいかないように、弥次郎兵衛に頼んで襲われた村を上げさせた。それを十ほど聞いたところで弥次郎兵衛を制止して言った。

「間違いないな。一向宗は動いておりますよ。それも野盗働きに終始しているようだが、軍資金が乏しいのか統率者がいないのか分かりませんがね。……どういうことかって、簡単なことです。村は二三十しか人がいないところが大半とはいえ、野盗働きをしようとすれば最低でも五六十は要る。十の村なら五百か千か、その位だ。襲われた村の場所は目賀田と鯰江の間だけで十を超えるなら、そんな人数が黙って鯰江城の周りを通過できたという事になる。姉小路家の兵が居るのに、十や二十ではなく数百も、なんて無理だ。であれば、一向一揆位しかなかろう」

 草太にも思い当たることがあった。加賀から能登に入った一向一揆が能登で何をしたのか、それを思えば確かに村を囲んでの野盗働き程度は朝飯前のことであろうと思われた。一方の一鍬衆を襲った隊は、基本的には一鍬衆をのみ攻撃対象としていたように思えた。あまりにも違いが大きく、確かに六角家と別の勢力である石山本願寺が動いたと考える方が納得が出来た。


 吉田重政が、六角家の兵を無力化する策ではございませんが、と声を上げた。

「おそらくは次の攻撃までかなり間が明くかと。……種はそれほど難しいものではございません。六角家の弓隊として鍛え上げたのは二百、そのうち七十近くが既に倒されているとすれば百三十程度。大目に言って百五十。この数で四十五の隊に攻撃をかけ二百を倒すとなれば、最低でも矢は四五百は使っておりましょう。倒すに至らなかったものまで含めれば千近く、恐らくは少なくとも一人当たり四本、恐らくは八本以上は放っているはずです。通常、城や陣に籠っての射撃でもなければ一鍬衆のような兵を射るための矢であれば十本も持ちません。したがって多くは矢がないか、あっても一二本程度であろうかと思われ、最大でももう一度同じ規模の攻撃を行えば矢が尽きるほどでしかなかろうと推量します」

「それは、つまり矢を補充するまでは間が明く、という事か」

 草太が返すと、吉田重政は御意、と返した。補給を断つ、それも軍用の矢の補給を断つという方策は、悪いものではないように思われた。



 草太は少し考え、命令を下した。

「念のためだ。金森御坊を押さえる。滝川一益、そなたに一鍬衆八千、中筒隊千五百を与える。浮気城に入り金森御坊を抑えよ。市川大三郎、滝川一益と共に行き岩倉城を囲んでいる三林善四郎隊と共同して落とせ。一向一揆など起こさせるな。また金森御坊と三雲城の交通を遮断せよ。特に矢は厳しく調べよ」

 は、と頭を下げる二人を見、続けて命令を下した。

「田中弥左衛門、一鍬衆一万と中筒隊二千を与える。石塔寺へ入り周辺を警備し、また慰撫に努めよ。特に軍用の矢は出入りを制限せよ」

 はは、と田中弥左衛門が頭を下げた。更に草太は服部保長と多羅尾光俊に声をかけた。

「服部保長、多羅尾光俊、両名は甲賀衆を調略せよ。時に多羅尾光俊、甲賀には鍛冶は多いか」

 多羅尾光俊はこの言葉に悟ったようであった。

「鍛冶は多いが、鏃を作っているのなら蒲生郡は日野近辺に多かったはずだ。中野城の辺りに鉄砲鍛冶を作るとかいう触れ込みで人を集めていたが未だ出来ぬようだがな。特に調略すべきは鍛冶を行う者、か」

 そうだ、と草太は言った。

「観音寺城の近くに鍛冶の村を作りそこへ収容させよ。鉄砲でなくとも鍛冶の手は足りぬ。弥次郎兵衛、近在の襲撃された村の跡地で良い場所を見繕え。農業に適さずともよいが……」

「鍛冶ならば川と山林が近い土地を見繕いましょう」

 弥次郎兵衛は心得たように言った。



 こうして軍議を終え出陣を見送った草太は、沖島牛太郎を呼び出した。無論、近江の民の安寧を図る策を相談するためであった。


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