百六十三、援軍来たる
南近江の平定は、東西からの攻撃による六角家の蹂躙、観音寺城包囲軍と西から攻め上った渡辺前綱隊との合流、そして観音寺城に籠った六角義治の降伏により馬淵秀信の籠る岩倉城を残して琵琶湖周辺は姉小路家の手に落ちた。岩倉城には千数百の兵が籠り、更に岩倉城の堅さも手伝って渡辺前綱は兵糧攻めによる落城を目指して包囲戦術をとった。残るは蒲生郡、甲賀郡、そして更に伊賀国へと至る周辺であったが、六角義賢が甲賀衆を味方に付けて抵抗する構えを見せていた。だがこのような六角義賢よりも、姉小路家にとっての問題は草太のことであった。
草太が一室に隠れ、弥次郎兵衛が呼ばれるも手の施しようもなく援軍を呼ぶ手紙を出した次第については既に述べた。
姉小路家日誌天文二十四年水無月朔日(1555年6月21日)の項にこうある。
「姉小路房綱公、奥を伴い観音寺城に入り候」
草太が肥田城を出て観音寺城に入ったのは、意外なことに観音寺城降伏後十日以上経った水無月十日のことである。またこの後暫く観音寺城から出た様子もなく、大きな軍事的行動をした形跡もない。飛騨統一選からここまでの活動を見ると、これほどの期間何もしないというのは珍しいことである。
特筆すべきは妊娠中であるとはいえどもつうが金沢城から南近江にまで来、共に観音寺城に入っていることである。観音寺城陥落直後につうは肥田城へ来、落城後は観音寺城に起居することとなり、出産も観音寺城でのこととなった。この時期は正に草太の傍らで暮らす日々を過ごしたようである。草太はこの後しばらくは南近江の政務を見るためもあり大きな外征もほとんどせず観音寺城にあり、秋までの数か月間は渡辺前綱に命じての京制圧以外には大きな軍事的行動をしなかった。観音寺城を離れたのは、京制圧後に朝廷に伺候した一回のみであるとされる。
大きな軍事的行動をしなかったのは、一つには観音寺落城直後からの六角家の一種のゲリラ戦術に対応するためであり、更に甲賀地方、伊賀国への調略などの対応を行っていたためであるとされる。また、新たな集団戦術を開発していたともされるが、事実としては様々な原因の混じりあったものであったというのが本当のことであろう。
一説には観音寺城につうと共に入るためとされるが、如何に安定期とはいえ妊娠中のつうを金沢から呼び寄せ共に暮らすというのは少し解せないが、草太には珍しいわがままであったのかもしれない。
皐月二十五日(6月15日)夕、たかは一通の手紙を受け取った。差出人は城井弥次郎兵衛であった。表方の家臣筆頭である弥次郎兵衛の名に訝しみつつも、たかは手紙を一読し、そして血の気の失せるのを感じながらもすぐにつうとひ文字姫の元へ向かった。二人はこの時期には仲良くなっており、寝所は隣同士の部屋を使い、起きている間は同じ部屋にいることも多かった。一つにはつうの妊娠のためもあったのかもしれない。
手紙は、言うまでもなく草太の現状について触れ助けを求めるものであった。
事情を話したたかに向かってつうは宣言した。
「表向き、政治向きの話は我らは分かりませぬ。戦では御屋形様を守ることは出来ず、謀を巡らせるのも殿方の仕事にございます。それでも奥向きの仕事は奥の仕事です。御屋形様の大事とあれば、何を差し置いても駆けつけるべきでしょう」
ですがお子が、とひ文字姫が言いかけたのをつうは制止した。
「子は、大丈夫です。あの御屋形様の子ですから、この位の事でどうにかなりません。でも御屋形様は私たちが行かなければならないでしょう。……いえ、行ってもどうにもならないかもしれませんが、行かなければならないのです。良いですね。……たか、支度を。すぐに支度をし、今日の内に金沢から船に乗れるように手配なさい」
有無を言わせぬようにたかに命じ、慌ただしくたかを追い出した後、つうの頬に大粒の涙が流れた。それを見たひ文字姫が、つう様、と声をかけたがつうは返事もせず、やや暫く時間が経ってからつうは声を出した。
「ひ文字姫、いやひい様、御屋形様は、無事でございますよね。そうですよね。……あの御屋形様が、無事でないはずはありませんよね。そうですよね……」
ひ文字姫は一つ年上のつうを強い人だと思っていたが、そのつうが心配で心が張り裂けそうになっているのを見て、自分がつうを支えなければという思いを強く持った。安心させるような言葉はひ文字姫には見つけられず、ひ文字姫はつうの背に手を添えるだけしかできなかった。
一時ほどして旅の支度が出来、船の手配が整ったとたかが二人を呼びに来た。といっても本当に身の回りのものを持ち、つうに付いている典医が薬箱をもって付き従う以外にはほとんど支度とてなく、かさばる衣類の類や細々としたものは後程金沢から荷を運ばせることとなった。
金沢の津から敦賀の津までは姉小路家水軍の船を使うこととされ、丁度居合わせた矢島玄番が関船を出した。揺れをなるべく抑え、尚且つなるべく急ぐように、矢島玄番は潮の流れを見極めながら細心の注意を払って船を帆走させた。櫓で漕がせれば更に速度は出たものの、櫓で漕げばその分だけ揺れるため櫓は最低限以外は見合わせた。出航は夕方であったが、夜の間もほとんど揺れぬように船を走らせ朝方に敦賀の津に着くことが出来たのは、矢島玄番以下の姉小路水軍の練度の高さゆえであろう。
船の中で柔らかな藁束の上に布をかけ、つうとひ文字姫は揺れと折り合いをつけながら草太のことを話し合いながら眠った。たかは船酔いをする質だったらしく二人の前にはいなかった。
敦賀の津から駕籠に乗り朝から夕方までかけて長浜へ入り一泊、流石につうも疲れたためか心配のためか顔色は冴えなかったが、それでも翌日には肥田城に入り草太に会うためにひ文字姫と話をした。
「ひい様、明日、御屋形様に会います。それで、です。……先触れは先ほどたかに出させましたから、明日、着いてすぐに湯あみをなさい。そして御屋形様が望むなら、ひい様は御屋形様の望まれるとおりになさい。良いですね」
はい、とひ文字姫は返したが、疲れもあったためかその言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
「……あの、どういう意味でございますか」
「御屋形様は怪我をしているわけでもなければ病にかかっているわけでもない。ただ少しお疲れで、我儘を言ったり甘えたり、そういったことが不足しているのです。全てを受け止めて差し上げるには、身重の体では、ね」
そう言ってつうは少しばかり考えたが、それでもひ文字姫に言った。
「御屋形様はね、ああ見えて甘えたがりです。ひ文字姫にはしていなかったと思いますが、膝枕で寝たり、肌を合わせるにしても抱きしめてもらいたがったりね。このような状況でなければややが生まれるまで待って、時期を選んであげたい。でも今はそうしている余裕がないかもしれない。……ね。だから、だからね。御屋形様を、ね……」
ひ文字姫も草太のことを嫌いに思っているわけではなく、むしろ好ましく思っていた。それは飛騨半国に満たないところからわずかな期間でこれほどの領国を有するまでに成長させた一代の英雄であるためではなく、わずかな期間ではあったが一緒に過ごしている間に垣間見た素顔の草太は年齢並みであるのに、それでも必死に外では自分の役割を果たそうとしているためであった。
「わかりました。つう様。是非とも御屋形様をお助けいたしましょう」
あ、とつうが声を出した。どうしました、とひ文字姫が聞くと、つうはおなかを撫でながら言った。
「蹴りました。今、この子が蹴りました。この子のためにも、御屋形様には」
「そうですね。御屋形様には是非とも元気を取り戻してもらいましょう」
翌朝、日の出過ぎに宿を発ち肥田城へ向けて一行は進んだが、人数が多少増えていた。増えたのは顕誓とその護衛の厳石であり、また小野田次郎三郎率いる一鍬衆五十と新型銃隊五十が護衛として従う事となった。
顕誓は南近江での布教のために長浜御坊に滞在していたが、そのことを知っていたつうが長浜に入った際にたかを長浜御坊に使いに出し、共に肥田城へ入る様に頼んだのであった。これは、顕誓という別の視点もあった方が何とかなる可能性が高まる、という事もあったが、なによりもつうも不安だったためであった。不安であるため仏神に祈る、高僧を頼るというのはつうにとっては自然なことではなかったが、それでもそれをしなければならないほどつうも苦しかった。
護衛がついたのはここまでとは違い、佐和山城から先は六角領であった地域であり未だ六角義賢が活動をしている地域とも近く、危険が予測されたためであった。護衛については杞憂に終わったが、その方がよかったのは言うまでもないことであった。
夕刻、一行は肥田城に付いた。
着いてすぐにひ文字姫は湯あみをして体を清め、つうもせめてもの嗜みとして体を濡れた手拭いで拭い髪を整え、体を清めたひ文字姫を待つ間に台所へ行き緩めの蕎麦粥を煮た。膳部を用意させていると表の仕事を一段落させた弥次郎兵衛が来た。
「つう様、申し訳ありませぬ。身重なのに無理をさせました」
よい、とつうは言った。
「それよりも御屋形様のことです。……大丈夫、ですよね」
弥次郎兵衛は、請け合う程のことは言えなかった。ただ、お任せします、というだけであった。そして独り言のように言った。
「……我々は御屋形様、いや草太の旦那に色々と背負わせたままでした。いままで平気な顔をしていましたが、無理に無理を重ねたのでしょう。そうして無理をしていくと、何かのきっかけでふと崩れることがある、そういった人間を何人も見て知っていたはずなのに、旦那に無理をさせて。旦那もそれを言い出さなくて。いや旦那に言い出せなくしたのは我々のせいでしょう。言い出せる相手であるつう様は年に何度も会えず、いや会えないようにしていたのは我々ですから会わせずが正しいですな。そうして無理に無理を重ねさせたわけですから、ね」
つうは果たして自分が草太にとって何でも言い出せる相手であるかどうか自信がなかったため何も言えなかった。
つうとひ文字姫が草太の部屋に消え、その夜は空になった膳部が戸の前に出されただけであった。
翌朝、多少やせた、いややつれたが少し顔の暗さがとれた草太がつうとひ文字姫に連れられて部屋を出、つう、ひ文字姫と共に湯殿に消えた。草太が表に出たのはその翌日の皐月晦日のことであった。草太、つうとひ文字姫の間でどのようなやり取りがあったかは分からないが、それが少しだけでも草太を癒したのは確かであった。
表へ出た草太はまず弥次郎兵衛を呼んでこの間のことを詫び、更に最近の近況を尋ねた。
「旦那、水臭いことを言っちゃあ、いけませんや。でもね、旦那、いや御屋形様、申し訳ありませんでした。我らが旦那に頼りすぎた、それが旦那を苦しめた、それが悪かったのだと思います。その積み重ねがあの件で噴き出したのでしょう。顕誓さまも来ておりますから、一度ゆっくりと話をするべきでございますよ」
そうだな、と草太は言って、近況で出た観音寺城の降伏のことを聞いた。
「六角義賢はおらず、六角義治は越前か。……観音寺城は手に入ったが、そちらに移るべきか」
弥次郎兵衛は、移るべきでしょう、と言った。
「観音寺城を支配したことを内外に明らかにすれば、南近江を制圧したことを明らかに出来ますからね。それにこの肥田城は足溜まりには手ごろですが全体の根拠地にするには手狭です。なので移るべきです」
草太はこの進言を容れ、行列をもって観音寺城に入った。水無月朔日のことであった。




