百六十一、南近江の平定
姉小路家と六角家が全面的に衝突した犬上川合戦次第については既に述べた。
合戦は二倍近い兵数と優秀な装備、そして高い練度をもつ姉小路家の圧勝に終わった。後方への奇襲を試みた蒲生定秀隊も集結中に発見され撃破された。実に六宿老の内四名が討ち死にし一名が捕らえれられるという大敗であった。だが六角家は未だ滅びてはおらず、観音寺城に六角義治が籠り、また南近江南部から伊賀にかけての地域には、未だ六角家が勢力を保っていた。
近江風土記にはこうある。
「六角義治、観音寺城へ籠城するも包囲され、細川藤孝の説得により降りたり。南近江は悉く姉小路家の手に渡りしが、六角義賢殿、蒲生賢秀、三雲定持、後藤高治らを従え鈎の陣に入り、大いに姉小路家を苦しめたり」
多くの論者は、六角家は犬上川合戦の後強くなった、という。ゲームによっては六角家強化イベントさえ用意されている程である。
この原因は色々考えられているが、一つは六角家内部での六宿老同士の内部抗争が犬上川合戦の後は六宿老の内一人しか残らず、内部抗争が集結したためと考えるのが妥当である。実際に姉小路家との抗争に勝利して六角家が南近江に返り咲くことはなかったが、六角家の鈎の陣が六角義賢の捕縛という最終的な解決を見るのは伊勢、大和など周辺諸国が姉小路家の支配に入った後の事であることを考えると、姉小路家は相当に苦戦したと言わざるを得ない。ともあれ姉小路家と六角家の抗争は犬上川合戦の後がむしろ本番であったというのは、多くの論者にとって一致した見解であろう。
六角義治は一月も籠城しないままに降伏し足利将軍家の一員となったが、実のところこの降伏も謎である。というのも、籠城していても外部に味方がいる以上救援の当てもあり、兵糧その他も充分に残っていたことから降伏する必要もなかったはずであるが、かなり早い時期に降伏している。論者によっては怯懦によるものとされるが、足利将軍家に入ってからの活動をみると怯懦によるものと考えるのは妥当だとは思われない。何かの策があったとするのが通説であるが、その策が何であったかははっきりとしない。
六角義治の降伏が策だとした場合に多くの論者が採用するのは、これにより姉小路家が南近江を制圧したことにより主力を京へ向けざるを得ず鈎の陣への全力攻撃を妨げるための策であるとする説である。だがこの説には一つ大きな欠点がある。それは、姉小路家が南近江を制圧した後は京制圧に向かう事を足利将軍家と約束したとは、六角家は知らないことである。六角義治が降伏したとしても姉小路家が鈎の陣を攻撃しないという結論に至る前提は、六角家が足利将軍家に降伏した後でなければ知らない話である。足利将軍家に潜ませた協力者からの情報で知っていたとする論者はいるが、それを裏付ける証拠は発見されていない。
天文二十四年皐月十七日(1555年6月7日)夜、犬上川合戦に引き続いて行われた肥田城、高野瀬城の攻略は、両城にはほとんど敵兵が籠っていなかったこともありさほどの時間もかからずに成功裏に終わり、平野右衛門尉は即座に一鍬衆二千を周辺の治安維持及び慰撫に振り向けた。翌払暁、また滝川一益は一鍬衆八千、中筒隊千を引き連れ一里の距離にある垣見城に向けて進軍を開始し、垣見城に籠っている菊池武勝と三田村定頼の中入り隊と合流する手筈とし、出撃までは兵を休めるように指示を出して滝川一益と平野右衛門尉は一室で軍議を行っていた。といってもさほどに固いものではなく、酒こそ出さないものの食事を摂りながらの既定路線の確認、そして情報のすり合わせが主なものであった。
「本隊の位置と合流予定時刻はいつだ」
炙った蕎麦餅を食べながら滝川一益は平野右衛門尉に尋ねた。滝川一益はこの食事の直前まで肥田城、高野瀬城攻略後の残務処理を行っており、特に物資についてと周辺の村々の記録についての確保を行っていたため、こういった種類の事情は平野右衛門尉に一任していたためであった。平野右衛門尉は答えた。
「先ほど使い番が来た。犬上川と宇曽川の間で敵陣を倒して多くの兵が降伏したそうだ。降兵は装備を回収して解放、希望があれば新兵か農村などへ送り込む人数に組み込むため後方送りだが、数が多いから時間がかかる。明日の朝まではかかるだろうよ。……と、試験的に導入したと聞いていたが、これは旨いな」
「蕎麦餅か。うむ。御屋形様がどこぞで食べたものを、日持ちするように改良したものだそうだ。炙らずにも食べられるようだが炙った方が旨いそうだ。もっとも、炙ると粘りが強くなるせいか、のどを詰まらす者が出ると聞くがな。……話を戻すが御屋形様が追いつくのは明日か。ならば予定通り儂だけで前進、お主はこの城を中心に足場を固める、それでよいか」
うむ、と平野右衛門尉が応じ、一口干し肉を食べ茶を啜ってから続けて言った。
「確かこの辺りの生まれだったな、観音寺城を見たことがあるだろう。どのような城なのだ」
この問いに、滝川一益は言った。
「大きいだけでさして変哲もない、ただの山城だな。稲葉山城や金沢城に比べれば規模も小さく堅さもそれほどでもない。そうだな、力押しに攻めるなら佐和山城の方が堅いだろうよ。あの城の長所はな、なんといっても城下町にある。城下を通る街道は若狭や北陸、美濃、東海道へ陸路で向かう際には必ず通ることになる道だ。脇道もないではないがな。それ故、あの城は通行する民の落とす銭だけでも潤う。今は当家がう回路を強制している故、その価値は落ちているのは確かだが、街道を戻せばすぐに元の賑わいに戻るだろうよ」
力押しに弱い、という滝川一益の言葉に、平野右衛門尉が尋ねた。
「それでも籠城するつもりらしいが」
「らしいな。何か策でもあるのかわからぬがな」
油断大敵、と口では言いながら、滝川一益は楽な戦になるのではないかと考えていた。
同じころ、本隊を率いる草太は六角家の降兵四千五百の処理を行わせていた。この他に敵味方を問わず重傷者の手当てをさせており、併せて討ち死にした将兵の確認を急いでいた。夜通しの作業にはなるが兵の消耗は出来るだけ防ぐ必要があったため、交代で休ませながら作業は進められていた。
そこへ報告が上げられてきた。討ち死にしていたとみられる敵兵の中から、負傷し気絶した敵将の一人後藤賢豊が発見された。草太が即座に会おうと言ったのは、姉小路家とは別の集団戦術を後藤賢豊隊が使ったとの報告があったためだった。
後藤賢豊は心中、密かに考えていた。六角家が挽回する最大の策は、草太を取り除くことである、と。そのために蒲生定秀隊を後方からの奇襲に充て、あわよくば本陣を崩して草太を亡き者にするつもりであったが、特に突撃を受けた様子もないのは奇襲前に倒されたか、或いは奇襲をものともしないほどに姉小路家が強いかのいずれかであった。そこへ草太が謁見を許すという次第となり、なんとか草太を亡き者にするための方法を後藤賢豊は考えた。
そして謁見の時刻となり、包帯を巻かれ戸板に乗せられて後藤賢豊が陣幕に運び込まれてきた。草太は後藤賢豊を懐柔し、可能であれば幕下に加えようと考えていた。運び込まれた後藤賢豊に顔見知りである磯野員昌が声をかけた。
「後藤賢豊殿、六角家の軋轢の中でのあの働きは見事という他はない。だが時利あらず、六角家の配下としては今後はない。浅井家の援軍として湖北へ入り帰りに我らにより壊滅させられた後、六角家での居心地はどうだ。姉小路家にくれば、そなたならば即座に武将衆の上位に入ることもできよう。儂のようについ先日降伏したものでさえ、今は一軍を与えられて槍働きだ。どうだ、考えてはくれぬか」
この言葉に後藤賢豊は吠えた。
「姉小路房綱、真剣をもって立ち会え。さもなければ配下になるどころか姉小路房綱は臆病者だと地獄の鬼に吹聴してやろう。磯野員昌も磯野員昌だ。あの剛毅なお主が簡単に主を見捨てるなど考えにくかったが、その程度の男であったか。つまらぬ。そのようなつまらぬ陣営に、なぜ我が入らねばならぬのだ」
草太は吠えた後藤賢豊の心根は読めなかった。立ち合いを行い、武人として死にたいのだと想像は出来たが、それにどれほどの意味があるのか分からなかった。そのため草太は言った。
「後藤賢豊殿、死んで花実は咲かぬ。自らの命と引き換えに何かを為そうとするのは美談とされるが、生きて為す道を探すべきであると考えるがな」
草太の言葉に、愚弄されたと思ったのか後藤賢豊の額に青筋が立った。そして一層激しく立ち会えと吠えた。
この騒ぎに後藤賢豊の前に立ったのは師岡一羽であった。
「貴殿の心根は分からぬではない。最後まで六角家に付くというその心根は分からぬではない。なれば、某が立ち会おう。某を倒せれば御屋形様、姉小路房綱様に立ち会わせよう。……御屋形様、よろしいので」
草太には師岡一羽の心が分かった。師岡一羽に勝てる後藤賢豊ではない。それは草太にも分かっていた。師岡一羽は草太に自ら人を斬らせるまいと、草太の前に立ったのであった。頷いて許可を与えると、後藤賢豊は立ち上がった。磯野員昌が顔見知りであるからと佩刀を貸し与え、一方の師岡一羽も太刀を佩いた。陣幕の中では手狭であったため場を陣幕の外へ移し、草太が双方の戦いの合図を下した。
当初一間の間合いを取り双方気を測っているようであったが師岡一羽は妙なものを感じていた。後藤賢豊の剣気が師岡一羽には向かず、草太へ向かっていた。暗殺をするつもりか、と考えた師岡一羽であったが、その対応には頭を悩ませるものであった。問答無用とばかりに斬るのは容易であるが、太刀を受けながらも草太への攻撃を優先させた場合には、その攻撃を完全に封じることは難しいと考えられた。腕の一本も、という方法も、捨て身となった場合にはそのような手加減は逆効果であった。動きを封じ剣を封じ、そして斬る、それが求められていた。
そのような技は、霞以外には師岡一羽は知らなかった。
ゆらり、と師岡一羽は前へ出て太刀の剣尖を後藤賢豊の刀の剣尖に合わせた。そこまで距離を詰めたが、す、と後藤の刀が下がった。下段に構え、師岡一羽の脇を抜けようとした。だがそれを見逃す師岡一羽ではなく、強かにその肩を斬った。肩を斬ったがしかし、後藤賢豊は止まらなかった。刀を下段から地面近くを滑らせたまま草太へ向け体ごと突撃した。ざり、と足元の砂を鳴らしながら師岡一羽の太刀が更に背中に吸い込まれたが、それでも後藤賢豊は止まらず前進した。
だが草太は特に慌てることはなかった。日々の剣の修業、特に平助との修業は平常心を保つことに重きを置いていたことも功を奏したのであろうが、向かってくる後藤賢豊に対して一鍬衆のものと同じ小太刀を抜いた。後藤賢豊が下段から刀を振り上げ胴を薙いだが危なげなくこれを弾き、返す刀で一刀のもとに後藤賢豊の右腕を斬り飛ばした。ほぼ同時に追いついてきた師岡一羽が後ろから後藤賢豊を斬り、首を討った。その首、その目は恨みを込めて草太を睨んだままであった。ただ師岡一羽はその目を閉じさせただけであった。
草太は初めて人を斬ったが、その恨みの籠った目を拭い去るのには時間がかかりそうであった。また師岡一羽は護衛でありながら自分の行動で草太を危険にさらしたという事で深い自責の念に駆られていた。




