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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第五章 混迷と混乱と
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百五十一、双林寺の茶会

 草太が京に入り抜かりなく比叡山延暦寺の別院の建立の準備をさせ、また近衛家からひ文字姫が送り込まれた次第については既に述べた。

 草太は軽率であったとは思いつつも、さらりとこのような手で娘を送り込んでくる公家という存在に、鵺のようなものを感じていた。既に京洛内外に噂はばらまかれており、草太もこのように外堀を埋められては、正室か側室かは別として室にいれなければならないという状況に陥っていた。それをおしてでも送り返すという手もないではなかったが、草太は室に向かえると決め、弥次郎兵衛も渋々ながらにそれに同意せざるを得なかった。



 田中与四郎の日記天文二十四年弥生十三日(1555年4月5日)の項にこうある。

「双林寺に姉小路房綱殿を訪問、野点にて茶席を一席仕り候。相伴は関白近衛前嗣殿、一条房道殿也。茶席故上下なしと仰せられ候が、畏き方に茶を致すのは畏れ多きこと也(略)帰路父に話を聞くも、商談は纏まりしが噂が真なればその商いもあり、忙しきことかなと笑いしのみ。また曲直瀬道三、双林寺にて姉小路房綱殿に引き会せ候」

 他の資料とも併せて考えれば、この日の茶会の二人、当時は前嗣と名乗っていた近衛前久と一条房道の二人を招いたのはひ文字姫の処遇についてであると考えられるが、一条房道が呼ばれたのは姉小路房綱の烏帽子親であり後見をしていたためであるといわれている。ただしこの日は既にひ文字姫を載せた輿が宮部城に着いているため、処遇を決めるというのはいささか遅いといわざるを得ない。とはいえ、他にこの二人と草太に共通した話題も見当たらない。或いは比叡山関係の何らかの話があったのかもしれない。

 ただ、密談の類ではなかったようである。というのも、この会見には、具体的な内容は書かれていないが田中与四郎が同席していたことが記されているためである。おそらく発言こそはしないながらも、その話の一部始終を見聞きしたのは間違いない。

 もう一つ特筆すべきはこの時、曲直瀬道三と草太を引き合わせたのは田中与四郎はであったということがこの日記から明らかであった事である。曲直瀬道三が茶の湯を通じて田中与四郎と知り合っていたのは不思議ではないが、特に病でもなければ紹介した意味が分からない。ただこの後、姉小路家の医療隊に曲直瀬道三の啓迪院で学ぶものが数多く出てくるため、そのためかもしれない。




 草太たちが京へ着いた直後、草太は手紙を書いて田中与兵衛を呼んだ。この時点では田中与兵衛だけを呼ぶ予定であったが、近衛稙家によりひ文字姫を引き取ることになった直後、追加の手紙を書き田中与四郎も呼び、茶席を設けて今後のことを話すこととした。

 田中与兵衛が息子田中与四郎を伴って双林寺に入ったのは、弥生十二日の夜であった。前日までは堺に用があったため護衛を雇い川船を使っての強行軍であったが、その甲斐あって日の落ちた直後には双林寺に入ることが出来た。田中与兵衛はすぐに商談とて奥に呼ばれ、田中与四郎は茶を点てることを頼まれていたため適当な場所を寺僧の案内で見て回った。茶を点てる場所は離れか庭に毛氈を敷いての野点、と見立てて宛がわれた控えの間に戻ると、草太が呼んでいると使いが来た。何か、と田中与四郎が奥の間に入ると、そこには草太の他、弥次郎兵衛、田中与兵衛、城井弥太郎が座っていた。

 草太がまずは茶席のことを聞き田中与四郎が報告すると草太が言った。

「明日、晴れなら野点が良かろう。桜も咲いておるからな。……明日の客は関白近衛前嗣殿と一条房道殿だ。といって内々のものだから形式ばる必要はない。抜かりなく茶の湯を楽しんでもらえ」

 田中与四郎は畏き方を客としての茶席に驚きながらも、抜かりなく行わなければならぬと覚悟を決めた。だがこれだけで話が済むのであればこの場に呼ばれた意味が分からなかった。そこへ弥次郎兵衛が言った。

「さて、ここまでの話を田中与四郎殿にも分かるように簡単に纏めましょうか。まず京の治安のために比叡山延暦寺の僧兵の力を借りることになりますが、その詰所とお救い寺を兼ねた別院を姉小路家の手で寄進する、という事になっております。その場所の確保を城井弥太郎殿に仲介いただき、四箇所に絞ることが出来ました。この他今まであったお救い寺も比叡山延暦寺の末寺になることで合意が得られるという事になっているため、都合五箇所となります。

 これらの寺社の建立の人夫は城井弥太郎殿が京近郊の者を使って作るということとなっており、その資材は田中与兵衛殿が調達する、ということになりました。また、寺社が建立された後の物資の供給も田中与兵衛殿のとと屋が行うことと致しました。もっとも、比叡山延暦寺が持ち込む分はあるはずではありますが、当家からの寄進という形で納入する分についてはとと屋から納入することと致します」

 ここで弥次郎兵衛の言葉を継いで、田中与兵衛が言った。

「京に物を卸すには堺は少し遠すぎる。なのでな、京に支店を出そうと思う。それをな、与四郎、そなたに任せようと思う。儂の後継だ、そろそろ店の一つも任せようと思うのだよ」


 草太は言った。

「明日の茶会、その意味は分かるか」

 田中与四郎は、流石にとと屋の後継としての教育は受けていた。また、巷の噂も抜かりなく集めていたため、返答に窮することはなかった。

「明日の茶会で畏きお二方を招くとあれば、一つは店を出す許可、もう一つは先頃ひ文字姫を姉小路家が迎えられたことに対する手、そして南近江についての何らかの工作にございますか」

 田中与兵衛は返答を聞き、少し安心したような顔になった。自分の息子が難しい問題に問題なく答えられた、ということに安堵したためであった。この回答を受けて草太は言った。

「概ねそれでよいがな、もう一つある。それは田中与四郎という茶人を京の公家に紹介するというものだ。茶の湯を通じて公家の社会に入り込み、公家の社会の動向を探る役目を負ってもらいたい。その入り口として、田中与四郎殿、そなたを畏き方に紹介するのだ。茶の湯に関してはしくじりはあるまいと思うが、公家の世界を茶の湯を通して探るのは、容易なものではない。懇意にしている公家はいるが、それとは別に動いてもらうことになる故にな」

 田中与四郎はふと思いついたことを口にした。

「公家の内情を探ると申しましたが、公家だけでございますか」

 どういうことか、と弥次郎兵衛が言うと田中与四郎は言った。

「一人、公家であろうと将軍家であろうと戦国大名であろうと、面会できるものを知っております。調べる手は多い方がよいかと」

 誰かな、と草太がいうと田中与四郎は言った。

「医師、曲直瀬道三殿にございます。公家の他、三好家などにも出入りを許されております故、見聞きする目としては上々かと」

 弥次郎兵衛は少し思うところがあるようだったが、この案に賛成した。

「あの曲直瀬殿は上流階級専門の医師ですからな、たしかにうってつけかと。……いえね。謝礼も碌に払えぬ市井の者へは医療をしませんでしたからね。京の締まりをしていた時分に、少しございましたからな」

 草太は少し思い当たることがあった。お救い寺で筵すらなく打ち捨てられるように地面に直に打ち捨てられるように寝かされた多くの者には薬は手が出ず、それを支援しても最低限の対応しかできなかった弥次郎兵衛であった。当然医師を頼ろうとしたことがないとは考えられず、曲直瀬道三もその一人であったであろう。良い感情を持てないというのは分からないではなかった。しかし曲直瀬道三も、薬代にもならぬ慈善事業が出来ぬという事情もあったのだろう、百人単位での患者を診きれないという事情もあったのだろうとは想像もできた。

 それでも弥次郎兵衛はそれを腹の底に抑えて賛成をした。それならば草太にそれ以上何もいう事はなかった。

「その曲直瀬道三は医術の腕はどうなのだ」

 草太が聞くと、城井弥太郎殿が言った。

「腕は確かですし、啓迪院という医術を教える塾を作っておりますな。もっとも、学ぶためには相応の銭を弾む必要がございますがな。学んでいるものも色々な家の出でございますから、様々な噂話は聞けるでしょうな」

 草太は曲直瀬道三を抱き込むよりも啓迪院に医療隊や領内の医師を送り込むことを決め、そのために曲直瀬道三と茶会の後に会えるように手配するよう、田中与四郎に依頼した。


「曲直瀬道三殿を抱き込まなくても宜しいのですか」

 その夜、草太に弥次郎兵衛が言ったが、草太は言った。

「曲直瀬道三殿の心根が姉小路家に良いものかどうか分からぬ。また他家に既に繋がっているかもしれぬ。というよりも、繋がっていると考えて動くべきだろうよ。とあれば、本人を抱き込むのは悪手だろう。繋がっていないと明らかになった時は繋がりを作るべきかもしれぬが、その場合には曲直瀬道三自身がそういった繋がりを忌避していることもありうる。少なくとも今この時点で抱き込むことを考えるのは、早計だろうよ」



 明けて弥生十三日(4月5日)朝、双林寺に二台の牛車が入った。入ったのは早朝に一条房道の牛車であり、それから一刻遅れて近衛前久の牛車であった。

 近衛前久の内心は、父近衛稙家のした押し付けに対することで戦々恐々としていた。面に出さないようにしたのは流石であったが、一条房道の養子にしてから嫁とするという話を無視して強引に話を進めたためもあり、一条房道が同席するとあっては色々と覚悟を決めなければならないと考えていた。一方の一条房道は確かに近衛稙家の行動は腹に据えかねていたが、そうであっても公家への姉小路家からの献金の窓口が保証されれば、姉小路家との繋がりも公家への抑えも一条家には十分にあるため、先代の近衛稙家はとにかく当代の近衛前久に対してはさして含むところはなかった。

 勿論、含むところがないからといって、含むところがあるようにふるまい交渉を優位に進める材料にするくらいはお手の物であり、そうでなければ公家の世界では生きていられなかった。


 茶会は何事もなく済み、その後の話という段になり、草太が言った。

「さて、そろそろ本題に入りましょうか。人払いも済ませてありそれなる田中与四郎は我が身内なれば、内々の話も出来ましょう」

 突然、近衛前久が頭を下げた。

「この度は父が先走り、一条様にはご無礼を、姉小路様には失礼を致しました。にもかかわらずひ文字を迎え入れてもらったそうで、感謝いたします」

 一条房道はこの謝罪を受けるとも受けぬともいわず、こういった。

「父が娘の幸せを願う事、それは悪いとは言わぬ。言わぬがの、梯子を外された側の身はどうするのかの」

 まま、と草太は宥めた。

「ひ文字姫はすでに宮部城に迎えたため、今更言っても仕方がありますまい。しかし今後もこのようなことが行われるのであれば、我らとしても付き合い方を考えざるを得ませぬ。そのために一席設けた次第でございますよ」

「具体的にどうしろと」

 少しおびえながら言った近衛前久に草太が言った。

「当家からは三つばかり骨折りをお願いするだけにございます。頷いていただければこの件は水に流し、またひ文字姫は正室か側室かは別として室に入れることをお約束しましょう。なに、難しきことではございませぬ。一つは六角家に対する治罰綸旨の発給の便宜を図っていただき、また姉小路家を近江国司に推挙していただきたいという事にございます。関白であれば造作もなきことにございましょう」

 これには近衛前久は頷いたが、近江守は既に絶えて久しい官職であり、近江守護の六角家、京極家がいることから名ばかりになるように思われた。なによりも近江守に任官するとあれば飛騨国司は別の者に任官させることとなるが、先日の会見の際に飛騨国司にこだわったのは何だったのか分からなかった。だが、草太は続けた。

「近江国司に任官した場合には飛騨国司と兼任とさせていただきたく。難しきことではないと思いますが」

 それならばまだ筋も通るか、と考え、少し時間を貰うが、と条件付きで了解した。

「二番目はそこにいる田中与四郎のことにございます。新たに京で店を出す故、その際の便宜をお願いしたい」

 香具師程度の露店であればともかく店を構えるとあれば後ろ盾がなければ難しかったが、近衛前久という京の最有力の公家が後ろ盾になるという事であればこれ以上ない後ろ盾であった。その程度であれば、と近衛前久は了解した。最後に、と持ち出したのは曲直瀬道三に対する入門者の後見であった。

「当家から曲直瀬道三に医師修業の者を出す予定でございますが、当家から直接というもの以外にも近衛家の紹介という形でも出したい。その紹介をお願いしたい。……と、これは一条様にもお願いいたします」

 一条房道は良かろうと快諾した。が、近衛前久は何かが引っ掛かった。何らかの陰謀があるような気になった。たしかに曲直瀬道三は高名な医師であり、また啓迪院という塾には多数の塾生が医術を学んでいた。だが単に入れるだけであれば姉小路家が自ら入れれば良かろうと考えられた。そうしない、ということであれば、何らかの陰謀があると考えるべきであった。だがその陰謀を聞くことは出来ない、そういう立場に近衛前久はいた。結局、悩んだ末に諾と答えるだけであった。


 儂の方も言おうかの、と一条房道は言った。

「儂の方は難しきことではない。いや難しいかな。……現在一条家の家督は内基にあるが、余りにも幼い。その成長を見守ることが出来るかどうかわからぬ。そうなった場合に後見をしてもらいたい」

 近衛前久は、これには別段逆らうこともなく了承した。横紙破りをしたのは近衛家である、という自覚があったため、その程度で済んだのであればむしろ温情であった。当然、順当にいけば近衛家と同様に一条家も関白に上る家柄であるため、後見することが難しいこともなかった。

 昼に懐石を食べて茶会はお開きとなり、二人の公家はそれぞれの帰路についた。



 夕刻に曲直瀬道三が双林寺に来、姉小路家から十名ほどを啓迪院に入れることとした。曲直瀬道三自身は呼ばれたために急病かと考えていたが、単に弟子入りの打診だけであったため拍子抜けであったようだ。それでも弟子入りを快諾し、束脩を目録の形で受け取って帰って言った。

 草太はその姿を見て、医術の心得はあるが俗物か、と考えたが城井弥太郎は言った。

「俗物か、と思ったかもしれませんが、束脩を取らねば弟子の分まで医薬の材料が手に回らぬ、というのが困りものでして。自ら診ることも多いですが、多くの医師を育て自分で見切れぬ分まで診るということがあの方の目論見でございますよ。弥次郎兵衛にはそうは映っていないのやもしれませんがな。もっとも、弟子には確かに銭勘定の方が得意なものも少なくないため、強ち弥次郎兵衛が間違いというわけでもないのやもしれませんがね」


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