百四十九、一条家にて
草太が軍を率いて京へ向かい、その途上で軍と別れて坂本の街で比叡山延暦寺の座主応胤法親王に面会した次第については既に述べた。
応胤法親王は当面の措置としてではあったが、姉小路家との対立はせず、また京での寺社の寄進があり次第京の治安維持のために僧兵を派遣することに合意した。このことは僧兵の武力による治安維持のみならず、医術を知る僧や比叡山に伝わる医薬の供給も行われ、また比叡山延暦寺に面と向かって対立するほどのことは三好家を含めた周辺戦国大名にも踏ん切りはつかず、これにより京の治安は急速に回復したのであった。
京の治安回復、その背後には姉小路家の助力があったというのは間違いのない話であった。事実、この会談以降多くの寄進を姉小路家は比叡山延暦寺に行っており、またいくつもの寺社を京に建てたのであるが、そのうちの多くは境内のあまりない、正に拠点としての寺であったとされていた。
とはいえ、京の治安回復はこの会談から数か月後から始まったため、草太たちが入った京は最も治安の悪化した時期の京であった。
西洞院時当の日記、天文二十四年弥生八日(1555年3月31日)の項にはこうある。
「姉小路房綱殿、上洛され朝廷に参内す。陞爵され従三位に任ぜられし事、真によろこばしき事なり。されど官位は未だ飛騨国司なり。参議をも望むべき位階なれども、房綱殿は固辞して受け取らぬとぞ」
草太が朝廷で従三位という姉小路家の家格では極官に近い位を与えられ、草太に追い抜かれた形になった西洞院時当がそれを喜んでいる様子が書かれている。西洞院時当はまだ家督を継いでいないが、西洞院家の家格であれば従二位が極官であり、正三位までしか上らないことも少なくない家格であるため、ある程度家格という意味での諦めもあったのかもしれない。
だが、姉小路家が何かを朝廷になした、或いは陞爵を要請したというという形跡もなく、官位も飛騨国司という従五位下相当の官位に留まりそれ以上の官位を固辞したという記述もそれを裏付けている。なぜこの時期に従三位という位に陞爵したのかについては不明である。
草太が双林寺に入ったのは弥生七日(3月30日)のことであった。その夜一条家からの呼び出しがあり、草太、平助、弥次郎兵衛の三名が会うこととし、一条家の屋敷の門をくぐった。
草太のみが大広間に通され、平助と弥次郎兵衛の二人は別室で待機であった。大広間で草太を御簾越しにではあるが待っていたのは、前太閤となった一条房道をはじめとする公卿たちであったが、一条房道はともかくそれ以外には何名が座っているのかすら定かではなく、ただ人の気配から複数名がいることは分かった。草太には御簾越しでありそこにいるのが誰かはわからなかったが、草太の官位であっても御簾が必要な公家と言えば限られていた。少なくとも一条房道と同列であることから、五摂家の内か、低くとも清華家であろうと考えられた。
取次は一条家の家宰である鈴木であった。鈴木が言った。
「姉小路房綱、面を上げよ。関白近衛前久様からのお言葉である。明日の朝議にて姉小路房綱を正四位へと陞爵させ、また権参議へと官位を進める。代わりに姉小路家は北面の武士を出し京の治安を守る様に、と仰せである」
草太にとってこの命令はおおよその予測通りであり、はは、と平伏した後に言った。
「京の治安を守る様に、というのは姉小路家の兵を直接入れるべきでしょうか。実は比叡山の協力を既に取り付けており、京の街は比叡山の力にて治安を回復させる事となっております」
少しのざわめきがあり、取次が御簾に入り、そして出て言った。
「姉小路房綱、その方、京の治安護持への貢献、誠に良し。なれば陞爵は正四位ではなく従三位となす。ただし内裏を守る北面の武士については姉小路家が直接出すように。しかと申し付ける、と仰せである」
「承りましてございます。ただ畏れながら申し上げますが、飛騨国司のままにしてもらいとうございます。日頃朝議に参内できぬ身なれば、高位はかえって誤りの元であろうかと」
御簾の向こうから、無理強いも出来ぬかの、という声が漏れ聞こえてきた。そして取次がまた御簾に入り、出て言った。
「北面の武士、それを出す日はいつか、とのご下問である」
草太は少し考え、言った。
「六角家を南近江から駆逐した後京に入りますゆえその後に。秋までには仕りましょう」
この言葉に取次が下がってよいと言い、草太は大広間を退出した。
控えの間に入ると同時に一条家のもう一人の家宰、近藤が控えの間に入ってきた。
「主一条房道の命によって参りました。この後内々に会いたいと仰せでございます故、このままお待ちくださいますよう」
草太は、うむ、と了解したが、考えてみれば一条房道は隠居していたはずであるのを思い出し、そういえばと思い出した。一条房道の息子一条兼冬は昨年物故し、家督はまだ幼い一条内基に譲られた、という事であった。そのために一条房道は楽隠居を決め込むわけにいかないようであった。土佐一条家のことといい苦労をなさるな、というのが草太の偽らざる感想であった。
程なくして一条房道が控えの間に入ってきた。一通りの挨拶の後、草太は弥次郎兵衛に持たせていた目録を差し出した。他の公家にも配るが、一条家には真っ先に渡すべき時候の挨拶であった。うむ、と近藤に渡しながらも一条房道は半ば上機嫌、半ば難題を持ってきたという顔をしていた。そしてためらいながら口を開いた。
「時候の品、受け取った。……姉小路房綱、いや草太よ、二つばかり頼みがある」
何なりと、と草太が言うと一条房道は言った。
「一つは我が事だ。我が息子一条兼冬が昨年物故し、その年の離れた弟内基が家督を継いだことは知っておろう。今は儂が後見になっておるが、おそらくは儂はあれが成人するまでは生きておるまい。五摂家の一つであるとはいえ、戦国の世だ安心はできぬ。なれば、だ。……内基の後見、これを頼めまいか」
草太はこの申し出には驚いたと同時に、どう返答していいやら困った。何しろ後見をするという草太自身よりも位が高くなるのは確定しており、おそらく遠くない将来に関白まで上り詰めるであろうことは明白であった。更に草太は京の政界は全く分からず、後見をするとしても適切であるとは思えなかった。そのため言った。
「二条様、近衛様、九条様はいかがですか」
一条房道は言った。
「無論、後見を頼んである。だがな、朝廷内部の話ならば頼みになるが、頼みにした分だけ恩を返さなければならぬ。そして朝廷の外については当てにならぬ。それゆえ、朝廷の外に力のある者を後見に着ける必要があるのだ。それも半端なものではならぬ。力あると同時に義を重んじるものでなければならぬ。そう考えれば、そなたしか浮かばなんだ。それ故に呼んだのだ」
ここまで言われれば草太も心が動かぬではなかった。しかし後見をするという約束は、難しいとしか言いようがなかった。この場で確約は難しい、そう草太に言われては一条房道も引き下がるしかなかった。
もう一つの頼みはな、と一条房道は言った。
「すぐにとは言わぬが足利将軍家にかわり幕府を開いてもらいたい。いや、将軍でなくとも三職に上ってもらいたい」
草太は即座に言った。
「お断りいたします」
「なぜじゃ。足利将軍家は既に力を失っておる。だからこそ、その次を姉小路家が継いでもらいたい」
食い下がる一条房道に草太は言った。
「姉小路家は朝臣であり幕臣、足利将軍家は力が衰えて久しいとはいえ今は盛り返しつつございます。山城も奪回して準備が整い次第足利将軍家にお返しする、そのつもりでございますれば。我らはその後ろ盾にはなりますが、ある意味では足利将軍家も我らの後ろ盾でございます」
草太が動かぬように見えたため一条房道は揺さぶりをかける意味で言った。
「……朝廷がそなたらを朝敵と指定したとすればなんとする」
草太は只の脅しと分かっていながらも、なぜそこまでの脅しをしてまで草太に食い下がるのか、よく分からなかった。
「朝敵であっても、我らは我らのすべきことをするのみ、襲い来るものは撃退するのみにございます。今までのように献金は難しかろうとは思いますが、それ以外は特に変わりませぬ。それよりもなぜ足利将軍家を目の敵になさるのでございますか」
一条房道は一言で言った。
「我ら公家、天皇家の荘園まで津々浦々の守護代らに横領され半分も残っておらぬ。それを放置するとは言語道断であろう。大体、足利義輝自身が山科卿の家領を横領したことすらあるのだ」
草太は何やら腑に落ちた。つまり公家の所領を安堵できないからこういう手に出ているのだ。だが簡単に言えばそれは逆効果でしかなかった。つよい足利将軍家を作りたければそうなるように協力すべきだ、草太にはそうとしか思えなかった。だがそのことは言わず、草太はこう言った。
「京に平穏を取り戻した後、公家の方々には生計の立つように、当家が請け合いましょう。そしてその窓口を公家側は一条家、朝廷は内蔵寮といたす、というのはいかがでございましょうか」
額はいかほどか、というのは別にして、横領された荘園に相当するだけの収入を姉小路家が請け合う、というのであれば、それほど問題はないようであった。それよりも重要なのは、公家側の窓口を一条家が持つ、という意味であった。つまりは各家の収入を、ひいては存立を一条家が左右できるという事であり、一条家の暗然たる地位を確立する、その基盤となるべきものであった。しかも五摂家の一つという家格から、そうそう役に負けないほどの格はあったため、まだ幼い一条内基であっても影響力を維持することもできる、と一条房道は考えた。
「儂の一存では決めかねるが、……儂としてはそれで良いとしよう」
では、と退出しようとした草太に向かって、一条房道は言った。
「まて、もう一つ考えておいてもらいたいことがある。そなた嫁を貰うつもりはないかな」
正室を公家から、というのはある意味では後々の問題の少ないやり方ではあったが、何分政治的にも難しい問題であった。それゆえ草太は言質を取られぬようにこう言った。
「正室は時が来れば迎えることになろうかと思いますが、公家となるかはわかりませぬ。側室であればともかく、正室ならば家格も、その後の付き合いもあり、政治的な問題もございます故」
「側室でも構わぬ、と言えばどうだ」
草太は言葉の意味を測りかねていた。そこに口を挟んだのは弥次郎兵衛であった。
「失礼ながら申し上げます。どなたの息女をと言われるか分かりかねますので返答をするのは難しきことにございます。また正室、側室とも家の大事なれば、他家より受け入れるのは即答いたしかねます」
そうだな、と一条房道は言った。
「相手は近衛殿の娘、ひ文字姫、といっても一条家の養女として送り出すことになるな」
「それを側室とは、いかに」
不思議に思った草太が言うと、一条房道はこともなげに言った。
「本来ならば朝倉家に入るはずであったがな。朝倉家に入る直前に、あの義景が戦をはじめ、そして討ち死にという事となった。輿入れはしておらぬが輿入れ直前のことだったからな。正室にねじ込むのは難しい」
ふと草太は足利義輝の生母が近衛家の出であることを思い出して言った。
「それは、姉小路家と足利将軍家の仲を案じた上のことにございますか」
「そうだな、それも否定はせぬがな。それよりもいかに五摂家であるとはいえこのままでは婚儀を上げぬまま未亡人となったに等しい娘に対しての近衛殿の親心、といったところであろうよ。もっとも、近衛殿が姉小路家との誼を通じたいという気がないとは言わぬがな」
草太は、家中に諮らねばならぬ、と即答を避けたが、一条房道は言った。
「今すぐにとは言わぬが、秋の上洛の際には良い返答を期待して居る。なに、側室で構わぬ」
側室とするのはするで問題であろう、と草太は心の中でため息をつきながら、政略結婚という意味を考えていた。




