百四十五、長良川
後世、長良川の合戦と呼ばれる斎藤道三と斎藤義龍の争い、その前夜について姉小路家及び斎藤義龍側からは既に述べた。
姉小路家は軍学校第一期生主席という、顔の割れていない中では最良の札を切った。だが彼と一鍬衆、中筒隊混成部隊千は、一朝にして包囲される可能性があった。草太は国境沿いに部隊を展開させ、事あった際にはすぐに突入させ救出できるよう、支度を整えていた。
更に斎藤道三の娘婿、織田信長は斎藤道三と斎藤義龍の争いが表面化すると聞き、兵を整えて尾張から美濃へ攻め込む構えを見せていた。だが織田信長は全軍をもってことに臨むことは出来なかった。常に後顧の憂い、即ち留守中における弟織田信勝の行動に対する抑止力を必要としたためであった。そのため、構えを見せる以上の行動はこの時点では行えなかった。
それは天文二十四年如月二十八日(1555年3月20日)のことであった。斎藤道三は諸方に警戒を緩めることなく、隠居城に籠りその時を待っていた。
「姉小路家が一万と少しの軍勢を美濃と近江の国境に貼り付けているとな。……兵が国境を越えたら知らせよ」
隠居城を訪れた明智光安にそう命じ、城の奥に籠っていた。結局のところ、明智光安には悪いことをした、と思わないではなかったが、明智光秀の今後の身の振り方を考えればそうする以外に方法はなかった。明智光安には一緒に死んでもらう、明智城は遠山家の攻略に任せる、という方策であり、そうでもしなければ明智光秀が織田家に仕官することが難しかった。
「あの婿殿の側であれば、光秀もその力を十全に振るえるだろう。そして婿殿も器の中身を取り戻すことが出来、今川家との対陣も視野に入るはずだの」
そうして奥に入った斎藤道三であったが、奥に入ってふと人が少ないことに気が付いた。次男斎藤孫四郎付きの家臣がほとんどいなかった。
「誰ぞある、孫四郎はどうした」
侍女が言いにくそうに答えた。鷹狩です、と。
斎藤道三は斎藤孫四郎という息子を可愛がっていたが、それは馬鹿な子ほど可愛いからであった。評価していたのは斎藤義龍であり、であるからこそ美濃も斎藤家の家督も譲った。今は敵対しているとはいえ、斎藤孫四郎が策をもって斎藤道三を出し抜いて脱出する、などとは欠片も考えられず、実際に鷹狩に行ったのであろうと考えられた。
「本当に今この状況を分かっていれば、鷹狩などできるわけもないのだがの」
斎藤道三は、いくら可愛がっているといってもやはり斎藤孫四郎に家督を譲らないで良かった、と思わざるを得なかった。
奥からそそくさと出てきた斎藤道三を見て明智光安は不思議に思った。まだ奥に入ってさほどの時も経っていないためであった。
「御屋形様、いかがなさいましたか」
明智光安に事情を話した斎藤道三は尋ねた。
「して、姉小路家は動いておらぬな」
「関が原には既に手のものが入っており、国境から半里以内に近付けば即座に使いが来る手筈になっております。今のところ、国境を越えておらぬかと」
孫四郎にも困ったものだ、と言いながらも、斎藤道三はそれでも嫌な予感を振り払えずにいた。探し出して連れ戻しますか、という進言に否と答えた。
「孫四郎に手をかけるのは、既に儂を倒す手筈が整った後だ。それは姉小路家が美濃に入った、その時であろうよ。他の国人達が合力せぬならな」
明智光安は安藤守就が手勢二百を率いて登城していると告げたが、斎藤道三は言った。
「稲葉山城の守備兵をかき集めても千、というところか。出撃するとなれば兵を集める必要があるが、当面はそういった兆候はない。安藤守就も登城の際の兵は、多少多いながらも常とほとんど変わらぬ。となればまだ策の時間、という事だろうよ」
斎藤道三の言を聞きながら、策の全容を把握していない明智光安は、御屋形様は鈍くなったのか、それとも自分の知らぬところで他の国人たちにも策が撒かれているのか、と考えていた。甥の明智光秀は更に多くのことを知っているに違いなかろうが、明智光安はほとんど何も知らないに等しかった。単に言われた通りを実行する、という以上のことは斎藤道三も求めていなかったこともあるが、それ以上に明智光秀は策動をさほど得意とはしていなかったことが原因として挙げられた。
考えても今は仕方がない、とは思いつつも、やはり斎藤孫四郎のことも気にかかったため、明智光安は独断で物見を放った。探るべきは斎藤孫四郎の行動であり安全であった。
夜になったが斎藤孫四郎の消息はつかめなかった。明智光安は、またぞろ悪い癖でも出たか、と考えていた。斎藤道三には知らせなかったが、斎藤孫四郎はかつて数回、村に接待をさせたことがあり、その不行跡故に国人衆からは軽く見られていた、というよりもその器の小ささに呆れかえられていた。
無論、明智光安が知らせなかっただけで斎藤道三が知らぬわけもないのだが、鷹狩を夜に行う訳もなく、夜まで帰ってこないというのは、そういった類のことをして屋外にいないためであると考えられた。何が鷹狩だ、と明智光安は思った。斎藤道三が斎藤義龍を排除する、という事は、次の代は斎藤孫四郎になる、という事であった。そうなれば尾張の婿殿にとってかわられるか、いやそれが目的か、という想像は出来ないではなかったが、どうにも斎藤道三にしては迂遠な策をとる、というのが明智光安の違和感のもとであった。
夜半、急報が入った。斎藤孫四郎が急襲を受け討ち死にしたとの物見の報告に、明智光安は驚いき斎藤道三に報告した。
「御屋形様、斎藤孫四郎殿、急襲され討ち死ににございます」
驚くよりも斎藤道三は尋ねた。
「それで姉小路家はどのあたりかの」
あくまで声は冷静であった。明智光安は、未だ関が原に侵入したという報には接していないという報告をすると、斎藤道三はにやりと笑った。
「そうか。遂にか。……義龍め、遂に儂を越えたか」
声が上機嫌になったまま、言った。
「ならば儂も義龍の策通り動いてやるか。……明日は出陣ぞ。城にいる手勢に触れておけ。全軍をもって打って出る。戦場は、そうだな、長良川としようか」
明智光安は驚いた。
「明日、にございますか」
「それが義龍の予想通りであろうからの。義龍は稲葉山の兵の大部分を引き連れて出てくる。光安、そなたにも一手任す」
そして夜が明け如月二十九日(3月21日)となった。
市川大三郎は夜半の内に物見を出し、また長良川流域付近に兵を進めた。もっとも旗印は蜂須賀小六のそれであり、蜂須賀小六自身も陣にいた。市川大三郎がそのことについて尋ねると蜂須賀小六は言った。
「お前、策が分かっているのか。こたびの策は、傭兵である蜂須賀党が参加した、という態を装うのだ。わしが居なければ、おかしいだろうさ」
「それにしても、姉小路家の陣であり戦だ。斎藤義龍殿もただの従者としてしか接してこなかった」
この市川大三郎の言に、半ば諭すように蜂須賀小六は言った。
「お前はまだ策動というのが分からぬと見えるな。あの場には我らと斎藤義龍殿以外に人がおっただろう。……そうだ、安藤守就殿だ。斎藤義龍殿がそなたを従者としてしか扱わなんだのも、あの場に安藤守就殿がいたためだ。斎藤道三殿に通じているかは知らぬ。だが策など多くの者が知らぬ方が良い。この場には姉小路家のだれもいない、少なくとも対外的にはそうせねばならぬのだ」
こう諭されて、なんとなく市川大三郎にも悟るところがあったのであろう、それ以上の抗議もなかった。
そして兵を配置につかせて伏せた。
「報告、斎藤道三、兵二百を連れ出陣。これとは別に明智光安が兵百を連れ出陣、いずれも稲葉山城を目指して進んでいる模様」
物見の報告に、まずは読み通りの行動をとっていることに安堵するとともに、市川大三郎はどこかに奇妙なものを感じていた。読みが当たりすぎる、そう思った。溺愛しているとはいえ息子を討たれただけで寡兵にも関わらず全軍をもって打って出る、という斎藤道三の行動そのものに、何となくではあるが違和感があった。だがそれ以上のことが斎藤道三側にできるとの観測はなく、明智光安がいたことが予想を上回っていただけであった。
この違和感は蜂須賀小六も持ったらしいが、蜂須賀小六は鼻を鳴らして言った。
「この局面では策など関係ない。物見も充分、こちらを害する策など見当たらぬ。ならばあとは噛み破るまでだ。策の時間は終わったのだ」
長良川流域には既に斎藤義龍が兵千を率いて陣を張っていた。
兵二百をもって斎藤道三が兵を挙げたことも、それとは別に兵百を率いて明智光安が出陣したことも、鷺山城には兵がほとんど残っていないことも、当然のことのように斎藤義龍には分かっていた。後は戦の時間であった。
斎藤道三隊は斎藤義龍隊に突撃を敢行した。その数は少なかったが、流石に斎藤道三の指揮する兵であり、一時は斎藤義龍の馬回りに槍をつけるところまではいった。
だがそこまでであった。
衆寡敵せずの言葉通り、じりじりと兵が削られ、そして長良川の陽が傾くころには斎藤道三は物言わぬ骸となり果てていた。
斎藤道三の首を見、そして菩提寺に葬るよう命じた斎藤義龍は、どっと疲れを感じながらも違和感と戦っていた。策が当たりすぎる、そう感じたのは斎藤義龍も同じであった。わざわざ自分の策にはまってきた、という感もあった。本来であれば打開できたはずであり、斎藤道三という人物が老いたのか自分が父を越えたのかよく分からなくなっていた。
「勝てたのか勝たせてもらったのか、よく分からんな」
一人呟くと、斎藤義龍は稲葉山城に凱旋した。
斎藤道三隊が突撃を敢行していたころ、明智光安隊は稲葉山城への道をかえ自城である明智城へ向かって進んでいた。明智光安は勝てぬ戦であると分かって進む斎藤道三を見限った形にはなっていたが、明智城への攻撃が始まることを予期したためであった。実際、数日前から甥であり当主を継ぐはずの明智光秀の消息がつかめず、そのために鷺山城に登城していたのであった。
だが、その明智光安隊は足を留めざるを得なかった。正面に足軽隊の一隊、旗印からして蜂須賀小六と見えたが、その一隊が現れたためであった。数は互角、と見た明智光安は、突撃し突破して進むよう命を下した。兵が駆け足になる直前に、両側から鉄砲隊が鉄砲を射かけて来た。兵の損害は鉄砲の数が少ないためか多くはなかったが、明智光安は違和感があった。蜂須賀党が鉄砲を用意し、運用しているなど初耳であった。数丁程度であればまだしも二十丁から三十丁程度が撃ちかけてきたため、蜂須賀党であるとは考えにくかった。
鉄砲隊の弱点は装填までの時間がかかること、と分かっていたため十程度の兵の損害は無視して突撃、突破を敢行したが、その命令を出した直後に明智光安にははっきりと分かった。これは姉小路軍である、と。
「御屋形様、確かに策は向こうが一枚上でございましたな」
誰にともなく呟くと、明智光安自身も突撃に加わった。程なくして明智光安は、やはりという顔になった。突撃しているが前線は進んでいなかった。押せども動かぬ壁のごとく、突撃で圧力をかけても姉小路軍と思しき敵部隊は一歩も引かず、逆に手勢は次々に槍の餌食になっていった。
そして一刻ほどで、明智光安隊は壊滅し明智光安自身も戦死した。
こうして、世に言う長良川の戦いは幕を閉じた。




