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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第二章 飛騨統一編
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十五、草太の下向

 草太は迷っていた。

 今回、自分が飛騨の国司に任命されたこと自体が、前例に則っていない異例なことである、というのは重々承知していた。草太とてそこまで鈍いわけでもない。三木氏の力を削ぐために必要だから、という一点において自分が姉小路高綱の継嗣として認められたというのは理解している。つまり、朝廷の力を高揚するために異例ながらも自分に姉小路家を継がせ、姉小路家の当主が既に存在するということで、三木氏が姉小路家を継ぐのを阻止しようとしているのだ。さらにいえば、自分に姉小路家の当主として飛騨の国司として飛騨を治めさせ、一条家にも見返りがあれば尚のこと良い。

 問題は、その上に更に異例を載せて良いものか、どうなのか、という点である。既に充分に前例を覆したのだからもう一つくらい覆しても問題あるまい、と思う反面、これ以上前例を覆すのはまずかろうという問題がある。


 おそらく、一条公にこの問題を直接尋ねるのは不可能であろう。いくら堂上人になったとはいえ、前関白と最下層の従五位では、特に許可がない限りは取り次ぎを挟まなければ会話もままならない。直接話ができるのは時当であろうが、彼ならば前例を守るようにというであろう。

 しかし、現実的に考えれば考えるほど、どう考えても三木氏の支配下である南飛騨を通ることは、自殺行為にしか思えなかった。もし自分なら、絶対に罠を仕掛ける。何らかの不幸な事故があり後継ぎがいなければ、当然養子をとって名跡を継がせることとなり、三木氏にとっては利にはなっても不利にはならない。逆に、三木氏が匿っていた高綱の子を差し出して名跡を継がせるという前例ともなりうる。


「考えに詰まっているようじゃの」

 返答に窮している草太に、城井弥太郎が声をかけた。

「考えるのは良いが、何が大切か、じゃ。一番大切なことは何で、そのために必要なことは何じゃ」

「一番大切なこと、ですか。……生きて、飛騨を、そして日の本を統一し、救わなければならない人が出ないようにすること、です」

 ふむ、と言い、

「ならば、前例を守ることは、それよりも優先すべきことかな、それとも些事かな」

「しかし」草太は言葉を返した。「朝廷をここで敵に回す、という、虎の尾を踏むような行為は慎むべきかとは思います」

 少しの沈黙が流れたが、それを破ったのは弥次郎兵衛だった。

「旦那、何を悩んでいるですか。簡単なことじゃないですか」

 簡単なこと、とは一体何事か、と聞くと、弥次郎兵衛は言った。

「先に聞きますが、目的のためになら屍山血河も厭わない、ですよね」

「そうだ」

「で、旦那は国府につかなきゃならない、供周りを含めた行列一行は美濃周りで飛騨に入らなければならない」

「だが、その美濃周りで入るのが危険だから、考えているのだ」

「簡単じゃないですか。供周りと旦那が一緒に行かなきゃならないなんて、誰が決めたんですか」

 つまり、弥次郎兵衛の提案はこうだ。供周りは美濃周りで飛騨に入り、草太は越前、加賀、越中と北陸周りで飛騨に入る。

「コロンブスの卵、か」草太は呟いた。誰ですそれ、と弥次郎兵衛は答えて「旦那らしいや」と笑った。

 だが、草太の心中はどうであったであろう。表には出さなかったが、それは草太ではない誰かが草太として供周りの行列と共に飛騨に入るということであり、草太ではない誰かを、おそらくは「不幸な事故」が襲う、ということを意味するのだ。

 だが、それはいわぬが花である。誰もがその程度の分別を持っていた。少しの沈黙が流れた。


「ならば決まりじゃの。草太殿は北陸周りで、供周りの行列は美濃周りで、それぞれ飛騨に入る。国府に入る日を調整せねばなるまいが、なに、何とでもなろうよ。……供周りはこちらで用意致すとしましょう。お任せあれ」

 城井弥太郎が言った。と、突然、改まった口調で弥次郎兵衛が言った。

「もう一つ、旦那、親分、いや、姉小路房綱様と城井弥太郎様にお願いがございます」

「どうした、改まった口調で」先に聞き返したのは城井弥太郎である。

「親分、いや城井弥太郎様、今まで随分とお世話になりました。京の香具師の顔役までさせていただいて、大変に目をかけていただきました。ですが、許されるならこの弥次郎兵衛、旦那、いや姉小路房綱様に仕えたいと存じます。……姉小路房綱様、お願いでございます、お供の端において下さいませ」

 これに対して、草太は言った。

「先に城井弥太郎殿に許可を取るのが筋だろう。城井弥太郎殿の手を離れたら、改めて返事をさせてもらおう。……弥太郎殿、いかがなさいます」

「弥次郎兵衛には、京香具師の顔役は荷が軽すぎたようですな。勝手に手を離れた凧はどこへ飛んでいくのやら分かりませぬ」

「だそうだ。弥次郎兵衛、供を許す」

 これを面白そうに見ていたのは、近江の水夫人足の顔役、沖島牛太郎である。何しろ京香具師の顔役といえば、並大抵のことでは務まらない。元々数も多く出入りの激しい京香具師ををまとめるだけでも一苦労であるのに、近年は戦の関係で足軽をはじめとする無法者も数多く、また貧民も多いためその施しも行っているとも聞く。それが回り回って京香具師に戻ってくる、とは城井弥太郎の言ではあるが、実際に施しを取り仕切っているのも弥次郎兵衛である。無論のこと、それに見合ったものを物心に関わらず弥次郎兵衛は受けているはずである。

 それを手放す、という。それほどまでに草太に、いや姉小路房綱にかけているのだ。

 弥次郎兵衛だけではない。勿論、他にも子飼は多く抱えているであろうが、城井弥太郎の跡目は弥次郎兵衛であろう、と沖島牛太郎は見ていた。他の顔役も、例えば堺の人足の顔役、弥助も見知ってはいたが、人物を見ると弥次郎兵衛と比べると見劣りがする。人を見る目は、亀の甲より年の功、城井弥太郎はずば抜けている。弥次郎兵衛に対する評も「京香具師の顔役でも荷が軽すぎる」とひどく高い。得難い存在であろう。にもかかわらず、簡単に、草太に、いや姉小路房綱にであれば手放す、という。城井弥太郎も、やはりそれほどまでに感じるものがあるようである。

 何がそんなに優れているのか、今日会ったばかりの沖島牛太郎には分からない。分からないが、この二人の評には相応の信頼がある。少なくとも当面の間、利害関係の対立もない。草太という人物に対して相応の対応をすることを、沖島牛太郎は改めて心に誓ったのであった。


「供周りは親分……じゃなかった、城井弥太郎殿にお任せするとして、北陸道を通るのは旦那と平助殿、それからあっし、じゃないな、私の三名で宜しいでしょうか」

 微妙にまだ新しい立場からの言葉遣いに慣れない弥次郎兵衛を妙におかしく感じながら、草太はそれで良いと頷いた。

「ならば善は急げ、だ。供周りはいつそろいますか」

 城井弥太郎は、その気になれば明日にでも、とお前も知っているだろうと言わんばかりに答えたが、下向のあいさつに明日は回らざるを得ない。出立を明後日の朝とし、一条家の門前に供周りを揃えることを決めて散会となった。


 翌日、平助は一人、母親の住んでいるはずの掛け小屋を訪ねた。しかし、とうの昔に掛け小屋もなくなっており、行方を聞こうにも数年前を知る人は誰もいなかった。

 悄然として、もう一つ京で挨拶をしておくべき先である吉岡憲法の兵法所を訪ねた。

「息災か。……うむ。草太殿、今は飛騨国司従五位下、姉小路房綱様か、その下向に伴い、飛騨に参ると。その挨拶か。痛みいる」

 丁度鍛錬の時間であったため道場へ招き入れられた平助は、道場で一切を述べたが、母親についてはついに切り出すことができなかった。道場に元々の在所を知るものもいなかったためだ。

「それはそうと、平助、一手修業の成果を見せてもらおうか。一年半、鞍馬山で遊んでいたわけでもあるまい。そうさな……直綱。相手をせよ」

 吉岡流切紙とはいえ、平助は年数があるからと貰ったようなものだ。それなのに、次期当主を継ぐであろう吉岡嫡流の直綱に相手をせよという。当然、直綱には当主直々に指名されたとあれば否も応もない。木刀を持って道場の中央に立ち、向かいあった。

「始めよ」

 短い声を合図に、剛剣を以て直綱が平助ごとき圧倒し勝負は一瞬で決する。はずだった。或いはかわし、或いはいなし、或いは下がられ届かない。さりとて剣気はこの攻撃を止めると同時に反撃が、面に小手に胴に来ることを予感させていたため、連撃を止めることが出来ない。

 一方の平助は戸惑っていた。直綱の連撃がこれほどまでに温かっただろうか。この程度の連撃ならば余裕がかなりある。霞は使えないにしても、いつでも撃ちこめる、その実感は常にあり、戸惑っていた。誘いの隙なのか、それとも本当に隙なのかが判別がつかず、撃ちこまずに撃ちこまれるままに連撃をいなし続けていた。だが、かわし続けるのにも限度がある。何より面倒、とばかりに上段からの剣をいなし際に小手、面と連撃を撃ち込もうとして、上段に直綱の木刀が上がったところで、吉岡憲法が「止め」と命じた。

 平助は息も上がっていないが、直綱は疲労の色を色濃く見せていた。他の門弟たちには直綱が平助を圧倒し続けたように見えていたようだが、流石は吉岡憲法である。開始早々に連撃が全て、返しを撃たないだけで返し撃たれており、平助はいつでも返し撃つことができることに気がついていた。それを防ぐためには連撃を続けるしかなく、連撃を続けてすら後半ではいつ撃たれてもおかしくない。平助が確実な期を待っているだけのように見えた。そして平助の剣気が膨れ上がり、直綱が撃たれる。その直前に止めをかけた。

「平助、お主、腕をあげたな。この後はどうするのじゃ」吉岡流を継ぐか、そう言いかけたが、平助はきっぱりと言い放った。

「某は、草太殿、今は姉小路房綱様の護衛、明日にでも京を去るつもりでございまする。本日はそのご挨拶に参りました」

 この言葉に、吉岡憲法は一言もなく、ならば餞別を渡す故奥へ来るように、と奥の間へ誘った。

 奥の間でつかの間の話の中で興仙の話が出た際、道理で、と納得した。そして、言った。

「高屋平助、その方の腕は、既に吉岡流を越えている。明日にも京を去るということであれば、最後の試練である百日の行も行う暇もない。故に、今後は吉岡流認可を授けることもできぬし、授かる意味も、今のお主にとっては単に名だけのものだ。よって」

 一振りの太刀を憲法は平助に差し出した。

「認可の代わりとしてとしてこの太刀を授ける。福岡一文字だが、銘はない。拵えは、今は天正拵えにしているが、好きに直すがよかろう」

「ありがたく、頂戴仕ります」

 こうして平助は吉岡兵法所を辞した。

 

 その翌朝、一条家の前には藤の丸の家紋をつけた牛車が並び供周りのもの30人ばかりが行列を作っていた。

 一条家の記録には、姉小路房綱殿、自ら供周りを30ばかり集め下向す、とある。少し時代は下るが塚原卜伝の三度目の旅は「塚原ト伝、兵法修行仕るに、大鷹三もすえさせ、のりかえ三疋ひかせ、上下八十人ばかり召しつれありき」と甲陽軍艦にある。卜伝はいかに有名であろうと高々一城の主、この旅の際にはそれも家督を譲った隠居の身である。供周り30ばかりというのは、確かに飛騨という国が小さいとはいえ、国入りとしての行列が大きいとはとても言えない。

 しかし、話を聞いた一条家の家宰である鈴木は、来ると聞いていてもほとんど信じていなかった。来ても雑人を集めただけの、数だけを集めたものだと考えた。無理もない、いかに任官したとはいえ実質的に無一物でしかない草太が、一条家からも西洞院家からもそのような行列を作れるほどの費えを借りずに行列を作ることができるとは、全く信じられなかった。だが、現実に装束を正した30人ばかり、姉小路家の家紋を入れた牛車、それに馬が三頭並ぶ(そのうち二頭は鞍馬から来た時に引いてきたものにせよ)、という行列を用意してのけた。

 最初、自分は聞かされていないだけで、一条家から(西洞院家にはその余裕はない)何らかの援助があったのだと思ったが、それはないという。貢納品その他の出納の記録を見ても、ないのだ。ただ、馬二頭だけは先年、鞍馬山にさしいれたという記録があるのみである。

 この事実は、鈴木の認識を改めさせるに十分なものであった。


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