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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第五章 混迷と混乱と
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百四十四、長良川前夜

 斎藤道三とその子斎藤義龍の抗争、その戦いにおける一連のはかりごとと姉小路家の対応については既に述べた。

 簡単に結論だけを述べるならば、姉小路家は蜂須賀党の一隊として参戦する、という運びになり、斎藤義龍もその策に同意した。斎藤道三という偉大な父を自らの手で葬るのは気が進まないながらも、自らを排除するという動きを黙って見過ごすわけには、斎藤義龍は美濃斎藤家当主としていかなかった。



 姉小路家日誌天文二十四年如月二十九日(1555年3月21日)の項にこうある。

「美濃斎藤家斎藤義龍殿、遂に斎藤道三殿と長良川で交戦、斎藤道三殿を討ち取り候」

 姉小路家日誌は、基本的には姉小路家が関わっている事柄が書かれている文書である。時に周辺国家の動静を書くこともあるが、稀である。書かれるのはほとんどの場合姉小路家に関わることであり、例えば木下藤吉郎の婚姻などでさえほとんど書かれることはない。派兵も確認できない長良川の戦いが書かれるのは、異例としか言いようがない。

 確かにその前段階として様々な交渉が行われ、その中で姉小路家が斎藤家に対して派兵を約束はしていたものの、不破光治をはじめとする国境沿いを領土とする国人衆が派兵に気付いた様子もないため、派兵したとは考えにくい。派兵があったとすれば飛騨からかもしれない。

 美濃風土記によればこの長良川の戦いは斎藤義龍側の奇襲による勝利として描かれており、この合戦以後に当主不在となった隙を狙っての遠山家の明智城攻略及び不破家の竹中家の居城大御堂城への攻撃は、その余波として描かれている。この美濃風土記の記述に従えば、不破光治は長良川の戦いが行われた後に戦があった事を知ったことになる。

 合戦で直接交戦したのは斎藤義龍側は直属の部隊及び傭兵として川並衆の計二千、斎藤道三側は斎藤道三の手勢二百余りとされており、更に斎藤孫四郎は稲葉山城で謀殺された直後であると記されている。この謀殺には安藤守就が手を下したと美濃風土記にはあるが、長良川の戦いには参陣していないというのも不思議なことである。或いは斎藤義龍の手勢の中に、安藤守就も入っていたのかもしれない。



 市川大三郎は初めての大舞台を前に緊張していた。


 発端は遡ること五日、如月二十三日のことであった。この日、訓練を終えた市川大三郎は草太に一室に呼ばれた。入ると草太の他、後藤帯刀、渡辺前綱、滝川一益の三名が座り、更に服部保長がいた。無論平助もいた。

 実のところ、市川大三郎は最近、城下にある花街に通い詰めであった。といっても流石に居続けができるような姉小路家ではなく、高い店でもなければ特定の女を指名する訳でもなく、またそういう場では姉小路家の名を出さぬようにしていた。別段、罪ではない。が、市川大三郎はその件で呼ばれたものと覚悟をしていた。特に一門衆と滝川一益だけではなく、服部保長がいるとなればそれしか考えられなかった。

 促されて座ると同時に市川大三郎は頭を下げた。

「申し訳ございません。出来心でございます」

 全員、一瞬訳が分からない、という顔をしたが、それでも服部保長は事情を察したのであろう、助け舟を出した。

「勘違いするな。我らとて人の子、責めるわけではないし、今謝ったことについて呼んだわけでもない。……御屋形様、市川ならば適任かとは存じますが、いささか」

 草太は具体的には何のことかは分からなかったが、それでも何となくは察したのであろう、こう言った。

「市川大三郎、心に疚しいことがあるなら二度とするな。疚しくないならば胸を張れ。それが故に私がお前を罪に問わなければならないとしても、だ。よいな」

 はは、と市川大三郎は平伏を深くした。面を上げよ、と滝川一益が言い、こう続けた。

「お前を呼んだのはだな。実は我らではできぬある任務を果たしてもらいたいためだ。といって難しいことではない。我らではできぬ、というのは、単に我らが顔を知られているという問題だ」

 話の内容は概ねこうであった。姉小路家が極秘に斎藤義龍の陣に参陣する、その指揮をとれ、という事であり、そこに姉小路家がいたという形を取らぬようにせよという事であった。

「我らではな、どうしても気取られる。一鍬衆も既に人選は済んでおるし、中筒隊もそうだ。武器弾薬の類は、槍と鉄砲以外は向こうで用意させている川並衆蜂須賀党のものを使え。それから投げ槍はなしだ。あれはわが軍ありと知らせるようなものだからな。同じ理由で擲弾筒も棒火矢もなしだ。質問は」

 市川大三郎は混乱していたが、それでも流石は軍学校の一期生首席であった。相手は斎藤道三であるとあたりはついたが、それでも確かめざるを得なかった。

「相手は斎藤道三殿、ですか」

 そうだ、と頷く草太に更に言った。

「蜂須賀党の装束をするということは、蜂須賀小六殿の配下として働け、という事でございますか」

 違うな、と滝川一益が言った。

「蜂須賀党は、いわば隠れ蓑だ。お主の功は姉小路家内部では加算するとはいえ、公式には蜂須賀党の功とされるだろう。そういう種類の話だ」

「暗殺、でございますか」

 そうであれば断ろうと市川大三郎は考えながら尋ねた。だが渡辺前綱が言った。

「いや、違うな。合戦をして戦え。卑怯はするな。たとえ表に名が出ぬにせよ、姉小路家の代表である。それを心せよ。……なに、難しく考えるな。ただ今回は姉小路家の将はお主一人。兵は千、一鍬衆が九百に中筒隊が百、この他に斎藤義龍殿の隊が出る。斎藤道三殿の兵は精々五百もおらず、おそらく三百内外だと想定される。戦場は不明だが籠城戦にはなるまい。隠居城には兵糧など用意がないからな」

「分かりました。市川大三郎、美濃の蜂須賀党の一員に扮し斎藤義龍殿に雇われたとして、一鍬衆九百、中筒隊百を率い、斎藤義龍隊と協働して斎藤道三殿を打倒いたします」

 うむ、と言ってから草太がもう一つ、と言った。

「斎藤道三殿の処分は斎藤義龍殿に任せよ。戦の最中に、というのであれば仕方のない話ではあるがな」



 こうして美濃入りした市川大三郎であった。気取られないように三々五々分散して一鍬衆は近江から、鉄砲隊は飛騨から、それぞれ美濃入りし、一旦既に廃城であった加納城に入った。聞けば川並衆も人が多いときはここで寝泊まりするのだということであった。

「なに、どうせ廃屋だ。わしらが使ってもばちは当たらんだろうさ。荷運びの仕事はとにかく人手がいるときがあるからな。それもあってか親父らは孤児の類まで引き受けて面倒を見てくれる。傭兵働きもしなくてもいいしな。まぁ、実入りが良いから、やりたい奴は若いものには多いがな」

とは、加納城に詰めていた蜂須賀党の古参の言であった。親父というのは蜂須賀小六のことであり、頭目は皆親父として尊重されているようであった。

「まぁ、儂らはお前さん方が何者か知らん。だがここにいる間は差別なく仲間だ。特に客人だとは言われておらんからな。……と、こっちだ」

 連れていかれた先には、古びてはいるが手入れの行き届いた具足が大量に置いてあった。

「親父に言われたからな。我らの使う具足千、確かに引き渡した。足りなければ言うが良いし、そのまま着て居なくなってもいい。そう言うように言われている」

 具足を引き渡した古参兵は、あとは知った事ではないと言い残して出て行った。


 隊が揃ったのを見た直後、蜂須賀小六が市川大三郎を連れに来た。稲葉山城に登城するため、付いてくるように、とのことであった。

「軍議があるんでな。お主にも参加してもらう。ただし表向きは儂の従者として、だ。良いな」

 市川大三郎は配下に物見を命じ、そして蜂須賀小六に付き従って稲葉山城に登城した。


 そして今、密室で斎藤義龍、安藤守就、蜂須賀小六を前に市川大三郎は緊張していた。ここでの一言一句、一挙手一投足が姉小路家を代表しているかと思うと、うかつなことは出来ない、そう感じた結果であった。正に初めての大舞台であった。

「軍議を始める。その前に、だ。小六、言っておくことが出来た」

 斎藤義龍の言に蜂須賀小六が何か、という顔になった。

「孫四郎は既に討ち果たした。この時期に鷹狩など、する方が悪いわ」

 安藤守就が手によるものぞ、と続けて言い、そして言った。

「隠居城には兵糧とてない。兵もまだ集められておらぬが、急報を聞けば明智光安、竹中重元のいずれか、または両名とも兵を率いて参ずるだろう。だが兵糧は持ち込めて数日分。ならば城に籠るなど下策は取らぬだろうよ。それゆえ野戦、それも合流する前に叩く。合戦は明日ぞ」

 絵地図を蜂須賀小六が広げた。

「今、鷺山城がどうなっているのかは分かりかねますが、手勢を率いて一撃、それで逃がさぬように致しましょう。ところで」

 斎藤義龍は心なしか暗い表情で答えた。

「分かっている。既に孫四郎は手にかけた。実際に手を下したのは安藤の手のものであろうが、その命令は儂が出した。それは間違いない。ならば儂が手にかけたというべきだろう。父も、斎藤道三も一代の英雄ではあるが、前時代の英雄だ。ここで引導を渡す。捕らえずとも好い。逃さず、ただ討て」

「御意」

 おそらくは、と斎藤義龍は言った。

「斎藤道三ならば全ての兵力を踏まえて戦を組み立てるだろう。おそらく寡兵であることも分かっていながら、時を稼いで援軍と合流するなどという事はせぬ。既に孫四郎は討った。ならば竹中、明智の二隊以外に援軍も来ず、それぞれ動員できる兵は領土防衛にとられるから、ほとんど兵力は出せぬ。流石の斎藤道三でさえも、各々の所領を蹂躙されてもよいから援軍に来い、などとは言えまい。逆転の目が有るのは儂の首を獲り美濃を実力で切り取るのみ。ならば儂も出陣すれば本陣をつかんとするだろう。したがって合戦場はここだ」

 斎藤義龍の指示した先は、鷺山城と稲葉山城の中間、長良川河川敷であった。

「蜂須賀小六、そなたの兵は夜陰に乗じ加納城から北上させよ。明払暁までに川を渡り、兵を伏せよ。鷺山城から出たら戻れぬように、逃げようというのであれば逃げられぬようにな」

 はは、と平伏しながら、市川大三郎は考えていた。自身のみで戦を組み立てる、というこのやり方と姉小路家の衆議を経て草太が決定するやり方はかなり異なっているが、いずれが優れているのか、と。


 これは後の事になるが、この質問を渡辺前綱にぶつけたところ、返答はこうであった。

「御屋形様は最近は衆議を経て決断を下すのが常であるが、元々の飛騨統一から越中、能登辺りまでは御屋形様の軍略が基本戦略だ。よく部下の我らの話を聞く方ではあったが、自身で戦略を立てることが出来ないわけではない。むしろ我らよりも数枚は上手かも知らぬ。例えば、初陣よりも先に城を落としたのは御屋形様位なものだろうさ」

 なにやら釈然としない顔の市川大三郎に、渡辺前綱が言った。

「戦が上手というのは悪いことではないだろうが、それをどう使うかをよく考えてみると良い。民を守る、そのために使うというのであれば良かろうが、そのために他国を必要以上に蹂躙するのは悪いことだろう。我らは民を守る守り手、そうあるべきなのだ。御屋形様は戦を上手に使っておられる。戦の勝ちは目的ではなく、単なる手段でしかないと知っておられるのだろう」

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