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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第五章 混迷と混乱と
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百四十一、続、使者来訪

 斎藤義龍と斎藤道三、その両者から使者が来る、そのための面会申し込みの使者が来た次第については既に述べた。

 そして斎藤義龍からは氏家卜全が、斎藤道三からは竹中重元が使者として国境まで来、氏家卜全は琵琶湖沿いの道を、竹中重元は山際沿いの道を通り、途中で時間調節をしつつ氏家卜全は未の下刻(午後二時過ぎ)、竹中重元は申の下刻(午後四時過ぎ)とし、帰り道で一泊の饗応を行うこととされた。国境から宮部城までは三里半程度であるため本来では日帰りでもよかったとはいえ、両者をできれば会わせないように気を使った結果、このような日程となったのであった。



 如月十日、使者を迎えるという当日、草太は気が重かった。考えてみれば、他国からの使者を迎える、などという経験はほとんどなかった。今まではある程度の方針を与えて下準備は内政方に任せていたのではあるが草太自身が訪問する側であり、他国からの使者を最後に迎えたのがいつだったか、俄かに思い出せなかった。用がありそうであれば事前に手を打ってこちらから会うか、或いは寺などで会う方が多かった。

 自城での他国使者の謁見としての最初の経験は広瀬城からの降伏の使者を受けた時であり、それが余りにも酷い経験であったために心理的な忌避感があるためかもしれなかった。


 とはいえ、使者の到着は未の刻、申の刻であり、昼までは別段到着する訳ではなく通常の政務であった。

 草太は午後からの使者の到来に向け、美濃を中心とした周辺諸国の情勢について詳しい説明を受けるとともに、今後の方針についての検討を行っていた。

 こうした事柄を説明するのはいつもであれば服部保長の役割であったが、この日は使者の送迎時の防諜を陣頭指揮するため不在であり、かわって弥次郎兵衛が説明していた。丁度軍を国吉城に入れるまでの待ち合わせのためもありご機嫌伺としてやってきた内ケ島氏理が列席し、参加者は草太、平助、弥次郎兵衛の他、内ケ島氏理、滝川一益、平野右衛門尉、渡辺前綱らであった。後藤帯刀以下の一部の武将衆は一鍬衆の調練に追われていたが、滝川一益は調練に参加しなくてよいのか、と草太が問うと、滝川一益は言った。

「基礎体力のところは一鍬衆の新兵と共同でさせておりますし、火縄銃そのものは撃った数で腕が上がるものでございます故。最初の数日を見てやれば後は個々人で撃つだけにございます。部隊としての行動訓練は個々人でまずは撃てるようになってからでなければ話になりませぬ」



 そして弥次郎兵衛から周辺諸国の情勢説明が始まった。

 近江湖北地方を抑えた姉小路家と国境を接するのは、本国飛騨の南隣であり近江湖北地方の東隣である美濃斎藤家、そして信濃を抑えつつある甲斐武田家が有力であった。といって、現在は美濃斎藤家とは同盟関係にあり、甲斐武田家は先日の敗戦が響いたのか攻勢が一段落しているようであった。それでもあの敗戦に前後して伊那郡を抑えている辺り、甲斐武田家の力は恐るべきものであった。


 西越中半国を支配しているとはいえ、その半国は石高であれば八割に近い部分を掌握しているといえた。なによりも、鰤街道であり塩の道でもある神通川を河口部分から飛騨に至るまで完全に掌握できているのは、飛騨の内政、特に食料事情と塩に関する供給という意味で非常に好条件になっていた。またその隣国となった越後長尾家とは緩い攻守同盟ともいえるものを結んでいるが、その越後長尾家は椎名家が立てこもり頑強に抵抗している松山城を攻略しきれずにおり、西越中に目を向けることは考えにくかった。


 能登、加賀は現在内国ともよべる、周辺国が全て姉小路領又は実質的な姉小路領の国家であり、他勢力とは国境を接していなかった。ただし特に能登は海路攻略部隊を送り込むことも可能であったため、水軍の根拠地を置いていた。また、加賀金沢城は飛騨岡前館と同様に草太の居城とも呼べる重要な城であり、物資の集積所としての意味合いも加えれば現在の畿内での姉小路家の行動、その起点となるべき城であった。金沢城が起点であれば、そこからの物資の大動脈といえるのが金沢から敦賀への海運であり、それを一手に担い、或いは護衛していたのが姉小路水軍のこの時期の主要な任務の一つであった。

 加賀の隣国越前は足利将軍家の御料地ではあったが、実質的な内政の担い手はまだ数年は姉小路家が行う必要があった。また足利将軍家が越前の石高に相応の軍備を整備することが出来るのもまだ数年先と見込まれていることから、少なくとも数年は越前は実質的には姉小路家の領地として考えても間違いではなかった。


 敦賀郡の西、若狭は既に木下藤吉郎によって統一されており、二人の有力すぎる国人、逸見昌経と武藤友益については一旦武将衆として領地を召し上げ、木下藤吉郎の与力として内ケ島氏理の指揮により丹波攻略を命じられていた。その際の働き次第では国人衆に戻ることも考えおく、と草太は言ったが、自身の主張が通らないからと度々反乱を起こすこの二人について国人衆に戻すつもりは、草太はどうあれ後藤帯刀ら重臣たちにはなかった。むしろ、期を見てすりつぶそうという考えすらあった。

 若狭の隣国、丹後は一色家の治めるところとして同盟がなされていた。それゆえに警戒すべき国としては丹波だけで良く、その丹波は大きく二つに分けられていた。京に近い三好家の支配下にある地域と、京から遠い国人衆が強い山間部とであった。既に国人衆たちには懐柔の手が伸びており、攻め潰すとなれば面倒なことになるだろうが所領安堵でよければ降るであろうとは考えられていた。


 敦賀の南、北近江のうち、琵琶湖の東岸に当たる湖北地方は先日浅井攻めにより攻め取ったばかりの地であるが、琵琶湖の西岸はどちらかといえば将軍家の御料地という意味合いが強く、例えば朽木家や京極家などが国人衆としては存在しているものの、山城に入るには最も強力で厄介な相手がその先に存在した。それは比叡山延暦寺であった。未だ去就がはっきりとしないが、草太自身は天台宗に根本を持つという意味で縁がないとは言えなくはないが、どう転ぶのかははっきりとは分からなかった。

 現在、所在している北近江湖北地方、その周辺には美濃の他、南近江六角家が最大の難敵であるといえた。国境を接していないものの問題になりうるのは伊勢北畠家がいるが、国境を接していないがゆえにそれほど厄介であるとは認識されていなかった。むしろ、伊勢北部については北畠家の支配が充分に及んでいるとはいえず、木造氏ら有力国人が割拠しているような状況であった。ただし、問題はこの地方が一向宗が盛んな地域であるため、場合によっては一向一揆との抗争も考えられた。

 更に六角家の向こう側に当たる大和、伊賀、山城、河内などの諸国はかなり混沌としており、現時点での情勢が実際に国境を接したころには一変している可能性すらあった。


 美濃斎藤家については姉小路家とはかなり異なっており、というよりも姉小路家がかなり特殊なのであるが、美濃斎藤家の配下であるという有力国人の諸勢力連合、その取りまとめが斎藤家であるという認識が最も草太には分かりやすかった。稲葉山城を中心とした地域は斎藤家の直轄領であったが、例えば近江と直接国境を接する不破郡は大部分が不破氏の領土であり、逆に美濃の東側の恵那郡は岩村城を中心に遠山一族の領土であった。美濃一国と一口に言うが、全体を統一した政権ではなく、細かく見れば複数の国人衆の連合国家というのが草太の持った感想であった。



 ひとしきりの説明が終わると内ケ島氏理が言った。

「この度の使者、その狙いは何だと考えられるのか」

 この問いに弥次郎兵衛は、よくわかりませぬ、と答えた。

「使者が来て初めてわかる、というところであろうとは思いますが、斎藤道三殿と斎藤義龍殿、いずれもさほどまでには対立が先鋭化していなかったはずでございます。また、戦となるならば斎藤義龍殿の圧勝にございましょう」

 うん、と不思議そうな声を滝川一益が挙げた。

「元々この辺りの出だからわかるが斎藤道三殿はそれほど容易ではない相手じゃ。それをたやすく斎藤義龍殿の勝ちと見る根拠は、一体何かの」

 この問いに弥次郎兵衛は簡潔に答えた。

「斎藤道三殿を勝たせて斎藤義龍殿を滅ぼした後、斎藤道三殿の寿命が何年もつか、そしてその場合に次を継ぐのが斎藤孫四郎殿という、些か器の小さき御仁でございます。それを考えあわせれば斎藤義龍殿につくほうが、少し先が見えれば分からないはずはございません。美濃の有力国人はこぞって斎藤義龍殿を支持するでしょう。ならば斎藤道三殿の戦がいかに巧くても、余程でない限りは斎藤義龍殿の勝ちは動かぬでしょう。斎藤道三殿が寡兵にて美濃一国の他の国人全部を相手取っても勝てるほどの実力でもあれば話は別でございますが、そうもならないでしょう」


 渡辺前綱が言った。

「大まかに方針を立てましょうか。斎藤道三殿と斎藤義龍殿が互いに相手を排除しようとしてこちらに使者を立てたという仮定で、突き詰めればどちらに着くか、という問題ですが」

 おそらく渡辺前綱には全体の情勢を含めてどういう方針を取るのか、と考えることが性に合わなかったらしく、話を単純化して片付けようとしていた。それでは問題がある場合も多いがこの場合は単純化した方がすっきりと物事が見えるようであり、草太はふむ、と考えた後言下に言った。

「それは斎藤義龍殿に決まっている。我らは既に将軍足利義輝公の要請さえ蹴って斎藤義龍殿を支持することを決めたのだ」

 ならば、と渡辺前綱は言った。

「それならば互いに相手を排除しようという使者であれば答えは見えたようなものではございませんか。……それ以外の要請であれば、それを相手が口にした後で考える、と。あまり考えすぎても相手の術中に陥るだけでございましょう。何しろあの斎藤道三殿が相手ならば、力づくで押し通るのが最善でございましょう」

 策で勝負するならば斎藤道三に勝てぬか、と草太が言うと、平野右衛門尉が言った。

「策で勝てなくても、民を安んじる、その一点で勝てるならば、別に策で勝つ必要は無いではありませんか」



 そして未の下刻になり氏家卜全との謁見に臨んだ草太であったが、その要求は単純明快に斎藤道三を攻めるための兵を借りたい、というものであった。考え置く、とのみ答えて引き取らせた。


 一方、申の下刻に現れた竹中重元は草太に対して言った。

「斎藤義龍殿を攻撃するため合力してもらいたい、とは申しませぬ。口上書きにはそう書いてございますが、それは対外的なものにて」

 では本当の頼みは何か、と草太が尋ねると竹中重元は一言で言った。

「織田弾正忠家に五年、いや三年の時を下され。あの織田信長殿の器、その中身ができるまでの時を下さりますように」

 草太には、ここでなぜ尾張織田家が出てくるのか、分からなかった。だが織田信長であった。その名はあまりにも草太にとって大きかった。戦国時代を代表する一大戦国大名であり、乱世の申し子とも乱世を終わらせるために大ナタを振るったとも残虐非道な魔王とも、その名は色々な評価をされていた。

「何故かな。何故我らが織田家を攻めるという話が出てくるのかな」

 草太は尋ねた。竹中重元は簡単に答えた。

「姉小路家は斎藤義龍殿に合力し、御屋形様、斎藤道三を攻めるおつもりでございましょう。その斎藤道三側に婿殿、織田信長殿が合力することになりましょう。ですが」

 ここで言葉を少し切った。

「戦は斎藤義龍殿の勝ちにございましょう。緒戦の一戦二戦は勝てても、美濃全土を平定するほどの力はございません。織田弾正忠家が合力するといっても、織田弾正忠家は織田弾正忠家で防衛を捨ててまで全力でこちらに味方することも難しかろうと思われます。何より、こんな馬鹿げた戦で織田信長殿の力を削ぎたくはございませぬ。それ故、適度に離れたところまで来た後は戻ってもらう所存にて」

 草太はふと気が付いて言った。

「そのようなことを口にする、それも策か」

「ご随意に。ただ、この城にはまだ斎藤義龍殿の手のものは入っておりませぬよ」

 流石に草太以下の姉小路家の面々は開いた口が塞がらなかった。

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