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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第五章 混迷と混乱と
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百三十九、美濃の胎動

 美濃の実質的な支配者である斎藤家、その前当主である斎藤道三が策を練り、それを実行に移すべく行動を開始した次第については既に述べた。即ち、近侍、小女の類に情報を斎藤義龍に届けさせること、これが策の第一歩であった。その目的とするところは何か、それは斎藤道三のみが知っていた。竹中重元でさえあれこれ想像するだけであり、その真意を問うことは憚った。


 そして、斎藤道三の発言に関する報告が届けられた斎藤義龍は一人苦しんでいた。確かに不仲ではあるが、それでも斎藤道三は父親であった。敵意を持たせようと、実は、と言ってくるものは少なからずいた。実は自分の実の父親が斎藤道三ではなく土岐頼芸であり、母である深芳野が下げ渡された時には既に身籠っていたという言説であった。斎藤義龍はこの言説には内心、それならば土岐頼芸が父か、と反発していた。父親としてどちらかを選べ、と言われれば土岐頼芸ではなく斎藤道三を迷いなく選ぶ程度には、斎藤義龍は斎藤道三を評価していた。一介の油売り、というのは半ば冗談だとしても、国盗りを成し遂げた策謀家として、軍略家としての手腕は確かに家中第一のものであっただろうし、今であっても斎藤道三と正面から戦って勝てるという自信が斎藤義龍にはなかった。

 まだ家督を継いで一年と少しであり、現時点で正面から戦うという段になる前に、西美濃三人衆を含む大部分の武将は或いは引き抜かれ、或いは内応するであろうことは容易に想像できた。そうされないためにはまずは家中の引き締めが必要であり、時が必要であった。斎藤道三との正面からの敵対はもうしばらくは先延ばしにすべきであった。


 だが、そこに届けられたのがこの情報であった。斎藤義龍を廃して自身が返り咲く、或いは弟孫四郎に家督を継がせようという気が透けて見えた。

 当然にして、この情報の取り扱いそのものが問題であった。この情報が流れてきたこと自体が策かもしれぬ、というよりも策の一部であると考える方が良いだろうことは、誰よりも父斎藤道三にの近くにいた斎藤義龍には分かり切った事であった。いかに酒を飲み、竹中重元が相手とはいえ、油断から近侍、小女の類が側にいることを忘れて大事を漏らすような真似をするような斎藤道三ではあり得なかった。つまりこの情報を斎藤義龍に届ける事、これが策の一部であることは当然であった。

 問題は、この情報がどこまで広がっているのか、という点に尽きた。相当程度に広まっているのであれば、例えば動かなければ孫四郎に家督をという形に持っていく、という事も、斎藤道三ならば可能だろうと考えていた。否、そうなる様に情報を流すはずであった。だが情報がほとんど流れていないのであれば、正面から対峙するのはもう少し家中の抑えが成らなければ難しい面があった。

 一方で、 動くにしても相手の機先を制しなおかつ意表をつく物でなければ、結局は斎藤道三には通用しないだろうことは分かっていた。というよりも、大抵の手に対応するように既に策が張り巡らされているからこそ、このような情報が斎藤道三から流れてきたのであろうことは明白であった。

 西美濃三人衆、この三人だけでも忠誠を誓ってくれれば、と斎藤義龍は思わないではなかった。しかし無いものねだりをするような真似は、策を為すには害悪以外の何物でもない、そのことを斎藤道三その人の行動から学んだ斎藤義龍にとって、今手の中にある札だけで勝負するしかないことは自明のことであった。


 それにしても斎藤道三というある意味の怪物と対峙するのは、斎藤義龍にとっては可能ならば避けたいことの一つであった。

 怪物、と考えた時、ふと連想したのは姉小路房綱という化け物であった。姉小路房綱は近江を攻めんとしている、との情報があり、ならば、怪物には化け物を、と考え付いた。姉小路家との橋渡し役を務めている蜂須賀小六をそっと呼ばせた斎藤義龍は、正月の宴に来ていた蜂須賀小六を人目に付かずに密室に呼び出すことに成功した。といっても斎藤義龍は家中を纏める必要上、正月の宴は長期にわたって行われ、蜂須賀小六が呼び出されたのは睦月十八日(2月10日)のことであった。

 この手なら、と思わないではなかったが、この手に出る事も斎藤道三の策のうちであるとすれば、それ以上は斎藤義龍には望むべくもなかった。



 斎藤義龍に呼び出された蜂須賀小六は、何事かと思っていた。件の情報も蜂須賀小六は知っていたが、蜂須賀小六にとっては知った事ではなかった。斎藤道三の年齢を考えれば、精々十年も経たぬうちに収まる親子喧嘩、という程度の話でしかなかった。戦の話であれば傭兵である以上知った事ではない所の話ではないが、斎藤義龍を廃して斎藤孫四郎を立て、裏から斎藤道三が操る、などという事をしようとは考えていないと、部外者である蜂須賀小六の目からは見えた。そういうことを考えているのであれば、そもそも斎藤義龍に家督を委譲したりしない、そういう無駄なことをせぬ程度には、斎藤道三という人物の目は確かであった。

 正面からの戦、という事を斎藤義龍が考えているのであればおそらく話は早かった。斎藤義龍が思っている以上に、斎藤義龍に着くであろう将は多かった。先が見えているのであれば、精々十年の斎藤道三の返り咲きとその後の明らかに役者が数枚落ちる斎藤孫四郎治下へ、という選択肢を選ぶ将は少ないためであった。この場合であれば傭兵としての蜂須賀小六を、川並衆に属する蜂須賀党を率いる蜂須賀小六という将に用があるという事であるが、この場合であれば呼ばれるのは自分よりも坪内利定であろうと考えられた。川並衆の筆頭は坪内利定であるためであった。


 だが、実際に呼ばれたのは蜂須賀小六だけであった。このことが示すのは、おそらくはたった一つであった。それは姉小路家に関すること、援軍要請か何かであろうと推察された。内心、蜂須賀小六は毒づいていた。自らが手を汚せば、斎藤孫四郎を取り除けば話は早かろうに、話を大きくして余計な荒事を引き寄せようとしている、そう見えた。

 この時期、美濃と国境を接していた有力な戦国大名には、姉小路家、六角家の他、もう一勢力存在していた。それは甲斐武田家であった。既に東美濃への圧迫が開始されており、どうにかすべき時期に差し掛かっていた。因みに、家中が統一されていないが尾張織田家、伊勢北畠家とも国境は接しており、斎藤義龍が家督を継いだ当初から尾張織田家のうち織田弾正忠家ともいうべき織田信長はまだ有力な戦国大名としては考えにくかった。武田家の侵攻が本格化する可能性が高い、と考えると本来は内紛などすべき状況ではなく、統一して防衛体制を整えるのが先決であった。内紛が避けられぬにせよ、なるべく静かに影響なく行う、というのが常道でなければならなかった。



「待たせたの」

 斎藤義龍が密室に入ったのは、蜂須賀小六に遅れる事四半時(三十分程度)であった。蜂須賀小六との面談をなるべく外に漏らさぬようにとの配慮であったが、一方で斎藤義龍は冷めた目で、このような小細工は斎藤道三には通じぬ、と観察していた。だが姉小路家を巻き込もうとしていることを知った場合にあの斎藤道三がどういう手を打つか、それが問題であった。いずれにせよ斎藤道三の動かすことのできる駒を割かせることが目的であり、美濃国内における策動を制限することになる、その程度の期待をもってこの会見に臨んだのであった。


 蜂須賀小六は会見の後、訳が分からなかった。会見が単に世間話と若干の川並衆の現状確認程度であったためであった。それなのに緘口令を敷き、斎藤義龍が退出してから四半時は遅れて戻る様に、と命じられた蜂須賀小六は、姉小路家に関係のない、このような別段改めて密談の必要もない内容を話すことが何の意味があるのか、分からなかった。

 或いは、自分と会った、という事自体が必要なことであった、という可能性もあったが、それが何の意味を持つのか、かなり疑問であった。



 斎藤道三の下に蜂須賀小六が斎藤義龍の下に呼び出され密談したという報告が入ったのは、睦月二十日(2月12日)の朝のことであった。報告を聞き、ご苦労、と手のものを返した斎藤道三は、しかし上機嫌であった。内心、その手は読めていた手ではあったが、おそらく何も話をしていないだろう、単に斎藤道三に見せるためだけに蜂須賀小六を呼んだのであろうとは充分に予想の範囲内であった。まだまだ甘いが、それでも武辺一辺倒と思っていた自分の息子が、策謀というものを理解し得意とはするまいが実地に使っている、という事実が、斎藤道三に息子斎藤義龍の評価を改めさせるものであった。

 姉小路家が近江浅井家を滅ぼし、湖北地方を事実上占拠したという報は既に斎藤道三にも入ってた。


 成長して居るの、と親としては当然のことのようにうれしく思う反面、策が粗い、と思わざるを得なかった。手を割かせる、という方針自体は悪くはないが、手を割かせてどういう形で決着に結び付けるのか、まだはっきりとした形を想定していないであろうことは想像できた。なにより、斎藤道三がそのつもりであれば、姉小路家に対する策動をしつつ美濃国内全土に策を巡らすことは容易に可能であった。それにしても外患か、と斎藤道三は思わざるを得なかった。言ってみれば親子喧嘩、家督相続に関する内紛という性質の策動に対する反応が他国を巻き込むという結論であれば、それはそれで問題であった。その後の国政にくちばしを入れられる、その都合もあったためだ。

 勿論、この件が姉小路家の近江占拠、それによる新たな近江領主との外交、という程度のことである可能性も高かったが、そこは既に同盟はなされていた。

 とにかく一つは手を打っておくか、というのが斎藤道三の出した結論であった。



 睦月二十二日(2月14日)、斎藤道三は鷹狩と称して城を出た。冬とはいえ獲物がいないわけでもないから、鷹狩自体が不審ではない。だがこの時期に鷹狩に興ずる、など斎藤道三という人物を知るものからすれば奇妙なものであった。無論、斎藤道三の目的は鷹狩ではなく、自身の近臣ともいうべき家臣、明智光秀との面会にあった。明智家は東美濃の有力な国人であり、更に東の遠山一族の去就次第では美濃斎藤家と甲斐武田家の抗争の最前線を受け持つ家柄の一つであった。甲斐武田家は既に伊那郡を制圧しており、来襲も時間の問題であるといえた。

 このような時期に呼び出したのは、当然様々な懸案事項を解決するためであった。流石に現当主の明智光安を呼び出すのは憚ったため、明智光秀が呼び出されたのであった。


「一別以来だの」

 鷹狩の際に立ち寄った、という態を装って斎藤道三が入った四阿あずまやには、明智光秀が既に待機していた。明智家の当主ではないもののそれは家督を継ぐことを拒否しているためであり、実質的な取り仕切り全般は既に明智光秀が当主であるといっても間違いがない程度には取り仕切りを行っていた。各種軍功もあり、内政上手でもあったと見えて斎藤道三が最も目をかけた人物の一人であった。斎藤道三が直臣に、と望んだこともあったが、明智光安はいずれは明智家を継ぐ身でございますから、と拒否をしていた。


「なにやら楽しげなことをされておるようでございますな」

 挨拶もそこそこに明智光秀は言った。無論、光秀は斎藤道三と斎藤義龍の暗闘を見抜いていた。斎藤義龍の狙いは明らかに斎藤道三の排除、そして斎藤家による美濃の支配関係を強める事にあると察していたが、斎藤道三の狙いが全く読めなかった。わざと相手に策を使わせるまで待つほど、そしてその策を利用するのではなく出方を見ながら徐々に策を使っているようにさえ見えた。もし自分が斎藤道三で斎藤義龍を廃して自身、乃至は次男斎藤孫四郎を当主にするつもりであれば、最低でも西美濃三人衆に対する調略が終わり、更に遠山一族に対する調略も既に済んだ後つり出すように動くだろうと考えられた。少なくとも相手に何かさせてそこにつけ込む策ならまだしも、つけ込むほどの行動さえしていない、というのは、明智光秀には考えにくかった。少なくとも、排除が目的ではない策、というものが何か、斎藤義龍に何をさせようというのか、明智光秀は頭を巡らせて吐いたものの、絞り込み切れずにいた。そのことを聞けるかというのが、この会見に臨んだ明智光秀の目的であった。


 楽し気かの、と斎藤道三は笑い、そして上機嫌に言った。

「策が成りつつあるのは、確かに楽しいものよ」

 策が成るとは何を指しておるのですか、との明智光秀の発言に斎藤道三は言った。

「その前に、光秀。策を聞けばそなたには全面協力してもらうからの。分かっておろうが……」

「聞けば断ることはこの場でお手討ち、という事でございますな。心得ております」

 明智光秀は、この辺りの呼吸は分かっていた。

「なに、今回の策は、一種の手の込んだ自害じゃ。その過程で、そなたも一枚嚙んでもらうからの。明智光秀という名の男は斎藤家を追われ、そして婿殿の処に行って仕える、と、そういう筋書きじゃ」

 こともなげに言った斎藤道三に、明智光秀は言葉が出なかった。


 そして詳細な策を聞き、それならばと納得して会見が終わった。

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