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草太の立志伝  作者: 昨日の風
幕間、その三
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幕間、投槍器と投げ槍

 草太の立志伝では様々な武器が登場するが、姉小路家の代名詞ともいえる一鍬衆の主力武器として、三間槍、小太刀に並んでよく使われるのが、この投槍器と投げ槍である。とはいうものの、一鍬衆の武装として三間槍は後に四間、五間と長さが長いものに更新され、小太刀も連携技術の採用の結果、小太刀と手槍の合同という形に置き換えられていったのではあるが、最後まで主力として使われたのは、いくつかの改良はあったが投げ槍だけであった。


 まず、この投槍器と投げ槍であるが登場は意外に遅く、草太が飛騨を統一し、西越中半国を手に入れた後、七尾城下の戦いが初出である。しかも、一鍬衆ではなく中筒隊が雨天のために銃を撃てないために雨天でも使うことのできる遠距離攻撃兵器を、という形で登場したのである。

 このことについては、高屋平助夜話に記述が存在するので、それを紹介しよう。

「投げ槍については、そも雨天には鉄砲を撃てぬという問題、それに対しての七太郎が発案なり。七太郎、南蛮渡りの書にありとて槍を投げる法を示し候。房綱公、当初はさほど乗り気では無し。なんとなれば槍は突く物にて投げるものにては無きために候。それ故、七太郎実地に検分、と一揃えを持ち公に紹介仕り候。

 当初、打矢や槍と思しきものを某が投げ候処、威力あり候距離は三間から四間が精々なり。七太郎、その打矢、槍を拾い集め、投槍器に取り付けて投げ候処、一町先まで飛び候。七太郎は鍛冶を致すためにそれなりに力はあり候が、これほどの差が出候とは思わず、されど七太郎、加減いたしました故、と言い候」


 現代においても、投槍器による競技大会では飛距離 100m(約一町)を越える選手が少なくないことを考えれば、このことはさして奇妙でもない。飛距離に特化した槍ではあるが平均的な体格の選手でも 130m 先の直径 1m の的に当てる、というのが珍しいことではないのである。

 だが長距離攻撃のできる武器を、と言われて真っ先に出すのは、通常は弓であり弩である。それが投槍器になるあたり、七太郎はやはり七太郎であったのだろう。その七太郎の参考にした書物が何なのかはよくわからない。だが持っていた書籍については蔵書目録が残っているため分かっている。ガリア戦記が最有力候補であるが、七太郎がラテン語で書かれたそれを持っていたというのも驚きである。何処でいつ頃手に入れたのか、また、果たして七太郎がガリア戦記を読んで投槍器を自分のものとしたのか、そもそもラテン語が読めたのかについては、定かではない。


 投げ槍の原型として最有力として考えられているのは、アストラルと呼ばれる氷河期時代の投槍器であり、世界各地にその使用実績がある。特に七太郎の使った、革ひもを巻き付けた形状の投げ槍はヨーロッパ世界ではアメントゥムと呼ばれる、古代ローマ帝国ではそれなりに有力な兵器である。こういった古い武器の収集を趣味とするものはどの業界、どの世界であってもいるものであり、何者かは分からないが七太郎にこの原型を見せたものがいなかったとは言えない。むしろ、形状が余りにも類似しているため、アメントゥムを七太郎が実際に見ている可能性が高いのである。

 この他、有力な候補として挙げられるのは南洋、アボリジニ達の投槍器である。南蛮人が日本に来る際には、必ずインドネシア地域を通らざるを得ないが、この地域からさほど遠くないオセアニア地域でも、投槍器は一般によく使われている。ただし、アボリジニのそれは革ひもがなく、七太郎のものとは少しだけ系統が異なっているといわざるを得ない。革ひも自体が七太郎の独創であると考えるならば別であるが。



 ともあれ、七太郎の投げ槍には他とは大きく異なる点が一つある。それは、投げ槍の強度である。

 主目的がガリア人の大盾を使わせないことであったため、古代ローマにおける投げ槍は刺さると折れるものが主流であった。そのため、盾に刺さり、抜けにくく、刺さったままでは取り回しが圧倒的に悪くなる、ということに特化した槍であり、陣形を崩すのにも用いられた。これが時代が下るとプラムバタという、盾の中に何本も仕込んで突入前に投げ込み、敵の陣形を崩す方に主眼が置かれるようになった。これは主敵がガリア人のように大盾を持たない相手へと変化したことによるものでもあった。

 アボリジニらの投げ槍は、基本的には狩のためのものであり、戦の際にも特に重武装をしないアボリジニたちが相手であるため、戦で使われる場合にも鎧を貫通する、などということは考える必要はなかった。これはアステカなどでも事情はほとんど変わらず、槍は木製であり先端に黒曜石などの粗末な矢じりをはめ込んだだけのものが主流であった。


 だが、七太郎の投げ槍は、槍の穂の根元に錘がはめ込んで有り、槍の中ほどに投槍器に引っ掛けるための部分があることを除けば、短めの手槍と言われても信じるようなものであった。打矢のように羽が付いているわけでもなく。はめ込んである錘もそれほど槍の太さを変えるようなものではなく穂先と一体化したものであった。羽がないのは、革ひもを巻き付けて投げるため、槍自身が回転してライフリング効果による直進性を持つために、羽が邪魔になるためである。

 もっとも、このまま手槍として使おうとすれば重心が手元よりもかなり穂先側にあるため、使いにくいものであっただろうとは想像に難くないが。



 この投げ槍が脅威であった最大の理由は、投げ槍の飛距離でもその強度そのものでもなく、その数にあった。

 時々誤解されるが、七太郎の投げ槍は銃のような直接射撃ではなく間接射撃に分類される。

 火縄銃であれば、基本的には直接射撃、つまり跳弾のような例外はあるにせよ見えているそのままの場所に当たるのが普通である。打矢の類も火縄銃と同様の直接射撃であるが、七太郎の投げ槍は斜めに投げ上げられた後、空気抵抗によりかなり角度が深くなって落下する。戦艦大和など超弩級戦艦では垂直防御よりも水平防御が重視されたように、七太郎の投げ槍は正面よりも斜め上からの刺突攻撃として敵陣に襲い掛かる。しかも投げ手は一鍬衆であったため、兵の数だけ投げ槍が飛び、個々の能力や指揮により適度にばらけた文字通り槍の雨が降った。

 その威力は、足軽の陣笠、胴丸程度の防御力では全く防げず、木製の矢盾すら軽々と打ち抜くほどの威力があった。ただしやはり上級武士の付けている大鎧であれば、当たり所によっては弾かれる程度ではあった。これだけの威力のものが千本単位で降ってくること、これが最大の脅威であり、姉小路家で常用された最大の要因であった。


 では弱点は何か、といえば、簡単に言えばこの投げ槍を投げることが出来るほどの訓練を施すのであれば、普通の弓隊を育て、矢を多く用意した方が容易であったという点に尽きた。

 まず投げ槍は、当然だが投げればそれっきりである。戦後回収するにしても、全部を回収できず、また整備しても再使用が可能なものばかりではない。矢も同じような問題があるが、矢と投げ槍の生産費用は比較にならないほど投げ槍は高価であった。しかも投げ槍は通常の矢の十五本分から二十本分の重さがあった。この重さが威力と直結しているのだが、ともかく重さも問題であった。古代ローマでも、ガリア人との闘争に勝利した後にプラムパタという小さな投げ矢を使うようになったのは、輸送時の重さが重すぎることにも原因を求めることが出来るほどである。多少威力が弱くても、十倍撃てるならば弓矢の方に軍配が上がる、という訳である。


 もう一つの弱点は、投げるためにはかなりの筋力とそれなりの訓練が必要である点であり、農民兵主体の雑兵では扱いがかなり厳しい点である。例えば第一次姉小路包囲網の朝倉家の加賀侵攻時にも、山田光教寺に貸し与えられた武装一式の中には、投げ槍はなかったことが山田光教寺の資料からも確認できる。

 この辺りの事情は、鉄砲隊でも同じようにあるが、鉄砲は鉄砲を撃つもののみの訓練で良いが、投槍器の扱いは全軍乃至はある程度の数が習熟しなければならないため、乗り越えるべき問題としてみた場合には投槍器の方が難易度が高い。しかも弓の方が威力が多少劣るとはいえ弓隊を整備する方が費用が安いという辺りが、弓などに駆逐されてしまった原因の一つであろう。


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