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草太の立志伝  作者: 昨日の風
間章、若狭侵攻という事業
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百三十六、策士策に溺れる

 木下藤吉郎が暗躍していた次第、及び木下藤吉郎がその弟小一郎と再会した次第については既に述べた。

 小一郎は城までついて来、その地位次第では配下になることを約束していたが、実のところ小一郎自身、地位が低いとは全く考えていなかった。というよりも、自分の前に会っていた男性は、最も悪く見積もったところで一廉の武将であり、おそらくは相応の戦国大名かその重臣であろうと推察された。しかも、自分と兄木下藤吉郎の間を取り持ってもらうために、津島の町衆でも筆頭格、その伊藤屋の名だけでは足りず、畿内を取り仕切る人足水夫香具師の総元締めである城井弥太郎が出てきたという辺り、容易ならざる地位にいることは既に察しがついていた。それでも小一郎は、そのまま二つ返事で配下になるのは癪に障ったこともあり、流れとして兄が取り仕切っているという国吉城まで上り、そこで配下になることを了承するつもりでいた。主人、伊藤惣十郎からも、折よく木下藤吉郎の配下となれるのであれば配下となる様に、と言われていたこともあった。

 別段、伊藤惣十郎が優しい為にこういった訳ではなく、姉小路家の家中、その重臣に身内を送り込みたいという欲からであることは、小一郎は伊藤惣十郎の口から聞かされたことでもあるため知っていた。


 だが、木下藤吉郎は、背後にいる津島町衆の事など全く念頭にはなく、ただ人手が、特に身内が増えることを考えていた。

 こうした陪臣を増やしていく手法は、姉小路家ではどちらかといえば一般的ではなく、弥次郎兵衛や服部保長が行っている例を除けば、姉小路家に入る際に既に配下であった者たちを除きあまりいなかった。陪臣により自身の能力を補い、また陪臣を育てて自分一人での限界を超えて働くという方法よりも、一度直臣にしてしまい、その後与力として配してもらう、という方法が一般的であり、また主流であった。

 もっとも陪臣が増えればその分だけ禄高も増すという形にしていたため、いずれにせよ姉小路家が支払う禄そのものはほとんど変わらなかったが、軍学校その他の教育機関で鍛え上げることが出来る分だけ直臣にした方が良い部分が多かった。例えば後藤帯刀の嫡男重広は元服してすぐに軍学校へ入れられ、卒業次第直臣として取り立てられるという事になっていた。もっとも、重臣の嫡男だからといって軍学校が手心を加えるわけもなく、後藤重広は第一期生として入学するも卒業年次は第三期という辺り、察せられるところではあった。

 陪臣を多数抱えているのは、内政方や探索、密偵に代表される忍びの技を伝える必要のある服部保長達の、姉小路家が教育機関を整備できていない分野に多くみられた。そういう中で、木下藤吉郎のように、将という部分にまで集団戦術を取り入れようという試みを行っていたのはある意味では草太の一歩先を行く思想ではあったが、草太自身は武将衆でも中核となる将と与力という構造で集団戦術を試みていた辺り、木下藤吉郎の好み、という方が近かったのかもしれなかった。


 木下藤吉郎が弟小一郎を片腕として使えるようになれば、かなり出来ることの幅が広がるはずであった。例えば今回のような場合にも増田長盛では、所詮は陪臣、となり格が足りない仕事も、木下藤吉郎が弟、となれば武将の一門衆とでもいうべき存在であり、赤井直正と正面に向かい合わせても格が足りない、という事はそれほどなかった。また、今回は与力としてつけられた三人の武将衆に留守を任せたが、その束ねをするのにはやはり増田長盛では格が足りない部分が大きかったが、小一郎であれば木下藤吉郎が弟、という事もあり、束ねとしての仕事も期待できた。



 こうしたことを考えながら宿に戻った木下藤吉郎であったが、宿の前で大事なことを思い出した。お吉がいるのだ。

「どうなさいました、兄者。よも、逃げようなどとは考えなさるまいな」

 小一郎の言葉に、そうではない、と言って誤魔化したが、言わねば拗れると思った。少し長くなるから、と宿向かいの茶店に腰を下ろし、麦湯を頼み、そして言った。

「小一郎、実はな、今回は一人ではないのだ。実は、女連れでな……、まま、少し黙って聞け。別段、女子と物見遊山という訳ではない。傍からはそう見えるように行動してはおったがな、女子と物見遊山ではなく、単なる擬態じゃ、擬態。安全に、気取られずに確実に京に入る方法として最もよかったのが、女子連れなのだ。な、そこのところを踏まえてだな」

 後ろから声が聞こえた。

「どう踏まえるので」

 振り向くとお吉がいた。

「おかしいと思った。夜ごと激しいから夢も見てしまったけどさ、夢だったんだね。年季が明けたら行商人の女房も、悪くないかななんて、日ごろお茶引いている私がそんなわけなかったのさ。はかない夢だったねぇ」

 慌てた木下藤吉郎は今度はお吉を宥めにかかった。

「いや、そなたの年季が明けたら、というのは本当だ。行商人というのが少し違うだけでな」

「兄者、ならばその女性、年季が明けたら妻に迎えるのですか」

 思わぬ方向から言葉が飛んできた。小一郎であった。お吉の手前、木下藤吉郎は頷くしかなかった。

「そうとは知らずに無礼を申しました。私はそれなる藤吉郎の弟、小一郎にございます。以後よろしくお願いいたします。義姉上あねうえ

 義姉上とはなんじゃ、と木下藤吉郎の問いに、小一郎は兄の妻ならば義姉上に決まっておりましょう、と澄ましていた。まだ年季が明けるまで日があるだろう、と言った木下藤吉郎に向けて小一郎は言った。

「多少なら蓄えもありますし、身請けする程度の銭はありますよ。兄者も旅先から戻ればその位はおありでしょうし」

 それでも木下藤吉郎はなんとか抵抗しようと言った。

「あっても元手じゃ」

「手前が出しますから、返済は追々、で良いでしょうよ」

 逃げ道を塞がれた形で、さりとてここから逃げては若狭攻略のための布石、矢野満俊から一色家への繋がりを潰すことになり、それも出来なかった。

「改まった式などできぬぞ」

「そんなもの、私の身の上からならなくても仕方がないわね。今更白無垢も、ねぇ」


 実のところ、小一郎の狙いは別にあった。家庭を作るということ、それ自体が目的であった。兄である木下藤吉郎に帰るべき家を作らせ、再び逃げ出さないようにしよう、というよりも、竹阿弥がやったように逃げ出す以外に道がないような状況にしないように気をつけよう、と考えたためであった。

 無論、母であるなかがどういうかは考えものではあったが、蜂須賀党にいると聞き、大きな敗戦の後から見なくなったと聞いた後のなかの姿を身近に見ていた小一郎は、妻を娶っていたという程度では全く動じないだろうと考えていた。生きていれば、また家族で暮らす、というのが小一郎の念願であり、国吉城に入りそれなりの地位にいるのであれば、その念願も叶うのであった。

 しかし、と小一郎は思った。どういう事情であれ、もう少し見目麗しい、若々しい相手がいなかったのか、と。年は、と聞くと二十四だということであった。木下藤吉郎が十九であることを考えると年上であった。


 その夜、小一郎は木下藤吉郎とお吉の行為を知ってしまい、といっても襖一枚隔てた向こうで行われているのだから当然であったが、口ではいやいやながらも兄藤吉郎がお吉を気に入っているのであろうと勝手に推察していた。しかしその行為は、木下藤吉郎にとっては半ば自棄やけに近いものであり、もうどうにでもなれ、という気持ちでいた。だから襖一枚隔てた先に小一郎がいると分かっていてもお吉を抱き、そして寝る前にふと思った。

「年季が明けたら妻に迎える、などといつ言ったかの」


 実のところ、木下藤吉郎はお吉に年季が明けたら妻に迎えるなどとは言っていなかった。だがこれはお吉の方が役者が一枚上だったのであろう、小一郎という証人の前で木下藤吉郎が否定する前に素早く既成事実を重ねてしまい、木下藤吉郎の妻に収まることで苦界を抜け出すことに成功したのであった。

 こうしたやり取りから娶ることになったからか、木下藤吉郎が外に女性を囲ったり側室を多く迎えたりすることが非常に多く、その意味でお吉と小一郎の苦労が絶えなくなったのであるが、それはまた別の話であった。



 小一郎を加えた木下藤吉郎一行が舞鶴に戻ったのは、年も改まった睦月三日のことであった。

 随分と時間がかかったのは、雪に道を阻まれていたためと、木下藤吉郎の矢野満俊に出した二十日という期限が過ぎるのを京で待っていたこと、そして京から琵琶湖西岸にかけての一帯の情報収集を行ったことによるものであった。特に、近江北半国は京極氏が守護と定められていたのを将軍足利義輝が半ば強引に捻じ曲げ、湖北地方を姉小路領としたため、琵琶湖西岸にひきこもっていた京極氏の活動については探らせるだけの価値がある様に思っていた。飛騨の守護も京極氏であり、姉小路家が直接奪った訳ではないにせよ、京極氏は何かにつけ姉小路家との悪縁があった。

 とはいえ、京極氏には既に実権自体が失われて久しく、飛騨の実権については三木氏らに応仁の乱の直後頃には失われており、北近江支配という意味では浅井亮政の代には失われていた。

 それでも木下藤吉郎は、一応は目を光らせておくに越したことはない、と探らせてはいたがこれといった情報はなく、格式を除けば国人衆の朽木氏の方がよほどに勢力があった。神輿として担ぐ勢力の情報もなく、木下藤吉郎は拍子抜けをしたのと同時に安堵したのであった。


 舞鶴の宿に戻り、部屋に戻るとすぐに宿の主人が入って来て矢野満俊の書状を届けてきた。内容は、先日の件了承致した、ということであり、木下藤吉郎はひとまずは安堵したのであった。元々の方針通り加佐郡の割譲と同盟であり、こちらが譲ると見せかけたのは木下藤吉郎の手腕であった。


「それから、な。ご主人。お吉のことだがな、実はな……」

 事のあらましを説明した木下藤吉郎が、そういうわけで身請けさせていただきたい、と言うと、話はすんなりとまとまった。お吉の身請けは宿の主人にとっては願ったりであった。なぜなら、お吉はそろそろとうが立つ年齢に差し掛かっており、お茶を引く日も多く、証文の金額を返し終えたら年季明けという制度を採っているこの宿にとって、そろそろ不良在庫になりつつあるためであった。年齢を重ねれば売れなくなり、食費その他の費用がかかるため年々返済額は減るものと見込まれた。今のままでも借金の元金を少し返せる月が年に三月もあればよい方であり、借金は一昨年までは何とか元金を減らすことが出来ていたものの昨年は木下藤吉郎が大きく買っても元金を減らすことは出来ず、今年からは増え続けるものと見込まれていたためであった。


 そうして身請けをし証文を焼き捨てた後、小一郎とお吉を残して木下藤吉郎は矢野満俊の屋敷へ行くこととした。細かい打ち合わせが必要なためであった。小物に手紙で先触れをさせ、その夜、矢野満俊の屋敷で木下藤吉郎と矢野満俊は向かい合って座り、一別以来の挨拶もそこそこに本題に入った。

「で、待たせましたかの」

 とは木下藤吉郎であった。琵琶湖西岸の情勢についての見極めに意外にてこずり、年が改まってしまったことについて言っているのであるが、矢野満俊は気にせずに言った。

「なに、どうせ松の内は動けぬ。我らも支度があれば、貴公が来なくても同じだったろうさ。……で、本当に姉小路家が動く。間違いないな」

 念を押されずとも、と木下藤吉郎は言い、それよりも、と言った。

「日取りを確定させたいのだがの。松の内は動けぬという事であれば、十日頃か」

「うむ。我らが挙兵し、御屋形様、一色義幸様が動く。若狭武田家の本隊が来なければ建部山城は落とすことが出来よう。それ以上は約束できぬ」

「我らが若狭武田家の本隊がそちらに行かぬよう止め、若狭武田家を滅ぼし、残りの加佐郡を渡す。これが約定ですの」

 そうだ、といって矢野満俊は付け加えた。

「更に、姉小路家から御屋形様に同盟の誘いが来ておる。約定が成った暁には同盟をすることとなるな。……と、これは別口だったか」

 もうそこまで手が伸びていたか、と思ってはいたもののそれは表面に出さず、木下藤吉郎は涼しい顔で言った。

「別口といえば別口、若狭攻略とは別口なれども同盟したいという既定路線自体は間違いなくありますな。だが若狭攻略が成らなくても同盟したいという意味では別口、という程度ではございますがの」



 こうして打ち合わせが済んだ後、木下藤吉郎が国吉城に戻ったのは睦月五日のことであり、増田長盛らが大評定の結果を携えて戻ってきたのと同時であった。

 大評定の結果、若狭武田家攻略という既定路線に変更がないのを見て安堵しつつ、もう一通の書状を増田長盛が預かっていると聞き不思議に思って開けた。書状は服部保長からであり、簡単に記すとこう書かれていた。

「他国に調略を仕るならばもう少し安全を確保してやり候様に。それから結婚おめでとう」

 どこかから監視されている、そう思うと木下藤吉郎は背筋が凍るような思いがした。


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