百二十七、一乗谷城前合戦
姉小路家が湖北地方の侵攻に成功し、三名の幕臣として送り込むべき人物を引き連れて草太が軍を率いて北上させた次第については既に述べた。
これと同時並行では一乗谷城の包囲戦が行われており、盛んな調略が行われていた。宗太率いる行商人達が民家を個別に調べて回り、住民を見つけては移住させ、また城下町に下りてきている兵を見つけては様々な情報を交換していた。勿論姉小路家の動向についても、一乗谷城内の将兵全体、というよりも将よりも兵の方が直に接している分だけ姉小路家の動向に詳しかった。多くの兵が逃亡し、また数名の国人も調略により内応を約していた。その配下たちにもこの旨は知らされていたと考えなければ、大規模な逃亡兵を出した朝倉家直参の武将や国人とほとんど逃亡兵を出さなかった内応を約した国人との差を説明することが難しい。
そうして草太率いる兵の北上の直前には住民の移転が終わり、機が熟したと判断した後藤帯刀は将軍足利義輝に対して謁見を申し出た。
時は少し遡る。
姉小路家日誌天文二十四年睦月二十三日(1555年2月14日)の項にはこうある。
「後藤帯刀殿、宗太の報告により既に住民の疎開が終わり候事を聞き、将軍足利義輝公に謁し候。その際、機は熟したとて一乗谷城を攻撃し給うことを具申致し候。公、大いに喜びて曰く、時は雪なれどその言や良しとぞ。また石川長高へ命じて曰く、先陣を仕るよう申し付け候。軍議仕り、総攻撃は翌々日、睦月二十五日(2月16日)と決し候」
興味深いのは姉小路家軍はこの時、もう数日で草太率いる本隊と合流できたはずであるという情況であったにもかかわらず、後藤帯刀はそれに構わずに城攻めの意見具申をしているという点である。理由としては、後藤帯刀が功を焦ったためとも、兵糧その他の不安があったとも言われるが、確たることは不明である。また、軍議でもないのに先陣を命じたという表現が出てくるのは、若干唐突な印象がぬぐえない。将軍足利義輝という人物が主体的にこういうことを率先して決めたのか、或いは「軍議仕り」の位置が誤記されているのか。いずれにせよ石川長高が先陣を言いつけられたのは事実なのであろう。
睦月二十二日(2月13日)、東郷槇山城の二の丸にて後藤帯刀は宗太からの報告を受けていた。
「住民の避難もほぼおわりました」
後藤帯刀は宗太からの報告を聞いて、頃はよし、と考えた。丁度草太からの報告書にも浅井家を順調に滅ぼした次第が述べられていたこともあり、最後の仕上げをすべく後藤帯刀は宗太に言った。
「もう一度、全ての家々を回り一人も残っておらぬか確認するのだ。また、雑兵の類に会えばこう言え。既に客もなければ、そろそろ手仕舞いに致す、とな」
「承りましてございます」
後藤帯刀は続けて言った。
「それからな、雑兵にはこう囁け。浅井家は既に滅亡した、姉小路軍はすぐさま取って返して東郷槇山城より一乗谷城を攻撃するだろう、とな」
「本当にございますか」
嘘は言わぬ、と後藤帯刀は言ったが、姉小路軍云々は本当であり嘘であった。おそらくは既に朝倉家側も浅井家滅亡は知っているはずであった。何名かの浅井家に貼り付けていた細作と思われる人間が一乗谷城に入り、そして出てきていないことが判明していたためであった。だが、草太が軍を返して東郷槇山城に向かうとは書いてあったが、いつ来るのかは書かれていなかった。
「幸い、今は雪の季節。南側の上城戸は雪に閉ざされている。我らが守備を固めし下城戸、それに宗太、おぬしらが付けたあと以外には既に道はない。……愚直にな、あの道を通って攻め入る。それだけだ」
明けて睦月二十三日(2月14日)、本丸に登城した後藤帯刀は将軍足利義輝を前に平伏していた。後藤帯刀の身分は、守護大名姉小路房綱の一家臣に過ぎない。つまりは陪臣でしかないため、草太の名代として伺候する以外には本来は単独で拝謁する機会はないはずであった。それが、一乗谷城攻略の件で、と細川藤孝に言ったところ、すぐに拝謁の便をはかってくれた。足利将軍家も独自に兵を集めてはいたが、未だに三千を超えたかどうかであり、ほとんどが石川長高率いる「地侍崩れの集団」が中心であった。戦力としてはかなり心許なく、足利将軍家として攻城戦という場合には姉小路家の協力は不可欠であった。
とはいえ、石川長高とて遊んでいたわけではない。一鍬衆に倣って集団戦術を兵に身に着けさせるよう、練兵の手伝いを後藤帯刀に依頼し、共同で練兵を行わせていた。一鍬衆の移譲はしなかったものの、その初等訓練に相当する基本的な槍の使い方、即ち一人が突き放って距離を保ち、もう一人、乃至は二人が相手を攻撃するという集団戦術や、雪中での行動を主軸とした隊伍を組んでの行軍などを時間の許す限り教え、また流石に全装備は無理であったものの外套程度は全員に行渡るだけ草太が寄付したため、防寒具についても最低限度は確保していた。雪靴、かんじきなどは足利将軍家であっても流石に用意するのは容易であった。
姉小路家の軍と比べると一枚も二枚も見劣りがするが、朝倉家の雑兵と比べれば数段上の実力を身につけ始めていたといってもよい。
将軍足利義輝に謁した後藤帯刀は、軍陣故直答を許す、面を上げよ、と細川藤孝が言うのを聞き、顔を上げて言った。
「閣下、一乗谷城攻略の機が熟しましてございます。命令一下、早速にも軍議仕り、攻略いたします」
ほう、と将軍足利義輝は言った。
「遂にか。遂に機が熟したか。して、どのように熟したのだな」
は、と後藤帯刀は言った。
「まず第一には城下に人居らぬ事。最早、城下町には民は誰一人残らず、残るは敵の兵のみ。第二に石川長高殿の兵の鍛錬が終わり候事。大抵の武士よりも強い兵になり申した。最後に調略があらかた終わり候事。これ以上時をかけても新たに調略により内応するものは増えますまい。これらの要因により、既に機は熟し申した。すぐにでも軍議仕り、一押しに攻め潰すべきものと存じまする」
ふむ、と将軍足利義輝は言い、ならば攻めれば落ちる、というのか、というご下問に後藤帯刀は言った。
「まず間違いなく落ちまする」
「ならば軍議を仕り、早速にも落城させるように」
という将軍足利義輝に後藤帯刀は言った。
「一つだけお願いがございます。先陣だけは足利将軍家が仕りますように。形だけでも、足利将軍家が落城させることが必要不可欠でございます故」
分からんな、と将軍足利義輝が言った。
「なぜ先陣を足利将軍家が行うことにこだわるのだ」
「一乗谷城は足利将軍家が落城させる、それが武威を示し、ひいては越前を足利将軍家が戦国大名として支配するという事への足掛かりでございます。すべて姉小路家が行っても良いのですが、それでは当家が攻め取った越前を足利将軍家に与えた形になり、あまり望ましい形にはなりませぬ」
そういうものか、と将軍足利義輝は言い、それならばどうすればよいかとご下問であった。
「石川長高殿に千五百も足軽を付け、先陣を申し付け下され。無論、その後ろには姉小路家が軍が後詰を致しまする。おそらくは石川長高殿の一隊でもそれなりに倒せるはずでございますが、それに加えて我らが後詰を致しまする」
ならば、と将軍足利義輝は言った。
「先陣は石川長高、そなたに任せる。兵二千をもって攻めるように。余のことは軍議で決せよ。軍議は細川藤孝、そなたに一任する。儂も列席はするが、戦については口は出さぬ。儂がおらぬと思って存分にせよ」
「よろしいので」
細川藤孝は確認するように言った。それが石川長高が先陣で良いのか、それとも軍議に口を出さないことなのかは分からなかった。だが将軍足利義輝は短く言った。
「よい」
ならば左様仕りましょう、と細川藤孝は言って、その夜に軍議をするとの触れを出した。
その夜、本丸の一室で軍議が始まった。列席したのは足利将軍家は将軍足利義輝、細川藤孝、三淵藤英、先陣に指名された石川長高であり、千秋因幡守は呼ばれなかった。また真柄兄弟も足軽頭からやり直しということで、この場には列席できなかった。姉小路家側は後藤帯刀、菊池武勝、荒川市介、松永丹波守の四名であった。軍議といっても既に将棋で言うところの詰めろの状況であり、余程の失敗がない限りは落城は必至であった。あとはいかに城に傷つけずに落とすか、という一点に尽きた。
「簡単に整理しましょうか」
後藤帯刀が言った。
「既に調略の手が入っており、既に残っている兵の過半数以上は寝返ると考えてよいでしょう。ただしほとんどは国人衆であり、本丸、二の丸辺りに立てこもられれば厄介なことになります。それを防ぐための軍議であり、落城させるだけならたやすいことにございます」
ふむ、と石川長高が言った。
「ならば、燻し出しましょうか」
「火をつけるおつもりか」
後藤帯刀は言ったが、即座に石川長高は否定した。
「いや、寡兵にて、そうですな、兵百程で城門前で罵詈雑言でも垂れ流しましょうか」
出てきてくれればよいがな、と菊池武勝は考えたが声には出さなかった。
「罵詈雑言はどうせ聞こえませぬ。が、寡兵にてつり出す、というのは中々に良き策かと。城門のすぐ前まで我が物顔で敵兵が少数で来て、小さくてもよい、勝利を欲している朝倉勢が、特に朝倉義景が黙って指をくわえてみていられますかな。それも、自分の庭ともいえる一乗谷の街で」
と細川藤孝が言った。ここで口を出さぬと言っていた将軍足利義輝が口を挟んだ。
「街には誰も残っておらぬのであろう。であれば、多少の家屋を焼いても構わぬ。城も焼き落としても構わぬ。ただ、足利家の武威により落城させた、その形を重視せよ」
は、と細川藤孝、石川長高の両者が返答を返した。後藤帯刀以下姉小路家の武将は出陣しない、あるいは出陣しても後詰、という事でしかなかったが、足利将軍家の兵力だけでも調略による寝返りを含めれば問題なく落城させることは可能であるはずであった。
この、はず、というのが曲者であり、往々にして期待は破られる、そのことを後藤帯刀は嫌という程知っていた。つい最近も、青蓮華館にて受けるはずのない銃撃を受けたことも、その銃撃をした部隊を見落とすはずもないのにどこにも発見できないのも、その一つであった。調略が進むにつれ、その鉄砲を持った部隊は一乗谷城にはいないと思われたが、それは後藤帯刀に周辺警戒を厳にさせる以外の効果はなかった。発見できるはずの部隊を発見できず、いるはずもない部隊が存在したという事実であった。もしこの部隊が一乗谷城内にいるならば、足利将軍家の部隊だけでは内応するはずの部隊を含めても壊滅する恐れさえあった。
後藤帯刀は瞑目して考えた後、目を開いて言った。
「上様のご上意である。石川長高殿、国人衆に内応させ一気に城内へお入り下され。ただ鉄砲隊に気をつけ給え。いないとは思われているが、いてもおかしくはない。本丸、もしくは二の丸に籠ることもあるやも知れぬが、火矢でお焼き下され」
こうして一乗谷城攻略戦の軍議により、攻略は足利将軍家が主、姉小路家が従と決した。




