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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第四章 戦国動乱編
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百二十、浅井攻めの出陣評定と一乗谷城前合戦の序曲

 朝倉家の治めていた越前国も、一乗谷城周辺及び南部の木の芽城などのいくつかの山城を覗いて全て姉小路家及び足利将軍家の支配下に置いた次第については既に述べた。そして、雪に任せて兵糧攻めを行い、一乗谷城は武力による打破を行わない限り死に態であった。そう、草太が岡前館に一度引き上げ、年賀の挨拶を受けている間も、兵糧攻めは続いていたのだ。天文二十四年睦月の時点で、既に三月が経過していた。


 姉小路家日誌天文二十四年睦月四日(1555年1月26日)の項にこうある。

「姉小路房綱公、大評定を受けての評定を仕り、各所に手配りをし候。(略)また浅井攻めを決し候」

 この時期に越後長尾家、美濃斎藤家への外交文書が多数発行されているが、そのほぼすべてが筆跡から草太の手によるものではなく、署名花押のみが草太の手によるものであることが分かっている。しかし、内向きの文書や将軍家、朝廷や公家に対する貢納品、進物などの目録、添え状、礼状の類はほぼすべて草太の手によるものと筆跡が物語っていることから、祐筆を置いていたとは考えにくい。このため、外交文書は小島職鎮や牛丸重親らが書かせたものを草太が署名花押のみをして発給したものと推定されている。



「評定を始める」

 草太が宣言した。大評定の直後であるから、大評定に来た武将衆、国人衆はすべて参加していた。名代を立てた武将衆は参加しなかったが、内容を書面で伝える手はずとなっていた。

「まずは現状を確認したい。弥次郎兵衛、報告せよ」

 勿論草太は報告書で全て知っていたが、評定に連なる全員の認識を纏めるために現状の報告は必要であった。

「内ケ島家及び予備隊を除き、現在の配備状況はこうなっております。

 まず飛騨国、石神城及び洞城には中筒隊五百、一鍬衆二千が配配備されております。更に土城は田中弥左衛門が一鍬衆千を率いて駐屯していますが、既に神通川下流域は全て当家に属しており、現在後方の予備戦力として以上の意味合いがなくなっております。更に牛丸重親殿が一鍬衆千五百を率いて小鷹利城に、また桜洞城に一鍬衆五百が治安維持のために配備されています。

 次に能登国、内国ではありますが舟手方の根拠地でもあります。一鍬衆三千が寺島職定に率いられて治安維持に当たっております。更に舟手方三千が七尾城付近を根拠地として駐屯しております。

 西越中国は増山城に一鍬衆五千、中筒隊五百を小島職鎮が詰めておりますが、この数では越後長尾家と事を構えるには少なく、治安維持だけであれば過剰という情勢となっております。

 加賀国は金沢城に一鍬衆千、長沢光国が大聖寺城に一鍬衆千で治安維持に努めております。ただ、ここには山田光教寺もあり、治安維持に必要な兵はもう少し少なくとも構わぬでしょう。

 更に若狭三方郡を木下藤吉郎以下が一鍬衆四千で占拠しており、また疋壇城には一鍬衆二千を率いて三林善四郎が敦賀を守備しております。敦賀金ヶ崎城にも徳田小次郎が一鍬衆千を率いて補給路の確保に努めております。

 最後に本隊ですが、後藤帯刀隊との合流、および補充兵の到着により東郷槇山城に一鍬衆一万二千、中筒隊二千、中折れ銃隊三百が一乗谷城を兵糧攻めにする形になっております」

 ここで一呼吸おいて弥次郎兵衛は続けた。

「次に新兵ですが、一鍬衆六千、中筒隊千五百、中折れ銃二百が新たに戦列に加えられることになりました。現在は越中、加賀、能登の訓練場で出撃を待っている状況でございます。騎馬隊はもう少し馬の調練にかかるようですので増員は夏までお待ち下さい」


 そして草太が陣割を述べた。

「飛騨国の兵力は、田中弥左衛門隊以外はそのままにおく。田中弥左衛門隊は一鍬衆三百を残し府中城に向かえ。その三百は牛丸重親、そなたに預ける。更に石神城、洞城からは兵を抜かぬが、平野右衛門尉、土肥但馬守は本隊に加われ。与力の二人が城を預かる様に。

 次に西越中国。一鍬衆三千を残し残りは本隊に加われ。一鍬衆三千は西越中の治安を守れ。小島職鎮、指揮を頼む。能登国も同じく一鍬衆二千を残す。寺島職定、治安維持に努めよ。特に七尾城下は水軍の根拠地、急所ぞ。

 加賀国。長沢光国、金沢城に移り、加賀全土の治安維持に努めよ。一鍬衆を金沢城に千、大聖寺城に千、それぞれに配備する。また水軍は根拠地の機能は七尾城下に残すが安宅船、関船は金沢の津に移せ。加えて十艘の関船及び小早船は敦賀を根拠とせよ。

 新兵のうち、一鍬衆二千と中筒隊千は三方郡は木下藤吉郎隊に加える。木下藤吉郎隊は遠敷郡へ侵攻し、そのまま若狭武田家を滅ぼせ。

 それから内ケ島氏理、悪いが国吉城へ居城替えを命ずる。長続連は国吉城整備及び居城替えの手伝いを命ずる。また三方郡石高相当額を給する故、丹波攻略を任す。一色家が従属するなら木下隊も丹波攻略に組み込む故、共同して励むが良い。

 残りの新兵は全て金ケ崎城へ向かえ。事あらば疋壇城救援のための兵となってもらい、また一乗谷城攻略の一助となってもらう」


 ここまで草太が言った後、質問は、と聞いた。一人が発言を求めた。平野右衛門尉であった。何か、と問うと平野右衛門尉が尋ねた。

「一乗谷城には兵はどのくらい入っておりますか」

 これには服部保長が答えた。

「最新の情報であれば、逃亡兵も出始めているため、四千に満たぬであろうとのことだ」

 ならば、と平野右衛門尉は言った。

「兵糧攻めの兵が多すぎませんか。東郷槇山城には足利将軍家の兵も入っているのでしょうから、八千もいれば充分に思えます。ならばそれ以上の兵は浅井なりに振り向けるのが宜しいかと」

 なるほどな、と草太は言い、その献策を受け入れていった。

「ならば先ほどの陣割を変える。後藤帯刀、そなたに菊池武勝、荒川市介、松永丹波守の三名を与力に付ける。東郷槇山城に一鍬衆八千と中筒隊五百で包囲を続け、落城させよ。力押しをするにしても足利将軍家の兵が主、我らは従だ。実態がどうあれ、足利将軍家が攻め落としたという形が是非とも必要なのだ。難しき役割だが、分かっておろうな」

「畏まりましてございます」

 後藤帯刀が承諾の返答をした。

「更に金ケ崎城に入れるべき兵は全て本隊に繰り入れる。このため、本隊は一鍬衆八千七百、中筒隊二千、中折れ銃五百、馬回り及び騎馬隊千となる。金ケ崎城より一鍬衆五百、疋壇城より一鍬衆千を引き抜き、一鍬衆一万二百として近江浅井家を叩く。補給隊および医療隊三千はそのまま引き連れていく故、加賀国人衆、木下隊と後藤隊の補給隊及び医療隊の供出を命ずる。それぞれと話し必要な数を用意するが良い」


 ここまで言ったところで草太はまた一回り見回し、そして言った。

「他に存念のあるものはあるか」

 市川大三郎が挙手をした。武将衆ではないためか、まだいきなり発言は出来ないらしかった。草太は、最低限の礼儀と決定を私が下す以外には評定の間は上下なしだ、と教えてから発言を許した。

「琵琶湖西岸が全く抜けておるようでございますが、どうなさるおつもりですか」

 ああ、言っていなかったな、と草太は思った。

「琵琶湖西岸は足利将軍家がある程度地侍を掌握済みであるため、殊更に何かする必要はない。おそらく山城の国と一体として直轄地として治められるおつもりだろう。いずれにせよ、そこは将軍足利義輝様と一度話さねばならぬが、おそらくは足利将軍家の御料となるだろう」


 他に存念のあるものもなく評定は終了した。

 評定により陣割が決したからには、すぐに出撃となった。

 といっても、草太は陣が揃うまで待つことはなく、一足先に足利将軍家と話をしなければならないため、兵を連れていく諸将以外の武将衆および馬回り五百と共に一足先に東郷槇山城に向かった。話が付き次第、金ケ崎城で馬揃えという手筈であった。とはいえ、そこは流石に草太であった。平助、後藤帯刀、平野右衛門尉と小者二人と共に馬回りよりも早く一足先に越前入りし、睦月七日(1月29日)の夕には東郷槇山城に到着した。



 一方の将軍足利義輝は焦れていた。だが、姉小路家抜きで力攻めに攻めても、たとえ内応の策が全て上手くいったとしても、落城はするまいと見られていた。雪で閉ざされるからといってほとんどの兵を残し、将は渡辺前綱が草太の名代を務め、兵の取り仕切りは滝川一益が取り仕切っていたが、それだけで他の諸将は全て一度国元に戻すという事であった。

「兵があっても将がなければ力攻めも難しい、か。中々に、強かよの」

 本丸の中で一人ため息をつきながら松の内だとて酒を飲んでいた将軍足利義輝は、一人ぽつりとつぶやいた。細川藤孝が側に侍ってはいたが、聞こえないふりをした。一時期姉小路家に客将として身を置いていた経験から、その気になれば、おそらくはあの二人だけでも全軍を統べることは可能なのだろう、と考えていたためであった。



 そして睦月七日(1月29日)、朝に七草粥を啜り、松の内も最後という日に、草太が到着した。草太は後藤帯刀を伴って早速本丸に伺候して言った。

「陣中にあれば略式にて失礼いたします。あけましておめでとうございまする」

「うむ。大義である」

 草太の口上はさておき、礼の仕様しざまは堂に入っていた。何しろ、礼法の家元から直々の指導を受けているのであるから、当然ともいえた。なぜか口上のみはいつまでも今まで通りであった。武家なれば、とて小笠原長時もさほどに直さなかったという事情もあったには違いなかった。

「雪解けを待ち力押しに、と思っているかと思いましたが、あの小京都を焼くにはちと惜しい。その上、一乗谷城も廃城にするには勿体ない。となれば、やはり兵糧攻めが常道かと」

 草太は早々に釘をさすのを忘れなかった。将軍足利義輝は言った。

「京都奪還は難しいか。西近江ならば通れるように手配もしようが」

「一月でまた落とされても良いならば何とか致しましょうが、それでは意味がございませぬ。一足飛びに得たものは一足飛びに失うのが常でございます。ご自重下さいませ」

 草太は宥めるように言った。それにしてもいつになったら落ちるのだ、という繰り言に、草太がこともなげに言った。

「春の終わりまでには北近江浅井家を攻め落としまする。同時にこちらも雪解けで更に縛りを厳しくすることができまする。これなるは後藤帯刀、わが一門衆筆頭にございますが、武勲の将にございますれば、朝倉側が自ら火を放ちでもしない限り見事に一乗谷城をそっくりと落としてご覧に入れましょう」



 将軍足利義輝の前を退出した後、後藤帯刀に草太は言った。

「手筈通りやればいい。徐々に街の人間を抜くのだ。既に宗太に命じて昨年末から始めているが、さていつ気が付くかな。気が付きさえすれば、そこからは絞るだけだからな」

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