十二、草太の立志
草太たちが庵を結んで修業を始めて一年と二カ月がすぎた。今年も既に雪の季節である。師走も暮れが押し迫っていたが、それにも関わらずに毎日同じ生活が続いていた。雪でも野山を走るのは変わらない。ただ、草太がソウタ爺に習ったカンジキを足にはめていると、ほう、と感心したように興仙は言った。なるほど、妙なことを知っておるな、と。
師走の晦日、いわゆる大晦日に寺男が、いつも通り朝食を持ってきた。ふと見ると弥次郎兵衛である。
「旦那、修業も随分と進んだようですが、もうすぐ暦が改まります。でね、ちょっとだけ旦那をお連れしたいと思いましてね」
「それは良いが修業が」と草太が言いかけるといつの間にか弥次郎兵衛の後ろに興仙が立っていた。
「話は弥太郎から聞いておるよ。行ってきなさい。志が立たねば、修業はただの修業でしかありませぬ。が、よって立つところが悪ければ志もよいものにはならない。ま、行ってくることです。それも修業だと思いなされ」
そう促され、朝餉を食べてから出発した。
山門を出て鞍馬川を渡り、川沿いにある街道を無視して弥次郎兵衛の後をついて山に入る。竜王岳の麓、薬王坂を通ろうというのである。簡単に言うが、冬山を走破しようというのだ、草太手製のカンジキが大いに役に立った。平助も草太が作ったものを使っており、弥次郎兵衛は自前なのだろう、いつつけたのか、何気ない顔をして付けている。
峠を越えると、そこは盆地になっていた。雪山であってもなくても、下り坂の方が怖い。慎重に進み、雪もない時期なら一刻もあれば往復できる程度の距離ではあったが、静原の里についたのは昼過ぎであった。とりあえず庄屋に一言挨拶を、といわれて連れて行かれたのは、わびしい里には似つかわしくない、空堀をもち土塀を巡らせ、四隅には櫓もある立派な屋敷であった。中には蔵が二つ、並んでいる。雪で草太には分からなかったが、雪がなければ周囲の民家のかやぶき屋根とは違い、瓦屋根であることがはっきりと確認できたに違いない。庄屋の屋敷というよりはむしろ小規模な城郭に見えた。
話は事前に通っていたのであろう、特に誰何されることもなく屋敷内に通された。内部は、贅を尽くした、とはまるで言えない。草太の庵の方が内装は良いように見えたが、狭い廊下の奥に応接間があり、武者隠しとみられる襖が四方に巡らされている等、書画の類のようなぜいたく品や装飾品はないが、堅牢であるという一点においては良く考えられ練られているといえた。
庄屋の間には、先客がいた。城井弥太郎である。
「久しぶりですな。お噂はかねがね。積もる話もありますが」と正面の男性に目を走らせる。
「お初にお目にかかります、某、彦衛門と申すこの静原の庄屋でございます。むさくるしき所にございますが、どうぞこちらへ」
と床の間を背にした席を立った。草太に、床の間を背にする席、つまり上座を譲ったことになる。譲られても困るのは草太であるが、弥太郎の勧めもあり、席に着いた。弥次郎兵衛と平助は、それぞれ下座である。
席に着くと白湯が出され、白湯を持ってきた女性と共に彦衛門が下がったところで弥太郎が言った。
「さて旦那、いえ草太様。これまで修業して、志は立ちましたか」
「まだ、漠然としか」と答えるしか草太には道はなかった。
「選んだつもりが選ばされたかもしれない、そういうことですか」
「違う」草太は答えた。「そうではないのだ」
ではいかに、という問いに、草太は難しい顔になった。
「姉小路の名跡を継ぎ、飛騨の国司となる。これに否はない。だがな。おそらく、この屋敷の堅牢な作りも、野党などから身を守るためであろうし、その中には戦に出てきた、ここを本来守護する側のものも含まれる、ということも知っている。戦があれば、いや、戦をせずに対峙するだけでも、大変な数の民草が、命を散らし、或いは苦しみ、或いは野党に身を落とす。ここだけではない。日の本全てがそうだ。もしかすると日の本の他の国もそうやもしれぬ。いや、おそらくはそうだろう」
ここで草太は言葉を切って白湯を一口飲んだ。
「釈迦は老、病、死を見、最後に沙門を見て、老、病、死の苦しみから解放されているのを知って出家したという。だがな。救われるのが自分だけで良いのか。可能な限り救うべきではないのか。一人でも多く」
既に弥太郎も弥次郎兵衛も、草太の言葉に聞き入っている。固唾をのんで見守っている。
「おそらく、今の世に仏法を説いたとしても、釈迦であっても救える人数は限られている。ほとんどいないだろう。だから、姉小路の名跡を継ぎ、飛騨の国司となるのみならず、周辺の国も救いたい。出来るなら日の本全て、いや唐天竺まで日の本以外の国も、救いたい。いや、ちがうな。救わなければならないような人を出さぬようにする、これだな。……天子様や公卿が救えない人たちが救われない、そういった人が生み出されるその原因は、領主同士の争いを止めさせられないためだからだ」
だから、と草太は一つ言葉を切った。
「だから、天下を統一する。まずは飛騨を、そして日の本を、出来うるならば唐天竺の果てまでも。そして争いのない世界を作る」
固唾をのんで聞いていた弥太郎は言った。
「……夢物語にございますな」「そうだろうな」
「……途中で沢山血が流れますぞ」「そうだろうな。おそらく、今のままよりも多くの血が、流れるだろう。その中には私の血も流れるかもしれぬ」
「……終わっても終わりませんぞ」「うん? あぁ、そうだろうな。個人の力で抑えるなら。だが個人ではない、一人がいなくても別の誰かが変わりうる、そんな制度では?」
「誰かにとって代わられて、また誰かが取って替わろうとして、やはり今とあまり変わらないかもしれませんぞ」
草太は一つため息をついて、そして答えた。
「だろうね。……というかね。永久に全ての人を救い続けたい、なんておかしい。出来るできない、志を立てる、立てない、そういう問題ではない。今の世のことは今の世の人間がよくしようとする。ならば、後の世は後の世の人がよくしようとしないなら、そんなのはおかしい。間違っている」
「後の世の人は救わないとでもいうつもりですか」弥次郎兵衛が口を挟んだ。「後の世は知ったことではない、とでも?」
そうだ。そう一言答えて草太は続けた。
「仏はこの世は修業の場だと教えている。毎日少しずつでも良いからよくしていけ、とな。それが修業であり、悪いことをすれば悪い結果となる。善因善果、悪因悪果、自業自得だ。その中にいて世の中をよくした人がいたとして、その恩恵を後の世でも受けつぐか、捨て去るかは後の世の責任であろう」
「難しいことは分からないんだけどね」と平助が珍しく口を挟んだ。「草太様は、優しすぎる。多分、きっとこの後に流れる血には耐えられない。そんな気がする。でも同時に、草太様がいなかったら、どうにもならない状況が、きているような気もする。俺たちのような地下人を、人間扱いする堂上人は何人か知っている。でも本当の意味で、俺たちのような地下人を知っている堂上人は、多分草太様だけだ」
少し考え考えしながら一旦言葉を切って、そして続けた。
「俺は、草太様の護衛で指南役だ。どうも指南役は興仙様に取られちまったようだが、腕が違いすぎる。仕方がない。それでも俺は草太様の護衛だ。死ぬまで、いや死んでも、草太様について歩く。そして草太様に向かう刃を一つでも多く止める。それが俺の仕事だ」
沈黙が場を支配した。
「決まりですな」
ぽつりと弥太郎が言った。
「どの道を選ぶかは、この弥太郎の予測では僧でござった。そこは目違いということで、素直に謝りましょう。精々、飛騨の国司までは想像しておりましたが、日の本、そして出来うるならば唐天竺まで、とは気宇が大きすぎて私には何とも言いようがございません。しかし、天下取りですか」
少し考えて、弥太郎が言った。
「飛騨一国のことなら、足元を忘れなければ、間違いなく取れましょう。しかしそれ以上となると、なかなか……」
「難しいのは承知している」草太が引き取った。
現実の歴史では、この後織田家が伸長し天下を統一しかけるが本能寺で果てる、などといわれているが、その当時でさえ織田家と対抗しうる勢力は北条、上杉、毛利、長宗我部、島津など多数存在したし、反乱分子も多数内包していた。奥州伊達なども含めて統一がなされるのは、結局朝廷という権威を借りた豊臣家、そして豊臣家の朝鮮出兵による疲弊に付け込んで幕府を作った徳川の世まで待たなければならない。
草太に正確な年数は分からないが、史実では本能寺の変まで30年余り、北条氏が屈服して天下が一応収まるまでに40年弱、大阪の陣により徳川幕府の支配が確定するまでに65年という歳月がかかっている。草太が順調に生きたとしても、大坂の陣が終わる頃には老人である。この当時の平均寿命からいえば、天寿を全うしていてもおかしくない。その位の一大事業なのだ。
「だが、誰かがやらねばならない。今の三好と将軍家の闘争のような単なる権力争いではなく、世を平穏なものにするために」
いつしか日が暮れていた。
「本日は大晦日、明日からは暦が改まって天文二十年となりましょう。草太殿も元服を考えられてもおかしくない年齢でございます。雪解けの頃にはまた動きもございましょう」
遠くの寺の鐘の音が聞こえてきた。
「除夜の鐘ですな。いや、今年は、草太殿が志を立てられた年、立志の第一年でございます。よい年になりましょう。立ち位置さえ忘れなければ、この城井弥太郎、草太殿にお味方いたします」
「旦那、私もお味方しますよ。志を曲げても妥協しても良いけれども、立ち位置だけは間違っちゃいやですよ」弥次郎兵衛もそう言って頭を下げた。
今回より定期更新が日曜日、火曜日、木曜日の午前0時に変更になります。
火曜日の午前0時更新分が増える格好です。
ですので、次の公開は8月4日午前0時となります。
それでは宜しくお願い致します。




