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草太の立志伝  作者: 昨日の風
第四章 戦国動乱編
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百十一、加賀からの越前侵攻

 金ケ崎城にいる草太率いる姉小路家若狭遠征軍へ補給路が確保され、いよいよ越前侵攻が本格的に始動することになった次第については既に述べた。


 最初の補給の後、金沢の津に戻った九鬼嘉隆には、一通の命令書が託されていた事が確認されている。その命令書にはこうある。

「後藤帯刀、徳田小次郎及び松永丹波守は一鍬衆四千及び中筒隊五百を率い越前を攻撃すべし。戦略目標は南北の交通を回復することにあり。尚、長沢光国は大聖寺城にて国境を守備仕る様に」

 徳田小次郎と松永丹波守は若狭侵攻部隊に名がみえるから、このとき九鬼嘉隆と一緒に戻ったものと思われる。しかし、徳田小次郎はこの直後に敦賀は金ケ崎城に守備隊長としての名がみえることから、何らかの誤記、或いは混乱があるようである。興味深いのは、越前侵攻を命じるのみならず、戦略目標を明確に記していることである。その他はさらりと任せる、という辺りが、この時期以降の命令書に見られる特徴である。

 因みに、筆跡からこの命令書は草太自身が書いていると考えられている。やはり祐筆は置かなかったのか、戦陣であるから祐筆が居なかったのかについては定かではない。



 金沢城から大聖寺城に移っている後藤帯刀の下に、命令書を携えた松永丹波守が訪れたのは、天文二十三年神無月十二日(1554年11月8日)の昼過ぎのことであった。その命令書を見て、すぐに軍議を、と言いたいところであったが徳田小次郎及び松永丹波守の疲労が著しく、食事を摂り夕刻に軍議をすることとなった。

「命令書を読んだ。そなたを与力として越前を北から侵攻する、御屋形様が南から侵攻し、陸路を結ぶ。これが命令書の内容である。そこで早速軍を進めたいのだが、疲労は取れたか」

 これには松永丹波守が答えた。

「は、おかげさまで疲労は取れましてございます」

 ならばよい、と後藤帯刀が言い、

「いずれにせよ出陣は明払暁だ。今晩はゆっくり休むが良い。……さて、では長沢光国、補給隊及び医療隊は出してもらえると聞いておるが、支度は整っておるか」

「は、既に参集を終え、金沢城より物資を運搬してこちらに向かっているとの報が入っております」

 長沢光国の答えに頷いた後藤帯刀は言った。

「朝倉家本隊と戦うなら兵力に少し不安があるが、その場合は御屋形様のやり方で、つまり防衛を軸に戦う。幸いにして朝倉家は大きな敗戦の直後であり、本隊が出てきたとしてもさしたる戦力ではないと思われるが、物見だけは絶やさぬようにせよ。……一鍬衆の新兵が千でも大分違ったのだがな」

 長沢光国が言った。

「本隊が立ち往生しては仕方ありますまい。いざという時には、大聖寺城よりの後詰も致します故、ご安心下さい」

 こう言った長沢光国を窘めて後藤帯刀が言った。

「ならぬ。そなたと一鍬衆二千はこの城までで待機だ。いざというときは退却してくる時だ。その際には朝倉の本隊が相手だ。後ろで支える兵が必要なのだ」

「これは差出た口を」

 後藤帯刀が少し心配そうに言った。

「そなたもそうだし、儂も時々錯覚するが、出れば鎧袖一触勝つ。そう思うことが時々ある。だが、それは間違いだ。御屋形様の代になってから今までの戦が完勝に近いものばかりであったが、薄氷を踏むような戦も、一つ何かが違えば大きな被害を出していたであろう戦も沢山あった。昔から出れば勝つと思うときが一番危ない、そう相場が決まっている。一戦毎に薄氷を踏むような気持で、気を抜かずに戦わなければ、いつどうなるかも怪しい」

 ここで一呼吸置いた。

「例えば鉄砲だ。朝倉家本隊との戦の報告書を読んだが、小筒と思われるが朝倉家本隊も鉄砲を持っておったそうだ。硝石の売却先にも朝倉家は名を連ねている。今までに敵が大規模に鉄砲を使ってきたという経験はない。それ故、敵が鉄砲隊を組織した場合に対する対策は全く手薄である。かつて七太郎が鉄製の盾を提案したことがあったが、結局は計画倒れに終わっておる。中筒や士筒が防げるようにとすると、重くなりすぎる、という理由でな。だが、それに代わる対策が取られたという事はない。気を引き締めるのだ」

 こうして軍議が終わり、翌払暁、大聖寺城から一鍬衆四千、中筒隊五百、補給隊及び医療隊百からなる越前侵攻隊が越前北部より侵攻を始めた。


 大聖寺城を発した一行は、まずは吉崎御坊跡をへて丘陵部を抜け越前平野へ入った。

 まずは堀江一族の本拠である下番館を攻めんとしたが、ほとんど兵も居ないため、囲んで降伏勧告を行い接収した。一鍬衆五十を抑えに残し、更に下関館を攻めた。ここには堀江兵庫が兵二百を擁して守備していたが、やはり降伏勧告を行い、兵力差を悟って場外退去を条件に降伏し、南へと落ちていった。おそらく一乗谷の本体に合流するつもりなのだろうと思われた。

 下関館を落としたところで一泊し、翌日に備えた。無論、四方への物見は怠らず、不寝番を置いた。

 そして翌日、下関館にやはり抑えの兵として一鍬衆五十を残し、払暁に出発、黒坂景久が兵二百をもって守備する舟寄館を攻め、やはり降伏勧告を行ったが勧告を受け入れなかったため、北及び東から銃撃を加えた後、一鍬衆が小太刀を持って突入、制圧した。ここにも一鍬衆五十を抑えに残し先に進んだ。更に進んで正蓮華景継の守備する青蓮華館を攻めたが、到着前に逃亡していたために特に何事もなく接収し、九頭竜川以北の攻略は概ね終了した。

 その夜、青蓮華館にて今後の支配を盤石にすべく軍議を行い、館付近に宿泊した。四方への物見は怠らず、また不寝番も置いた。だが、やはり気が緩んでいたのであろう、事件はその夜に起こった。



 この事件を話す前に、時を少しだけ巻き戻して、姉小路家若狭侵攻部隊に敗戦した後の越前一乗谷城を見てみなければならない。

 朝倉義景は兵を纏めて帰還していたが、多くの将兵を失い意気消沈していた。仇敵である一向宗の甘言に乗ったのが悪かったのか、思った以上に姉小路軍が強かったのか、それとも己に軍事的な才能がないのか。朝倉宗滴がいたなら話は違ったのか、どうなのだろうか、様々な考えが浮かんでは消え、そして気分が落ち込んでいった。加賀へ侵攻した朝倉景紀の部隊も散々に打ち破られ、両軍ともに壊滅に近い状況となっていた。

 ただ、失った兵の多くは手当てを受け、三々五々越前の村々に戻っていると聞き、再動員も可能かと考えていた。無論、再動員自体は可能であろうと思われたが、あまりに兵を損じすぎれば国力が落ちすぎ、国内各地での反乱を招きかねなかった。今までは一向一揆で今度は国人衆の反乱となれば、朝倉家の支配力は格段に低下する、そのおそれが高かった。それにも増して、あの姉小路軍と戦って勝つ、という事それ自体に対する自信がなかった。兵士数自体は、先の戦でも北方、加賀侵攻でも姉小路軍よりも多かった。にもかかわらず、いずれの戦場でも敗北した。

 一乗谷城にて朝倉義景隊と朝倉景紀隊を合わせて再編成し、態勢の立て直しを図っていたが、兵士数を増員しても勝てる見込みはまるで見えなかった。更に、使い番が来るごとに、金ケ崎城が落ち疋壇城が落ち、これで浅井家のとの交通は遮断されたに等しかった。更に朝倉家水軍である五幡水軍は敗退し、姉小路軍の海上補給は成功した事を聞き、朝倉義景は戦局を打開する何の糸口も見出せずにいた。


 そこに使いが来て、雑賀孫一という人物が面会に来たといった。その名に覚えはなかったが、本願寺顕如の紹介状を持っていると聞き、無下に追い返すことはできなかった。もしかするとこの状況を打破するきっかけを持っているかもしれない。そして城の大広間でその人物に会った。

「紀州の田舎者だから、礼儀作法は知らぬので許されよ。儂は雑賀孫一と言い、雑賀党という傭兵団の頭をやっております。今回は石山本願寺からの依頼にて、鉄砲兵二千を連れ罷りこしました」

 遅いわ、と思わないでもなかったが、傭兵団を石山本願寺の持ち出して雇えるなら、それに越したことはなかった。兵は一人でも多く必要であったためだ。

「鉄砲兵、とな」

 朝倉義景は聞き返した。

一戦ひといくさいくら、という形で請け負っております。とりあえず、雨の日は出陣しないこと、籠城戦は十日毎にいくら、という形になること、必要経費は別途貰う事。この三点はご承知おき下さい。とりあえず、最初の一戦分は既に石山本願寺より頂いております。その後も、という事であれば、それはまた別途頂く、と」

 一戦いくらだ、と朝倉義景が聞くと、雑賀孫一は答えた。

「鉄砲隊、全て中筒ですが、これで一戦で一人十貫文頂いております。なので必要経費別で二千人なら一戦二万貫文、この他に必要経費として弾薬類と兵糧を出していただく、という形になりますな。十貫文で鉄砲打ちとその整備費用が賄えると思えば安いものですな」

「弾薬類はどの程度必要だ」

「さて、それは相手にもよりましょうな。取りあえず一発銭十疋(百文)が相場ですな。二千人が一発ずつ撃てば銭二百貫文という事になりますな」

 朝倉義景は、自国の財政事情を考えた。

「高いな」

「ならば、雇わなければ良い。一戦分は貰っているから、それはこなしますよ。その結果を見てから、その後を好きに決めればいい」

 ふむ、と考えている朝倉義景のもとに使い番が来た。北部から、将は後藤帯刀率いる兵約四千五百が侵入し、既に堀江一族が敗退、城外退去をして一乗谷に向けて落ちている最中であるとの報告が入った。ならば、と朝倉義景は言った。

「試用のこともあるから、この北部よりの姉小路軍を叩いてもらいたい」

「承った。早速にも一戦してまいろう。……ときに、他に兵は出るのでございますかな」

 雑賀孫一は他の兵がいるのであれば連携を考える必要があるため、確認した。

「なしじゃ。すまぬが、手が足りぬ」

 朝倉義景の答えに、承知した、と短く答えて退出した雑賀孫一であった。


 さて、雑賀孫一率いる雑賀党は鉄砲衆であった。

 退出してきた首領を迎えた副首領の土橋重隆は、どうでした、と聞いた。

「どうもこうもねぇなありゃ。銭惜しさに首を差し出す類の野郎だな。ま、石山本願寺との約束の一戦はやるが、夜戦で一発撃ってあとは逃げ戻るぞ。その後をやるなら先に銭を貰わなけりゃ、あれぁ払わずに拗れる類だな」


 そして雑賀党は移動を開始した。一乗谷城から北上して九頭竜川を密かにわたったのはその日の夜であった。だが遠目には一団とは分からぬように、三々五々九頭竜川の上流の浅瀬を渡り、一度払暁に集合をかけたがその際の命令は

「今夜夜襲をかけるから支度をしておくように」

というだけのものであった。鍛え抜かれた傭兵団である雑賀党にはこれで充分であった。全員が物見であり鉄砲打ちであり、自分が何をすべきかを知っている者たちであった。なによりその服装は、土地のものと遠目には区別がつかなかった。

 そして、青蓮華館周辺に泊まっている後藤帯刀率いる姉小路軍に対し、夜襲を仕掛けた。火縄銃は確かに夜は火縄で目立つが、独自の工夫として革の覆いを付けることにより、火縄の光が遠目には見えないようにされていた。さらに渡し鉄砲の法と呼ばれる打ち方の背後に弾込め方を二三人配する事による連続射撃を可能にした工夫は、火縄銃を知り尽くしたといっても過言ではない雑賀党独自のものと言っても良いであろう。

 雑賀党は後藤帯刀隊を東から南にかけて四半円を描くように布陣し最初の一発を雑賀孫一自身が撃つと一斉に配下が撃ち始めた。そして次の鉄砲、次の鉄砲とうち、全ての鉄砲が撃ち終わると潮の引くように全員が九頭竜川北部の渡し場へ向けて退却を始めた。



 一方の後藤帯刀隊は、青蓮華館周辺に布陣しており、物見も見張りも怠らなかったが、雑賀党にはその攻撃を受けるまで全く気付くことができずにいた。そして夜半、一発の鉄砲の音を合図に周辺から銃撃を受け、大混乱に陥った。幸いなことに後藤帯刀以下の将と補給隊及び医療隊は館内部に留まっていたため無事であったが、傷ついた兵を医療隊に治療させ、払暁に点呼を行ったが、結果は散々たるものであった。一鍬衆千百、中筒隊百五十が重症又は死亡の為即座に戦列に復帰できず、またその他のけが人まで合わせれば一鍬衆千二百、中筒隊三百に被害が及んでいた。

 払暁になって改めて物見も出したが、全く敵兵を捕捉できず、後藤帯刀は雑賀党を最後まで捕捉できなかった。戦術的には大敗北といってよかった。

 たしかに戦術としては大敗北であった。そして、戦略として考えた場合にも、結局全く敵兵を捕捉できないまま被害だけを受けていることから、九頭竜川以北の越前平野平定と輸送路の安全の確保という意味では、ほとんど成功できていないと痛感させられた。


 だが、後藤帯刀は不思議でならなかった。鉄砲を撃ちかけた直後に雑兵隊で夜襲をかければ、自分たちは全滅していた可能性さえあった。なぜ銃撃だけで敵は引いたのか、という点については、全く分からなかった。その夜は青蓮華館周囲に改めて兵全員の入ることができる空堀、土壁を築き、その内側に兵を置いた。こうしてその夜からは撃ちかけられることもなく過ごすことができた。そして物見を出し続け、敵兵を必死に探させたのであった。

 そして、重傷者を後送したところ、長沢光国が代わりの一鍬衆を新兵ばかりであったが千をかき集め、後藤帯刀隊に送ったのであった。



 この一戦は、確かに朝倉家の数少ない勝利であったが、この勝利には雑賀党にとって一つの瑕疵があった。それは勝利した証を何ら持ち帰らず、戦果の確認できるものもなく、ただ鉄砲を撃ったというだけという結果だけを持ち帰ったことであった。後藤帯刀隊は敗北した。これは事実であった。だが、朝倉義景はその勝利を認めずただ鉄砲を撃ってきただけとし、後藤帯刀隊が未だ青蓮華館にいることを指摘してそれ以上の契約をせず、雑賀党は即座に帰国の途に就いた。



 姉小路家日誌天文二十三年神無月十四日(1554年11月10日)の項にこうある。

「後藤帯刀殿、九頭竜川以北越前平野を切り取り候夜、青蓮華館に陣を構え候も、夜半鉄砲を射かけられ候。一鍬衆千百、中筒隊百五十を失うも鉄砲のみにて敵兵見えず。敵兵あるべきとて物見多数出すも敵兵見いだせず。(略)後の事なれども、この夜半に打ちかけたる鉄砲衆、朝倉家の滅亡したるも未だ見出せず、後藤帯刀殿不思議なことと思し召し候」

 姉小路家は最後まで雑賀党の存在に気が付かなかったようであり、この銃撃による被害そのものも疑問視されていたのであるが、最近になってこの姉小路家包囲網に関する石山本願寺の古文書研究が進んだ際に、雑賀党を雇い越前に派遣したという記述を発見し、漸くこの銃撃が雑賀党の仕事であったと判明したのである。


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