百八、足利義輝という存在
敦賀の津を手に入れるべく草太率いる姉小路軍が進出した次第については既に述べた。
姉小路家日誌の天文二十三年神無月六日(1554年11月2日)の項には、こうある。
「姉小路房綱公、国吉城を出発し敦賀の津を制圧致し候。また金ケ崎城を攻め落とし候故、水軍による補給之有」
姉小路家日誌は翌三日にも記事があるが、姉小路家日誌の底本となっている高屋平助日記の次の日付が神無月六日であるため、一日の間ではなく神無月二日から五日までの四日間の出来事であると推測されている。朝倉、浅井連合軍との決戦から七日目にして、漸く三方郡の地歩を固め終えた草太は、敦賀の津を入手し補給線を回復することを目的として行動を開始したと考えられている。七日もかかっているのがなぜなのか、この七日の間に何があったのかは分からない。三方郡の地歩を固めるにしても、その他の地域と比べてもそこまでの時間はかからないと考えられる。
確かに山がちな三方郡の地歩を固めるのに手間取った、という見方は出来ないわけではない。だが、三方郡は他の山がちな地域であっても掌握には精々三日程度の広さでしかない。そこで少し時間を遡って、朝倉、浅井連合軍との決戦直後に時間を巻き戻してみよう。
天文二十三年長月二十九日(1554年10月25日)、朝倉、浅井連合軍を撃破した次第については既に述べた。
その直後、戦場の後処理を行い、潰走する連合軍を追いながら丹後街道を進む、という選択肢もあったのかもしれない。だが、草太はそうしなかった。草太にはやるべきことが一つだけあったためであった。それは、朝倉、浅井両家を叩いた後領有する名分を手に入れることであった。
天文二十三年皐月二十四日(1554年6月25日)に将軍足利義輝に拝謁して以来半年も経っていないが、草太は朽木谷御所に居た。長月二十三日(10月26日)の夕方のことであった。戦場の後処理を任せてすぐに朽木谷御所にいたという事は、朝倉、浅井連合軍が背後を突くと予測された直後から既に周到な根回しをし、勝敗に係わらず拝謁する手筈を整えていたことを意味した。いずれにせよ、将軍足利義輝の基本戦略である姉小路家、朝倉家を中心とした遠征軍による三好家の打破という構想は、破綻したと言って良いからであった。
もっとも、他の各所についてのきな臭さは服部保長から伝えられていたものの、それらが連携して姉小路家を攻撃するという事までは想定していなかったし、またこの時点では草太も知る由もなかった。
草太の拝謁の目的はただ、朝倉、浅井両家を打倒した後、領有を認めるように求める、これだけであった。最低でも両家を適当な者に継がせて乗っ取ることを認めさせなければ、今後の戦略にも大きく影響が出てくることになりかねなかった。ただ戦に勝つだけでは草太の志は成らず、戦をなくすること、これこそが志を成らせることであった。そのために朝倉、浅井両家を滅ぼしてその領土を姉小路家の領土として認めさせることも視野に入れていた。だが、武力による統一が本当に正しいのかについては、草太は未だに自信がなかった。
いずれにせよ、朝倉、浅井両家は今やはっきりと敵対した。これだけは事実であり、そのためこの両家は打倒すべき敵であると認識せざるを得なかった。将軍家の斡旋による講和も考えられないではなかったが、それは精々一時しのぎでしかなく、近い将来に先延ばしするだけであることは明白であった。
だが草太には、朝倉、浅井両家がなぜ突如として敵に回ったのか、見当もつかなかった。少なくとも草太の認識では朝倉家は佐幕の家柄であり、将軍家の命によって若狭入りした草太を攻撃するという意味が分からなかった。もっとも、かんがえても仕方のないことではあった。事実として敵に回ったのだ。
そして、草太は将軍足利義輝に拝謁した。勿論、内々にであった。公式に拝謁して朝倉、浅井両家の取り潰しを取り付けるなど出来ないことは、草太にも分かっていた。なので、内々に根回しをするのが精々であった。
型通りの挨拶を終えると、足利義輝は言った。
「久しいの。といっても、十日足らずか。若狭入りしたとは聞いておったが、何かあったか」
「朝倉、浅井両家が、当家の背後を突きましてございます」
足利義輝は驚いた。
「何だと」
草太は続けて言った。
「これより若狭は一旦止め、朝倉、浅井両家を落とさねば若狭にこれ以上深入りは出来ませぬ。兵も食わさなければなりませんし、三方郡はおろか若狭一国でも兵を養いかねますから」
「あの両家に、そなたが恨まれることは」
「心当たりがございませぬ」
これは本当であった。草太も姉小路家も朝倉家との仲は良好だと考えていた上、浅井家に至っては接点すらなかった。或いは領土欲かとも思わないでもなかったが、朝倉家は加賀半国を受け取らなかった。浅井家に至っては隣接する領土すらなかった。あるとすれば、伸長甚だしい姉小路家に対する嫉妬か、とも思わなくもなかったが、それは言わなかった。
「ふむ。……我が命を受けて若狭入りした姉小路家に弓引くとは、ひいては室町幕府に弓引くこと。それがあの両家には分からぬのか」
草太はふと細川藤孝を見た。細川藤孝は頷いた。そして言った。
「将軍様、足利将軍家にどれほどの力があるとお思いですか。京に戻ることさえできず、朽木谷に御所を構えて何年になりますか」
「む、それは」
「各家の忠勤などという意味もないものよりも、将軍家自身の力を蓄えなければ、精々傀儡が関の山でしょう。天皇家のように徹底的に力を持たず、単に傀儡として担ぎ上げられる存在に甘んじるつもりであるなら、それはそれでよいでしょう。担ぎ手を選ばず、傀儡になるなら。しかし、将軍家自らが力を持ち自分の足で立ちたいというのであれば、室町幕府の再興をお考えなのであれば、地力をつけなければなりませぬ」
「だがそれは」
「この際ですからはっきり言いましょう。姉小路家にすがり下され。そして、姉小路家と協調して地力をお付けくだされ。確かに足利義輝という個人の武は高くありますが、その剣で何ができるというのですか。精々、雑兵を数十も切らぬうちに討ち死にでございます」
将軍足利義輝は、少し考えさせてくれ、と押し黙ってしまった。そして言った。
「済まぬが明日の夜また来てくれ。考えを纏めたい。……藤孝、お前も下がれ。一人にしてくれ」
そして翌日の夜、草太は将軍足利義輝に拝謁した。やはり内々に、であった。
一日考えて、少し考えが纏まったのか、顔が少し楽になっていた。
「朝倉、浅井の領土、つまり越前、北近江であるがな、これらを平定してもらいたい。そして、虫のいい話ではあるが、越前は我が領土として、直轄地とさせてもらいたい。北近江は、京極が半国守護をしている地ではあるが、既に実権は浅井に奪われておる。これを機に、姉小路家に守護を任せるのが良いかもしれぬ」
草太は、では、と言った。
「うむ。両国は攻め滅ぼすが良い。越前は直轄領として、というが暫くはそなたら姉小路家の協力により経営しようよ。確かに藤孝など有能ではあるが、越前全体を見ることなどできぬ故な。朝倉攻め、その終盤までには周辺の国人衆や六角辺りに兵を借り、参陣するつもりだ。そしてその越前の地を振り出しにして、地力をつけようよ」
細川藤孝も同意して言った。
「漸く地力をつけることを、京に戻ることだけが目的ではなく地力をつけることに合意していただけましたか」
「うむ。力なくただ権威だけでは、京に戻ったとしても精々傀儡、それでは京に戻ったとしても真に戻ったとはいえぬ。一晩考えて、その結論に至ったわ。ただし、しばらくは姉小路房綱、そなたの世話になるがな」
足利義輝は力強く答えた。
「鎌倉幕府は三代で実権を北条に奪われた。室町幕府は八代足利義政公の頃から実権など全くなくなった。その実権を一部でも取り戻さなければなるまい。そうして、日本を再び室町幕府の下に治めるのだ。今のままでは誰も我が命などほとんど聞くまいよ。……ときに姉小路房綱よ、なぜ我が命を聞いて若狭入りした」
これには草太も答えに窮したが、下手に答えずに本心には本心で返そうと思った。
「は、若狭や丹波、丹後の民が困っておるから、でございます。某の志は、戦のない世の中を作ることにございます。いささか矛盾しておりますが、戦のない世の中を作るために戦をしております」
「領土は欲しくないか」
と足利義輝が聞くと、草太は答えた。
「それは欲しくございます。力なく戦をなくそうと唱えておっても、誰も聞く耳など持ちませぬ。が、相応に力があれば相応に聞く耳を持つものも増えましょう」
なるほどな、と足利義輝は納得したような顔になり、そして言った。
「ならば、改めて命を申し渡す。姉小路房綱、越前朝倉家及び北近江浅井を討て。その後、恩賞として北近江を給う。……よいな」
「命、承りましてございます」
草太は言ってから思い出したように言った。
「若狭、丹波、丹後はいかがなさいましょうか」
「撤回はせぬが後回しじゃ。本国と切り離された今のままでは出来ぬ、そう申したのはそなたであろう」
承りました、と草太が言って謁見は終了した。時に天文二十三年神無月朔日(1554年10月27日)のことであった。
その夜は朽木谷に泊まり、翌日の朝、霜月には出兵、という足利義輝の言葉を背に朽木谷御所を後にした草太は、その足でもう一人の人物に会うために、朽木谷を降りた湖岸に位置する高島の街の宿に来ていた。その離れで待っていたのは琵琶湖畔の水夫人足の元締めである沖島牛太郎であった。
草太が床の間を背に座り、型通りに直答を許すと平助が言って会見が始まった。
「手紙、読ませていただきました。しかしいささか難しい」
とは沖島牛太郎であった。
「傭兵団を作れ、とはいわぬ。兵を集めよ、とは言ったがな。指揮は、地侍でも適当に集めればよかろう。なに、軍資金は手紙の通りで問題なかろう」
沖島牛太郎は、そういう問題ではない、と言わんばかりに言った。
「人を集めるのは問題ありませぬ。指揮を執る地侍崩れも集めるのは出来ましょう。それでも、です。それを何に使うのですか。場合によっては我らを南近江守護の六角家辺りが討伐に来ますよ」
草太はこともなげに言った。
「霜月までだ。そのころに将軍足利義輝様から声がかかる。いや違うな。足利義輝様が兵を集めようとする。その際に馳せ参じてもらいたい」
「何故です。何故そこまで、あの傀儡の将軍に肩入れするのですか」
沖島牛太郎は不思議そうに尋ねた。草太はそうさな、と少し宙を見て、正直に言うことにした。
「最初の策は、朝倉攻めの際に浅井家の領国の南部で騒乱でも起こしてもらうつもりだった。そうすればその鎮圧に兵を割く、そういう策だったのだ。だが、傀儡であれ将軍足利義輝公はやはり将軍、実権を持とうと決心なさった。それを見過ごすわけにもいくまい。全ては戦のない世の中を作る、その為の策だ」




