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痣櫛家は常に女性が当主となる家系として知られている。
他の家も女性当主が生まれることはあるが、痣櫛家だけは家が始まってからただの一度も男性が当主になったことがない。
生まれてくる子供は必ず女の子。
一度も男子が生まれたことがない。
そういった特異な家系なのだ。
先代当主もまたその例に漏れず女性だった。
名は痣櫛冴。
瑞季の母親であり、匡哉の最愛の女性だ。
「君は冴さんの名前を瑞季から聞いたことは?」
「一応、瑞季からも聞いたことくらいはある。実地訓練でも部隊長達が教えてくれた」
「そうかい。まぁ彼女は有名人だったからね。刀狩者ではなかったが、剣術においては歴代でも最強と謳われていた。ゆえに彼女の指南を受けたいという者達は多かったよ」
薄く笑みを浮かべる匡哉はどこかうれしげな様子だった。
実際、彼の言っていることは正しい。
枝族会議の警備が決まった後、実地訓練の中で雷牙は雪花達に枝族のことをレクチャーされた。
その中で話題に挙がったのが瑞季の母、冴のことだった。
痣櫛家始まって以来最強の剣士。
なおかつその美貌はそんじょそこらの女優など相手にならないほどで、容姿端麗とは彼女のためにある言葉だと言われていたなどという噂もあったらしい。
まぁ実際かなりの美人であったようだが。
その話題性もあり、痣櫛家が運営する剣道道場には一時期彼女目当ての生徒が多くいたらしい。
「とても美しい女性だったからね、彼女は。だから生徒の中には求婚する者も多かった。生徒以外にも政財界の大物や、芸能人、たくさんの男性にアプローチを受けていたね」
「アンタもその中の一人ってことか?」
「そうなるね」
フッと笑みを零す匡哉に先程までの狂気染みた雰囲気は感じられなかった。
「けどなんでアンタと結婚したんだよ。言っちゃ悪いが、つり合ってなかったんじゃねぇのか?」
「君の言うとおりさ。僕は名家の出身じゃない。いたって平凡な家庭に生まれた」
「そんなアンタがどうして瑞季のお袋さんと知り合えたんだ。コネがあるわけでもなかったんだろ」
「コネなんてないさ。ただ、僕の実家は痣櫛家の近くにあったんだ。元々痣櫛家はあの辺りの地域住民からも慕われていて、昔は屋敷や道場を開放して子供達の遊び場として提供してくれていたんだよ」
どこか懐かしむように眼を細めた匡哉からは敵愾心のようなものが薄れた。
過去の記憶に思いを馳せているからなのだろうか。
「僕も例外ではなく痣櫛家に遊びに行っていた子供の一人だった」
「じゃあそこで瑞季のお袋さん……冴さんと出会ったってわけか」
「そのとおり。彼女も子供ではあったけど、僕の第一印象は『綺麗な女の子』という感じだった。はっきり言ってしまえば僕の一目惚れだったね、あれは」
「惚気話かよ」
「フフフ、まぁそう聞こえてしまうだろうね」
気恥ずかしげに顔を隠した匡哉に雷牙は顔をしかめた。。
先程までの敵愾心はもはや殆ど感じられない。
目の前にいるのは年末に出会った時の匡哉だ。
狂気に取り憑かれているなど微塵も感じられない。
どうにやりにくい雰囲気なのだ。
「で、アンタは自分の気持ちを冴さんに伝えたってわけか。冴さんもそれを拒絶はしなかったってか?」
「強引なアプローチをしたつもりはないよ。ただ、共に遊んでいるうちに自然と僕の方から彼女に思いを伝えた。結果はわかるだろう?」
「そりゃおめでたいこって……」
人の恋愛話を聞くというのは中々に面倒だ。
それが自分の親世代ともなるとなおのこと反応に困る。
だが、疑問はまだ残っている。
二人の馴れ初めは理解できたが、それが襲撃を起すのとどう関係しているというのだろうか。
「だが綱源くん、不思議だとは思わないかい。なぜ歴代最強の当主と言われていた彼女が刀狩者にならなかったのか」
瑞季から聞いた話では匡哉も冴も霊脈を有しているため、刀狩者になる素質はあった。
冴ほどの実力があればハクロウからのスカウトだって来たはずだろう。
もちろん、スカウトは強制ではないため断ることもできる。
冴が刀狩者にならなかったのはそのスカウトを断ったからだろう。
その理由とは……。
「……病気、だったんだろ。部隊長がそんなこと言ってたぜ」
「そう。冴さんは先天性の病を患っていた。現代の医学を持ってしても、完治することはできない不治の病『先天性霊力拒絶症』。名前くらいは知っているんじゃないかな?」
「聞いたことはある」
『霊力拒絶症』
それは霊力が発見されて少ししてから発見された病。
読んで字の如く罹患者の体は霊力を拒絶する病であり、罹患者の殆どは非霊脈保持者だ。
症状は一定以上の霊力を取り込むことで発作として表れる。
軽ければ頭痛や吐き気、めまい程度で済む場合もあるが、重度ともなると全身に走る激痛は勿論、内蔵の機能不全、免疫力の著しい低下、それによる合併症の併発。
そして最悪の場合は死に至る病だ。
ゆえに世間一般的には罹った場合は死を待つだけという認識で、別名は死の病とも呼ばれている。
「けど、アレってちゃんと薬さえ飲んでれば普通の人と同じくらいには生きられるって聞いたぜ」
「その認識は間違っていないよ。君の言うとおり、『霊力拒絶症』は完治できない病ではあるが、うまく付き合えばそこまで恐ろしい病じゃない」
「じゃあなんで……」
疑問符を浮かべると匡哉は顔を伏せた。
少しだけ見える口元は震えており、下唇を噛み締めているのが見えた。
「……この病は基本的に非霊脈保持者が罹るものだ。けれどね、稀に霊脈保持者でも罹患することがある。その場合、病状の進行は非霊脈保持者よりも早くなるんだ。なぜかわかるかい?」
投げかけられた問いに雷牙は逡巡する素振りを見せたが、答えに辿り着くのはそう難しいことではなかった。
「霊脈か」
雷牙が呟くと匡哉は深く静かに頷いた。
「そのとおり。そもそも体が霊力を拒絶する病なんだ。常に体内に霊力が流れていれば、普通の人よりも病状が進行するのは当然と言える」
霊脈には常に霊力が流れているため、言うなれば常に毒が流れているようなものだ。
「冴さんは子供の頃からそうだったってのか!?」
「先天性と言っただろう。彼女は生まれた時から霊力に適合できない体だったんだよ。だから刀狩者になることもできなかった。それでも彼女の強さは無類のものだった」
雷牙は思わず息を呑む。
霊力に犯されていながらプロの刀狩者が認めるほどの実力をもち、歴代最強ともまで言われるなど一体どれほどの剣才を有していたのか。
ただ呼吸をしているだけでも激痛に悩まされていたかもしれないのに、それほどのパフォーマンスが出来るとは、人外に片足を突っ込んでいると言われても信じてしまいそうになる。
「幼い頃に彼女からそれを聞いた僕は医者になろうと思った。ただ彼女を助けたかった。元気にしたかった。その思いを胸に必死に勉強して、医者になることはできた。そして僕が医者になってから少し経ってから、僕達は結婚した」
「病気は……」
思わずそう漏らしてしまい、雷牙はすぐに口を塞いだ。
だが、匡哉はそれを咎めたり睨んだりするようなことはなく、ただ力なく被りを振るだけだった。
「医者になるのと平行して新薬の研究も進めたさ。結果だけ言えば、当時あった薬よりも高い効果を望める新薬を開発することはできた。だが、完治させることはできなかった」
「でも、薬ができたなら病気を遅らせることくらいはできたんだろ?」
「いいや。新薬の効果は確かに当時使われていたものよりも高かった。冴さんの病状も一時は進行が遅れたように見えた。しかし、彼女の体は既に限界に近かったんだ」
匡哉の目尻には涙が浮かんでいた。
努力して医者になり、愛する人を救うために開発した新薬で彼女を救うことができなかった。
その絶望感は筆舌につくしがたいものだろう。
「冴さんは自分の死期を悟っていた。でも子供だけはどうしても欲しいと言っていた」
「でもそんな状態は妊娠はおろか出産なんて……!」
「ああ。夫としても医師としても子を成すことには反対だったよ。母体への危険は当然だし、子供にだって危険がある。最悪どちらも亡くなる可能性も十分考えられた。けど、妻の最後の願いを無碍にすることはできなかった……」
目尻にたまっていた涙が頬を伝っていくのが見えた。
妻に対する深い愛と、医師としての立場。
二つの間に挟まれ、葛藤した末に彼は妻の願いを優先したのだ。
「結果だけを言えば冴さんは瑞季を身篭り出産した。それだけじゃない。薬を飲みながら彼女は瑞季が三歳になるまで生きたんだ。母は強しとはよく言ったものだと思うよ」
「……」
ごくりと雷牙は喉を鳴らした。
瑞季は母親が自分が小さい頃になくなったと言っていた。
冴は己の死期と必死に戦っていたのだ。
常人離れした精神力がなければできないことだ。
しかし、だからこそ許せないことがある。
「なんでだよ……!」
「……」
「なんで冴さんが必死に生んで育てた瑞季をそんな風に扱えんだよ!! アンタだって瑞季のこと愛してんだろ!? 嫁さんが苦しみながらそれでも大切に育てたそいつのことを……どうして……っ!!」
匡哉の行為は冴の覚悟を踏みにじっているようにしか見えなかった。
愛した人が最後に遺した生きた証とも言える娘をなぜ兵器のように扱うのか。
雷牙にはそれが我慢ならなかった。
「――約束だからさ」
「……約束?」
「冴さんが亡くなる前に僕に言ったんだ。『瑞季を強くしてあげて』ってね。だから僕は彼女を強くしなくちゃいけない。どんな手段を使っても、たとえ悪魔と呼ばれたとしても、止まるわけにはいかないんだっ!!!!」
今まで以上に感情がこもった叫び。
双眸からは大粒の涙が溢れていた。
同時に、瞳には雷牙に対する敵愾心がよみがえる。
「瑞季が強くなるために君は邪魔だ。だからここで始末する。瑞季!」
彼の声に反応し、瑞季が雷牙に襲い掛かってくる。
放たれた刃を受け止めると、戟音が館に響く。
深い愛ゆえに彼は狂気の道へ足を踏み出してしまった。
それがどうしようもなく悲しくて辛くて。
雷牙はただ遣る瀬無い気持ちでいっぱいだった。




