2-4
意識の中の世界というのは中々に不思議なものだ。
周囲は光も通さぬような闇に囲われているというのに、己の体だけははっきりと見える。
その中で宗厳は目の前に浮かんでいる青白い発光体。
己の魂に視線を向けた。
芽衣の言っていたとおり、一度魂を捉えることができたからか二度目は確かに簡単だった。
その後彼女はこうも言っていた。
『何度か弾かれることがある』と。
当然、宗厳もそうなることをある程度考えてはいたのだが、意外なことに宗厳は魂に弾き飛ばされることはなかった。
てっきり最初に触れた時のように現実に引き戻されるものだと思っていたのだが肩透かしをくらった気分だった。
とはいえ、別段悪いことではない。
すんなり魂に触れることができたということは、鍛錬の短縮にも繋がる。
意識の世界の中で宗厳はフッと笑みを浮かべ、指先で触れていた魂を掌全体で覆った。
瞬間、世界全体が書き換えられるように魂から白い光が溢れ、意識の世界は闇から白へ変化した。
「これは……」
思わず声を漏らすものの、それ以上に宗厳は妙な感覚に襲われていた。
意識の中であるというのにまるで肉体もそこにあるかのような感覚があったのだ。
『魂に触れたことで肉体の情報がフィードバックされているのか』
あくまで予想でしかなかったが、感覚がある以上そう考えるのが適当だろう。
ひとまず感覚のことは飲み込んでおいて彼は改めて周囲を見回す。
立っているという感覚は確かにあるものの、どこからが地面でそこからが空に入るのかもわからない。
地平線という概念がない。
どこまでも広く、白い空間が続いている。
「そういえば雷牙が似たようなことを言っていたな」
酒呑童子との戦いの後に雷牙は謎の世界の中で先祖である頼光と邂逅したと言っていた。
本人は夢みたいなものではといっていたが、恐らくこの空間と似たものだったのだろう。
無意識の中で己の魂に触れたのか、雷牙の魂の中に住まう頼光が干渉したのか。
「どちらにせよ魂に関連しているということは確かだろうな。だが……」
宗厳は少しだけ首を捻る。
空間は変化したものの、魂との対話とやらが起きないのだ。
芽衣の言うとおりならこの後対話がおきるのだろうが、魂の側からのコンタクトがない。
「対話しようにも向こうから現れてくれないのでは――っ!」
『話にならない』と言葉をつなげ様とした時。
今まで何も感じていなかった背後に何者かがいる気配がした。
反射的にその場から飛び退いた宗厳は、空中で身を捻ることで背後に視線を向けた。
その姿を見た瞬間、思わず目を見開いた。
背後に佇んでいたのは青年だった。
年の頃は二十代半ばから後半といったところだろうか。
総髪頭と僅かに蓄えた無精ひげはあまり清潔感はないものの、汚らしいという雰囲気は感じられない。
服の上からでもわかるほどに鍛えられた肉体は青年が日々鍛錬していることを物語っている。
けれど、今はそんな情報など宗厳にとってはどうでもよかった。
着地しながらもう一度足先から頭までをまじまじと見据えると、思わず喉が鳴った。
「アレは、儂か……?」
宗厳が疑問符を浮かべるのも無理はない。
視線の先にいる青年は、若き頃の彼自身だったのだ。
確かに己の魂との対話なのだから恐らく自分自身との対話だとは思っていた。
けれど、まさか若い頃の姿で出てくるとは思っていなかった。
すると若い頃の宗厳はキロリと彼を見据えた。
己の顔を客観的に見ることは鏡の前でしかしたことがなかったが、あの雰囲気と睨み方は宗厳が今でもやることだ。
似ているとかそういうレベルではない。
まったく同じ。
外見的な年齢は違ってもあれはまさしく宗厳自身なのだ。
『よう。俺』
若かった時の声が白い空間に響き、宗厳は思わず身構えた。
「……まさかそんな姿で出てくるとは思わなかったのう。だが、この感覚……やはりお前は儂の魂か……」
『確認することでもないだろ? てめぇ自身のことなんだ、てめぇが一番わかってるはずだろうがよ』
「ああ、よくわかっているとも。まだ少し驚きは抜けんがな。だがこうして姿を現してくれたということは、対話の意志があると見ていいのかのう」
少しだけ首をひねると若い宗厳は僅かに口角を上げた。
『そうだな。まぁここに来た時点でそれは確定してんだ。当然ここに来た理由もわかってる。目当てはコイツだろ?』
彼の手の中に青い燐光が集束していき刃の形となった。
瞬間的にそれが魄刻の刃であることを理解した宗厳は静かに頷く。
すると、若い頃の宗厳は笑みを浮かべたまま刃を地面に突き立てた。
『欲しいなら取ればいいさ。元々お前に備わっている力なんだ。好きに使え』
そのまま彼は何歩か下がっていく。
魄刻の刃は彼の手から離れても消えることなく青い光を発しながら突き立っている。
若い頃の自分からは敵意のようなものは感じない。
自分の魂なのだからそれは当然のことなのだが、もっとこう何か問答的なものがあると思っていた。
「対話自体していない気もするが……」
呟きつつも宗厳は突き立てられた魄刻の刃へ向かい、やがて柄の部分へ手を伸ばす。
けれどその瞬間、若い頃の宗厳の形をした魂は『しかしまぁ……』と呆れたように息をついた。
『その力を使えるようになったところで何が変わる?』
「なに?」
己からの言葉に宗厳は柄に伸ばしかけた手を引っ込めた。
鋭い眼光で己自身を睨みつけると、若い頃の自分は肩をすくめた。
『だってそうだろう? その歳になるまで戦い続けても、お前が救えた命なんて大した数じゃない』
瞬間、今まで白く染まっていた空間の景色が歪み、全く別の景色へと移り変わった。
宗厳の目の前に広がったのは火の粉舞い、瓦礫積み重なる災害現場。
至るところに刃による破壊の後があり、瓦礫の下からは血が滲み出し、あちらこちらに死体が転がっている。
人間としての原型が残っている者いない者。
形状は様々だが、おびただしい数の死体だった。
けれどこのような現場は覚えがない。
「……」
宗厳は小さく息をつく。
魂と宗厳は同一の存在であり、魂は宗厳のことならば何でも知っている。
恐らくこれは宗厳の記憶の中に残っている刃災の光景を繋ぎ合わせているだけだろう。
「これが芽衣の言っていたトラウマが呼び起こされるというヤツか」
確かにこういった光景は刀狩者にとってはトラウマになる。
特に新たに刀狩者になった者などに多く、中には一度経験しただけでハクロウを去る者もいるほどだ。
とはいっても、宗厳にとっては特にこれといって何かあるわけではない。
非情とも取れるかもしれないが、慣れてしまったのだ。
すると、宗厳の反応を見たのか魂がパチンと指を弾いた。
再び景色が歪み、今度は血の池のような場所に宗厳は立っていた。
『助けられなかった命は一般人に限った話じゃない。お前は仲間も救うことはできなかった』
真っ赤な水面に波紋が広がる。
水底から浮かび上がるように現れたのは、宗厳と共に戦い散って逝った仲間達。
彼等の瞳に生気は感じられなかったものの、視線は宗厳のことをうらめしそうに向けられている。
『うらんでいるかもしれないなぁ。もしくは、妬ましく思っているかもしれない。どうしてお前が生きていて、私たちじゃないのかと』
「……」
挑発じみた魂の声に宗厳は答えることはなかった。
そして魂はさらに捲くし立てる。
『仲間だけじゃない。互いの実力を認め合った親友もお前は守ることができなかった』
言葉に続く形で宗厳の前に現れたのは、血を流し虚ろな目をしている今は亡き友、不動恒義の姿。
彼の登場に今まで揺らぐことのなかった宗厳の眉が少しだけ動いた。
ねらい目だと考えたのか、若き宗厳は冷酷な声で最後の言葉を叩き込んできた。
『そしてもっとも気にかけていた弟子でさえもだ』
パチンという渇いた音が鳴った瞬間、三度景色が変化し、最初に変化した刃災の現場と似たような光景が広がった。
だが、今度は見覚えがあった。
この光景は村正の災のもの。
つまりは酒呑童子が暴れ、愛弟子であった綱源光凛が命を落とした刃災だ。
すると、瓦礫の山と炎の間から一人の女性が姿を現した。
光凛だ。
肩から腰にかけてまでを切り裂かれ、おびただしい量の出血をしている彼女はふらふらとした足取りながらも、ゆっくりと宗厳の元へ歩み寄ってくる。
『し、しょう……たすけ……て……』
今まで誰一人として声を発しなかった中で、光凛だけは明確に宗厳に対して助けを求めてきた。
けれど宗厳は彼女に手を貸すことはしなかった。
そのまま彼女が倒れこんだところで周囲の景色は再び変化し、あの真っ白な世界へと書き換わった。
『人を守れず、仲間を守れず、友も守れず……そして弟子すら守れなかったお前が今更魄刻の刃を手にいれて何になる?』
魂の声はどこか怒気のようなものが含まれているようだった。
いいや、怒気というわけではないか。
魂の声にあったのはもっと別の感情だ。
『守れなかったお前に何ができる。力を手に入れて誰を守る? 答えてみろ、柳世宗厳!!』
吼える魂にあった感情。
それは怒りではなく、後悔だった。
己の魂ことなのだからよくわかる。
宗厳の心の奥底にあったもの。
それはまさに仲間も友人も弟子も守れなかった後悔の念だったのだ。
「……確かにそうだな。こんな老い耄れが今更新たな力を手にいれたところで何にもならんかもしれん。だがな、儂は託されたのだ」
この空間で見たかつての仲間達の瞳はうらめしさが込められたものだった。
それはあくまで宗厳の後悔の念が作り出したものにすぎない。
実際の彼等は誰一人として宗厳に対して恨み言など言っていなかった。
宗厳は彼等の意志を託されたのだ。
「ゆえに儂はこの力が必要なのだ。助けられなかった者達の命を無意味にさせないために、そして後に続く若人達の道を切り開くために戦うのだ。この命をかけて」
宗厳の脳裏に浮かぶのは散っていった仲間達と、後の時代を背負っていく若者達の姿。
そう、宗厳はかつての仲間達の意志を継ぎ、そして未来を担う若者達を守るために戦うのだ。
ゆえにどれだけ凄惨な記憶を呼び起こされても彼が折れることは絶対にない。
『……それが、お前が力を欲する理由か』
魂の声に宗厳は静かに頷いた。
しばしの沈黙が流れるものの、やがて魂は小さく吹き出した。
『くはは! いやぁすまんな、俺よ。試すような真似をして』
若い姿の宗厳は先程までの張り詰めた表情からどこか楽しげな笑みを浮かべた。
突然の変化に驚きそうになりつつも、小さく息をつく。
「やれやれ芽衣からは対話と聞いておったからもう少し穏やかなものだと思っていたんだが、まさかあんなものを見せられるとはのう」
『この刃を使うためには己自身と向き合い、強固な意志が必要だからな。こういうのがもっとも簡単なのだ』
「そうかもしれんがな。あ、だが光凛のアレはかなり違ったぞ。あいつは儂に助けなど求めてはおらん」
『くくく、そうだったな』
刃災の現場で出会った光凛は宗厳に助けを求めるようなことはしなかった。
彼女が最初にしたのは、雷牙を託すこと。
そして彼女は最後まで笑っていた。
誰に怨嗟を吐くわけでもなく。
ただ、雷牙に会えなくなることだけは残念そうではあったが。
「あれは流石に脚色がすぎたな。それまではそれなりに儂の精神を削っていたというのに、アレで違和感丸出しじゃった」
『そうか。ならば、次があればもう少し記憶どおりに心を折ってやるとしよう。さて、そろそろいい頃合だ。刃を取れ、今のお前ならば問題ないだろう』
若き己にすすめられ、宗厳はようやく魄刻の刃に手を伸ばし柄を握った。
瞬間、体中を今まで感じたこともないような力が駆け巡った。
圧倒的な生命エネルギーの結晶体。
これはそういった刃なのだと脳が瞬時に理解する。
「なるほど。これならばあの鬼の魂に届くな」
フッと笑みを浮かべたとき、宗厳はふわりとした浮遊感に襲われた。
『頃合だな。これでお前は魂の刃を使うことができる。俺と話すのもこれが最後になるだろう』
「消えるのか?」
『いいや、ただもはや会う必要がないだけだ。柳世宗厳、さっき言葉忘れるなよ』
「……ああ、忘れるものか」
二人の宗厳は互いに満足げな笑みを浮かべる。
そして魄刻の刃を手にした宗厳は白い世界から徐々に離れて行き、やがて現実へと引き戻されるのだった。




