1-5
神殿へと歩みを進める黒縄を前に黎雄は苦々しい表情を浮かべていた。
先程から黎雄を含め、幽世の住民達が攻撃を仕掛けているのだが、黒縄はその歩みを殆ど止めないのだ。
時たま思い出したように足を止めることはあっても、それは近づいてきた虫を追い払うために人間が思わず立ち止まるのと同じようなもの。
少なくとも黎雄の攻撃によって足を止めることは一度もなかった。
だが、完全に黎雄を敵視していないわけでもないらしい。
「ッ!!」
大木以上の太さを持った腕が黎雄に向けて振るわれた。
間一髪、空中に創り出した霊力の足場でそれを回避するものの、黒縄の赤い眼光ははっきりと黎雄を捉えている。
これは初めてというわけではない。
故意に黎雄を狙っている時は何度かあった。
とはいっても明確な攻撃というわけではなく、狙って振り払っている程度。
一際しつこく纏わりついてくる羽虫程度の認識なのだろう。
「俺はまともに戦う相手ですらないということか……!」
ギリッと歯噛みする黎雄だったが、苛立ちを浮かべている場合ではない。
視界の端で集落までの凡その距離を測りつつ、真空の刃を黒縄の足へ向けて放ったが、当然のごとくそれも大した傷にはならない。
一番深く入った傷跡も表面を僅かに抉り、少しだけ血飛沫が出ただけ。
しかもその傷すら瞬きの間に完治してしまう。
集落中央部にある神殿まではまだそれなりに距離はあるが、このままではいずれ辿りつかれてしまう。
神殿が破壊されてしまえば、この幽世は安定できずに崩壊する。
「絶対にさせてなるものか」
地面に着地し、黒縄を正面に見据えつつ鬼哭刀を強く握りなおす。
するとそれに答えるように「そうさなぁ」と背後から声をかけられた。
思わず視線を向けると、拳の直撃を受けたはずの宗厳が立っていた。
どこか余裕ありげな様子に黎雄は思わず笑みを零した。
「柳世さん! よかった、やっぱり無事だったんですね!」
「おう、心配かけてすまなかったな。なかなか危なかったが、このとおりピンピンしとるぞ」
宗厳は五体無事なことを見せるように腕を広げてみせた。
きっと無事だとは思っていたが、まさか殆ど無傷とは。
並みの刀狩者ができる芸当ではないだろう。
黒縄の方も宗厳のことを認識したようで、一際強く咆哮をあげた。
どうやら黒縄からしても宗厳の無事は計算外だったようだ。
赤い瞳をさらに強く発光させた黒縄は、巨腕を振り上げて宗厳に向けて連続の拳打を叩き込んできた。
それはもはや拳の壁とでも言うべきシロモノで、一撃でも食らえばミンチになることは必然だ。
けれど一度拳をくらっている宗厳がそれを回避できないはずもない。
宗厳は黎雄を小脇に抱えた状態で全ての拳を避けきったのだ。
「おうおう、ずいぶんとまぁ好かれたもんじゃのう。っと、すまんな黎雄。咄嗟に抱えてしまっておった」
「あ、いえ。危ないところをありがとうございました。ところで、柳世さん」
「うん?」
降ろしてもらいながら黎雄は緊張した面持ちで宗厳に視線を向ける。
「どうやって黒縄を倒すんですか?」
「……」
宗厳はすぐには答えなかった。
それに思わず喉を鳴らす。
即答しないということは、なにか理由があるのだろう。
嫌な予感を覚えていると宗厳は「……そうさな」と髭を撫でた。
「わしとお前で隙を作り、どちらかがヤツの首を斬り飛ばす……と、本来なら言いたいところなんじゃが、残念ながら今の儂等ではそれはできん」
「それは、つまり――」
「ああ。残念ながら倒せんということじゃな」
隠すことなく伝えられた『倒せない』という言葉に黎雄は拳を握り締めた。
宗厳に対する怒りではない。
単純に力が及ばないふがいなさに腹が立っているのだ。
己の不甲斐なさと黒縄の強大さに悔しさを感じている黎雄だったが、宗厳の言葉はそれで終わりではなかった。
彼は「だが……」と付け加える。
「倒せないというのは『今は』の話じゃ。儂らはこの幽世で新たな力を習得する。それを手に入れることができれば、あの黒縄を倒すことも可能とのことじゃ」
「新たな力……? ですが、俺達がその力を習得している間に黒縄は神殿に到達してしまいます! その間ヤツの相手は誰が?」
「黒縄は佳乃達の力を借りてもう一度封印する。これから黒縄を再度封印するため、ヤツを結界の中に押しとどめる」
「結界、ですか」
疑問符を浮かべたときだった。
パキン、という渇いた音が響いたかと思うと、黒縄の周囲に淡い光を帯びた霊力の壁が現れた。
それは黒縄を囲むように展開し、最終的には黒縄を完全に覆ってしまった。
「柳世様!」
一連の動きに驚いていると一人の青年がこちらに駆けてくるのが見えた。
「長より言伝です。結界の展開は完了、あとは先程のお話のとおりあの中から逃さぬようにとのことです」
「ああ、わかった。出るタイミングは見えるように合図を出してくれ」
「わかりました! ご武運を!!」
青年は勢いよく頭を下げるとそのまま来た道を戻るように駆けて行ってしまった。
「柳世さん、黒縄を押しとどめるのはあの結界の中に、ということですか?」
「うむ。佳乃が言うには黒縄をあの結界の中に三分間閉じ込めることができればそのまま再封印が可能になるらしい。ただしその間、ヤツを一歩たりとも結界の外に出してはいけない」
「もしも出てしまった場合は?」
「もう一度結界を張り直す必要があるそうだ。ちなみに言っておくと、あの結界の強度はそこまで強くはない。それも加味しての三分だ。」
三分間。
時間で言えばそう長くはない。
即席のカップラーメンが出来るくらいの時間だ。
しかし、相手はこちらの攻撃が殆ど通じない斬鬼。
そんな相手を三分間結果以内に押しとどめるなど、きっと途方も無く長く感じるに違いない。
宗厳ほどの強者ならまだしも自分ができるのか。
明らかな動揺が顔に出てしまいそうになるが、黎雄はそれを深呼吸して押しとどめる。
できるできないかではない。
絶対にやらねばならないのだ。
かつて自分を闇の中から救い出してくれた雷牙もそうだった。
ゆえに黎雄も改めて覚悟を決める。
「俺も一緒にヤツを押しとどめます。どこまでやれるかわかりませんが、足手まといにはなりません」
「……やはり恒義の弟子じゃな。よし、そうと決まれば行くぞ。ヤツを結界中心部へと押し込んでくれる」
「了解!」
宗厳と黎雄から霊力が一気に溢れ出し、互いの霊力が疾風の力を帯びていく。
周囲の葉や土を巻き上げながら二人は徐々に浮き上がり、次の瞬間には激しく回転する旋風を身に纏った状態で結界を破壊せんとする黒縄へと突貫する。
二人が結界の中へと入ったと同時に、それは起こった。
バチィン! という一際強い放電のような音が幽世全体へ木霊したのだ。
同時に眩い閃光が音と共に激しく明滅する。
黒縄と二人が接触したのだ。
霊力同士の激突は属性に関係なく紫電に似た放電現象が伴う。
ぶつかり合う霊力が大きければ大きいほどその放電も激しさを増す。
結界の中で起きている霊力同士の衝突がそれを物語っており、霊力同士が拮抗していることも見て取れる。
しかし、拮抗状態は必ず崩れる時がやってくる。
「あ……!!」
結界を維持するために四方に展開した一角で芽衣が驚きの声を上げた。
黒縄の巨体が僅かに浮き上がった。
自ら浮いたのではない。
宗厳と黎雄の力に押される形で浮かされたのだ。
放電現象は僅かにおさまり、かわりに結界内部では刃と化した疾風が吹き荒んでいる。
そのまま黒縄は結界の奥へ追いやられ、ちょうど中心部分まで押し返された。
巨体が押し返される光景を目の当たりにした護衛の青年達は「おぉ!」と歓喜の声を上げるが、喜んでばかりはいられない。
芽衣はすぐさま結界内に黒縄を封じてからどれくらい経過したのかを確認する。
「まだ、十秒と少し……!?」
既に三十秒は経過しているものだとばかり思っていた。
だが、実際の経過時間はたったの十秒強。
あと二分以上もあの中に黒縄を封じていなければならない。
「お二人ともどうか、ご無事で……!」
祈ることしかできない自身の無力感を感じながらも、芽衣は己の体の中をめぐる霊力を全て結界の維持へまわした。
黒縄を結界の中心部まで押し返した黎雄と宗厳は、疾風の霊力を纏った状態で地上に降立った。
宗厳は平然としている様子だったが、黎雄の表情はどこか余裕がなさげに見える。
「黎雄、大丈夫か?」
彼の様子に気遣い、宗厳が声をかけたが黎雄は呼吸を落ち着けながら「大丈夫です」と頷いた。
「無理はするなよ。態勢を立て直すために退くのは恥ではない。刀狩者は勝って終わりではないのだからな」
「わかっています」
黎雄が返答すると同時に黒縄が何度目かになる咆哮をあげた。
だが、今までとは僅かに声質というか、音質が僅かに違っている。
赤い瞳は怒りをさらに燃やして二人を睨みつけ、全身の筋肉には血管や筋が浮いている。
筋肉が増大しているのか最初に相対したときよりも少しだけ大きくなっているようだった。
「おー、殺る気満々といった感じじゃのう。まぁこちらが仕掛けのだから当然だな」
どうやら黒縄は二人を完全に敵として認識したようだ。
すると、黒縄の拳に黒い霊力が集束し、やがて巨大な霊力の刃が姿を現した。
妖刀、というわけではないが、見るからに危険なシロモノだということは理解できる。
あれの一振りは危険だ。
繰り出される刃は確実に結界を破壊する一撃となるだろう。
宗厳は瞬時にそれを理解したのか、即座に行動を起した。
「黎雄! 儂はヤツがあの刀を振り下ろせぬように動く! お前はヤツの足を止めることに専念しろ!!」
「はい!」
宗厳から僅かに遅れる形で黎雄も黒縄に向けて駆け出した。
動きを止める上でもっとも効果的なのはやはり足だ。
黒縄を含め、斬鬼は素材が人間だ。
それ故に体の構造自体はそこまで変化がない。
つまり腱の位置や役割なども同じということ。
とはいっても斬鬼の再生速度は尋常ではなく、それこそ瞬きする間に再生する個体も存在する。
黒縄もまさにそれだが、アレだけの巨体を支えている足の腱が一瞬でも断裂すれば、体重自体を支えることができずに倒れこむはずだ。
それに倒れこまないまでも、足を縺れさせることができれば、大きな時間稼ぎとなるし、宗厳が有効打をたたき込むだけの隙も作れる。
ゆえに黎雄が狙うのは黒縄の足首に存在する腱と靱帯だ。
全体重を支えている足首を削ぐことができれば、黒縄の態勢は大きく崩れる。
「シィィィィィ……!」
駆ける途中で黎雄は鬼哭刀を鞘に納め、全身に酸素を取り入れるために大きく呼吸する。
そして、一歩、二歩と地面を蹴りつけ、三歩目で旋風と共に姿を消した。
刹那、彼が現れたのは黒縄の右足首。
黎雄の態勢は低すぎるほどに腰を落とした抜刀態勢。
鞘の中では疾風の刃が鋭さを高めている。
そして黎雄が呼吸を止めた瞬間、風の刃が産声を上げる。
「――刃風・疾叫嵐ッ!!!!」
放たれたのは高密度に圧縮された疾風の刃。
鞘の内部で研ぎすまされ、そして高められた影響か超高音の刃の声が結界の中を駆け巡る。
刃は黒縄の足首を的確に捉え、先程までは殆ど傷をつけられなかった黒縄の皮膚へ食い込み、さらには肉をそぎ落とし始める。
「オオオオォォォォォォッ!!!!」
裂帛の声を上げた黎雄の刃は黒縄の足首を切断せんと、『ズッ、ズッ……!』とゆっくりとではあるが、着実に削いでいっている。
当然黒縄もそれに反応し、黎雄を弾き飛ばそうとするものの、宗厳がそれを許すはずもない。
そして、一際強く高音が響き渡った瞬間。
黎雄が放った疾風は巨体を支える足首を抉り斬った。




