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大きな揺れについで聞こえた咆哮は宗厳と黎雄がよく知っているものだった。
「柳世さん、今のは……!!」
「わかっとる。あの独特な砲声は間違いなく斬鬼だ」
地を這うような怨嗟の声は刃災の現場や斬鬼が出現した時によく聞くものだ。
が、今聞こえた声は宗厳が過去に聞いたものと比べると少し違っていた。
砲声自体が魂を振るわせるとでも言えるのだろうか。
ともかく普段聞くものよりも嫌な感覚だったことは確かだ。
咆哮が聞こえる直前に感じた地震のような現象も気になる。
宗厳は何が起きているのかと、佳乃に問おうとしたが彼女の表情は険しかった。
「お婆様。まさか黒縄の封印が破られたんじゃ……!」
「考えたくはないが、そのとおりだろうね。まったく、客人を招いているというのに」
佳乃は落ち着いているようだったが、声色には明確な焦りが見えた。
どうやら彼女達にとっても今の揺れと咆哮は思わぬ出来事であったようだ。
ただ、その原因がなんなのかはわかっている様子だったが。
「佳乃、いったいな――」
「――長ー!」
宗厳の声は突然聞こえてきた別の声にかき消されてしまった。
すると中庭に数人の男達が駆け込んできた。
彼等は肩で息をしていて、表情からも察するにかなり焦っているようだ。
「長、来客中のところ失礼します! ですが、早急にお伝えしなければならないことが!!」
「ああ、わかっているよ。黒縄が封印を破ったんだね?」
「はい! 警戒はしていたのですが、ついさっき急に……! ともかく一度こちらへ来てください! 今はまだ封印を破ったばかりで活動はしていませんが、すぐにでも活動を始めてしまいます!!」
「黒縄が本格的に動き出したら集落も無事じゃすまないですよ!」
「お客人には申し訳ないですが、今は黒縄を優先するべきでは!」
男達は口々に焦燥の声を上げる。
佳乃からの説明はないが何が起きているのか凡その予測はついた。
どうやらこの幽世には黒縄と呼ばれている鬼が封印されていたようで、ついさっきそれが封印を破ったようだ。
住民達の焦り方からして一度暴れだしたらかなりの被害を齎すと考えていいだろう。
「みんな、落ち着きなさい。すぐに私たちも向かう、先に行って黒縄の注意をひきつけておいておくれ」
「わかりました! 行くぞ、みんな!!」
リーダー格らしき青年が他の男達に告げると、彼等は瞬時にその場から消え去った。
先程までの騒々しさから一転して静けさが戻ると、佳乃は「やれやれ……」と呟きながら大きく溜息をついた。
「すみません、お二人とも。お察しのこととは思いますが、緊急事態が起きてしまいました。お話は途中にはなってしまいますが、一度向こうを片付けてまいります。お二人はここでお待ちください」
「待てとは言うが住民達とお前たちでどうにかできる相手なのか? さっきの若い衆の焦り様から察するに、そこまで楽な相手ではなさそうだぞ」
鋭い指摘だったのか、佳乃と芽衣はそれぞれ苦い表情を浮かべた。
二人の様子に宗厳は傍らにおいてあった鬼哭刀を握る。
「斬鬼退治ならば、手を貸すぞ」
「……申し出はありがたいのですが、アレは幽世の問題です。お二人を巻き込むわけには……」
「すでに巻き込まれているといってもおかしくなかろう。それに、お前達が斬鬼と戦ってるというのに傍観を決め込んでは、刀狩者の名が廃るというものだろう。なぁ黎雄」
「はい。俺達で力になれるのなら、ぜひ手伝わせてください。俺は助力程度しかできませんが、柳世さんならかなりの戦力になってくれますよ」
「せっかくいろいろ教えてもらえるのだ。斬鬼退治くらいしなければ恩を返せんからな」
佳乃はまだ険しい表情だったがやがて観念したように「ありがとうございます」と小さく頭を下げた。
「お心づかい、感謝いたします。よろしくお願い致します」
「おう。では、行くとするか。道案内を頼む。あぁ、それと黒縄とやらの説明もな」
「じゃあ私が先導します!! お二人ともついてきてください!!」
いつの間にやら準備を整えていた芽衣が中庭に飛び出すと、宗厳達もそれに続き塀を易々を飛び越えて空中に躍り出る。
「封印の祠があるのは向こうです! 柳世様、獅子陸様、よろしくお願いします!!」
彼女が指差した方角を見ると、山間の中から確かに強い霊力を感じることができた。
霊力の持ち主は黒縄と呼ばれていた鬼だろう。
宗厳達はそのまま芽衣に案内される形で現場へと向かった。
「『黒縄の鬼』?」
芽衣に案内されている途中、宗厳と黎雄は佳乃から封印を破ったという鬼が何者であるのかを聞いていた。
「それが封印を破った斬鬼の名前ですか?」
「正式な名前というわけではありません。外見的な特徴から私たちがそう呼んでいるだけです」
「しかし幽世は禍姫と神々の戦いに巻き込まれないようにするシェルターのようなものだと言っていただろう。鬼が出るということは禍姫が進攻してきたのか?」
「いえ、そういうわけではありません。黒縄は神々と禍姫の戦いの混乱時に紛れ込み、当時の幽世の住民達によって封印されたのです」
「では禍姫がこの空間を感知しているということは?」
「恐らくないと思われます。ここが知られているのなら、彼女はもっと早く行動を起しても不思議ではありません。ですが、ここ数百年の間、禍姫の手が伸びてきたことはありません。恐らく数千年の封印によって彼女と黒縄の間にある繋がりが切れたのではないでしょうか」
確かにそれも考えられる。
そもそも禍姫にからしてみれば、この幽世自体かなり気にくわないのではないだろうか。
なにせ彼女を瀕死にまで追い込んだ神々が作り出した空間だ。
もしも存在を知っているのなら、真っ先に破壊しにきても不思議ではない。
それが起きていないということは、禍姫はここを感知していないと見るべきだろう。
「不幸中の幸いとでも言うべきか……。しかし、なぜかつての住民達は封印という手段を取った。神々と協力して倒すという手はなかったのか?」
「それはできなかったんです」
疑問に答えたのは先を走る芽衣だった。
彼女は振り返ることはせずに静かに続ける。
「幽世を安定させているのはかつての神が己の命をかけて守っているからなんです。彼がいなければ、幽世はこうまで安定はしていません。あれを見てください」
芽衣が指差した方を見やると古い日本家屋が並ぶ集落が見えた。
だが彼女が示しているのは集落ではなく、その中央部にある荘厳かつ美しいたたずまいの神殿だった。
外の世界でもあそこまでの神殿は見たことがない。
常日頃から手入れされているのだろう。
「あの神殿の中には幽世を安定させるために己の命を捧げた神様が安置されています。肉体はありますが、生命活動はしていません」
「なるほど。ここは神と呼ばれた者の魂で成り立っていたのか。唯一鬼に対抗できる神が幽世の管理に回ってしまっては、残された人間だけでは黒縄を倒しきることはできず、結果として封印するしかなかったというわけだな」
「そのとおりでございます。封印にすら多大な犠牲を払ったと伝えられています。その分、かなり強固な封印だったのですが。近年は徐々に封印自体が弱まってきてしまっていて……」
「仕方あるまいよ。封印といっても永遠に続くわけではない。いつか必ず綻びは出る。だが、今回ばかりは別の要因もあると思うがのう」
宗厳の脳裏に浮かんだのは禍姫の姿。
それは佳乃も予想していたことのようで、彼女は「……ええ」と険しい表情のまま頷いた。
恐らく彼女の復活に呼応する形で封印をこじ開け始めたのだろう。
そして今日、封印は完全に破られついに活動を再開したのだ。
「強さはどれくらいなんでしょうか」
「禍姫が最初期段階に生み出した鬼なので相当量の霊力と憎悪を注ぎ込まれているため、強さはかなりのものでしょうね。具体的な比較はできませんが、並の斬鬼程度でないことは確かです」
「だろうな。こののしかかってくるような重圧……危険度は橙か、赤と見るべきかのう」
宗厳は黒縄が近いことを感じていた。
髭を撫でる彼の眉間には深く皺が寄り、自然と拳にも力が入る。
「でもここで退くわけにはいきません。そうでしょう、柳世さん」
黎雄はやや緊張が混じった声で言ってきた。
恐怖に呑まれているわけではないようだが、顔の強張り具合からして黒縄の気配を強く感じてきたようだ。
「……ああ、そうだな。なんとしても儂とお前で倒しきるぞ。そうすればここの住民達も安心できる」
「はい。全力を尽くします!」
グッと拳を握りこんだ黎雄に、宗厳は「頼もしいな」と笑みを浮かべた。
けれど、二人の様子を見やっていた佳乃の表情はまだ優れない。
彼女は何度か逡巡する素振りを見せると「お二人とも」と呼びかけた。
「不服かとは思いますが、戦闘中は私の指示に従っていただけないでしょうか」
「何か狙いがあるのか?」
「いいえ、ただ気がかりなことがあるのです。もしもそれが的中してしまった場合は、お二人には一度退いていただきたいと考えています」
「それでは黒縄を誰が食い止めるんです」
「その場合は私たちでなんとかいたします。大丈夫です。あれのことは私たちの方が理解しています。それに私たちは戦闘技術こそ乏しいものの、封印や結界に関しては長けています。だからどうか、私の指示に従っていただけないでしょうか」
真剣な眼差しに宗厳と黎雄は互いに視線を交わしてから静かに頷く。
「承知した。もしもお前さんの言うことが現実に起きてしまった時は、指示を出してくれ。だが、最初は攻撃をしかけても構わんな?」
「はい、お願いします」
「見えました! あそこです!」
芽衣の声に宗厳は視線を前方に戻す。
瞬間、思わず眼を見開いた。
林を抜けた先にいたのは、推定十五メートルはあろうかという巨大な鬼。
体色は黒く、首下には注連縄のようなものを巻いており、確かに黒縄と呼ばれるに相応しい外見だ。
頭から生える角は捩じれてこそいないものの、全体が刃のように鋭くなっている。
「あれが、黒縄の鬼……!!」
姿を見て改めて感じる凄まじい威圧感に黎雄がゴクリと喉を鳴らした。
すると、黒縄の赤い瞳が一際強く発光する。
刹那、大気を震わす咆哮が幽世に再び轟いた。
「くっ!」
宗厳ですら思わず耳を塞ぐほどの大咆哮によって、黒縄の注意を引いていた青年達が吹き飛ばされるのが見えた。
ただの咆哮が音圧という破壊の力に変わっている。
最初期段階に生み出された鬼の力は伊達ではないようだ。
「行くぞ、黎雄!」
「……! はい!!」
宗厳は立ち止まった芽衣を追い越し、黎雄と共に黒縄との距離を縮める。
これ以上被害を拡大させるわけにはいかない。
佳乃の言葉は気がかりではあったが、今はあの鬼を食い止めることだけを考えなければ。
距離をつめるとその大きさと威圧感は強烈だった。
常時立ち上っている黒い霊力の影響もあってか、実際の体躯よりも大きく見える。
すると、黒縄は赤い瞳を強く発光させる。
憎悪に染まった瞳には陽動をしていた青年が写っている。
「ッ! 黎雄、頼むぞ!!」
「了解!!」
宗厳は土煙がたつほど強く地面を蹴りつけ、加速すると一瞬にして黒縄と青年の間に割って入る。
刹那、「フッ」という小さな呼吸と共に剣閃が放たれ、黒縄の拳を切り裂く――。
「ッ!?」
――はずだった。
宗厳を含め、その場にいた全員が見た光景は放たれた剣閃と拳が衝突し、周囲に紫電が迸る様子だった。
決して手加減などしていない。
確実に鬼の腕を切り裂けるだけの霊力をこめて放ったはずだ。
しかし、それは起きなかった。
思わず宗厳は眼を見開いてしまったが、その一瞬が彼に隙をつくってしまった。
時間にすれば一秒あるかないかくらいだろうが、戦闘の最中に生まれる隙はそれだけで致命的である。
「柳世さん!」
悲鳴に近い黎雄の声が聞こえた瞬間、剣閃との衝突に競り勝った巨大な拳が眼前にまで迫っていた。
咄嗟に防御態勢を取るものの、一瞬の後に襲って来たのは全身を揺さぶるほどの衝撃と、強制的な浮遊感と吹き飛ばされる感覚だった。




