エピローグ 幽世
雷牙が総本部にて禍姫と邂逅する少し前――。
彼の師である宗厳と付き人として同行している黎雄の姿は山の中にあった。
二人はしばらく前から出雲にてとある神とそれを信仰している者達について調べていた。
神の名前は『マガツイノカミ』。
かつて宗厳が禍姫について調べている時に出雲付近で聞いた神だ。
当初は禍姫とは似ていながらも違う名前ということで深く調査しなかったものの、禍姫が姿を現したことと、綱源家の地下にあった壁画を見て宗厳の中でとある仮説が生まれた。
それは『マガツイ』が『禍姫』と敵対していた存在だったのではないかというもの。
少し前に尊幽や辰磨から送られてきた、頼光が残した書物や壁画の解析結果と照らし合わせてみても考えられる説ではあった。
ゆえに宗厳は『マガツイ』の調査に本腰を入れたのだ。
とは言っても調査は簡単なものではなかった。
禍姫の時もそうだったが、文献は当然のことそもそも名前を知っている者が少ないのだ。
出雲に入って以降、即座に調査をしたものの市街地でその名前を知っている者は皆無と言ってよかった。
そもそもマガツイの名前を知ったのはほぼ偶然に等しく、調査をした先で出会った初老の女性が教えてくれたのだ。
当然その老人も捜索したのだが、彼女も見つかっていない。
亡くなったのか引越しでもしたのかと考えたものの、事態はそこまで単純ではなかった。
黎雄と協力し、彼女の特徴を頼りに聞き込みをしたものの出会った近辺の住民達は皆首を傾げるばかりだったのだ。
妙だと思った。
近隣住民の様子からして彼女の存在を隠しているという雰囲気はなかった。
寧ろ最初から知らないといった様子だったのだ。
仮に彼女が歳の若い女性で短い間しかいないのならその反応もわかるのだが、あの年齢の女性ならば多少なり近所付き合いくらいしているものだろう。
それを知らないというのはどうにも腑に落ちない。
まるで狐につままれたような気分だった。
疲労が溜まっていて幻覚でも見ていたのかとも考えたが、あの女性の顔は今でも覚えているし、話の内容もはっきりしている。
ゆえに宗厳は彼女を捜索するの一旦あきらめ、彼女が言っていたことを思い出しつつ、マガツイを信仰している者達を見つけようと考え、出雲市周辺の山を捜索し始めたのだ。
彼女の話では、『出雲の山の中にマガツイを信仰している者達が集まる社がある』とのことだった。
そこから先はしらみつぶしに山を歩き回った。
一つ一つの山の中を細かく一日以上をかけて捜索したのだ。
そんなことをしている内に数週間近くが経ってしまい、残すところは今二人がいる山だけになってしまった。
「出雲にある山はこれで最後ですが、見つかりませんね。マガツイを奉っているという社」
「うむ……」
黎雄の声に宗厳も渋面を浮かべながら頷いた。
朝から捜索をはじめているが、目ぼしい収穫はない。
途中、捨てられた社のようなものはあったが、もう随分前に放棄されたようだった。
「出雲大社が近くなのだからもしやとは思ったのだがなぁ」
「それはさすがに安直すぎるのでは……」
「神様を奉っているのだから多少なり関係はあるじゃろ。とはいえここまで収穫がないとさすがの儂も堪えるが」
ふぅ、と息をついた宗厳は倒木に腰を下ろした。
木々の合間からさしこむ陽の光は徐々にオレンジ色が強くなっており、空気もいっそう冷え込んできた。
冬場ということもあり日が暮れるのも早い。
夜間の捜索は危険も伴うし、今日の捜索は一旦打ち切った方がいいのかもしれない。
「黎雄、今日は一旦引き上げて――」
言いながら黎雄に視線を向けるものの、彼の視線は別の方へ向けられていた。
その様子はまるで何かに眼を奪われているような感じだ。
「柳世さん、アレは……」
「アレ?」
どこか緊張した様子の黎雄が指差した方を見やった瞬間、宗厳は僅かに驚いた様子を見せた。
二人の視線の先にいたのは一人の少女だった。
服装は所謂巫女服のようなもので、黒い髪を後ろで結いあげている。
整った顔立ちと愛らしい目元もあって美少女の部類に入る娘だった。
けれど、どうにも不思議だった。
あの方角はさっき二人が歩いてきた方角だったが、あの少女を見てはいない。
そればかりか人間の気配すら感じていなかったのだ。
宗厳は当然のこと黎雄だってそれなりの実力がある。
この距離にいる人間の気配くらいなら感じ取れるはずだ。
にも関わらずこの距離で視界に捉えるまでまるで気配を感じなかった。
まさか幽霊ではと変な考えがよぎってしまうが、それにしてはハッキリと見えすぎだし、なにより先程まで感じなかった気配を今は感じている。
アレは生きた人間で間違いない。
しばし少女を見やっていると彼女は薄く微笑んでから軽く頭を下げる。
思わずそれに同調して二人も頭を下げると、彼女は踵を返して歩き出してしまった。
そのままいなくなるのかと思いきや、彼女は再び立ち止まると二人の様子を確認するように視線を向けてきた。
「ついて来い……ということか?」
「どうでしょう。でも、こちらを気にしているということは、その可能性も……」
二人で話している間も少女はそのまま進むことなくこちらに視線を向けたまま立ち止まっている。
やはり、二人に対して『ついて来い』と言っているようだ。
その様子に宗厳は深く息をついてから立ち上がり、彼女の後を追う。
「狙いがなんなのかはわからんが、ついて行ってみるかの。もしかしたら、マガツイについてなにかわかるやもしれん」
「罠という可能性は?」
「いや、恐らくそれはないな。あの娘っ子、確かに不思議な雰囲気だが、嫌な気配ではない。敵意はないと見た」
「わかりました。ですが、念のため用心はしておきます」
「うむ、では行くぞ」
二人はそのまま少女の後ろをある程度の距離を保ちながらついていく。
その間も彼女はしきりに宗厳たちがついて来ているのか確認していた。
やがて二人の視線の先に見えてきたのは、少し前に発見した崩れ果て、放棄された社だった。
「あそこは、さっきの……」
「……」
少女は社の前にある鳥居の前で立ち止まっている。
しばしその様子を観察していると、少女がこちらを見やる。
綺麗な瞳と視線が交錯すると、彼女はようやく声を発した。
「お二人共、どうぞこちらに」
凛としていて張りのある声だった。
それに反応する間もなく、少女は鳥居を潜った――。
――瞬間、その姿が沈むように消えた。
「っ!?」
二人は即座に彼女がいたはずの鳥居に駆け寄った。
が、鳥居自体に特に変わったところはない。
どこの神社にでもあるような鳥居だが、こうして間近で見ると少し違和感があった。
奥に見える社は完全に崩れているはずなのに、なぜこの鳥居だけ無事なのだろうか。
材質によって経年劣化の度合いは違うだろう。
しかし、社の風化具合と比較してみても、この鳥居はあまりにも綺麗すぎる。
新品同然というわけではないが、手入れをされている節があるのだ。
「柳世さん、さっきここに来た時、この鳥居こんなに綺麗でしたか?」
黎雄も違和感に気付いたようで少女が消えたことと合わせて動揺していた。
「いいや、さっき見た時はそこの社と同じように風化していた。だがそれは、向こう側から見た光景だ」
実を言えば二人はこの社を見つけたとき、この鳥居を一度潜っている。
だがそれは社に向かう方ではなく、社から出る方に潜った。
つまり、入ったのではなく出たのだ。
その時の視点では鳥居はここまで綺麗ではなかったし、所々劣化も見えた。
「では、あの少女が消えたのは……」
「恐らくこの鳥居が門のような役割を果たしているのだろう。ほれ、こうしてみるとよくわかる」
宗厳が右腕だけを潜らせると鳥居の向こう側に広がっている景色に波紋が広がった。
「あの娘っ子が消えたとき、まるで水中に沈んでいくかのように消えていた。恐らくこれは外界とこの先にある領域を結界なのじゃろう。この様子だと普通に入ることはまずできん。決められたルートを通るか、向こう側から招いてもらうかの二択だろうのう」
右腕を引き抜くものの特に異常はない。
「いったいこの先に何があるんでしょうか」
「さてな。まぁ一ヶ月近く出雲を調査しておったのだ、向こうもこちらに気付いたのだろうよ」
「ではやはり、この先にいるのは『マガツイ』の信仰者達ですか」
「そう考えるのが妥当じゃの。……さて、いつまでもここで突っ立っているわけにもいかん。招かれた以上、行ってみようではないか。元々、彼らに会うのが出雲に来た理由なのだから」
長い髭を撫でながら宗厳は鳥居を潜った。
それに一拍遅れる形で黎雄も鳥居を潜ると、二人の姿は先程の少女同様、トプンと水中に沈むように消えていった。
後に残ったのは放棄された社と山の静けさのみ。
鳥居を潜った瞬間、二人の視界は眩い光に支配された。
白一色に塗り潰された視界が徐々に鮮明になっていき、やがて完全に視界が晴れる。
「これは……」
「……」
黎雄は驚愕を露にし、宗厳も無言ながら眼を見開いている。
二人の視界に広がっていたのは朽ちた社ではなかった。
そこにあったのは綺麗に手入れされた立派な社と、そこに続く整地された石畳だった。
周囲の景色も先程までとは違い、周囲を囲んでいた山が見えない。
すると、驚愕を露にしていた二人に「ようこそ、お待ちしておりました」という先程聞いた声が届く。
声のした方に視線を向けるとそこにいたのは二人をここまで案内した少女だった。
が、彼女だけではない。
少女の隣には宗厳よりも少しだけ若い老女が柔らかい微笑を浮かべながら立っている。
宗厳は彼女に見覚えがあった。
「お前さんは、あの時の……」
「お久しぶりです。そろそろ来る頃かと思っておりましたよ。柳世宗厳様、そして獅子陸黎雄様」
そう、あの老女こそ数年前に『マガツイ』に関して教えてくれた女性だ。
「どうして俺達の名前を……?」
「ちょっとした占いのようなものですよ」
ホホホ、と笑った女性に黎雄は首を傾げる。
宗厳もそれは気になったものの、それ以上に問うべきことがある。
「招いてもらって早々にわるいが、教えてほしい。ここは一体、なんじゃ?」
平静を装ってはいるが、宗厳もこんな経験は初めてだった。
周囲から中の様子が見えないようにするための不可視の結界程度ならばある程度許容できたのだが、ここは明らかに想像の外だ。
すると、老女は一度頷いてから静かに語る。
「ここはあなた方が普段生活している世界と隔絶された領域。かつて神々によって造られた神域、名を『幽世』と言います」




