5-1 宣戦布告
雷牙の放った断切の力は苦しみのたうつ男性に向けて放たれていた。
男性はもがき苦しんでいた身体の動きを止め、仰向けに倒れこむ。
その場にいた誰もが雷牙が彼を殺したと思っただろう。
が、断切によって空間そのものに刻まれた剣閃が消えても、彼の身体が断ち切られることはなかった。
そればかりか男性は先程までの苦しみようが嘘のように鎮まっていた。
気を失っているのだ。
「……」
息をついた雷牙はしばし男性を見やっていたが、その瞳はどこか虚ろで雷牙の意思のようなものが欠如しているように見えなくもない。
「綱源? おい、綱源!!」
名前を呼ばれたことでようやくハッとした雷牙はすぐに振り返る。
背後には険しい表情の三人が立っていた。
すると、鋭い眼光を宿した翔が雷牙との距離をつめながら問うた。
「……彼になにをした?」
「あ、えっと……。この人は、殺してはいないっス。さっきのはその……別のモノを斬ったっていうか……」
雷牙の口調はどこかたどたどしくいつものようなハキハキとした様子がない。
それもそのはず。
会議室に飛び込んだ時、雷牙の思考の中にあったのは『斬る』ことだけだった。
だが、その斬るべきモノの存在がなんであるかはハッキリわかっていた。
「禍姫です」
「禍姫だと? 馬鹿な、彼は本物の捜査員だ。諜報隠密課の古閑准一本人で間違いない」
諜報課の課長は首をかしげたものの、辰磨は雷牙の言葉に察しがついたのか「そうか」と呟いた。
「以前、尊幽と柳世さんから報告してもらったな。確か京都で大原善綱の弟子の身体を禍姫が乗っ取ったと」
「そう、それっス! 九部隊の執務室で報告書を作ってたら、本部の中で禍姫の気配がしたんで急いでここまで来たら、あんな様子だったんで……俺、もう無我夢中っていうか、頭ん中がこう……斬らなきゃっていう感情一色になっちゃって」
「なぁるほどねぇ。だから急に走りだしたってわけね」
不意に聞こえた声に全員がそちらを見やると扉があった場所に雪花と灰琉火が見えた。
どうやら雷牙が飛び出した後に追ってきたようだ。
彼女達も会議室に入ると気絶している准一を見やった。
「あの苦しみ様も禍姫が関係していると見て間違いないのだろうな」
「そうだと思うっスけど……。京都ん時は最初から乗っ取られた状態で、その後戦ってる最中に乗っ取られてる側の意識が戻って苦しそうにしてたんで、古閑さんでしたっけ、あの人の中で禍姫との精神的なせめぎ合いがあったんだと思います」
「では、今はもう乗っ取られていないというわけか」
「はい、たぶん……」
雷牙はあいまいに返答した。
どこか自信がなさげな様子に翔が怪訝そうに眉をひそめる。
「……たぶん、とははっきりしないな。鬼哭刀を振り下ろした時にしとめたのではないのか?」
「京都でやった時は刹綱っていう錬鋼眼を持った子の力を借りて、禍姫の影みたいなモンがハッキリ見えたんスけど、さっきは見えなかったんス。でも、アイツに気配だけは感じられたんで、それが一番強く出てるとこを断ち切りました」
「なるほど。確かにこの中で直に禍姫と相対しているのはお前だけだ。ヤツの気配を感じられるのも当然か……」
「……古閑が意識を失ったことを考えると綱源の攻撃は禍姫に通じたということでしょうか?」
「恐らくはな。とはいえ、綱源、よくやってくれた」
「え?」
辰磨の声に雷牙は困惑した表情を浮かべた。
禍姫を退けるためとはいえ、なんの説明もなく飛び込み、あまつさえ捜査員に向けて刃を振り下ろしたのだから多少なり注意を受けると思っていたのだろう。
「そう身構えることはない。お前が来てくれなければ取り返しのつかないことになっていたかもしれない。ありがとう」
「あぁいや、そんないいっスよ! 俺なんかもう、無我夢中って自分でも刀を振ってから状況掴んだ感じだったんで!」
「それはそれでなんかヤバ……。まぁ結果オーライって感じだけど」
雪花が苦笑すると他の四人も「確かに」と言うように肩をすくめた。
「ともかく、まずは古閑くんを医療班診せる必要がありますね」
「そうだな。念の為に隔離しておく必要もあるだろう」
多少なり空気が和らぎ、課長と辰磨が医療班に連絡を取る。
誰もがこのまま何事もなく終わると思っていた。
それは雷牙もそうだった。
が、その考えは一瞬にして戦慄へと変わる。
ぞるり、という不気味なものが這い出てくるような感覚が雷牙の背筋に奔った。
『「あの程度で我の魂を断ち切れたと思ったのか?」』
雷牙が振り返るよりも早く、会議室に声が響いた。
准一のようであってそうでない。
彼の声に重なるようにして、冷徹かつどこか妖艶な声が聞こえるのだ。
すぐさま振り向くと先程まで気を失っていた准一がゆっくりと立ち上がるのが見えた。
雷牙を含め、雪花、翔、灰琉火が一瞬にして戦闘態勢に入る。
准一から感じるのはビリビリとした鋭い気迫……否、憎悪だった。
「禍姫……ッ!!!!」
鬼神の名前を絞り出すように告げると、准一は顔を上げた。
その口元は三日月の形に歪み、瞳は濁った赤色に染まっていた。
『「久しいな。綱源の小僧」』
重なった二人の声が会議室に不気味に響く。
「なんで……! お前はさっき……!!」
『「断ち切ったはず、か? フン、京都で会った時の状態ならばいざしらず、今の我にお前の力が通用するものか。覚醒を果たした我の力の前では、今のお前では力不足というわけだ」』
不適な笑みを浮かべた准一の傍らに黒い影のようなものが集まり、それは徐々に人の形を成していく。
その影だけでも並みの斬鬼以上の禍々しさを持ち、百戦錬磨の精鋭である雪花達からも息を呑む音が聞こえた。
「……綱源、古閑の身体を乗っ取っているのは禍姫の本体か?」
「本体の意思であることに変わりはないと思うっス。けど、あそこにいるのは多分、禍姫があの人に植えつけた魂っていうか、精神の一部だと思います」
「魂の一部でこの気配とは、まったく鬼の神とはよくいったものだ」
雪花の口調も戦闘時のそれに切り替わっており、禍姫の憎悪に対抗するように全員が気迫をぶつけている。
ただ向かい合っているだけだというのに両者の間では霊力同士の衝突によってバチバチと紫電が散った。
『ふむ、なるほどなるほど。部隊長とやらがどれほどのものかと思ったが……確かに強いな、お前達。霊脈も解放しているようだし、酒呑童子や大嶽丸も敵わんかもしれんな』
ゆらめく禍姫の影から齎されたのは意外なことに賞賛にも似た言葉だった。
が、ニタリと笑うその様子は素直に彼らを褒めている様子はない。
どちらかというと皮肉が込められていると言うべきか。
『とは言っても、京都で戦ったあの妖刀を使う小娘の方が強いな。お前達が弱いというわけではないが、アレは別格と言える』
妖刀を使う小娘。
間違いなく尊幽のことだろう。
人類史上、妖刀を持って斬鬼に変貌していないのは彼女だけだ。
「お前からの評価などどうでもいい。彼をどうするつもりだ」
『別にどうともしないさ。この男の身体を乗っ取ったのは、ここに来るためだからな。言うなれば敵情視察のようなものよ。お前達とてこの男を使って似たようなことをやっただろう。まぁこうして無駄に終わっているわけだが』
くつくつと笑った禍姫に全員の表情が険しくなる。
すると、彼女の言葉から何かを察したのか、辰磨が「なるほど……」と呟いた。
「古閑の正体を掴んだ上で解放軍の教祖や幹部達に逃げるよう指示を出したのはお前か。どおりで連中の動きが良すぎるわけだ」
『そういうことだ。ハクロウ長官、武蔵辰磨よ。こうして会うのは初めてだが、お前も中々の逸材と見える』
「敵に褒められたても嬉しくはないな。すぐに古閑を解放しろ。何か要求があるのならば、人質など取らずにお前が来い。それとも我々が怖いのか? 逃げ隠れする臆病者め」
『安い挑発だな。そんなものに我が乗るとでも思ったか? それに我は最初から特になにか要求するつもりはない』
「じゃあ、どうしてその人の身体を乗っ取った!」
苛立った様子で雷牙が吼えるものの、彼女は意に介した様子もない。
『さっき言っただろう。敵情視察をするために器が必要だった。だからこの男の身体を借りたまでのこと。用が済んだらさっさと解放してやるとも』
「……敵情視察か……。嘘が下手だな、禍姫。お前の狙いは最初から長官の命だろう。組織のトップが殺されたともなれば、全体の士気にも影響が出る。お前はそれを考え、古閑の身体を乗っ取り、ここにやってきた。違うか?」
鋭い眼光で翔が影状の禍姫を睨みつけた。
しばし沈黙が流れるものの、それは不気味な笑い声によって破られた。
『ククク、そうか……お見通しだったか……』
黒い影の中に浮かぶ赤い瞳が強く発光し、准一の方が瞳をぎょろりと動かした。
「ッ!!??」
この場にいた者全員が怖気を感じる。
憎悪、殺意、怨恨、憤怒、怨讐、宿怨……この世のありとあらゆる負の感情、それらを全て混ぜたような濃密なまでの怨念が彼らを襲ったのだ。
だが、一人として逃げ出す者はいなかった。
恐怖を感じていないわけではない。
彼らはただ強靭なまでの精神力で逃げだそうとする身体を押さえつけているのだ。
『確かにそこの部隊長が言うように当初の目的はそれだった。が、もう少しのところで邪魔が入った。お前だ、綱源雷牙』
准一の瞳と影の瞳が雷牙を捉えた。
彼女の狙いが本当に辰磨の暗殺だったのなら、雷牙の乱入は確かに邪魔だっただろう。
たとえ翔という実力者がいても、あの状況で即座に辰磨を守るのは難しい。
仮に守れたとしても翔が命を落としていた可能性は十分ありえる。
『あれには驚いたぞ。まさか我の気配を辿ってここまで来るとはな。我としても霊力は最小限にとどめ、ぎりぎりまで抑えたつもりだったのだが、どうして我を感知できた?』
「……テメェの気配は京都で会った時に覚えた。ここに来る直前、それと同じ気配を感じた」
書類を作っている時、雷牙は確かに京都で彼女と相対したときと同じ気配を感じ、そのままここへやってきた。
あとのことは無我夢中ということもあり殆ど覚えていないが、会議室に飛び込んだ時は既に頭の中は「斬らなければ」という思考でいっぱいだった。
『……一度我と相対しただけでそこまで感じ取れるようになったか。あの時とは違い、鍛冶師の娘がいなかったのにも関わらず我の気配を手繰り、的確に斬撃を放った……ククク、なるほどこれは面白い』
「どういう意味だ!!」
『なに、少し昔を思い出してな。頼光の末裔であり断切を覚醒させただけでなく人間としては余りにも膨大な霊力……』
禍姫の笑みがより強くなり、鋭利な殺意が隠されることなく雷牙へ真っ直ぐに向けられる。
これは今まで雷牙が感じていた『人類そのものに対する憎悪』ではない。
例えるのなら、『雷牙個人へ向けた憎悪』だろうか。
『綱源雷牙、やはりお前はあの男の器だったようだな』




