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執務室の空気は張り詰めていた。
翔と雪花の表情はどちらも硬い。
それも無理はない。
翔が告げた解放軍と禍姫の邂逅はそれだけ衝撃的だったのだ。
「その話、長官達には?」
「……当然伝えてある。今他の部隊長達にも連絡が回っている頃だろう」
「ってことは、今夜中にも緊急の隊長会議ですか」
「……ああ。だが、事が事だけに部隊長だけの会議では済まないだろうな」
翔の言わんとしていることは雪花にもある程度察しがついた。
クロガネ無き今、最も警戒すべき犯罪組織は『刀狩者解放軍』だ。
世界中に根を張り巡らせている彼らと、妖刀を生み出す存在である禍姫が手を組んだとなれば話は斬鬼対策課だけではすまなくなる。
世界各国の本部への報告はまだにしろ、すくなくとも日本の各地方に配置されている支部の支部長クラス、そして総本部の幹部クラスも当然召集されるだろう。
「でも鞍馬隊長、どうして解放軍が禍姫の傘下に入ったんでしょうか。禍姫にとっては連中だって滅ぼそうとしている人間です。それに解放軍だって人類を絶滅させようとしてる禍姫を良くは思ってないはずです」
解放軍の思想は確かに危険だ。
刀狩者を優位とし、霊脈を持たない人々を劣等種として支配、管理するという思想は驕りだ。
自分達を『神』か何かと勘違いしているに等しい。
力のあるなしで優劣を決めることなど絶対に間違っている。
だが、そんな彼らであってもある一定の線引きはしていたはずだ。
解放軍は人間を絶滅させたいわけではない。
あくまで刀狩者や霊脈保持者が世界を支配し、導こうと考えているだけだ。
禍姫の思想とは似て非なる――いや、殆ど真逆とも言って良い。
雪花にとってはそういった思想の食い違いがあるのに、彼らが結託した意味がわからないのだ。
「……それは俺にもわからん。恐らくだが、潜入先でもそれなりの混乱があったんだろう。緊急回線で『禍姫の傘下に入った』。という短い報告しかされていない」
「そっか……。集会があったってことは回りは信者だらけってことですもんね。下手に詳細を報告しているのがバレでもしたら……」
「……想像はしたくないが、ほぼ間違いなく命はない。解放軍に気付かれようと、禍姫に気取られようとそれは同じことだ」
ハクロウから送りこまれたスパイであることがバレればただでは済まない。
元来、スパイなどの諜報員や工作員はその存在を感知された時点で生存は絶望的だ。
運がよくて長期間の拘留、運が悪ければその場で殺害。
仮に逃げ出すことに成功したとしても暗殺という恐怖もある。
拘留されるにしてもその期間中にどのような仕打ちを受けるかは想像に難くない。
どちらにせよハクロウへの報告は細心の注意をはらって行う必要がある。
「最初の連絡の後はなにも?」
「……」
翔は静かに頷いた。
思わず雪花の脳裏に最悪の光景がよぎった。
緊急連絡をしてきたということはそれだけ切羽詰っていたということではないのか。
スパイであるということが感知され、逃げる途中に命辛々報告してきたのではないか。
もしかすると今は捕まった状態で酷い拷問を受けているのではないか。
想像すればするほど悪い方向にばかり考えてしまう。
それは表情にも出ていたようで、翔は「……いや」と雪花の想像を否定するような言葉を漏らした。
「……お前がそういう風に考えるのも無理はないが、恐らくそれはない。潜入させている捜査員のバイタルの様子は常にモニターされている。少しだけ脈拍が乱れた瞬間はあったが、今は安定している」
「殺されてはいないってことですか?」
「……少なくとも今はな。拘留された可能性も考えられるが、その確率も低いだろう。かと言って安心できるわけでもないが」
顔の前で指を組んだ翔の眉間には深く皺が寄っていた。
誰よりも捜査員の身を案じているのは彼だ。
かつて捜査員として活動していた翔だからこそ、捜査員の任務の過酷さを理解している。
バイタルサインが安定しているといっても無事とは限らないのだ。
彼にはそれが容易に想像できてしまうのだろう。
「鞍馬隊長、大丈夫ですか?」
「……問題ない。とりあえずお前に伝えることは伝えた。俺は諜報課に行ってくる」
翔は立ち上がるとそのまま執務室を出て行った。
足取りはしっかりしており、瞳には強い意志のようなものが感じられた。
諦めは一切ない。
そこにあったのは確固たる闘志だけだった。
翔が出て行った執務室で雪花は自身の胸の前で拳を握り締める。
「最悪のことを想像するのはまだ早すぎるよね」
今はただ信じて待つしかない。
捜査員だって闘ってくれているのだ。
それを自分達の尺度で勝手に失敗したと考えるのは失礼だというもの。
雪花もまた翔のように捜査員の身を案じながら辰磨からの連絡が来るのを待つことにした。
それから数時間後。
すっかり夜も深まった頃に雪花と翔に対して辰磨から大会議室に集まるよう召集がかけられた。
会議室には他の課の幹部達も集められ、室内には物々しい空気が漂っていた。
やがて召集をかけられた全員が集まったことを辰磨の秘書官が確認すると、大会議室の扉が閉ざさる。
多少ざわついていた会議室がシンと静まりかえった。
「皆、夜遅くに集めてすまないな」
辰磨が召集をかけたことに謝罪するものの、それに文句を言うものなど誰もいない。
事がことだけに深夜に召集を受けるのは仕方ないことだろう。
ちなみに遠方にいる部隊長達まで召集をかけるわけにはいかないので、新都常駐部隊である雪花、翔を除いた部隊長達は投影されたホロモニタで参加する形となっている。
「集まってもらったわけはメールにて報せた通りだ。諜報課と第四部隊が共同で捜査を進めていた解放軍が禍姫と接触し解放軍は禍姫の傘下に入った」
改めて認識させられる事実に数名の幹部達がゴクリと喉を鳴らした。
雪花としても彼らの気持ちはよくわかる。
「今一度確認するが、その情報に間違いはないんだな?」
辰磨の鋭い視線が翔と諜報課の幹部に向けられた。
二人は一度視線を交わしてから静かに頷くと翔が立ち上がり説明を始めた。
「……情報に関して間違いはありません。ただ、一度目の報告以降、捜査官からの連絡はなく、今現在もそれは同様です」
「まさか既に解放軍や禍姫の手にかかって……?」
「いえ、バイタルサインが消えていないのでそれはないかと。ただ、報告がないということはそれなりに切迫した状況であるはずです」
「確かにそうだな。しかし、現状ではあまりにも情報が少なすぎる。解放軍が傘下に入ったことで禍姫にどんなメリットがあるというのか」
禍姫にとって人類という種は殺害すべき対象だ。
だのに彼女は今それを無視して解放軍を己の傘下に加えた。
一体どんな心境の変化があったというのか。
「最も単純に考えれば戦力の強化じゃないですか? 現状、禍姫の戦力は解放軍を除けば百鬼遊漸に酒呑童子とその側近達だけです。彼らの力は確かに強大ですけど、ハクロウが総力を注ぎ込めば打倒するのはそこまで難しくありません」
「……上泉の意見には俺も同意します。解放軍の構成員は末端の信者を入れれば数十万どころでは済みません。クロガネの倍以上です。恐らくは解放軍の思想を利用し、力と話術で傘下に加え、戦争を起そうとしているのではないでしょうか」
戦争。
その言葉に会議室がざわめいた。
全人類共通の敵が出来てからというもの、この星では国家間での戦争は起きていない。
かつては頻繁に起きていたことらしいが、今では教科書や戦争を題材にした映画でしか扱われない。
その戦争が今まさに起きようとしている。
ハクロウの幹部といえど緊張を隠せないのは当然だった。
「しかしだね、部隊長。禍姫の目的は人類の殲滅だ。万が一、いや億が一にも考えたくはないが、もしも我々が彼らに敗北したとしても解放軍側の人類は残ってしまうだろう?」
「……禍姫もそれは考慮しているでしょう。戦争が起きればハクロウと解放軍双方に多大な犠牲が出ます。どちらが勝つにしろ負けるにしろ、禍姫にとっては疲弊したところを潰せばすむ話です」
「禍姫からすれば解放軍のことは仲間だなんて思ってないってことですよね。あくまでハクロウを潰すための駒でしかない。利用するだけ利用してあとはポイ……やることがえげつない」
そう根本から考えて禍姫が人類を味方にすることなどありえない。
「恐らくは解放軍の思想を上手く利用し、ハクロウを滅ぼした後に刀狩者優位主義を掲げる者だけが生きられる場所を提供すると唆されたのだろうな。解放軍からすれば、邪魔者である我々を排除できるのだから、傘下に入ろうと考えるのも妥当だな」
辰磨の言うとおり、解放軍は明らかに唆されていると見て良いだろう。
そうでなければ禍姫の軍門に下るなどありえない。
彼らとてハクロウからの情報で禍姫が悪意を持って人類を滅ぼそうとしていることくらいわかっているはずだ。
なのに協力するということは、彼らは既に禍姫の術中に嵌られたということだ。
「解放軍はそれに気付けているのでしょうか?」
「どうだろうな。気付いていながらも協力せざるをえないのか、本当に気付いていないのか、もしくは禍姫に完全に同調したか……。連中がどのような判断を下しているのかはわからんが、どんな選択をしているにしろ、解放軍の先にあるのは破滅だけだ。鬼に利用されればどうなるか、少し考えればわかるだろうに……」
辰磨の表情は暗く、どこか遣る瀬無い様子もあった。
敵対関係にあるとはいえ解放軍とて同じ人類だ。
それが鬼のいいように利用されようとしているというのはあまり気持ちの良いものではない。
「……最も恐ろしいのは解放軍の人間が禍姫が生み出した妖刀で変異させられてしまうことですね。禍姫がそれらを操れるのだとすれば、数十万以上の斬鬼の軍勢が生まれてしまう」
「斬鬼の、軍勢……!?」
「数十万って、そんなのどうやって対処しろと……!!」
幹部達の表情に動揺が奔る。
無理もない。
数十万の斬鬼の軍勢など雪花達部隊長ですら想像したくない。
「……当然、まだ想像の段階でしかありませんが、完全にないとも言い切れません。覚悟はしておいた方がよろしいかと」
「それに酒呑童子や百鬼みたいな斬鬼神だってこれから先出てくることも考えられますよね」
「そうだな。もしかすると禍姫はより強い斬鬼を生み出すために解放軍に近づいたのかもしれん」
重い空気が会議室に蔓延った。
解放軍との全面戦争。
数十万の斬鬼の軍勢。
その背後に控える全ての元凶である禍姫。
どれを取っても気分を沈ませるには十分すぎる話だ。
すると重い沈黙が流れる室内にアラームが鳴り響いた。
それは敵襲などの緊急事態を告げるものではなく個人の端末に入るものだった。
見ると、諜報課の幹部が端末を取り出し何かを確認していた。
翔もそれが意味していることがわかったのか僅かに驚いているようだ。
「武蔵長官! 解放軍に潜入中の捜査員から新たな報告が来たとのことです!」
幹部の声に会議室が再びざわめき出した。
だが、辰磨だけはいたって冷静に幹部を見やった。
「モニタに写せるか?」
「はい、ただちに!」
幹部は即座に頷くと携帯端末から呼び出したホロモニタを操作し、会議室の正面にある大型のモニタへ報告内容を送った。
報告内容のアップロードが完了し、大型モニタに写し出された情報はその場にいた全員が息を呑むものだった。




