3-1 鬼神が望むモノ
ピチャン、ピチャンという水のしずくが落ちる音が響いていた。
暗い空間は四方を無機質なコンクリートで囲まれており、窓もなく太陽の光は一切届いていない。
これだけで凡そここが地下であることはわかる。
周囲を照らしているのは所々にある明滅を繰り返している照明だけで、時折照らし出される壁や床には亀裂や崩落の痕跡が見えた。
造られそして廃棄されてからそれなりの年月が経過していることは明らかだった。
「あー……暇、ひま、ひーまー!」
いるだけでも陰鬱な空気になりそうな空間に響いたのは、場違いなほど明るく高い声だった。
崩れた瓦礫をベッド代わりにして寝転んでいるのは、顔に火傷の痕がある女性。
酒呑童子の側近の一人である星螺だった。
彼女は瓦礫ベッドの上をゴロゴロと転がりながら「マジひまー!」と子供のようにわめき散らす。
「星螺、黙っていろ。喧しい女が」
苛立ちを露にしたのは鋭い目つきをした男性、同じく酒呑童子の側近である荊木だった。
常人であればほぼ間違いなく体を硬直させるであろう眼光だったが、星螺は挑発するようにベーッと舌を出した。
「だって事実じゃん。三、四ヶ月前にハクロウの中東本部襲撃してからそんなでかいことしてないし。こんな辺境の国の地下に缶詰じゃわめきたくもなるっての」
「別に喚くなといっているわけじゃない。ここだと周囲に反響してお前の甲高い声が余計うるさく感じる。わめきたいなら外で喚いてろ」
「だからそれも面倒なんだっての。それに地上に上がったってなんもないし」
「なら虎銅の鍛錬にでも付き合ってやるんだな」
「あー、無理無理。前々から言ってるけど私あのハゲオヤジ嫌いだから。汗臭いし脂ぎっしゅだしもう最悪。おまけに私の体エロイ目で見てくるし」
辟易した顔で語る星螺の言葉は本心のようで明らかな嫌悪感が見て取れた。
荊木はそれに大きく溜息をつくと「だったら大人しくしていろ」と一度彼女を睨みつけてから視線を壁際に移した。
それにつられるように星螺も視線を向ける。
二人の視線の先には眉間に深く皺を寄せた、酒呑童子だった。
彼の視線は荊木と星螺に向けられてはおらず、別に殺気を向けられているわけでもない。
しかし、その雰囲気は明らかに近寄りがたいもので星螺もそれを感じ取ったのか小さな舌打ちをしてから寝返りをうった。
さすがの彼女も酒呑童子のあんな様子を見てはこれ以上騒ぐ気も起きないのだろう。
ようやく静かになったことで荊木は瓦礫に座りつつ今までのことを思い返す。
八月に戦刀祭を襲撃しそれに失敗して以降、クロガネはボスである酒呑童子と側近である四人を除いて完全に崩壊したと言っていい。
各国にあった支部や隠れ家は殆どがハクロウによって潰され、構成員の多くも捕まり、それを免れた者たちも逃げ出している。
もはや組織としての再興はほぼほぼ不可能と言っていい。
けれど、実際のところそれはどうでもいいことだ。
今彼らが気にすべきなのは自分達をあの襲撃現場から転移させた百鬼遊漸と彼が真の主として仰いでいる禍姫の動向だ。
遊漸はもはや荊木達が知る彼ではなくなっていた。
いいや、実際は彼が演技をやめたというべきか。
酒呑童子の話では彼の本当の名前は『大嶽丸』という斬鬼で、クロガネに入ったのも酒呑童子の動向を監視し管理するためだったという。
すべては彼が仕えている禍姫に協力させるために。
正直に言ってしまえば気持ちのいい話ではない。
これは荊木だけにいえた話ではない。
他の星螺を含めた側近達も、そして酒呑童子も決して快くは思っていないはずだ。
だが、現状は彼らに従う以外の手段がないのも事実だ。
ふぅ、と荊木は息をついて眉間のあたりを指で軽く押した。
その際チラリと酒呑童子を見やったが、彼は相変わらず硬い表情だったが瞳には強い闘志のようなものが見えた。
思わず荊木の口角が上がった。
そうだ、自分達が真に従う人物は彼しかいない。
決して禍姫や遊漸が主ではないのだ。
己が仕える者を再確認する荊木だったが、次の瞬間視線の先で酒呑童子が不意に立ち上がった。
「ボス?」
声をかけてみるも返答はない。
彼は周囲を見回し何かを確認しているようだった。
すると、それに少し遅れる形で別の部屋にいた遊漸が姿を現した。
珍しく焦ったような表情を浮かべている糸目の男はすぐにさらに地下へ通じる階段へ向かった。
それに遅れる形で酒呑童子も階段を駆け下りていく。
「ボス、どこへ!?」
「荊木、お前達はそこで待っていろ。後から合流するだろう虎銅と金熊にも同じように待機するよう伝えておけ」
「はぁ……わかりました」
突然のことで何が起きたのかはわからなかったものの、少しすると荊木は「まさか」と一人ごちる。
「覚醒したというのか……?」
脳裏によぎったのはこの下にある繭の中で眠る女の形をした化物。
禍姫の姿だった。
「おい、百鬼。今のは……」
階段を駆け下りた酒呑童子は先を進む遊漸に声をかけるものの、彼に声が届いているような様子はなかった。
その表情にあったのは待ち焦がれたというような笑み。
酒呑童子のことなど眼中にないと言った様子だ。
普段なら胸倉を掴みあげて問い詰めたいところだが、凡その予想はつく。
上にいた時酒呑童子は全身に電撃が走ったような感覚を覚えたのだ。
痛みがあるとかそういうものではなかったが、何か強大な者が生まれ出でたのを本能が察知したような感覚だった。
それが最下層からだということはすぐ理解できた。
近くにある強大な何かなど、彼女以外にありえない。
遊漸もその感覚を味わったからこそいつにもなく取り乱した様子で先を駆けているのだろう。
一気に最下層まで降りると当然のように遊漸が最奥に通じる扉を勢いよく開け放った。
彼に一拍遅れる形で酒呑童子も最奥の部屋を覗き込む。
室内に禍姫が眠る繭はなかった。
その代わりにあったもの。
否、いた者。
それは白い女だった。
真っ白な肌と純白の頭髪を持った赤い瞳の女が不適な笑みをうかべ、一糸纏わぬ姿で佇んでいる。
「っ!」
決してこちらを見ているわけではないが、彼女が全身から発する威圧感に思わず気圧される。
瞬時に頭が理解した。
アレが完全に目覚めた禍姫であると。
鬼として自分よりも遥かな高みに存在している。
離れた位置から見ているだけなのに一瞬にしてそれを本能の奥深くに刻まれたような気分だった。
それが酷く腹立たしくて酒呑童子は彼女を睨みつける。
すると、隣に立っている遊漸が「おぉ、ついに……!」と歓喜の涙を流しながら全身を打ち震わせた。
「……マジか、こいつ……」
彼の様子が心底気持ち悪くて酒呑童子は悪態にも似た声をもらすものの、既に遊漸にそんな声は届いていない。
遊漸は膝を震えさせながら室内に入ると、そのまま片膝をついて禍姫に頭を垂れる。
禍姫もそれに気付いたようでようやく視線を二人に向けた。
「よくぞ……よくぞお戻りに、我が主、禍姫様……!!」
搾り出すような声は震えており、僅かに見える目元には光るものが見えた。
どうやら泣いているようだ。
「おいおい……」
辟易したように表情をゆがめながらも、彼も室内へ足を向ける。
視線の先では禍姫が頭を垂れる遊漸を労っていた。
「今日までの奉仕、感謝するぞ。大嶽丸」
「もったいなきお言葉。私は貴女様より生み出された僕、これからも最大限の忠義を尽くします……!」
「ああ、よろしく頼む。酒呑童子よ、お前にも世話をかけたな」
微笑みかける禍姫。
凄まじい威圧感のはずなのに、なぜか彼女の言葉と表情に心が安らぐような感じがした。
不気味な感覚だった。
殺気をむけられていた方がまだマシと思えるほどだ。
しかも彼女の声によって酒呑童子の意思に反して体が跪こうとしていた。
だが、酒呑童子はそれに抗った。
確かに彼女は全ての妖刀、斬鬼の生みの親。
人間でたとえるなら母のような存在だ。
その言葉にやすらぎを感じるのも、頭を垂れようとするのも当然のことなのかもしれないが、酒呑童子は生まれてから一度も誰かに忠誠を誓ったことはない。
平安の世でも同じこと。
頼光に討たれたあの日まで、誰かの下についたことなどただの一度もありはしない。
これから先もそんなことは絶対にない。
「……ッ!!!!」
酒呑童子は禍姫の言葉を撥ね退け、真っ赤に燃える眼光を彼女に向けた。
「……ほう」
彼の行動に興味を惹かれたのか、禍姫は薄い笑みをそのままに舐めあげるような視線を向けた。
表情に怒りは感じられなかった。
跪かなかったことにも、頭を垂れなかったことも特に気にしている様子はない。
最初から咎める気がないのだろうか。
けれど、彼女に反して遊漸、否、大嶽丸は「貴様っ!!」と怒号と共に立ち上がった。
「どういうつもりだ酒呑童子!! 我らの主人たる禍姫様に労われたというのに頭の一つも下げられないのか!?」
感情が昂ぶった影響なのか、彼の頭からは酒呑童子と同様の鬼の角が見えていた。
白眼も真っ赤に血走っており、先程までの優男然とした様子は一切ない。
「俺は最初からその女に忠誠を誓ったつもりはねぇ。労われることもねぇし、感謝されることもない。俺テメェらと一緒にいるのは目的が同じだからだ」
「貴様……。どうやら仕置きの必要がありそうだな……!」
瞬間、大嶽丸の本性が現れたのか口調と共に体がボコボコと波うちはじめる。
霊力も徐々に高まって行き、彼の手には漆黒の刀が握られる。
酒呑童子も応戦するためニヤリと笑みを浮かべた。
彼とはいずれ勝負をつける必要があると思っていたところだ。
しかし、二人の衝突は冷たい声によって止められる。
「やめよ、お前達」
禍姫が今にも戦い出しそうな二人の間に割って入った。
「禍姫様! なぜ止めるのです。その者の態度には貴女に対する敬意がない。粛清するのは当然です!!」
「酒呑童子の態度について我はとやかく口を出すつもりはない。コレは最初からそういう風に造ったのだ。お前が我に最大の忠義を尽くすのと同じようにな」
「だとしても最低限は……!」
「くどいぞ。我が咎めないと言っている。お前は我に意見するのか?」
大嶽丸を見やりコテンと首をかしげる禍姫だが、その仕草とは裏腹に濃密な殺気は漆黒のオーラとなって彼女の前身から溢れ出した。
向けられているのは大嶽丸のはずだが、酒呑童子も殺気を感じずにはいられなかった。
己よりも上位に存在しているのだと見せ付けられているようで、それがまた癪に障る。
するとさすがの大嶽丸も「わかり、ました……」とあからさまな渋面をつくりつつも彼女に従った。
「酒呑童子、あまり大嶽丸を刺激するな。子供同士が争うのはあまり見たくはない」
「そうかい。じゃあそいつのいけすかねぇ性格どうにかするこったな。それと俺はテメェを親だと思ったことは一度もない」
悪態をついて挑発染みたことをしてみるものの、禍姫は小さく笑みを浮かべるだけで不機嫌な様子はなかった。
あまりにも不気味な態度に酒呑童子は舌打ちをしつつ彼女から視線を逸らした。
「我が主よ、今後の行動はいかがいたしますか?」
「そうさな。現状の戦力でも小国家のハクロウ本部程度なら軽く潰せるが……。戦力的には圧倒的にこちらが不利。特に日本を守る鬼狩り共の戦力は侮れん」
「では斬鬼を増やし戦力の増強を?」
「ただの斬鬼では所詮雑兵程度にしかならん。必要なのはお前達と同格の鬼だ。人間を攫って生み出す方法もあるにはあるがそれは目立ちすぎる。だが、我々と同じように闇に潜むものを使えばそこまで目立つこともあるまい」
「闇に潜む者……」
大嶽丸は逡巡する素振りを見せたがすぐに彼女が言わんとしていることを理解したようで、不適な笑みを浮かべた。
「なるほど、解放軍ですね」
「そうだ。お前の報告では連中の中には元ハクロウ所属の鬼狩りもいるらしいな」
「はい。ハクロウの部隊長を務めた者も確認しています。」
「それもこちらとしては好都合だ。鬼狩りの体を使えばその辺りの人間を使うより、強い鬼が生み出せる。最初に済ますべきはそれだな」
「ではすぐにでも出立の準備を――」
「――いや、今日はいい。こうして目覚めたはいいが、まだ力が体に馴染んではいない。刀の調整もある」
刀の調整という言葉に酒呑童子は引っかかった。
彼女の言う刀ということはつまり妖刀のことなのだろうが、調整など必要があるのだろうか。
それに中東本部から持ち帰った棍棒のような物がないのも気がかりだ。
怪訝な表情をうかべていると大嶽丸が「わかりました」と腰を折った。
「では今日のところは御緩りとお過ごしください。生活できるスペースは上に準備させておりますので」
二人はそのまま上階へ向かったが、酒呑童子はただ一人その場に留まった。
「……最初からそういう風に造っただと……。ふざけやがってあの女……!」
苛立ち交じりに振るった腕から放たれた霊力の塊は壁を粉砕した。
「……俺は誰の下にもつかねぇ。俺は俺だ。鬼の首魁、酒呑童子だ」
赤熱する瞳を怒りに染めた酒呑童子の口調に忠誠などという色は一切なかった。
そこにあったのは禍姫や大嶽丸に対する嫌悪と憎悪、そして反骨の精神だけだった。




