2-1 変貌する妖鬼
酒呑童子率いるクロガネが起した新都及び戦刀祭同時襲撃事件以降、妖刀顕現による刃災の発生数は低下していた。
その原因がなんなのかは明確にはなっていない。
恐らくは禍姫が関係していると考えられたものの、何の狙いがあるのかはまでははっきりとしていない。
世論は刃災が少なくなっていることを明るく捉えた。
ワイドショーやニュース番組などでも一週間以内に顕現した妖刀の数を前年のものと比べてグラフ化し、『去年と違ってこんなに減ってるんですねー』と芸能人やコメンテーターが驚いていた。
その中には『刃災そのものが終息傾向にあるのではないか』といった希望を見出すような意見や『そもそも禍姫など存在していないのではないか』というハクロウの発表に否定的な意見もあった。
インターネット上ではもっと過激な意見もチラホラあったようだが、ともかく世論は刃災の減少傾向に楽観的だった。
もちろん、中東本部が壊滅して多くの刀狩者や職員が死傷したことを踏まえ、まだ気をぬくべきではないと捉えている者もいた。
しかし残念なことに世論的にその意見は少数だった。
妖刀や斬鬼という人類共通の敵がいて、ハクロウという国際組織があったとしても、一人一人の国民にとっては外国であった出来事にすぎない。
自分達に直接的に影響が出なければ、苦痛や苦労など感じない。
まさに対岸の火事という認識にしかならなかったのだ。
実際、中東本部壊滅事件を騒ぎ立てたもの一ヶ月と少しあるかないか程度で、その後は殆ど報道されることはなかった。
多くの人々から明らかに危機感が欠落し始めていた。
けれど現場で活動する刀狩者やハクロウ関係者にとってはこの期間はとてつもなく不気味だった。
言うなれば『嵐の前の静けさ』というやつだ。
台風が接近していると連日報道されていても、実際に上陸ないし最接近するまでは穏やかな気候が続く時がある。
それは台風そのものが周りの雲を巻き込み、巨大に成長しているからだ。
凪のような穏やかな日々が続いているとしてもその裏では確実に何か危険なことが起きている。
刀狩者達の多くは誰に言われずともそれを感じ取っていたのだ。
とはいえ、この凪のような期間は悪いことばかりでもなかった。
妖刀が顕現しないということはその分刀狩者が鍛錬できる期間があるということ。
つまり、『備える期間』ができたということだ。
いつ終わるかも分からない凪が続いている間に、ハクロウに所属する刀狩者及び、育成校の学生達は実力の底上げが求められた。
第二霊脈の解放や学生の早い段階での仮免取得もその一環である。
結果としてそれらは凪が終わる前に上手く進んだ。
刀狩者全員と学生の全員が第二霊脈の解放を済ませ、襲撃事件以前よりも確実に力をつけたと言っていいだろう。
このまましばらく凪が続くかとも思われたが、仮免試験が終わるよりも少し前辺りから妖刀の顕現数は徐々に増え始めた。
それでも例年から比べれば少ない方ではある。
だが、戦力増強を狙うハクロウにとって妖刀が顕現するのはある意味で好都合だった。
実地訓練において学生達が経験を積めるからだ。
育成校での訓練には限界がある。
VRを駆使した訓練や、生徒同士や教師との模擬戦などはできるものの、それらは結局育成校内での経験にしかすぎない。
しかし、実地訓練では現場の雰囲気や戦い方、妖刀の顕現や斬鬼との戦いを直接感じることができる。
育成校での経験よりも一歩先の経験ができるのだ。
そして今まさに、第九部隊にスカウトされた雷牙にその時が訪れた。
地下大訓練場から地上へ通じる緊急用エレベーターを降りた雷牙、は同じタイミングで地上に現れた灰琉火と共に妖刀が顕現した新宿区へ向かっていた。
その間新都には妖刀顕現を告げる警報が鳴り響いていており、避難する人々が多く見られた。
「綱源、これを付けておけ」
走りながら放り投げられたのは小型の通信機だった。
「耳に突っ込んでおけ。観測課から通信が入るようになっている。部隊間でのやり取りには自動で切り替わるようになっている」
「はい! 了解ッス!」
言われたとおり、通信機を耳に突っ込むと観測課からの音声が既に流れていた。
どうやらまだ妖刀を握った人は現れていないようだ。
「斬鬼はまだ出てないみたいっスね」
「そのようだな。だが、油断はできない。付近の警防署に配置されている刀狩者が向かっているようだが間に合うかどうか」
「新宿ってなると人もかなり多いっスよね。避難が始まってるつっても、その中から妖刀に魅了されている人を見つけるのはかなり面倒なんじゃないっスか?」
「ああ。だから先に見つけるべきは妖刀の方だ。魅了されている人間が妖刀を握りさえしなければ斬鬼は現れない。その場合はただちに妖刀の破壊、もしくは封印を――」
灰琉火がそこまで言いかけたところでザッというノイズが通信機に入った。
『――観測課より第九部隊へ! 妖刀を握った一般人が斬鬼に変貌したとの報告! 至急現場での対処をお願いします!』
「なに……?」
突然の報告に灰琉火は眉をしかめると、通信機に指を当てて観測課と直接連絡を取り始める。
そのやり取りは雷牙には聞こえなかったものの、風に載って灰琉火の声だけは聞こえてきた。
「……黒い触手? ……ああ……それで警防署の刀狩者は……? わかった、無茶をせず市民の安全確保に努めるように伝えてくれ」
彼女はそのまま通信を終えると一気に加速した。
すぐさま雷牙もそれに続き、彼女に問う。
「矢炭副部隊長! なんか想像してたんよりも斬鬼になるのが早い気がするんスけど、なにかあったんスか!?」
「……一部始終を見ていた警防署の刀狩者からの報告によると、妖刀とそれに魅了された人間を見つけた瞬間、妖刀から黒い触手のようなものが伸び、人を無理やり引き寄せたらしい」
「そんなこと、あるんスか?」
「いや、私の経験上はない。気にはなるが今は忘れろ。恐らく先発隊がそろそろ変貌した斬鬼と会敵するはずだ」
すると、視線の先で爆炎と土煙が舞い上がった。
建物が崩壊する音と共に、不気味な咆哮が鼓膜を揺らした。
斬鬼が行動を開始したのだ。
「そういえば上泉部隊長は……?」
「部隊長ならばすぐに来る。今は目の前のことにのみ集中しろ!」
「は、はい!!」
雪花のことが気になりつつも、雷牙は灰琉火と共に現場に急ぐ。
二人が現場に到着すると既に先発として向かっていた部隊員達が斬鬼と交戦を始めていた。
周辺にはまだ完全に避難できていない一般人の姿も見えたものの、斬鬼の手はそこまで及んでいない。
部隊員達が斬鬼の注意をひきつけているからだ。
その隙に別の部隊員や警防署に所属している刀狩者達が避難誘導と救助を進めている。
彼らの動きには一切の乱れはなく、的確なタイミングで適切な行動が取られており、まさに完璧な連携であった。
学生のそれとはまったく違う洗練された動きだ。
雷牙は自分も加勢しようと腰を落としたが灰琉火によって止められた。
「綱源。急がせて悪いが、今回はここで見ていろ」
「え、でも……」
「お前が強いのは分かっている。だが、ついさっき隊長から連絡があってな。『今回は見学させていろ』とのことだ」
「わかりました」
「そう気を落とさなくていい。別にお前が弱いから外しているわけじゃない。余計な怪我をさせないための配慮だ。それにあの程度斬鬼ならば、私や部隊長が出て行かずともすぐ終わる」
「けど本部だと危険度が橙から赤って……」
「観測課の想定は霊力の歪みの最大値から算出される。だが、顕現後に歪みはある程度落ち着く傾向があるんだ。恐らくあの斬鬼が持っている妖刀の危険度は橙から黄色と言ったところだろう。下手に成長させなければ私が出る幕すらないよ。まぁ報告にあった黒い触手とやらは気になるが――」
すると、斬鬼の方から咆哮とも悲鳴とも取れる声が響いた、
見ると部隊員が斬鬼の足にダメージを与え、斬鬼が大きく態勢を崩していた。
巨大な腕や鋭利な爪、そして妖刀を振るって抵抗を見せているものの大振りかつ鈍重な攻撃は部隊員に掠りもしなかった。
そして抵抗も虚しく、雷牙が一度瞬きをした後に部隊員によって頭が斬りとばされた。
大きな頭が空中を舞い、血しぶきが周囲を濡らす。
やがて「ぐちゃ」という粘着質な水音ともに頭が落下するとそれに呼応するように巨体も大きな音を立ててその場に倒れこんだ。
「――終わったな。やはりそれほど危険度の高い妖刀ではなかったようだ。部隊長が来るまでもなかったな」
「……さすが部隊って感じっスね。皆、息とか乱れてないし……」
動かなくなった斬鬼の死体の周辺に見える部隊員に疲れや呼吸の乱れは一切ない。
まるで散歩を終えた程度のようにも見える。
「あの程度の斬鬼が相手ならな。危険度が赤に近ければもう少し苦戦を――っ!」
微笑を浮かべた灰琉火だったが、言い終える途中で彼女の表情は一瞬にして険しくなった。
それとほぼ同時と言ってもいいだろうか。
雷牙は全身に悪寒が走るのを感じた。
否、彼だけではない。
その場にいた全員が不気味な気配を感じ取ったのだ。
「なん、だ……これ……!」
「総員戦闘態勢を解くな! まだ何かあるぞ!!」
灰琉火が叫んだ瞬間、それは起きた。
首を切断された斬鬼の頭から黒い触手のようなものが蛇がのたうつようにあふれ出したのだ。
部隊員を含めた刀狩者全員が退避行動を取るものの、触手のような黒いモノはうぞうぞと動き回るだけで、攻撃をしかけてくる様子はない。
だが、次の瞬間触手は急に意思を持ったかのように動き、切断された頭を掴み取った。
「まさか……!?」
誰かが驚愕の声を上げた。
この瞬間、誰もが同じことを思ったはずだ。
切断された首から溢れ出た黒い触手のようなものが探していたのは、斬りとばされた頭。
それを回収したということは――。
「っ!」
刹那、雷牙の隣にいた灰琉火が消えた。
次に彼女が現れた時、その体は炎を纏っていた。
その熱気は離れているはずの雷牙まで届いていた。
「あっつ……!」
灰琉火はそのまま炎を纏った鬼哭刀で斬鬼に刃を振り下ろそうとしたが、途中で何かに気付いたのかその場から飛び退いた。
いったい何がおこったのかと雷牙は眼を凝らす。
すると、彼の背後から冷気を伴った一迅の風が駆け抜けた。
季節的に冷たい風は吹くかもしれないが、明らかに自然の風ではなかった。
確実に誰かが駆け抜けた時に吹いた風。
しかも極低温の冷気を纏った状態でだ。
一瞬、龍子の顔がチラついたものの、視線の先に現れた人影は彼女ではなかった。
「上泉、部隊長……!?」
雷牙の視線の先に現れたの雪花だった。
けれど、ほんの一瞬ではあったが、雷牙はアレが雪花だとわからなかった。
それは何故か。
彼女が纏っていた雰囲気が総本部にいた時とまるで違ったからだ。
優しさがあった瞳は冷酷な光を灯した鋭い目つきに変化し、表情にも柔らかさは一切感じられなかった。
少しだけかきあげられた頭髪も桃色ということに変わりはなかったものの、髪質そのものが変わってしまったのかふんわりとしたものではなく、サラリとしたストレートに変貌を遂げていた。
別人。
まさにその言葉が当てはまった。
辛うじて彼女が雪花であると判断できたのは胸の大きさが同じだったからだ。
『……全員、少し下がれ』
通信機から聞こえてきた雪花の声もまるで別人のそれ。
絶対零度の冷徹さがそこにはあった。
すぐさま全員がその場から離れると雪花は速度をそのままに、触手によって首がつながりかけていた斬鬼に向けて刃を振り上げた。
瞬間、バキバキという軋むような音と共に波濤を思わせる巨大な氷が現れた。
氷はそのまま斬鬼の全身を飲み込んで完全に凍結させる。
うねっていた黒い触手も動きを止めている。
圧倒的な冷気は雷牙の下にも届いており、指先や靴先には小さな氷が付着していた。
「す、すげぇ……!」
龍子すらも軽く凌ぐ圧倒的な氷結の力。
かじかむ手をさすりながら驚愕を露にしていると、雪花が白い息を吐きながら鬼哭刀を鞘に納めた。
途端、斬鬼を凍結させていた氷がその巨体と共に砕け散る。
妖刀も同様に砕け散り、サラサラと空気中に霧散していった。
残った斬鬼の体も空気中へ溶け込むように粒子となって崩壊をはじめ、黒い触手も同様に消えていく。
どうやら今度こそ終わったようだ。
『状況終了。直ちに事後処理を済ませろ』
通信機から聞こえてきた冷淡な雪花の声にハッとした雷牙は現場を見やってたビルの屋上から飛び降りて事後処理を始めている部隊員達の下へ急いだ。
けれど、その胸中には別人のように変わってしまった雪花と、黒い触手を伸ばした斬鬼のことでいっぱいだった。
黒い触手が頭を拾ったのは恐らく切断された首を繋げ、復活するためだったのだろう。
それは即ち、斬鬼が、否、妖刀が進化をしていることを意味しているのではないだろうか。
「部隊長、申し訳ありません。私が油断したばかりに……」
灰琉火は纏っていた炎をかき消し、雪花に頭を下げた。
「気にする必要はない。雷牙に手を出させるなと言ったのは私だ。それにさすがにあんなことになるとは思ってもいなかった」
雪花の口調は訓練場にいた時とは別人のそれだったが、灰琉火は特に気にかける様子もなかった。
むしろ普段どおり接している感じだ。
「あの触手のようなものはなんだったんでしょうか」
「まだわからない。だが、再生しようとしていたことは確かだ」
「……禍姫の影響ですか」
「そう考えるのが妥当だろうな。ともかくこのことはハクロウ全体で共有しておく必要がある。事後処理は隊員達に任せ、灰琉火は報告書を頼む」
「了解しました」
軽く頭を下げた灰琉火に頷くと、雪花は鋭い眼光のまま、まだ霧散しきれていない斬鬼の骸を見やる。
「……首を落とされても死なない斬鬼。力をつけたのは私たちだけではないとでも言いたいのか……」




