6-4
尊幽と禍姫の剣戟は刹綱のすぐ近くで重ねられていた。
剛風と衝撃は四方八方へ広がり、鋭い音が絶え間なく響き渡っている。
無論、刹綱にも影響はあった。
風と衝撃で髪は乱れ、舞った砂礫が頬や体に激しく打ち付ける。
彼女はそれらを一切気に留めず、やすりで削り終えた鬼哭刀に歪みがないかを見極めていた。
すぐ近くで人外同士による戦闘が繰り広げられているこの状況で、手元の作業に集中できる人間などそうはいないだろう。
けれど、刹綱の場合は少し違う。
「……」
彼女の瞳には目の前にある鬼哭刀以外が映っていないのだ。
激しい戦闘音も、吹き荒ぶ剛風と衝撃も刹綱はまるで知覚できていない。
感じていたとしても『少しうるさい』くらいだろう。
心と視線は全て鬼哭刀のみに注がれており、瞳には僅かな曇りすら見えない。
刀に向き合う気迫はまさしく刀匠そのものだ。
「……よし……」
鬼哭刀に歪みがないことを確認した刹綱は、鬼哭刀を置いてから用意していた焼刃土を刀身に置いていく。
この土を置くことで焼入れの際に刀独特の刃文と反りが生まれる。
雷牙に渡すために急ぐべきかもしれないが、焦れば仕事が雑になる。
急ぐことは勿論だが、一つ一つの工程を手際よく済ませ、刀身全体に土を置いた刹綱は温めていた火床の正面に座る。
火床の温度を確認した刹綱は金鋏で鬼哭刀を掴み、中へ押し込もうとした。
だが、その瞬間側頭部に強烈な衝撃と痛みが走った。
視界が揺れ、地面に倒れこむ。
「刹綱っ!!」
誰かの声が聞こえた。
ジンジンとした痛みが走る部分に手を当てると、ぬるりとした湿った感覚があった。
どうやら血が流れているようだ。
「……」
だが、刹綱はこの状況においてもいたって冷静に対処する。
近くに下げてあった手ぬぐいを巻いて止血をはじめたのだ。
衛生観念から見れば決して褒められた行動ではないだろうが、血が目に入ったら鬼哭刀の状態を見極めることができない。
ぎゅっと硬く手ぬぐいを縛り、火床の前に座る。
痛みはあるが我慢できない痛みではない。
腕と足にも振るえなどはなく、まだ正常に動く。
「いける……」
体の状態を確かめ、刹綱は金鋏で持ち上げた鬼哭刀を火床のなかに押し込んだ。
刀造りの大詰、焼き入れの作業だ。
この作業によって刀の強度を上げ、湯船で急速に冷やすことで化学反応を用いて反りと刃文を生む。
よく斬れる刀にするために必要不可欠な作業である。
出血がどうした。
痛みがなんだ。
そんなことを気にしている暇は今はない。
この鬼哭刀を雷牙に届けるまでは、なにがあっても手を止めるわけにはいかない。
火床に入れた刀が適温に熱せられるまで、刹綱は火床から目を離すことはなかった。
「……ほんとになんて子よ……」
禍姫と剣戟を重ねながら尊幽は先程の刹綱の行動に内心で舌を巻いた。
あの一瞬、尊幽の死角で禍姫は転がっていた壁の破片を刹綱の頭目掛けて投げつけたのだ。
直撃すれば頭が吹き飛ぶ威力だったそれをすんでのところで尊幽が弾いたものの、砕き切れなかった破片が彼女の頭にあたってしまった。
大部分は尊幽が砕き割り速度を落としたとはいえ、破片だったとしても相当な威力だったことに変わりはない。
現に彼女は軽く吹き飛び、側頭部からは出血していた。
どんな人間であれ、集中しきっている状態でも痛みを感じれば手を止めるはずだ。
尊幽も彼女の集中が切れてしまうのではと考えた。
しかし、彼女の行動は尊幽の予想の上を行ったのだ。
「まさか自分で止血して作業再開するとはね……!」
最初見たときは目を疑った。
痛いだろうに、刹綱は手ぬぐいで無理やり止血して焼き入れの作業を始めてしまったのだ。
僅かに見えた瞳に恐怖はなく、刀を作り上げようとする信念のみが見えた。
「まったく最近の子は本当に無茶するみたいね」
次代を担う子供達の成長を案ずるような婆臭い台詞が出てしまったが、尊幽は面白げに笑っていた。
すると、正面で禍姫が黒刃を大きく振りかぶったのが見えた。
しめたとばかりに尊幽は深く呼吸する。
「フッ!!!!」
「シッ!!!!」
気合いの声と共に放たれた斬撃に合わせる形で尊幽も斬撃を放つ。
完璧に合わせられた尊幽の刃は、禍姫の刃をギィン、という金切音と共に弾き返した。
それにより禍姫の態勢が僅かに崩れたのを見逃さず、尊幽はその場から飛び退いて刹綱を背中隠すように立ちはだかる。
「……なんのつもりだ?」
「こうした方が守りやすいのよ。さっきの態勢だとどうしても死角が生まれる。それにアンタの卑怯な手を妨害するのにもこっちの方がいいわ」
「卑怯? 弱いものを狙うのは戦いの常套手段だと思うが」
「斬鬼の親玉のくせにやることが本当にみみっちぃわね。底が知れるわよ」
「どうとでも言え。人間を殺すことが出来るなら卑怯もなにも関係ない。しかし、小娘を守るために今のチャンスを逃すとはな」
肩を竦めた禍姫は小馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「我が態勢を崩したあの一瞬、貴様ほどの実力があれば一太刀浴びせることもできたろうに」
「ハンッ! お生憎様、体が鈍ってたさっきまでならいざ知らず、アンタとの戦いでようやく体が温まって来たわ。アンタの態勢を崩すことくらい、いつだって出来るわ」
「ほう、では後悔するなよ。あの一瞬が我に一太刀浴びせる絶好のチャンスだったことを」
「後悔後悔うるさいわねぇ。別に後悔なんてしないからさっさとかかってきなさいよ」
大きなため息をついた尊幽は、片手をあげて禍姫を誘う。
すると、それに応えるように禍姫が姿勢を低くしてから一息で尊幽に斬りかかってきた。
強烈な斬撃を尊幽はいとも簡単に防いだが、衝撃波は背後に駆け抜けていく。
しかし、尊幽の体が盾になることで、彼女のちょうど後ろにいる刹綱に被害はなかった。
「ちっ……」
「さっきは私のミスで怪我させたけど、これ以上あの子に手を出させないわ。あんたの攻撃全部無力化してやるわよ」
「ぬかせ!!」
苛立ちを露にして再び禍姫は斬りかかってくるものの、尊幽は余裕の笑みを浮かべ、宣言どおり全ての斬撃を華麗に受け流していく。
その間、刹綱には衝撃や剛風はもちろんのこと、小石や砂煙すら届くことはなかった。
山中の雷牙と禍姫との戦いは未だに続いていた。
空はすでに星がはっきりと見えるほど暗く、夕日は完全に西の空へ沈んでしまっている。
そんな状態でも雷牙は襲ってくる黒刃を受け止める。
禍姫が向けてくる殺気を感じ取っているというのもあるが、幸いだったのは今日が満月だということ。
月は低い位置にあるが、山の形状的に月光が差し込んでくる構造になっているのだ。
街灯すら存在しない山中では、月光がまるで太陽の光が如く二人の姿を浮き上がらせる。
既に何度目かわからない剣戟の応酬。
禍姫の剣閃は全てが雷牙を絶命させる軌跡を描いており、一撃でも貰えば致命傷、即死は免れない。
が、雷牙は決して恐怖に駆られてなどいない。
「ッ!!」
首を落そうとする剣閃を寸でのところで受け止めた雷牙の口元には笑みがあった。
命のやり取り。
極限状態で雷牙の意識はより尖鋭化され、禍姫の僅かな機微すら感じ取れるようになっていたのだ。
これは決してこの戦いの中で開花した力ではない。
雷牙が今までの戦いで培った経験と知識が全て集約したことで得られた力だ。
……もっとだ、もっと!!
心臓を狙って放たれた突きを刃で受け流すと、そのまま刃をすべらせながら距離を詰めて禍姫の顔面目掛けて斬り上げる。
「せァッ!!!!」
火花を発生させながら放った斬撃は確かに禍姫の顔を捉えていた。
しかし、彼女は不敵な笑みを浮かべると剣閃を僅かな体捌きのみで回避した。
僅かに雷牙との距離が離れ、刃が届かなくなる。
ここで離されれば再び彼女が攻勢に出てしまう。
スゥッと大きく呼吸した雷牙はダンッ! と地面を揺るがすほど強く地面を踏みしめ、離れかけていた間合いを詰める。
……離されるな、喰らいつけッ!!!!
絶対に息をつかせるわけにはいかない。
攻撃こそが最大の防御。
ここまで鋭敏になった感覚をここで途切れさせるわけにはいかない。
「ゥルァッ!!!!」
気合いの声と共に立て続けに刃を振るう。
決まった型などない、もはや暴力と言っても過言ではない剛撃。
しかし、乱雑とも思える刃は禍姫を防御の姿勢に追い込めた。
逃しはしまいと更に刃を重ね、防御が緩んだ隙を見て柄を両手で握りこむ。
「オオオオオッ!!!!」
咆哮一閃。
雄叫びと共に放たれた斬撃は、禍姫の防御を崩し、彼女を一気に後退させることに成功した。
「……」
「このまま一気に……ッ!!」
攻め立てようと一歩踏み込もうとした時。
それは突然起きた。
ピキ……。
手首に伝わったかすかな感覚に雷牙は全身を悪寒が駆け抜けた。
この感覚はつい先日味わったことがある。
そう、この何かに亀裂が入ったような嫌な震動は……。
「……これは……!」
恐る恐る視線を鬼哭刀に向けると、刃の中ほどに小さな亀裂が入っているのが見えた。
刃こぼれではない。
恐らくこれは鬼哭刀が雷牙の力に耐えられなくなり始めたことを意味しているのだ。
つまりは危険信号であり、砕け散る手前ということ。
「……元々貴様のために造られた刀ではないのだから、貴様と合わないのは当然だろう」
後退させた禍姫の声に雷牙はすぐさま反応して鬼哭刀を構える。
彼女は嫌な笑みを浮かべながら、黒い刀の切先を向けてきた。
「付け焼刃の刀では所詮それが限界ということだ」
「……テメェが俺の限界を勝手に決めるんじゃねぇよ」
「お前ではない。その刀のことだ。どうみてもまともに戦える状態ではないだろう?」
「そんなもんやってみなきゃ――!」
「――強がりも大概にしておけ。残念ながらその刀の寿命は持ってあと数撃。我が亀裂に一撃見舞えば確実に折れるだろう」
彼女の言っていることは正しい。
雷牙とてわかっていることだ。
この刀がもうすぐ壊れてしまうなんてことは。
だからといってここで退避するわけにはいかない。
ゆえに雷牙は一瞬荒くなった心を落ち着けるように深呼吸する。
……落ち着け、まだ完全に折れたわけじゃねぇ。霊力を最小限に保って亀裂に一撃入れさせなければまだ戦える。
己に言い聞かせると、鬼哭刀にまわしていた霊力の量を調整する。
これで霊力による内部崩壊は防ぐことができるはずだ。
「なるほど。霊力を抑えて砕けるのを抑制したか。しかし、それで我に勝てると思うのか?」
「……」
答えることはできなかった。
正直かなり、否、勝率は限り無く零に近いだろう。
今のままでは銀磁を救うことはおろか、禍姫から童子切を奪い返すことすらできない。
こんな時にあの鬼哭刀があれば……。
雷牙の脳裏に刹綱が鍛えた鬼哭刀がよぎる。
「まぁ、あの小娘が造っている鬼哭刀が出来たところでお前は我を退けることは叶わないだろうがな」
「あの小娘……刹綱のことか?」
「ああ。我の目は置いてきた入れ物の目と通じている。ゆえに、あちらが見たものは全て我にもわかるということだ。どうやらあの小娘、お前のために鬼哭刀を完成させようとしているようだな」
「刹綱……」
恐らく自分が禍姫を追った後に鬼哭刀を造りに戻ったのだろう。
そして急ピッチで完成までこぎつけようとしているということか。
「しかし、あの程度の小娘が造った刀で状況が変わると思うか?」
「なんだと……?」
鼻で笑った禍姫を睨みつける。
「この際だから教えてやろう。我がこの男の体を乗っ取ったのは、ある程度の霊脈を有していたからだ。だが、本来であれば小娘を乗っ取るべきだった」
「なにが言いてぇ……!」
「より確実に懐に入り込むならば、この男よりあの小娘の方がよかったということだ。ではなぜそうしなかったか……理由は単純。小娘の霊脈があまりに矮小で使い物にならなかったからよ」
「っ!!!!」
禍姫が見せた薄汚い笑みに雷牙は拳を強く握り締めた。
ブチリと掌の皮が裂けた音が聞こえたが、今はそんなことはどうでもいい。
「あれでは体を乗っ取った瞬間に我の霊力に耐え切れず体が爆散していたことだろう。そんな取るに足らん雑魚の小娘が造った刀が、我に通用するとでも思うのか?」
「……黙れ……」
雷牙の肩はかすかに震えていた。
怒り。
彼の瞳には禍姫に対する明確な憤怒があった。
この女はなんと言った。
刹綱のことを使い物にならない、取るに足らない雑魚だと。
雷牙の脳裏で刹綱の姿がフラッシュバックする。
彼女は雷牙のために全身全霊で鬼哭刀を造ってくれた。
傷を負いながらも雷牙に合う鬼哭刀を造った彼女のことを馬鹿にしていいはずがない。
それがたとえ神と言われる存在であろうとも。
怒りに震える雷牙は思わずありったけの霊力を放出しかけたが、すんでのところで感情を制御する。
ここで無理に霊力を出せば、鬼哭刀に更なるダメージが及んでしまう。
ふぅっと息をついた雷牙は怒りを一旦抑えてから禍姫を再び睨みつける。
「……なにか言いたげな眼だな」
「ああ、テメェに言いたいことは山ほどあるぜ。けど、今はこれに留めといてやる――」
雷牙は深呼吸してから何度目かになる台詞を禍姫に向けて言い放つ。
「禍姫。テメェがどれだけえらい存在なのか知らねぇけどな。あまり人間を舐めるんじゃねぇッ!!!!」
「またそれか……馬鹿の一つ覚えのように……。本当にくだらん生き物よなぁ!!」
苛立ちを見せながら禍姫は斬りかかってくる。
鬼哭刀の消耗は激しく、使い方を誤れば一瞬にして折れるだろう。
だが、たとえこの身が八つ裂きにされようと、目の前の存在だけは許すわけにはいかない。
何かに全力で打ち込み、努力を重ねた人間を馬鹿にするようなものに、負けるわけにはいかないのだ。
刃が再び衝突し、山の中で激音が木霊した。




