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自己紹介を終えた尊幽はにこやかだったが、雷牙の表情は驚愕に染まっていた。
剣星もそれは同様で、雷牙ほどではないにしろ、表情には緊張と驚愕が入り混じっている。
「妖刀を従えるって……そんなこと……」
「ありえないなんて野暮なこと言わないでね。実例が目の前にいるわけだし」
クスクスと笑う彼女は外見が作用していることもあるのか一瞬、ただの少女にも見えた。
けれど、その手の中にある刃からは、斬鬼特有の黒々とした霊力が零れ出ている。
奇妙な感覚だ。
外見や気配は人間そのものだが、感じる霊力は完全に斬鬼のそれ。
「どうしてアンタは斬鬼化しないんだ?」
生唾を飲み込み、雷牙は問う。
彼女は自分のことを妖刀を従え、支配下に置いた者と言っていた。
言葉通りの意味なのだろうが、なぜそんなことが可能なのか。
雷牙は純粋に浮かんだ疑問を彼女に投げかけずにはいられなかった。
すると尊幽は手元にある妖刀を曲芸をするかのようにくるくると回してみせた。
「斬鬼に変化する原因ってなんだっけ?」
「妖刀を握ることだろ」
質問に質問で返され、雷牙は若干ムッとしながら答える。
雷牙の答えに「うんうん」と何度か頷いた尊幽は妖刀を放り投げると、刃を直接掴んでこちらに柄を向けてきた。
「半分正解。まぁ世間一般的にはそういう認識だし、正解って言ってもいいんだけど」
「どういうことだ?」
首をかしげると、尊幽の瞳が雷牙から剣星へ移るのが見えた。
説明してやれという合図なのだろう。
「雷牙くんの言うことは間違っていない。一般的に妖刀を握った瞬間、握った者は斬鬼へと変貌する。けど、より詳細に分析すると変貌する前に僅かなタイムラグがあるんだよ」
「タイムラグ?」
「ハクロウの研究ではその僅かな時間に妖刀と宿主の間で精神的な拮抗が起きているとされているんだ。その拮抗で妖刀側が勝った時、人は斬鬼へと変貌する。これが人が斬鬼へと変貌する過程だよ」
「そうだったのか……でも、そんなこと育成校とか聞かされてないですけど」
「知ったところで意味がないからだよ」
剣星は眉間に深く皺を寄せながら告げた。
「妖刀との間で拮抗が起きたとしても、握ってしまった人間は確実に斬鬼化する。それが心を強く保てるはずの刀狩者だったとしてもね」
「堕鬼がその良い例だろう。変貌の過程を知っていて精神を強靭に保とうとしても、簡単に呑まれてしまう。だから、知ったところで意味がないのじゃ」
宗厳の補足に雷牙は驚きながらも頷いた。
人間の心は弱い。
けれど、それと同時にその逆境から這い上がる力も秘めている。
絶望で心が満たされたとしても、いつかそれを跳ね除けられる。
妖刀を握った瞬間に起きる一瞬の拮抗とは、人間の心の奥底にある抗う力、立ち向かおうとする力が作用して起きているのだろう。
妖刀は人間が最後に見せる抵抗すらもいとも簡単に呑み込み、人を破壊と殺戮の化身、斬鬼へと変貌させてしまう。
「じゃあ尊幽、アンタは妖刀との間で起きた精神の拮抗に勝ったってことなのか?」
「んー……ほぼ正解だけど……ちょっと惜しいような、遠いような……」
「もったいつけずに教えてやれ。今更隠すことでもあるまいに」
「後輩くんにちょっとしたご教授をしてあげただけよー」
教授していたのは剣星だったと思うが、それを言うと彼女の性格上面倒くさいことになりそうなので雷牙は心に留めておくことにした。
「アンタの考えは決して間違ってないわ。精神の拮抗に人間側が勝ってしまえば、斬鬼化することなく妖刀をしたがることができる。まぁこれはあくまで理論上の話ね」
「理論上ってアンタが含まれてないみたいな言い方だな」
「当然。だって私はそういう方法で妖刀を従えてないんだもん」
「え……」
「私は生まれたその瞬間からこの刀を持っていた。赤ん坊の頃からね」
「赤ん坊の頃からって……持った状態で生まれたってのか!?」
愕然とするのも無理はない。
妖刀を持って産まれた赤ん坊の話など聞いたことがない。
いや、それよりもそんな状態で生まれてきて母体の方に危害はなかったのだろうか。
「より明確に言うと、尊幽は生身の人間から産まれたわけではない。まだハクロウが表立った組織ではなかった頃に当時の鬼狩り達によって産まれたばかりの尊幽が拾われたのだ」
「そゆこと。とは言っても私も自分がどんな風に生まれたのかなんて知らないんだけどね」
肩を竦めた尊幽は空中に放った妖刀を特に見もしないで鞘に納めて見せた。
だが、雷牙や剣星はまだ納得がいっていないようだ。
「ハクロウ創設期よりも前にって……。いくつなんですか?」
「美冬さんの話だと師匠とは若い頃からのつき合いって話だったけど……」
「んー。いくつだっけ?」
「知らん。だが少なくとも儂が若い頃から姿形は変化しておらんのう」
「じゃあ最低でも百歳は越えてるってことか」
「そうね。とは言っても、レディの年齢を詮索するのは大概にしときなさいな」
ギラリと光った彼女の眼光に思わず萎縮する。
怒っているわけではないようだが、余計な詮索は死を招きそうだ。
けれど彼女が妖刀を従えることができた理由は納得できた。
母親の胎内にいる赤ん坊は解釈によってはまだ生きていない人間として捉えることが出来る。
つまり、心が芽生える前の段階だ。
拮抗する心がなければ妖刀による斬鬼化は起こりえない。
「支配している妖刀が貴女を飲み込もうとするようなことはないんですか?」
「今まで生きてきてそういうことはなかったわね。この刀は私と一心同体。喰われることはないと思うわよ。けど、もしもその時が来たら、私が斬鬼になる前に私の首を落としなさい」
自分の首筋に手刀をあてて首を飛ばすジェスチャーをする尊幽。
先ほどまで浮かべていた笑みはなく、瞳には冷淡な光があった。
決して容赦などするな、と言われているようで、雷牙は思わず喉を鳴らす。
剣星はそれに静かに頷くと「最後に一つ」と指を立てる。
「長官は貴女がそういう存在であることを知っていますか?」
「ええ。私が拾われたのは武蔵家の初代当主だからね。私のことは一族以外には他言無用で受け継がれているわ」
「わかりました。先ほどは敵意を向けてすみませんでした。なにぶん、貴女と会った時から斬鬼と同じ気配を感じていたもので」
「謝る必要はないわ。妖刀を破壊し、斬鬼を滅するのが刀狩者の本懐。少しでも嫌な気配を感じたのなら、敵意を向けるのは当然ね」
「そう言ってもらえると幸いです。僕からこれ以上問うことはないけど、雷牙くんはなにかあるかい?」
話を振られ、雷牙は「えっと……」と考える素振りを見せた。
しかし、正直なところこれといって深く追求するところはないように思える。
不老の理由などは気になるといえばなるが、そこまで追求する話題でもない。
しばらく考え込んでいた雷牙だが、不意になにか思いついたのか「そうだ」と改めて尊幽を見やる。
「さっき俺の母親が綱源光凛って知ってたよな。会ったことがあるのか?」
「……ええ、まぁね。あの子がまだ生きていたころに一度だけ。宗厳が連れてきたわ」
「戦ったのか?」
「軽くじゃれあう程度にはね」
「母さんは、強かったか?」
「そうねぇ……」
彼女はクスっと笑ってから懐かしむように瞳を閉じ、何度か頷いた。
やがて瞼を開けた彼女は深紅の瞳で雷牙を見やり、どこか楽しそうに微笑む。
「強かったわ。だから、アンタも頑張りなさいな。いつかこの安綱を使えるようになって、彼女を越えてみなさい。その時になったら相手してあげるわ」
「……ああ。そん時はよろしく頼むぜ、尊幽」
「ええ。まぁもっとも、アンタ程度には負ける気はさらさらないんだけどねー」
ケラケラと笑う尊幽に雷牙を含めその場にいた全員が「あれだけいい空気だったのに台無しだよ」と思ったものの、誰一人として顔には出さなかった。
なぜなら彼女の性格上面倒くさくなることこのうえなさそうだからだ。
「ま、まぁともかくこれで話は落ち着いたわけですし、今日はもう解散にしましょうか。らいちゃんも起きたばかりでまだ体力も回復してないでしょうし」
空気を換えようと美冬が手を叩いて提案する。
確かに彼女の言うとおり、先ほどまで茜色だった窓の外は既に薄暗くなり始めている。
これから先にやるべきことは決まったのだから、これ以上話し合うこともないだろう。
「そうですね。あまり雷牙くんに負担をかけるわけにもいきませんし。それじゃあ僕はこれで――」
「――あ、ちょっと待って、剣星さん!」
病室から出て行こうとする剣星を雷牙が呼び止める。
「なんだい?」
「あ、いや、瑞季……じゃなくて、学校のヤツらは無事かなって思って……」
「……安心して良いよ。皆生きている。それについさっき事情聴取も終わったみたいだよ。多分君が目覚めたことも知らされるんじゃないかな。大原さんのところに行く前にお見舞いにこれるように手配しておくよ。それじゃ、今日は早く体を休めてね」
軽く手を振ってから剣星は病室を出て行った。
すると、それに続くように尊幽と宗厳も病室から出て行こうとする。
「私達もちょっと予定があるから一旦出て行くわ。行くわよ、宗厳」
「ああ。雷牙、また後で連絡する。しばらくは美冬がついていてくれるから問題ないじゃろう」
「わかった。また後でな、二人とも」
病室を出て行く二人を見送り、小さく息をつくと雷牙は突然ベッドに仰向けに倒れこむ。
「だ、大丈夫!? らいちゃん!」
ボフッと音を立てて倒れた雷牙を美冬が心配そうに覗き込む。
雷牙は彼女に対して軽く手を上げると、大きな溜息をついた。
「いやー……眼が覚めて早々いろんなことがありすぎてちょっと疲れただけ……」
「あー……」
無理もないと言う様に美冬の間延びした相槌の声が病室に響いたのだった。
病室を後にした尊幽はハクロウ本部の人気のない休憩所にあるソファに座っていた。
表情はどこか落ち込んでいる様子で、項垂れているように見えなくもない。
彼女は一度大きなため息をついて虚空を見上げる。
「なにを黄昏ておるんじゃ」
呆れ混じりの声と共に額にひんやりとした感覚が伝わった。
缶のお茶が額に乗せられたのだ。
ジロッとお茶を乗せてきた宗厳を睨みつけるものの、彼は特にこれといったリアクションもせずに向かいのソファに腰を下ろした。
病室を出た後、二人は辰磨の下へ行こうとしたのだが、事後処理などで多忙な様子だったので彼の暇が出来るまでここで時間をつぶすことにしたのだ。
額に乗せられた缶をとって開けようとしたものの、尊幽が不服げに息をついた。
「……私、紅茶の方が好きなんだけど」
「なんでもいいと言っておったじゃろう。注文せんおぬしが悪い」
宗厳は肩を竦めており、尊幽は若干ムッとしながらも仕方なくお茶のプルタブをあけて一口あおる。
しばらく無言でお茶を飲んでいた二人だが、尊幽の表情はずっと晴れず、仏頂面のままお茶を傾けている。
「どうした? 随分と思い悩んでおるようだのう」
「……別に。ちょっと嫌なこと考えてただけよ」
「禍姫のことか?」
「ッ!」
反射的に体が動き、思わず立ち上がってしまった。
赤い瞳にあるのは僅かな動揺と困惑。
「……気付いてたの?」
「いや、殆ど直感じゃ。しかし、病室を出てからというもの妙に足早だった。エレベーターでは心ここにあらずと言った具合、不自然すぎるじゃろう」
「参ったわね。そこまで行動に出てたなんて……」
「何十年のつき合いだと思うとる。それで禍姫に関して何を考えていた?」
老獪の鋭い眼光が向けられる。
尊幽は一瞬言いよどんだものの、やがて観念したように話し始める。
「私の生まれについて考えたの。私は自分がどうやって生まれたのか覚えてない。両親がいるのかさえも。ただ物心ついた時にはハクロウにいて、この妖刀を持っていた」
立て掛けてある妖刀を見やる尊幽の言葉は続く。
「でも今日、雷牙から禍姫のことを聞いた時にふと考えたんだ。もしかすると私は、酒呑童子みたいに禍姫が生み出した存在なんじゃないかって」
神妙な面持ちで尊幽は指を組んだ。
彼女の中にあったのは明らかな不安感。
自分は禍姫が人間達を観察するために生み出した手先なのではないか。
妖刀を従えていても、もしかしたら禍姫によって洗脳されてしまうのでは。
考えれば考えるほどに深みに嵌っていくような感覚だった。
「ねぇ、宗厳。私は――」
「――だとしたら、なんだというのだ?」
どうすればいいのかと問おうとした瞬間、ぴしゃりと言葉を遮られてしまった。
宗厳は鋭い眼差しで尊幽を見据えている。
力強く、真っ直ぐな瞳。
年齢を重ねた老獪のみができる眼光に思わず気圧される。
「仮にお前が禍姫によって作られた存在だったとして、それがなにか問題なのか? 重要なのは、お前がどうあるべきか、どうしたいのかではないのか?」
「私がどうあるべきか……」
「儂が知っているお前はもしかしてとか、そんな曖昧なものに振り舞わされるほどやわな女ではなかったがのう。一人でいる時間が長かったせいでえらく陰気になったものよな」
ワハハハと笑い飛ばす宗厳の表情に先ほどまでの男らしさはない。
なんというか、完全にこちらを馬鹿にしに来ている意地悪なジジイにしか見えなかった。
「人が悩んでんのにこのクソジジイ……!」
メキョっと飲み終わった缶を握りつぶす尊幽だったが、表情には余裕が生まれていた。
瞳にも困惑などはなく、どこか吹っ切れたような様子だ。
「はぁ……なーんかアンタにしゃべったら真剣に悩んでる自分が馬鹿らしくなってきたわ……」
「ハハハ。褒めてもなにも出んぞ」
「褒めてないってーの。けど、確かに言われてみればそのとおりかもね。第一、妖刀を従えられてるただ一人の人間なんだから、そう易々と手ごまにされてたまるかって話よね」
「ああ。その心持でいれば問題はなかろう」
「一応お礼言っとくわ。ありがと、宗厳」
「礼にはおよばんよ。さて、そろそろ辰磨のヤツも時間が出来た頃合じゃろう」
立ち上がった彼は缶をすてて休憩所を出て行こうとする。
「あ、ちょっと待ちなさいっての! 私も一緒に行くから!」
「はよせい」
「わーってるわよ!」
尊幽は先を行く宗厳に続き、彼とともに辰磨の執務室を目指す。
「辰磨のヤツ、禍姫のこと知ったら胃が痛くなるかもしれないわねー」
「だろうな。お前のことも心配するじゃろうて」
「もう平気よ。それに禍姫が私を乗っ取ろうとしたら、逆にこっちから食い潰してやるわ。妖刀を支配するのと同じようにね」
「調子が出てきたのう」
「ええ。アンタの言うとおり、一人の時間が長すぎて意外にメンタルやられてたみたい。でも、もう問題なしよ」
得意げに笑って見せる彼女に落ち込んだ様子は一切ない。
少し影を落としていた赤い瞳も今は戦意というか、闘争心のようなものが爛々と光り輝いている。
瞳の輝きは雷牙が時折見せる強者との戦いの時に見せるものと酷似していた。
因みに、二人や剣星から禍姫の存在を知らされた辰磨が胃をいためることになるのは言うまでもない。




