1-3
「一通り検査を終えましたが、体に異常は見られませんね」
ベッドに座る雷牙の前では彼を担当している医師が電子カルテを見やりながら宗厳と美冬に告げた。
目覚めた後すっ飛んできた医師と看護師によって雷牙は精密検査を受けることとなった。
結果は医師が言うように問題なし。
全くの健康体らしい。
「あとは本人の感じ方もありますが……どうかな、綱源くん」
問うて来る医師に対し、雷牙は「そうっすねぇ……」と呟きながら腹部のあたりを押さえた。
「お腹に違和感があるのかい?」
「らいちゃん、もしそうなら早めに言っておきなさい」
医師と美冬は心配して覗き込んでくるものの、雷牙は低く唸ったあとにただ一言。
「腹減った……」
病室に響き渡ったのは獣の唸り声を思わせる巨大な音。
それが雷牙の腹の虫だとわかった瞬間、二人はそれぞれ呆れたような表情を浮かべた。
「この様子なら問題なさそうですね。食事はこちらで用意させます。まずはお粥など消化のいいものから――」
「――いや、用意するのならばとにかく量を用意せい」
黙って見守っていた宗厳が溜息交じりの声をもらす。
「今の状態の雷牙なら厨房の食材殆どを食い荒らすぞ」
「そうですねぇ……一週間近くなにも食べてないらいちゃんなんて初めてですし。かなりの量を用意してもらった方がよろしいかと」
「そ、そうですか。ではすぐに用意させますのでもうしばらくお待ちを」
若干引き攣った笑顔を浮かべた医師は看護師と共に病室を出て行った。
十数分後、大量の料理が病室へと運び込まれたが、それが一瞬にしてなくなって行ったのは言うまでもない。
「ふぅ……。あー、食った食ったー」
ベッドの上で満足げに寝転んだ雷牙の前には大量の皿や器が積み重なっていた。
すっかり雷牙の腹は膨れていたが、軽くポンと叩いてやるとふくらみは空気が抜けた風船のように小さくなっていった。
食材を全て霊力へと還元したのだ。
そのまま跳ね起きるようにベッドから脱した雷牙は、一週間眠り続けたおかげで凝り固まった全身の筋肉を解すように軽いストレッチを行う。
「……うっし、異常なし!」
空腹もなくなり、ひとまずは体も解すことができた。
記憶も意識もはっきりしているので倒れるような心配はないだろう。
「人心地ついたか、雷牙」
振り返ると宗厳が薄く笑みを浮かべていた。
「おう。もう平気だぜ、師匠」
久しぶりの師匠との対面に雷牙も思わず表情を綻ばせた。
四月に家を出てから五ヶ月近く、連絡は多少なり取っていたが面と向かって話すのは本当に久々だ。
それがうれしいようなもどかしいような、気恥ずかしいような。
雷牙は他にどう反応すべきか悩むように頬をかいている。
「なんじゃニヤニヤしおってからに。気味が悪いやつじゃのう」
「うっせぇわ!」
宗厳の煽りに少しだけ語気を強めたが怒りはない。
すると宗厳は雷牙の頭に軽く手を乗せてきた。
「よく頑張ったのう」
優しく告げられた宗厳の言葉に思わず口角が上がってしまった。
それを見られまいと顔を伏せ、雷牙はすぐに宗厳の手を振り払う。
「な、なにこっ恥ずかしいことしてんだよ。師匠らしくもねぇ」
「必死に戦った弟子を労ってなにがわるい。お前は本当によく戦った」
宗厳を見やると、彼は満足げに笑っていた。
美冬の方に視線を向けても彼女も雷牙に対して優しく微笑んでいる。
二人の反応に雷牙は見せまいとしていた頭を上げて、後頭部のあたりをかきながら呟く。
「……ありがとう、師匠。それと心配かけてごめん、二人とも」
「心配などしとりゃせんわ。お前がこんなところで倒れるとは最初から思っておらんかったからのう」
「――嘘ばっかりー」
聞き覚えのない声が病室に響く。
声のした方を見ると入り口近くに雷牙よりもやや年上、例えるなら龍子くらいの白い髪の少女が立っていた。
「本当はその子が目覚めるのめっちゃ心配しながら待ってたくせにさ。本当に隠したがるんだから」
ケラケラと笑う少女だが、宗厳は音もなく彼女との距離を詰めるとその頭に拳骨を振り下ろした。
ゴンッ! という音と共に少女の短い悲鳴があがる。
「いったぁ!? 何してくれてんのよこのジジィ!!」
「なにしてくれるはこっちの台詞じゃ。師弟の時間を邪魔しおってからに、この若作りババァが!」
「はぁぁぁぁん!? アンタ今なんつったぁ!?」
宗厳と少女はそのまま取っ組み合いになり、互いの頬やら髪やら髭やらを引っ張るわ。
まるで子供同士の喧嘩のような光景が繰り広げられていた。
「美冬さん、あの子誰? 師匠とかなり親しい感じがするけど」
「あの子は天都尊幽さん。宗厳さんとは古くからの知り合いらしいんだけど……」
「師匠と古くからの知り合いって……いくつなんだ……?」
「それは私も気になってたのよねぇ。話によると宗厳さんが子供の頃からあの姿らしいんだけど」
「マジで!?」
取っ組み合っている二人を止めずに雷牙は美冬の言葉に愕然としていた。
宗厳の肩に取り付いて彼の髭を引っ張りまわしている彼女はどう見ても十代後半いや、もっと言えば前半にすら見える。
若々しいというだけではさすがに説明はつかないだろう。
雷牙は再び尊幽を見やる。
彼女の姿は確かに少女のそれだ。
けれど、尊幽が放っている気配。
いいや明確には彼女の腰に下がっている刀が発している独特な雰囲気は雷牙に嫌な感覚を思い出させた。
……この感じ、アレの感覚に近いような……。
思わずいぶかしむような視線を彼女に向けてしまうが、ふと宗厳の頭に噛み付いた彼女と視線が合った。
血よりも赤い瞳は宝石のようだったが、ただ美しいわけではない。
美しさの中にあったのは妖しい光。
雷牙はその瞳に近いものをよく知っている。
そうだ、あの瞳は――。
「――雷牙くんが眼を覚ましたって聞きましたけど本当ですか!?」
赤い瞳に吸い込まれそうになった瞬間、突然聞こえた声で現実に引き戻された。
見るとやや焦った表情を浮かべた青年、京極剣星が病室に駆け込んできたところだった。
彼は眼を覚ました雷牙を見て安堵したような表情を浮かべたものの、すぐに尊幽に噛みつかれている宗厳を発見したようだった。
「えっと、これは一体どういう状況ですか……?」
剣星がやって来てしばらくたった後、ようやく尊幽と宗厳の取っ組み合いが終わった。
まぁ厳密に言うと看護師長と思われる女性の一喝で強制的に終了させられたのだが。
老人と少女が床に正座させられた状態で叱られている様は中々にシュールだった。
他の病室から離れているとはいえここには入院患者も多くいる。
二人もそのあたりはわきまえているのだろう。
「……最初っからやんなよって思うけど……」
一人ごちる雷牙だが、尊幽が「あぁ?」と言いたげな視線を向けてきたのですぐさまそっぽを向く。
「とりあえず落ち着きましたね。二人ともこれ以上は騒がないでくださいね」
「わかっておる」
「はーい」
宗厳と尊幽はそれぞれ返事をしたものの、視線の間では相変わらずバチバチと火花が散っていた。
二人の様子に剣星はやれやれと呆れた様子だったが、視線はすぐに雷牙を捉えた。
「本当に無事でよかった。よく頑張ったね、雷牙くん」
「ありがとうございます。けど、俺一人の力じゃ――」
言いかけたとき、雷牙の表情は一気に強張った。
よぎったのは自分に酒呑童子と戦う力を託してくれたハクロウの部隊長、伊達狼一のことだ。
目の前で倒れた彼の姿は雷牙ははっきりと覚えていた。
鼓動が早まり、冷たい汗が背中を伝った。
ごくりと生唾を嚥下し荒くなりかけた呼吸を落ちつかせる。
「あの京極さん、一ついいですか?」
緊張した面持ちで雷牙が声をかけると、彼は雷牙の動揺を悟ったようで静かに頷く。
「伊達さん……いや、伊達狼一隊長はやっぱり……」
最後まで言うことはできなかった。
行ったが最後僅かに残っているかもしれない希望すらなくなってしまいそうだったから。
剣星の表情は硬く、拳は硬く握り締められていてた。
「……伊達隊長は亡くなったよ。葬儀は昨日終わったよ」
「そう、ですか……」
ストン、と雷牙はベッドに腰を下ろす。
わかってはいた。
あの時、彼が息を引き取るのを見たのは他の誰でもない、雷牙自身だ。
けれど万が一があるかもしれない。
奇跡的に助かったのではと淡い希望を抱いたが、それはやはり甘い考えだった。
「雷牙くん、気をしっかり持って」
「大丈夫、です。想像は出来てたんで」
答えることはできるものの、突きつけられた事実はやはり重い。
襲ってくるのは酒呑童子を倒しきれなかった自責の念。
あれだけ自分の背中を押してくれた狼一に申し訳ない気持ちが、雷牙の心の中を蝕んでいく。
宗厳や剣星は褒めてくれたが、やはり十六歳の少年にはショックが大きすぎるのだ。
目尻には涙が浮かび、唇は震えていた。
遠巻きに様子を伺っていた尊幽は「やれやれ……」と言いたげに肩を竦めていた。
すると、雷牙は乱雑に袖で涙を拭い、鼻を啜りながら顔を上げた。
「雷牙くん、大丈夫かい?」
「……はい、問題ないです。伊達さんが亡くなったことは悔しいし、助けてもらってばっかりだった自分にも心底腹がたちます。だけど、悲しんでるだけじゃ意味がない」
雷牙の瞳に涙はない。
あるのは闘志の輝きだった。
「俺はあの時、伊達さんに助けてもらった。なら、次は俺の手でもっとたくさんの人を助けます。それが伊達さんに出来る唯一の恩返しです」
胸の前で硬く拳を握った雷牙は狼一への感謝を胸に、新たな決意をする。
狼一は亡くなった。
けれど、彼の刀狩者としての意志は確かに雷牙へと受け継がれていた。
彼の様子に強張っていた剣星の表情も和らぎ、「そうか」と満足げに頷いた。
「強いね、君は」
「いや、まだまだっすよ。それに俺にはやるべきことがある。そうだよな、師匠」
宗厳は見やると、彼は一瞬驚いたような表情を浮かべた。
「師匠は知ってるんだろ。俺が大昔の鬼狩り、源頼光の血筋だってこと」
「なぜお前がそれを知っている……」
珍しく宗厳は困惑した様子だった。
それが少しだけ可笑しかったのか、雷牙はどこか得意げな笑みを浮かべた。
「頼光本人から聞いたんだ。あの刀を託された時にな」
指差した方にあったのは、抜き身の状態で厳重に保管されていた刀。
童子切安綱だった。
「そうか……」
宗厳は酷く神妙な面持ちで雷牙の前にたつと、ゆっくりと腕を上げた。
最初は肩に手を置くのかと思ったが、腕は肩を過ぎ、顔の前にまでやってくる。
そして皺だらけの宗厳の手が熱を測るように額へ被せられた。
「やはりまだ後遺症が……」
「いや、そうじゃなくて」
完全に雷牙が幻覚を見ていると疑っての行動に雷牙は酷く冷淡な口調でツッコミを入れるのだった。
「……なるほど。酒呑童子との戦いの時に頼光が出てきてアレを託したと……」
雷牙の前では宗厳や他の大人達が難しい表情を浮かべながらも頷いていた。
後遺症を疑われた後、雷牙は彼らにあの時何が起きたのかを説明した。
制止した世界のこと、頼光のこと、そして安綱を託されたこと。
宗厳たちは半信半疑の様子だったが、どうやら納得してくれたようだ。
ひとまずわかってくれたようなので雷牙は息をついたものの、宗厳は再び雷牙の額に手をあててきた。
「……やはり熱でもあるのではないか?」
「ねぇよ!! つか、あんだけ説明してまだ信じてないのかよ!?」
「ハッハッハ、いや今のは冗談だ」
彼はからかうように笑ったが、雷牙はジト目で彼を見据えた。
「ホントかよ……。信じてなかったら承知しねぇからな」
「すまんすまん、からかいすぎたな。だが、まさか本当にそんなことがあるとは……」
「聞いたことない話だけど、アレがある以上本当だと私は思うわよ」
尊幽が指し示したのは安綱だった。
アレはいうなれば雷牙が頼光に会ったという証拠のようなものだ。
厳重に保管されていることからもわかるとおり、あの刀が放つ威圧感は尋常なものではない。
偽物の類でないことは一目瞭然だった。
「うむ……。雷牙、頼光は他に何か言っていたか?」
「他に……あぁそうだ、眼が覚める前にも頼光と話したんだけど――」
雷牙は手を打つと、宗厳を真っ直ぐ見て彼に問うた。
「――師匠は禍姫って知ってるか?」




