1-2
真っ白な世界の中で雷牙は眼を覚ました。
「ここは……」
上体を起こしながら周囲を見回すと、地平の彼方まで白の領域が広がっている。
普通なら驚きそうな景色だったが雷牙はそこまで動揺した様子はない。
なんとなくだが似たような世界を体感したことがあるからだ。
思い返されるのは酒呑童子との戦いで絶体絶命になった時、全てが制止した世界での出来事。
「今回もそれと似たようなもんか……ってことはそろそろ……」
あの時と同じならば背後に彼が現れるだろうと思い、ゆっくりと振り返る。
が、そこに彼はいなかった。
「あれ? 確かにあん時と似たような感覚だったんだけど――」
――こっちだ。
「――うぉわっ!?」
首をかしげた瞬間、背後から声をかけられ雷牙は飛び上がる。
反射的に声のした方を見ると鎧姿の青年、源頼光が立っていた。
口元に薄く笑みを浮かべた彼からは「してやったり感」が出ている。
――驚かせたようだな。
「よく言う。どう考えても狙って後ろに立ってたじゃねーか」
――考えすぎだ。さて、こうしてまた会えたことだ。少し話でもしようか。
頼光は踵を返すとゆっくりと歩き出す。
途中、指でちょいちょいと誘われたので雷牙は彼の後を追う。
白い世界に二人の歩く音だけが響いていた。
頼光はなにも言わないが、雷牙は表情を少しだけ曇らせていた。
やがて彼は前を行く頼光の背中に勢いよく頭を下げた。
「わるい。アンタにも力を貸してもらったのに、俺は酒呑童子を倒せなかった」
足音が止まった。
雷牙の表情は硬く、拳はかすかに震えている。
滲み出ているのは力を託され、酒呑童子を追い詰めることができたのに倒しきることが出来なかった不甲斐無さと悔しさだ。
――頭を上げろ、雷牙。
促され、ゆっくりとを頭を上げると、頼光は微笑を浮かべていた。
――なにを謝ることがある。君は必死に戦っていたじゃないか。
「けど……」
――確かに君の言うとおり酒呑童子に留めはさせなかった。けれど、君が戦ったことで助かった命はあった。
「助かった命……」
雷牙はふと思い出した。
酒呑童子が消え去った直後、瑞季とレオノアが駆け寄ってきたことを。
いや、彼女達だけではない。
雷牙の健闘で助かった命はあったのだ。
――胸を張っていい。だからそんな泣きそうな顔をするな。
「な、泣きそうじゃねぇし!!」
――ではそういうことにしておこう。
頼光は面白げに笑っていたが、雷牙は気恥ずかしいのか腕を組んでそっぽを向いた。
「……つーかあの時も思ってたけど、なんなんだよこの世界っていうか空間。夢みたいな感じだけど夢じゃないよな?」
――ああ。ここは……そうだな、君の内なる世界とでも言っておこうか。
「内なる世界?」
――深く考える必要はない。鬼狩りなら誰でも持っている世界だ。まぁあの時同様、いろいろと聞きたいこともあるだろうが、今は私の用を優先させてもらおうか。
フッと頼光の表情から笑顔が消えた。
瞳は鋭く細められ、威圧感にも似た気迫が伝わってくる。
自然と雷牙も背筋を伸ばして頼光と視線を交わした。
――禍姫という名前を覚えているか。
「……ああ、確か百鬼が言ってた」
記憶を辿り、酒呑童子を担いだ百鬼遊漸が去り際に残していった名前。
彼はその存在が我らを統率する者と言っていたが、雷牙は彼が続けて放った言葉の方が印象的だった。
遊漸は張り付いたような笑みを浮かべてこう言ったのだ。
人類を殺すことを許された唯一無二の存在と。
「……人類を殺すことを許されたって、どういう意味なんだ?」
――そのままの意味だ。いいか、雷牙。禍姫とは妖刀の根源だ。
「妖刀の根源?」
――言い換えれば斬鬼の生みの親とでも呼べる存在になる。あの百鬼というものも言っていただろう。我らの統率者だと。
「ああ……じゃあやっぱり百鬼も斬鬼ってことか……」
――そうなるだろうな。しかも酒呑童子と同等かそれ以上に力を秘めていると見た。
頼光の予想に雷牙は思わず喉を鳴らした。
が、わからない話ではない。
手負いとは言え酒呑童子を一撃で昏倒させた技量と力。
さらにはあの禍々しく濃密な殺気は頼光の予想がはずれていないことを物語っている。
――君の出自や私の存在を知っていたことから、恐らくはヤツも酒呑童子同様かつて存在した鬼や妖魔の類だろう。
「なるほど……ちょっと待ってくれ。アンタは今かつて存在したって言ったけど、やっぱり酒呑童子は本当にいたのか?」
雷牙は率直が疑問をぶつけてみる。
襲撃事件の時は突然のこともあって深く追求することはしなかった。
だが、酒呑童子など御伽草子や伝承や伝説の類の存在のはず。
冷静になって考えてみれば疑問を感じるのは当然。
感応現象によって過去の映像のようなものは見たが、本人に聞いてみるべきだと思ったのだ。
――ああ、酒呑童子もその配下の鬼達も確かに存在し、私と四天王達が征伐した。他にも土蜘蛛など数多の妖鬼たちと刃を重ねたよ。
「じゃああの時の映像も本当にあったことなのか……」
雷牙は感応現象の中で頼光によって首を刎ねられた酒呑童子のことを思い出す。
本人が目の前にいるのだ、殆ど信じてはいたがこれでようやく納得できた。
「百鬼もアンタが倒したのか?」
――いや、恐らく私が倒した鬼ではあるまい。……だがあの気配……どこかで……。
「頼光?」
――すまない。なにぶん遥か昔の話故記憶がおぼろげだ。今は話を進めるとしよう。禍姫のことだ。
確かに今は確定してない百鬼の正体よりも、禍姫の方を優先すべきだろう。
「アンタは禍姫の正体を知ってるのか?」
――知っている……と断言できればよいのだが、生憎と直接的に対峙したことはない。ただ、妖鬼達と相対していく中で、何か別の存在がいることは感覚として掴んでいたよ。
「それってもしかして黒い影みたいなやつか?」
喰い気味に問うと頼光は一瞬驚いたような表情を浮かべた。
百鬼と視線を交わした時、雷牙はその背後に何者かの存在を感じ取っていた。
漆黒の影のようなそれはすぐに消えてしまったが、影には明確な殺意があった。
いいや、殺意などという言葉だけでは済まされない。
黒い影にあったのは嫌悪、憤怒、憎悪、侮蔑、怨念……。
雷牙個人を通して人間そのものに向けられた圧倒的な負の感情が凝縮されているようにも見えた。
――君も見えていたのか。そうだ、君の言うように私もその黒い影を感じるようになり独自に調査を始めた。
「それでなにがわかったんだ?」
――正直に言ってしまうと多くはわからなかった。
「え……?」
若干期待があった分、雷牙は呆けたような表情を浮かべた。
けれど頼光はそれを気にした風もなく言葉を繋げる。
――調べれば調べるほど妙だった。書物の中には禍姫という存在を完全に消し去ろうとしているような、記述も見られたくらいだからな。
「それだけやばいヤツだったってことか……」
――現代風に言えばそうなのかもしれんな。ただ、中には興味深い記述も見られた。曰く、禍姫とは仮の名に過ぎず、本来の名は禍姫神。
「神? 神ってあの神様か!?」
雷牙は素っ頓狂な声を上げた。
神様といって思い至るのは神話やらで登場する神々だが、それこそ眉唾もいいところだ。
――明確な神であるかどうかまではわからん。もしかすると鬼神のような類の場合も考えられる。
「あぁそっか……妖刀や斬鬼の統率者だもんな」
――だが、記述された書物には解釈の違いもあってな。中には神によって創造されたモノだという記述もあった。
「神様が禍姫を作ったってのか?」
――あくまでもその書物に記されていたことだがな。他にも諸説はあったが、どれも雲を掴む様な記述ばかりではっきりとはしていなかった。しかし、一つだけ共通していたことがある。
頼光の声が僅かに低くなり、視線が鋭く雷牙を見据えた。
聞く勇気はあるか? と試しているような視線に静かに頷くと彼は眼を伏せてから告げる。
――禍姫は極度に人間を恨んでいる。誰か個人をではない。人間そのものを絶滅させたいほどに恨み、憎んでいる。
「ッ! じゃあ斬鬼が人間を殺す理由って……!」
――禍姫の感情に引っ張られている可能性があるだろうな。
やはりあの黒い影は禍姫のものとして見るのが間違いないようだ。
あの影からも人間に対する圧倒的な敵愾心を感じていたのは事実。
けれど、それだけ人間に恨みを抱いていていままで直接的に手をくださなかったのは何故だろうか。
「禍姫は自分で動くつもりはないのか?」
――いいや、恐らくは表に出てこれない理由があるのだろう。百鬼の言葉を思い出してみるといい。ヤツはいずれお前達の前に禍姫が現れると言っていた。それは裏を返せばまだ完全に動ける状態ではないということだろう。
「向こうも準備期間ってことか……」
唇に指を当てた雷牙はなぜだか体を震わせた。
武者震いに近いが正確には少しだけ違う。
体の奥底から湧き上がってくるようなこの感覚は、彼の魂が奮い立っている証拠だ。
「……なぁ頼光。言ってたよな、大いなる宿命と対峙することになるって。アンタが言ってたのは禍姫のことなんだろ?」
頼光は言葉では返さなかった。
ただ静かに頷いただけ。
けれど雷牙にとってはそれだけで十分だった。
――不安か?
「そりゃ少しはな。いや、結構不安だ。酒呑童子や百鬼みたいなバケモン以上の存在なんて、正直に言えば怖い。けどさ、怖いからって戦わない理由にはならないだろ」
徐々に雷牙の口角が上がっていく。
やがて彼の顔に浮かんだのは、戦いだけを望む狂気的な笑みではなくどこか自分自身を奮い立たせ、覚悟を決めた者の笑みだった。
「いくら怖くても逃げ出したくても、俺はもうあの時選んだ。安綱を握ったあの時に」
そうだ。
安綱を握る時、雷牙は既に決めたのだ。
皆を守るために戦うのだと。
そして誓いを立てた。
もう自分の心は決して偽らないと。
――そうか、ならばこれ以上言うことはない。雷牙、負けるなよ。
満足そうな表情で頼光が告げると、雷牙は不意に強烈な眠気に襲われた。
「なんだ、これ……頭が……」
――現実のお前が目覚めようとしているのだろう。心配するな体に異常はない。
「そう、か。あ、そうだ……頼光、最後に一つだけ……童子切をもっとうまく使うには、どうすれば……」
薄れていく意識の中で頼光に問うが、彼は被りを振ってそれを拒絶した。
――それは自分で見つける以外に方法はない。あの童子切は君だけのモノ。使いこなすには自分なりの方法が必要となる。助言はできない。
突き放すようだったが、声にはどこか優しさもあった。
雷牙は口元に笑みを浮かべ「ケチ……」と呟き、完全に意識を手放した。
そして襲って来た覚醒の兆し。
感覚に抗わず、雷牙は意識をゆっくりと覚醒させていった。
雷牙がいなくなった白い空間では、頼光がどこか満足げな笑みを浮かべ上を見やった。
白い世界に僅かに輝く光の粒。
どうやら雷牙は無事に眼を覚ませそうだ。
――雷牙、君ならきっとやり遂げられるだろう。これからも君の事を見守らせてもらうよ。
頼光は踵を返し歩き出したが、その姿は段々と虚空へ消えていった。
ピクっと指先が動くのを確認した雷牙はゆっくりと眼をあける。
鼻腔をつく消毒液の匂いと横に見えた心電図や呼吸器でここがすぐに病院だと理解する。
呼吸器を乱雑に外し、上体を起す。
どれくらい寝ていたのかはわからないが、それなりの期間だったようで背骨のあたりがパキパキと鳴った。
「くぁ……!」
大きく伸びをしながらあくびを浮かべた雷牙は一度深呼吸してから一言。
「あー、よく寝た……」
意識をはっきりさせるために頭を振ると、ふと視界の端でなにか妙なモノを見た気がする。
おそるおそるそちらに視線を向けると、病室と思われる部屋の向こう側。
ガラスによって仕切られた廊下に口をあんぐりとあけ、驚愕を隠した様子もない師、宗厳と育ての親である美冬が立っていた。
どうやって反応したものかと悩むものの、雷牙は一頻り考えたあと軽く手を上げる。
「……ども」
なんともはっきりとしない声が静かな病室に木霊した。




