4-5
巨大な氷で作られた城壁を背に、雷牙達は堕鬼との戦闘を繰り広げていた。
堕鬼が放つ巨腕による攻撃をいなし、放たれる光弾による弾幕を掻い潜った雷牙は堕鬼の懐へと潜り込む。
ここで首を狙えればよいのだが、堕鬼もそう簡単には許してくれない。
強酸性の唾液を零しながら吼えた堕鬼が巨腕と一体化した剣を雷牙目掛けて振り下ろす。
本来であればこの攻撃も回避するのが妥当なのだが、雷牙はそれをしなかった。
鬼哭刀、兼定を構え、唸りながら迫ってくる巨剣を受け止めたのだ。
「ッ!」
ズンッ! と全身に凄まじい衝撃と負荷が掛かる。
けれど彼の膝は決して折れない。
霊力纏装によって常に全身を強化している状態の雷牙にとって、これくらいの重量はまだ受け止められるのだ。
とはいえそれも万能というわけではなく、のしかかってくる重量によって彼の体は僅かだが地面に沈み始める。
それを好機と見たのか、堕鬼は口元に笑みを浮かべて空いている拳を雷牙目掛けて振るった。
体は固定されてしまっており、逃げることはおろか防御することも不可能。
まさに絶対絶命というべき状態だが、雷牙の口元には笑みがあった。
凶悪な拳が雷牙にぶつかる直前、堕鬼はその動きを急激に止めた。
見ると、堕鬼の腕に淡く発光する極細の糸が巻き付いている。
アリスの操る鋼線だ。
彼女は堕鬼が索敵用として操っている腕の動きを掻い潜り、巨腕に鋼線を巻き付けていたのだ。
巨剣は雷牙が受け止め、腕はアリスが止めた。
これによりほんの一瞬、堕鬼に隙が生まれる。
「今!」
「黒羽さん!」
「わかっとらぁッ!!!!」
二人の声が重なると同時に堕鬼の首筋へ赤雷を纏った黒羽が迫り、稲光を迸らせて駆け抜けていく。
まさしく一瞬にできた隙目掛けて飛び込んだ黒羽の刃は、堕鬼の首筋に向けて迫る。
並みの斬鬼であれば確実に首を落とせる軌道とタイミング。
けれど、聞こえてきたのは虚しく響く金属音にも似た音だ。
「チィッ!!」
悔しげに舌打ちした彼女は、すぐさま雷牙とアリスに指示を飛ばす。
「一旦距離とりぃ!」
声と同時に雷牙は纏っていた霊力を一気に膨れ上がらせて巨剣を押し、弾き返す。
息つく暇なくその場から直ちに脱し、黒羽と共にアリスがいるあたりまで後退する。
ここでようやく雷牙は大きく息をつくことができた。
「ふぅ……」
「大丈夫ですか?」
「あぁ、問題ない。ちっと力が入ってたから脱力しただけだ」
心配そうに覗き込んでくるアリスに笑みを返し、雷牙は堕鬼を見据える。
黒羽がアレだけの速度で迫り、薙いだ首に傷らしい傷はない。
アリスによる拘束も殆ど同様で、かすかな切り傷のようなものは見えたがすぐに回復してしまっている。
「ええ感じに行けた思うたんやけどなぁ」
「はい。タイミング的には間違ってなかったッス。もう一回仕掛けてみますか?」
「いんや、無駄やろな。いまのでわかったわ。アイツの皮膚、硬質がさらに進んどる」
「こんなに早くですか!?」
アリスが驚くのも無理はない。
危険度の高い斬鬼はそれだけ生存本能が高い。
それゆえに鬼哭刀の刃から首を保護するため皮膚を硬質化させるのだが、硬質が進む速度は個体によってまちまちだ。
だが、目の前の堕鬼はさっき硬質化をさせたばかりだ。
それがこんな短時間でさらに皮膚を硬くするなど本来ならばありえないことなのだ。
「酒呑童子の血が混じってるから、っスかね?」
「まぁそれも考えられるわな。……アリス、今度は腕だけやのうて、堕鬼全身を拘束できるか?」
「……先程も言いましたが、それは少し難しいです。あの索敵用の腕がどうしても邪魔をしてきます。さっきも綱源さんをサポートするために何とか拘束はできましたが……」
アリスの表情は硬く、あまり芳しくはないようだった。
「ほんなら索敵用の腕ぶった切ればどや? 少しは楽になるんとちゃうか?」
「それはそうですが、私の鋼線では先に索敵されてしまって切れませんよ」
「んなこたぁわかっとる。せやから腕ぶった切るんはウチがやるわ」
「けど、そしたら誰が首を落とすんスか? 黒羽先輩だけだとキツイっスよね」
雷牙の心配はもっともだった。
仮に腕を斬りおとし、索敵範囲を狭めたとしてもあの堕鬼は時間が経過するごとに進化している節がある。
恐らく先程のような手は効果が薄れているだろう。
そして一度ならず二度も首に攻撃をあてられた堕鬼は間違いなく黒羽を警戒するはず。
腕を斬りおとした後に再び首を狙うのは至難の技だ。
「確かにウチだけならキツイわ。というか正直に言うとな、多分ウチじゃもうあの首は斬れんわ」
「え?」
「さっきも言うたやろ。硬質化が思いのほか進んどるって。硬質化の強度は霊力のデカさに比例しとってな。霊力がデカいほど硬い皮膚になっていくんやけど、ウチはそこまで霊力がデカい方やない。せやから、無理や。腕の方は安心しぃ。硬質が進んでるいうても、索敵用の腕は細い上に柔軟に動くためにまだそこまで固まってへん。確実にぶった切ったる」
「では堕鬼の首を斬るのは……」
自然と二人の視線が雷牙に注がれた。
「俺っスか?」
「お前しかおらん。こんなかで一番デカい霊力持ってて、堕鬼の攻撃を掻い潜れんのはな。できるな?」
黒羽の表情にはふざけている色など一切なかった。
本当に雷牙に堕鬼の首を任せようとしている。
ゴクリと雷牙は生唾を嚥下したが、突然三人はその場から飛び退いた。
同時に襲って来たのは、細長い光の線。
甲高い音を立てながら地面を穿ちながら進んだそれは、氷壁まで真っ直ぐに進んでいく。
すぐさま龍子、瑞季、燈霞が動き、水流と氷を利用して城壁を厚いものへと変化させたものの、光の線は容赦なくそれを抉り、最終的には夜空を駆け上がった。
それが通り過ぎた後に残っていたのは真っ赤に解けた地面だった。
「あれは……」
「先程までの光弾を超圧縮したもののようですね。霊力だけのようですが、あの熱量はまさしくレーザーです」
「連発されたらさすがの龍子ももたへん。それに、進化しとるんはあのレーザーだけやないみたいや」
黒羽の言葉に二人が反応すると、堕鬼が巨剣を勢いよく振り下ろした。
同時に巻き起こったのは風圧と膂力のみによる破壊の一閃。
大地を抉り斬ったそれは数十メートルの距離を進んでようやくとまった。
ゾワリ、と雷牙の中でナニかが脈打つ。
これは恐怖ではない。
そうだ、この感覚は――。
「やっぱ時間が経つごとに強うなっとる。雷牙、もう四の五の言っとる時間は――」
黒羽が途中で言葉に詰まる。
表情にはかすかな戸惑いと驚きがあった。
同じように雷牙の顔を覗き込んだアリスも「ッ!」と息を詰まらせ、似たような表情を浮かべている。
雷牙には二人がなぜそんな顔をするのか、よくわかっていた。
なぜならばそう。
今、自分は笑みを浮かべているのだと、わかっていたからだ。
「雷牙、お前……」
「わかってます。すんません、これ癖になってて治らないんスよ。強いヤツと命のやり取りが出来るって体と魂が感じると、自然に出てくるっていうか……!」
口元は不敵につりあがり、悦楽とも、享楽とも取れるような笑みが浮かぶその姿はハッキリ言って不気味だろう。
だが、どうしても騒いでしまうのだ。
母から受け継いだ天性の才能、魂の原点とも言うべき戦闘狂の心が。
「……やっぱお前はおもろいわ。龍子が気にいるんもわかるわ」
「え?」
「あん時もそうやった。強化試合の時、怨形鬼と戦った時もお前はそんな風に笑っとったわ。変なヤツ思うたけど、なんやお前が笑ってるんみるとこっちもなんか楽んなるわ」
「はい。驚きはしましたが、どこか安堵すら感じます。不思議な感覚ですが、貴方ならやってくれるって気がします」
「ああ。ホンマにそんな感じや。んで、そんだけ笑っとるいうことは、いけるんか?」
首をかしげながら問う彼女の口角も心なしが上がっていた。
雷牙はそれに一切迷うことなく、そしてためらうこともなく素直に頷いた。
「当然。それにいけるいけないじゃないっすよ。やるんスよ。次で確実にアイツを仕留める!」
「ハハ! ええやないか、その感じ。こっちまでゾクゾクしてきたわ! アリス、準備ええな?」
「はい。全力で堕鬼の動きを止めます!」
そういうとアリスは指が見えないほどに長かった袖を鋼線を操って切断する。
露になったのは金属の爪を思わせるものを備えた手袋。
先端の爪からは無数の鋼線が延びており、彼女が小さく息をつくと糸の一本一本が青色の発光を見せ始める。
「取っておきの糸です。信じて行って下さい、雷牙さん」
「かー、奥の手かいな! そういうんは最初っから出し惜しみすんなやー!」
「それでは奥の手にはなりませんから」
「そりゃそうだな。俺も出し惜しみはできねぇ。全力で行く……!」
瞬間、雷牙が纏う霊力は再び膨れ上がり、二人が同時に眼を見開いた。
「すごい……!」
「ホンマどないなっとんねんお前の霊力。まぁええわ、そんだけの霊力があれば、鎧みたく硬くなった皮膚も抜けるやろ。タイミングだけはミスんなや!!」
「上等!!」
刹那、真紅の雷光が疾駆した。
狙うは一点。
近寄るもの全てを叩き落とすレーダーとなっている背中の腕だ。
堕鬼の方も黒羽の速さに目が追いついてきたようで、先程の光線と併用するように巨剣を振って衝撃波を巻き起こした。
「しゃらくさいわッ!!」
迫る光線を体を捩じって回避し、衝撃波は雷撃を放つことによって打ち破る。
雷牙も加勢したい気分ではあったが、自身に託された使命を優先し、グッと堪えて堕鬼との距離を詰めながらタイミングを待つ。
やがて黒羽は腕を前に突き出し、堕鬼の腕の動きを見極める。
彼女は腰をグンと落とし、地面を思い切り蹴りつけようとした。
瞬間、堕鬼が大きく吼え、四腕が一気に振り上げられた。
その掌と巨剣にはそれぞれ強烈な霊力が集中しており、嫌な光を宿していた。
背筋に冷たい汗が流れるのを感じた雷牙は思わず黒羽の名を呼びそうになったが、それよりも早く振り上げられた腕が大地を穿った。
轟音を上げて打ち付けられた四腕により、地震にも似た揺れが巻き起こる。
「ッ!」
思わず顔を歪ませたのも束の間、次の瞬間には堕鬼が腕に宿していた霊力が地中で膨れ上がり、爆裂。
地面は崩壊し、雷牙と黒羽の足場が崩れ落ちる。
「黒羽さん! 雷牙さん!!」
背後ではアリスが身を案じるような声を上げた。
崩壊する地面の上で雷牙は苦い表情を浮かべながら堕鬼を見やる。
口元を享楽にゆがめた堕鬼の前には割れたコンクリートの上で態勢を崩した黒羽がいる。
直感的に危険であると判断した雷牙は彼女の加勢に向かおうと体を捩じる。
「自分のやること間違えんなや!!」
「ッ!!」
飛んできたのは黒羽による檄だった。
彼女はグラつく足場に乗った状態で堕鬼を見据えており、その瞳には一切の曇りはない。
堕鬼は黒羽が用意に動けないと踏んだのか、口元を光らせてあの熱線を放とうとした。
普通に考えれば危機的な状況といえるだろうが、黒羽はそれを馬鹿にするような笑みを浮かべていた。
「そういうとこがやっぱ鬼なんよなぁ……!」
バチッ! と雷電が迸った音がした時、既にそこに彼女の姿はなかった。
あったのは縦横無尽に空中を駆け巡る赤い光。
だが彼女は持てる霊力を殆ど雷電に回しており、霊力による足場を作れないはず。
よく眼を凝らして彼女を見ると、雷牙はハッとする。
「そうか、空中に散った瓦礫を利用して……!!」
凄まじい速度で疾駆する彼女が蹴っていたのは、ついさっき堕鬼が地面を穿ったことによって空中に飛散した砂礫やアスファルト、コンクリート片だった。
一見すると簡単にやっているかのように見えているが、一つ一つの大きさは様々で、耐えうる衝撃にも限界があるはず。
彼女はそれを全て見極め、自身が出せる最高速度を保ちながら夜空を疾駆しているのだ。
堕鬼は自身の周囲でめまぐるしく移動する赤い影を捉えようと、ところかまわず熱線を撒き散らす。
けれどそのどれも彼女を捉えることはできていない。
そして堕鬼の瞳から完全に赤い閃光が消えた時。
黒羽の姿は堕鬼の真後ろにあった。
「フッ!!!!」
放たれたのは技名もなく、気合いの声もない一閃。
だがそれは確実に堕鬼の知覚の外からの一撃であり、轟く雷鳴が駆け抜けた時、堕鬼の背中から生えた細い腕が宙を舞う。
悲鳴とも咆哮とも取れる声が響き、黒羽は堕鬼が放った裏拳によって吹き飛ばされる。
一瞬、彼女の身を案じた精神がかすかに動揺したものの、すぐさまそれを捨て去り、雷牙は地面を蹴った。
彼女が作ってくれた隙を無駄にするわけにはいかない。
今あの堕鬼の首を切断できるのは自分だけなのだから。
溢れる霊力を全身に薄く纏い、鬼哭刀にはより濃く集束させる。
赤光を靡かせて迫る雷牙の姿を堕鬼の双眸が捉え、巨剣を思い切り振り下ろそうとしていたが、刃は途中で突然止まった。
ギチリという拘束の音が響き、堕鬼の四肢には細く硬い鋼鉄の糸がきつく巻き付いてる。
「させません!」
アリスは鋼線をたくみに操り、堕鬼の動きを完全に止めていた。
しかし、堕鬼も一筋縄では行かず、首を限界まで捩じることで自身を拘束している鋼線目掛けて熱線を放った。
熱量によって鋼線を焼き切ろうとしたのだろうが、全ての鋼線は健在だった。
「言ったでしょう。それはとっておきの糸です! やってください、雷牙さん!」
「応ッ!!」
返答すると同時に雷牙は堕鬼の懐へ再び飛び込んだ。
ここへきて堕鬼の表情が笑みから戦慄に変わる。
瞳には明確な恐怖があり、かすかな動揺も見られた。
雷牙を始末しようと熱線が再び集束を始めたが、既に雷牙の方はキルゾーンに入っている。
「遅ぇ!!」
赤い光が空間に斬閃を描く。
燐光を迸らせながら放たれた斬撃は堕鬼の首を的確に捉え、次の瞬間には金属音にも似た音が木霊した。
激突による衝撃波が反対側の首筋を抜け、赤い粒子が空中を舞った。
硬質化した皮膚と濃い霊力を纏った鬼哭刀がせめぎ会い、ギチギチという金属がこすれあうような音と火花を散らす。
「ぐ、く……!!」
硬い。
雷牙の表情に苦悶が浮かび、堕鬼の方にはかすかな安堵のようなものが見え、堕鬼は口元に集束させた霊力を雷牙に向ける。
この至近距離で熱線を放とうというのだ。
けれど雷牙に退くという選択はない。
「せっかく黒羽先輩が作ってくれたタイミング、逃すわけにいくかよ……!!」
足を踏ん張り、さらに強く堕鬼の首へ鬼哭刀を押し込むも、集束した熱線は容赦なく雷牙へと放たれる。
が、熱線が雷牙に直撃することはなかった。
放たれる直前、アリスが堕鬼の首を鋼線で縛り上げ僅かに軌道をそらしたのだ。
とはいえ完全に無傷というわけではなく、熱線は雷牙の左上腕から肩、そして首を余波だけで焼いていく。
「ぐっ!? すっげぇいてぇ……けど――――!!!!」
身を焼かれる痛みは尋常なものではなく、今にも離脱したくなるものだったが雷牙は焼かれる痛みに耐えながら口元をゆがめる。
犬歯を見せ、口角が上がり、瞳にはどこか妖しさのある光が宿る。
「――ここで負けるわけにはいかねぇッ!!!!」
もはや狂気すら感じさせる笑みを浮かべた雷牙から再び巨大な霊力があふれ出す。
それは彼の体を覆い、鬼哭刀へ集束していく。
「オオォオオォオオォオォオオオオォオォオ!!!!」
気合いの咆哮をあげる雷牙の刃が見る見るうちに赤い霊力に塗り潰されていく。
そして霊力と鬼哭刀が完全に一体化したとき、せめぎ合っていた堕鬼の首に刃が食い込んだ。
「ッ!!??」
突然走った鋭い痛みに声にならない悲鳴を上げる堕鬼。
しかし、その反応が仇となる。
「これで終わりだ。柏原鳴秋……」
声は静かなものだった。
けれど刃は確実に食い込み、勢いをそのままに堕鬼の首を刎ねた。
空中を舞う堕鬼の頭はやがて雷牙の傍へ落下する。
焼けた体を気遣う素振りは見せず、雷牙は堕鬼の動向を見守る。
頭を失った体はアリスの鋼線に拘束されたまま仰向けに倒れこむ。
復活の気配は、ない。
全身から一気に力が抜け、雷牙は大きく呼吸する。
三人での連携が勝利を勝ち取った瞬間であった。




