4-2
視線の先で起きたことに雷牙は理解ができないといった風な表情だった。
酒呑童子に掴みかかりそうな勢いで鳴秋が詰め寄ったかと思ったら、彼は仲間であるはずの酒呑童子に刺されたのだ。
鳴秋の言動や、酒呑童子の彼に対する扱いから仲間同士であると思っていたがゆえに、その行動は意味がわからなかった。
それにわざわざ自身の戦力を減らす必要はどこにあったのだろうか。
隊長陣も明確に顔には出ていないもののその行動には疑問と異様さを感じているようだった。
膝から崩れ落ち力なく地面に倒れこむ鳴秋。
けれど酒呑童子も、四人の幹部連中も、誰一人として彼を介抱するものはいなかった。
まだ息はあるのか鳴秋はビクビクと体を震わせている。
その姿に雷牙は思わず歯噛みすると彼を刺した張本人を睨みつける。
「……なにか言いたげだな、ガキ」
深紅の双眸が雷牙を捉える。
蛇を思わせる鋭い眼光は弱者を萎縮させるには十分すぎるが、雷牙は一切臆した様子はない。
そればかりか一歩前へ出て僅かに距離をつめた。
「どうして柏原を刺した……!!」
「なにかと思えばそんなことか。お前には関係ないだろう。第一、コイツはお前らにとっては裏切り者だぞ。既に刀狩者数名の命を奪ったばかりか、お前達をこの状況に追い込んだ張本人だ。むしろせいせいしただろう?」
「ざっけんな! こんなことでせいせいなんてするかよ! お前らは仲間のはずだろ!? なんで仲間を刺せんだよ!!」
「仲間……仲間、ねぇ……。クク……クハハハ……ハハハハハハハハハハハハ!!!!」
酒呑童子は仰け反るようにして高く笑った。
それと同じように、荊木を初めとした幹部連中も雷牙の言葉を小馬鹿にするような笑みを零す。
一頻り笑い終えた彼はまだかすかに息をしている鳴秋の体を軽く蹴りつけた。
「コイツを仲間だと思ったことなど一度もない。ハクロウを裏切り、俺達に資金提供したことには礼をつくしてやった。が、この状況になれば片腕のないこいつなど足手まといだろう」
「そんな理由で刺したのか!?」
「ああ。それにコイツはハクロウを裏切っている。こういうヤツは自分が窮地に立たされればまた裏切る。妙な考えを起す前に処理しておくのは当然だ」
「だからって……!」
雷牙の視線は鳴秋に向く。
水気を含んだ呼吸音がかすかに聞こえ、徐々に体の震えもなくなって来ている。
出血は止まることがなく、既に彼の全身は血の海へ沈んでいる。
痛々しい光景に雷牙の眉間には深く皺が寄る。
「そんなにコイツのことが心配か……。だったら安心していいぞ。まだコイツには生きてもらうからな」
どこか含みのある笑みを浮かべる酒呑童子に雷牙は怪訝な表情を浮かべる。
すると、酒呑童子はおもむろに腕を突き出して手首の辺りを刀で掻き切った。
「ッ!?」
全員がそれに驚愕の表情を浮かべると、彼はどこか満足げに笑みを浮かべ、溢れ出るどす黒い血を柏原の体に浴びせた。
「なにを……」
「言っただろう。こいつにはまだ生きてもらうと」
一頻り血を浴びせた酒呑童子は腕を振って血をはらう。
既に傷口はふさがっており、完全に再生していた。
「……とは言っても、人間としてじゃないがな」
ニィ、っと下卑た笑みを浮かべた酒呑童子に対し、澪華が「まさかッ!?」と息を詰まらせた。
「柏原を斬鬼に……!」
「ご名答。察しがいいな、総隊長殿。俺の血液は斬鬼の力の集合体でもあってな。大量に与えてやればすぐに斬鬼が作りだせるのさ」
「……そんなことは不可能だ。いくら最強と言われた斬鬼と言えど、妖刀も無しに人間を斬鬼化させるなど!」
翔も訝しげに睨み付けたが、それを馬鹿にするように酒呑童子は肩を竦める。
「阿呆が。俺は鬼の首魁、酒呑童子だ。駒を増やすことなど造作もない」
「百歩譲って妖刀なしで斬鬼化させるにしても、人間が斬鬼になるには相当の負の感情が――!!」
湊が声を詰まらせたが、雷牙は彼女がどうして声を詰まらせたのかすぐに理解することができた。
通常、人間が斬鬼化するのは心が完全に負の感情に支配され、顕現した妖刀を握ることで変化する。
今は妖刀こそないが仮に酒呑童子が言っていることが本当ならば、鳴秋が斬鬼に変化するのに必要なのは強い負の感情だけだ。
「お前、だから柏原を……!!」
雷牙は全身に怖気が走るのを感じた。
「ああ。作らせてもらったよ。絶望をな」
酒呑童子はギラつく歯をむき出しにして笑みを浮かべた。
絶望。
それは斬鬼化の原因の中で最も強い感情とされている。
「コイツには元々強い憎悪の感情があった。自分を攻め立てた救助者やその家族、ひいてはこの世界そのものに対する憎悪がな。だが、残念なことにそれだけじゃ斬鬼にはなれない」
「だから刺したってのか! 柏原の絶望を煽るために!!」
「ああ。仲間と信じていた者に裏切られる……。お前達人間はそういうのに酷く弱いだろう?」
ニィっと笑みを浮かべる酒呑童子に雷牙は吐き気にも似た気分を味わった。
協力関係にあった人間を刺し、斬鬼へ変貌させそれを駒として使う。
あまりにも下劣極まるその行動は決して許せるものではなかった。
「酒呑童子……! どこまで非道なことを……!!」
「鬼だからな。人間の感性など知らん。それよりも……頃合だ」
刹那、雷光を纏った狼一が動いた。
柏原が斬鬼に堕ちる前にその首を落とそうとしたのだ。
が、その帯電する刃は首を落とす前に突如として距離をつめた酒呑童子によって阻まれた。
「ッ!!」
「そう早まるな。まだ斬鬼にもなってないだろうが」
狼一はすぐさまその場から離れ、雷牙たちの下へ戻ってきたが彼の額には大粒の汗が浮かんでいた。
「狼一、今の……」
「……ああ。正直言うとアイツが出てくるまでまるで見えなかった」
頬を流れる汗を拭った狼一の言葉に雷牙はゴクリと生唾を飲み込んだ。
あの一瞬。
酒呑童子が狼一の刃を止めた瞬間、彼は突然現れたのだ。
身体強化などによる高速移動でも、雷電を纏った疾走でもない。
まるで最初からそこにいたかのように――。
「オオォオオオオォオオォオォォアアアァアァァァアアァァアァッ!!!!!!」
思考を遮るように絶叫が木霊する。
見ると、先程まで血の海に沈んでいた鳴秋が立ち上がり、何度も痙攣させながら吼えている。
血の泡混じりの咆哮はもはや人間のそれではなくなっていた。
同時にあふれ出すのはどす黒い霊力の奔流。
風圧のように襲ってくる霊力の先では、徐々に体を変異させていく鳴秋の姿があった。
絶叫しながら変異していく姿は正直に言えば直視したくないほどにえげつないものだった。
が、ふと雷牙は何かに気付いた。
それは徐々に人の形ではなくなっていく鳴秋の顔だった。
体は既に人ではなくなっていたものの、頭だけはまだ彼の面影を残していたのだ。
とはいえそれも今のうちで徐々にその容貌は斬鬼のそれへと変わっていく。
もはや完全に斬鬼化するのは時間の問題かと思えたが、雷牙は変異していく彼の瞳に煌めくものを見た。
どす黒く渦巻く闇の霊力の中で、唯一光って見えたそれは、一滴の雫。
涙だった。
瞳は雷牙を捉えており、まるで何かを訴えかけているかのようだった。
「柏原……」
なにかを感じ取った様子で呟くものの、それをかき消すように再びの咆哮が上がった。
吹き荒れていた霊力の奔流は徐々にその強さを弱め、斬鬼へと変貌した鳴秋の姿が露になっていく。
体の大きさはそこまで大きくないが、それでも三メートル程度と推定され、頭部には他の斬鬼と同じように一対の角が生えている。
グルルル、と獣染みた唸り声を上げている口元には荒々しい牙が覗き、垂れる唾液も酸性になっているようで地面に落下すると煙を立てていた。
が、最も眼を引くのは巨大な片腕だった。
それは鳴秋が失っていたはずの腕から伸びており、地面に届きそうなほどに長く、そして強靭なものだった。
雰囲気だけでわかる。
あの腕は危険だと本能がしきりに警鐘を鳴らしているのだ。
「ほう、そこまで期待をしていたわけじゃないが。中々強そうに変化したな。まぁ、元刀狩者であれば当然か」
鳴秋だった斬鬼に歩み寄っていく酒呑童子は途中彼が持っていた刀を斬鬼に向けて放った。
斬鬼はそれを受け取ると凶悪な笑みのようなものを見せ、刀を歪に変化させる。
小さな刀は斬鬼の身長ほどに肥大化し、刃はまるでのこぎりのようにギザギザと刃が立っている。
「そいつには俺の細胞と霊力が練りこんである。さぁ、せっかく力を与えてやったんだ。存分に殺してくるがいい」
命令を下すように告げると、それを理解したのか斬鬼は避難を続ける人質のほうへ視線を向けた。
ぞわり、と嫌な感覚が雷牙の全身を駆け抜ける。
斬鬼の特徴として最も厄介なのは、人間を殺すことに特化しているということ。
しかも狙うのは戦闘能力がない一般人などの弱者ばかり。
すなわち、あの斬鬼が狙うのは――。
「待て、この――ッ!!」
雷牙はすぐさま駆け出そうとしたものの、それよりも早く斬鬼が跳躍した。
空中へと躍り出た斬鬼は再び地面を蹴りつけてスタジアムの天井近くの支柱に上がった。
が、隊長陣は誰一人取り乱すことなく迅速な命令が下される。
「各部隊長は敵幹部との戦闘へ! あの斬鬼の相手は――!」
張りのある声が響き、澪華の視線が学生達へ注がれる。
その意図をすぐさま理解した雷牙は頷き、生徒会長達もそれぞれ反応を見せる。
「――変異した柏原は学生連隊で対処を! 外にはまだ避難し切れていない非戦闘員が多数います。他の刀狩者と協力して避難、及び斬鬼の討伐を頼みます!!」
「了解!」
返答をするやいなや黒羽たちが先に斬鬼を追って跳躍する。
「会長、俺達も!」
「うん。だけどその前に直柾くん達を――」
「――会長!」
声のした方を見ると、三咲と士の姿があった。
彼らはそのままフィールドに上がってくると、倒れている直柾を担ぎ上げる。
「怪我人は俺たちで手当てします。会長達は柏原の方を」
「……わかった、頼んだよ。直柾くん、もうちょっと持ちこたえて!」
龍子が呼びかけると士に担がれた直柾が僅かに顔を上げて溜息のようなものを漏らす。
「……つーか運ぶのおせぇ……。どんだけ待たせんだよ……散々人の上でもちゃもちゃしやがって……」
「そういうことが言えるなら心配なさそうだね。それじゃ、士くん、三咲ちゃん。後はよろしく!」
「はい!」
返答を聞くと同時に龍子は雷牙に「行こう!」と告げて他の生徒会長達を追う。
雷牙もそれに続こうとしたが狼一に呼び止められる。
「雷牙くん。人数は多いけど、あの斬鬼はかなり危険だ。だから気をつけて」
「了解です。伊達さん達も気をつけてください!」
自分よりもはるかに高い実力を持つ狼一達に対して気をつけろと言うのはどうかと思ったが、伝えずにはいられなかった。
すぐさま踵を返した雷牙は龍子達に続いたものの、視線は酒呑童子を捉えていた。
が、それは向こうも同じようで、彼はどこか含みのある笑みを浮かべながら雷牙を見やっていた。
若干の不気味さを感じながらも、雷牙は今倒すべき相手を見定めるように視線を外してスタジアムの天井へ躍り出た。
「気をつけてください、か」
雷牙を見送った狼一は小さく笑みを浮かべた。
「嬉しそうじゃん」
「嬉しいって言うか、負けらんないと思っただけだよ。アイツだけはここで倒しておきたいから…… 」
狼一は酒呑童子をさらに強く睨みつけると、帯電する雷光も強める。
「総隊長。アイツの相手は俺がします」
「……わかりました。ですがくれぐれも無茶はしないように。私たちも出来る限りの援護はします」
「了解です」
「戦う相手は決まったか?」
思考を見透かしたとでも言うように酒呑童子が笑みを浮かべたまま問うて来る。
それに頷くことこそしなかったが、隊長陣はそれぞれ得物を抜いて自分が戦うべき相手を見定める。
「学生連中のようにすぐに一方的に負けてくれるなよ。楽しませてくれ」
「……残念だけど、それはできねぇよ」
トーンを落とした狼一の声に酒呑童子が僅かに疑問符を浮かべた。
「楽しむ余裕なんて与えない。全力で叩き潰す!!」
「ハッ! いいねぇ! 俺好みの答えだ!!」
瞬間、五人の刀狩者と五体の鬼がそれぞれの相手と激突した。
凄まじい衝撃は戦闘開始を告げるゴングのようであった。




