3-1 向けられる蔑視
『天都尊幽を見つけ、早急にハクロウに戻るように告げてくれ』
それが剣星ら斬鬼対策課、第零部隊に命じられた任務だ。
辰磨は彼女を本部に戻す理由について戦力増強のためだと言っていた。
最初、剣星はたった一人追加した程度で戦力の増強になるのかと思っていたが、その心配が杞憂だったことを思い知っていた。
目の前で紅茶に口をつけている少女は、端から見ると剣星よりも年下に見える。
だが、彼女が常に発している強者の威圧感は、零の肩書きを持っている剣星ですら緊張で思わず生唾を飲み込んでしまうほどだ。
剣星は自分の強さに絶対の自身を持っているものの、彼女と戦った場合勝てるかどうかと言った具合だ。
同時に気がかりだったのは、彼女がソファに適当な感じで立てかけている刀だ。
一見すると鬼哭刀と変わらないつくりのようにも見えるが、刀自体がまとっているオーラがどこか違うような――。
「武蔵辰磨……また懐かしい名前だねぇ。あの坊やは元気?」
「坊や……?」
隣に座る天音が首をかしげた。
その反応は当然だった。
辰磨は既に齢五十を越えている。
彼が尊幽のことを「お嬢ちゃん」や「お嬢さん」と呼ぶことはあっても、彼が「坊や」と呼ばれることはない。
「……つかぬことはお伺いしますが、貴女の年齢は?」
「ありていな返答だけど、女性に年齢のことを聞くのは失礼だよ。まぁ、気になるのは無理もないと思うけど……」
彼女は外見相応に頬を膨らませるも、本気で怒ってはいないようだった。
「まぁ、ちょっとした意地悪は置いておくとして……辰磨が私を呼び戻したいってことは、相当切羽詰ってきたって感じかな」
「その辺りの詳しい話は貴女が戻ってからするとのことでした。ですので、戻ってください。天都さん」
「なるほどねぇ……しっかしこのタイミングで戻れと来たかー」
ティーカップを置いた彼女はテラスに出て外に広がる森を眺める。
表情はいまいちと言った感じで、なにかに悩んでいるようだった。
彼女は外を眺めながら何度か「うーん」と唸りながらテラスをウロウロした後、決心がついたのかくるりと剣星達に向き直る。
「ごめん! 今は無理!!」
左手を腰に当て、右手を顔の正面で立てた彼女は高らかに謝罪した。
それなりに大きな声で告げられた謝罪の言葉はやまびことなって少しだけこだまする。
それが終わったところで、彼女はソファにゆっくりと腰を下ろし、再び紅茶を啜ろうとした。
「いやいやいや! 急にリラックスしようとされても困るんですけど!?」
「えー、でも無理なものは無理なんだよー」
「いや無理とかそういうのじゃなくて、戻って来いって命令なのこれは!! 戻ってきてくださいじゃなくて、戻って来いってことなんだってば!」
「それはわかってるけどねぇ。一応私もこっちでやることが残っててさ。それが終われば戻ることはできるけど」
「やること?」
やや興奮気味の天音をなだめながら剣星が問うと、彼女は一度頷いて外を指差す。
「君達もさっき見たでしょ。斬鬼の対処が必要なんだよね、ここ」
「斬鬼の対処って……そんなにポンポン出てくることは――」
別の椅子に座っていた部下の西城鋼一朗が首をかしげた時。
全てを呪い殺すかのような禍々しい咆哮が轟いた。
「ったく、さっき対処したばっかりだったのに……」
溜息をついた彼女は忽然とその場から姿を消した。
突如として消えた尊幽に一瞬驚くものの、剣星はすぐさま彼女が外に駆け出していることに気がつく。
「追うよ!」
「了解!」
剣星達は尊幽を追うために邸宅から飛び出した。
視線の先には既に豆粒ほどに小さくなった尊幽の姿があったが、これくらいならばまだ見失うことはない。
零部隊の面々は瞬時に霊力を足に回して彼女を追走する。
「斬鬼の反応は?」
走りながら問うと、携帯型の鐘魔鏡を起動していた東間汀が首を横に振った。
「ありません。斬鬼の反応どころから妖刀顕現による霊力の歪みも皆無です」
「どういうことだ? さっきの声は明らかに斬鬼だったろ。人工妖刀事件じゃあるまいし……」
「隊長、どうする?」
「……いろいろと疑問はあるけど今は彼女を追おう。直感でしかないけど、彼女が行った先に答えはあると思う」
「ならいいんだけどねぇ……」
四人はさらに速度を上げて彼女を追った。
「ふぅん……。さすがに零の肩書きは伊達じゃない、か……」
追走してくる四人をチラリと見やった尊幽の口元には笑みがあった。
ハクロウ斬鬼対策課第零部隊。
彼らは長官直轄の特殊部隊であり、公には噂程度にしか認知されていない存在だ。
所属している者の実力は軒並み高く、個人の実力は一から十二まで存在する各部隊の部隊長と同等かそれ以上だ。
十分引き離していたはずの距離も既にかなり近くにまで迫っている。
「それじゃ、こっちも少しだけペース上げようかなッ」
尊幽は次の一歩を踏み出すと同時に再び加速する。
背後ではかすかに驚いたような声が聞こえたが、引き離されるような連中ではないだろう。
「懐かしいなぁ。誰かと追いかけっこなんて何十年ぶりかな。……あぁいや、違う。二十年位前に一度やったっけ」
この状況にどこかなつかしさを覚えた彼女は、内心でとある少女のことを思い出す。
綺麗な深黒の髪を後ろで束ね、全身に白い雷光を帯びながら自分を追いかけてきた少女。
名前は確か……。
「……綱源光凛、だっけ。あの子、元気にしてるかな」
懐かしげに口元を緩ませた彼女は近場にあった太い幹を蹴って空中に躍り出た。
周囲に一度視線をめぐらせると、森の中で大きな土煙が舞った。
同時に聞こえてきたのは、斬鬼のものと思われる咆哮。
「やれやれ、来客中なんだから空気くらい読んで欲しいよまったく……」
尊幽は刀を抜くとそれを後方に向けて振った。
瞬間、彼女は一気に加速した。
霊力は使っていない。
今のはただ刀を振った時に巻き起こる風圧を利用して自分を射出しただけだ。
勢いをそのままに彼女は視線の先に斬鬼の姿を捉える。
「じゃ、その首落としちゃおうか」
もう一度虚空に向けて刀を振って加速し、彼女は一刀を横凪にする。
鋭利な刃は斬鬼の首を的確に捉え、次の瞬間には大きな首がとんだ。
周囲にどす黒い血の雨をふらせながら倒れていく死体を見やった彼女は、小さく息をついてから納刀する。
カチン、と鯉口が鳴ったとほぼ同時に遅れてやって来た剣星達が現れた。
「お疲れ様。意外に速かったね」
笑顔で迎えた彼女に対し、剣星達は少しだけ呆れたような、驚いたような複雑な表情を浮かべていた。
空中に溶けていく斬鬼の死体を見やった剣星は適当な岩の上に腰掛けた尊幽に問う。
「天都さん。貴方がここでやることとはこのような斬鬼の討伐ですか?」
「んー。まぁ正解といえば正解。だけど、それだけじゃない」
彼女ははぐらかすように笑い、視線を剣星へ向けた。
剣星はそれに答えるように彼女の真っ赤な瞳を見据える。
「……ここに足を踏み入れた時からどこか奇妙だと思っていました」
「奇妙?」
「はい。一つは斬鬼が発生しているというのに鐘魔鏡に反応がなかったことです。これに関しては一時期クロガネが開発した人工妖刀という前例がありますが、ここにはクロガネの気配はまるでない。だから、鐘魔鏡が壊れている可能性を疑いました」
剣星は天音と汀に持たせている鐘魔鏡に視線を向けるが、壊れた様子は一切ない。
「鐘魔鏡には異常は見られないことから、別の外敵要因があると思い、来る途中に霊力の濃度を調べてもらいました」
「調べてみてびっくりしたよ。だってここの霊力異常に濃いんだもん。普通の場所と比べると数倍異常……明らかに異常値だった」
天音が見せた簡易検査キットを見ると、通常ではありえない数値が出ていた。
「そして最も不可解だったのは、人間がいない場所で突然顕現した妖刀と、斬鬼の存在です」
通常、妖刀は特定の人間が発してしまう負の感情に呼応して現れる。
そしてそれを握った瞬間、人は斬鬼へ変貌する。
「近くの集落は数十キロも先で、すんでいる人々にも霊力を使える人間は限り無く少なかった。霊力を使ったとしても彼らがここに来るのに数日はかかる。だからあの斬鬼は人が媒介となったものではないことがわかります」
剣星の表情は暗く、眉間には皺が寄っていた。
今から口にだそうとしていることは、それこそ信じられないような事象だ。
これが表ざたになれば、斬鬼の定義が根底が覆るような、衝撃的な事実。
しかし、言わねばならない。
剣星は一度小さく息をついてから告げた。
「貴方がここを離れられない理由は、無限に湧き続ける斬鬼を食い止める必要があるから。違いますか?」
「……」
返答はなかった。
が、赤い瞳は真っ直ぐに剣星を捉えている。
すると彼女は一度目を閉じて岩から降りると「ついてきて」と四人に声をかけて歩き出した。
剣星は彼女に続いて歩き、三人もそれに続いていく。
しばらく無言のまま歩いていると、不意に彼女の方が声を漏らした。
「さっきの仮説、合ってるよ。私がここを離れられないのは、キミの言うとおり斬鬼が無限に湧き続けるから」
尊幽の言葉に剣星は驚いた様子はなかったが、背後の汀や鋼一朗は驚嘆した様子だった。
「まさか、本当にそんなことが……!」
「人間がいないのに、いったいどうやって……」
「その答えを今から君達に見せてあげる。ほら、もうすぐだよ」
顎をしゃくった彼女の先には巨大な窪地があった。
クレーターのように芹上がっている丘の端に立ち、中を覗き込んだ剣星達は思わず息を呑んだ。
最初に感じたのは非常に膨大な霊力の奔流。
濃密過ぎる霊力は、それなりに場数を踏んでいる剣星達ですらも一瞬気圧されるほどだった。
霊力はクレーターの中心部から止め処なく溢れ出ているようで、霊力の光が明滅しているのが見える。
「これは……霊穴ですか?」
「うん。この星に流れるエネルギーの流れである星霊脈。そこから霊力が噴き出るのが一般的には霊穴って呼ばれてるけど、ここは一味違う。これは大霊穴って言って、数ある霊穴の中でも最も巨大な霊力の噴出孔」
「大霊穴……」
剣星も仕事上、霊穴を目にすることはある。
しかし、これほど大きく、濃密な霊力が溢れる霊穴は始めてみる。
「ここは最初はそれほど大きな霊穴ではなかったんだけど、周囲にある霊穴が活動を停止した影響で流れがここに集中した。結果的にこれほど巨大になってしまったってわけ。ホラ、見てみて。ちょうど出てくるところだから」
剣星達は彼女が見た方向に視線を向ける。
そこには目で見てわかるほどの空間の歪みがあり、黒いオーラが徐々に集まっていくのが見えた。
やがて集束したオーラは一本の刀の形状を象った。
「妖刀……!」
「鐘魔鏡に反応は?」
「ありません」
「……なるほど。鐘魔鏡に反応がなかったのはそういうことか、空気中の霊力があまりにも多すぎたから歪みを上書きしてたんだ。盲点だった」
「まぁ、普通はこんなことありえないからね。それにホラ、妖刀が出来た瞬間、斬鬼の体が形成され始めてる」
彼女の言うとおり、妖刀の柄のあたりから斬鬼の腕らしきものが形成され始め、徐々に巨大な影が露になっていく。
「とりあえず私はあれを殺してくるけど、ここから入ったらいけないよ。知ってるとは思うけど、多すぎる霊力は毒にもなる。ここから先の霊力濃度は、君達みたいな人間だと耐えられない」
尊幽はそれだけ告げると、今まさに雄叫びを上げようとした斬鬼に向けて駆けた。
彼女の後姿を剣星は見送るしかできなかったが、尊幽の言葉に偽りはない。
たとえ隊長格とはいえ、この霊力濃度で活動できるのはせいぜいが十分前後だろう。
ここで自分が飛び出したとしても彼女の邪魔になるだけだ。
くやしさを感じながらも剣星は目の前で起きている現実を受け入れ、この後の方針をどうすべきか考えをめぐらせるのだった。
剣星達に大霊穴のことを説明した尊幽は斬鬼を討伐した後、彼らと共に家に戻るところだった。
「僕達がここに残って斬鬼の対処をすることは出来ませんか?」
「無理。斬鬼の出現は昼夜問わずだし、大霊穴中心で現れた場合はキミでも対処が難しい」
「出てくるまで待って対処するのは?」
「それも無理。中心部で膨大な霊力を蓄えた斬鬼の強さは怨形鬼数体分以上。負けることはないだろうけど、対処し切れないと思うよ」
先程から剣星は仕切りに案を出してきているものの、尊幽はその全てを却下していた。
実を言えばここから離れる方法はあるにはある。
だが、この人数では出来ないのだ。
最低でも彼ら並の実力者があと一人いなければ――。
「……」
尊幽が足を止めた。
彼女の視線は邸宅に方に向いている。
「あれは……」
剣星もそれに気付いたのか、同じように足をとめて邸宅を注視する。
邸宅の前には一人の老人が立っていた。
白く長い髭を蓄えた袴姿の老人は、只者ではない雰囲気を醸しだしている。
一瞬固まった尊幽であるが、彼女はふっと笑みを浮かべると老人へ向けて歩き出す。
「久しぶり。随分しわくちゃになっちゃったね、宗厳」
「ふん、お前と比べてくれるな。尊幽」
ニッと笑ったのは尊幽とも旧知の仲である老獪、柳世宗厳だった。




