ひみつ
「ちょっとヒナコ、ホントに聞いてるの?」
「あ、あぁ、うん……」
苛立っているような口調に、わたしは返事をした。
聞いている。けれど、信じられない。そんな話、突然されて信じるほうが無理だ。
「桃華ちゃんは、本当にヒナちゃんのことが好きなんだね」
「……そうだよ。好き。だからヒナコのことをもっと知りたいの。だから、アタシのことも全部知ってほしい」
「それで、裸の付き合いか」
「そーゆーオッサンみたいな言い方、やめてよ」
「いやいや、ごめん。ヒナちゃんどうする? いきなり重たい話だよね。すごい話聞かされて、正直引いちゃってるでしょ」
唇をとがらせている桃華ちゃんの横で、東條さんがくすくす笑いながらわたしを見下ろした。
「ホント、なの……?」
東條さんは、知っていたのだ。平然としている態度は、桃華ちゃんの話が嘘じゃないと証明しているようなものだけれど。
それでもわたしは、聞き返さずにはいられなかった。
「こんな嘘吐いてどーすんのよ。それに、アタシにはこれをヒナコに告白する義務があると思ってる」
これが、桃華ちゃんの「ヒミツ」。
わたしの秘密を知ってしまったからって、自分のことをこんなかたちで告白するなんて。
「義務って、どういうこと?」
「女同士の約束だから、東條さんには教えなーい」
「それは残念だな」
呆然としているわたしの前に、東條さんが床にカメラを置いてしゃがみ込んだ。そうしてわたしのシーツを留めてあったクリップを、不意に外す。
当然わたしは慌てて内側から隠そうとしたけれど、あっという間に東條さんにシーツを剥ぎ取られた。
「桃華ちゃんて、言い出したらきかないんだ。整形するって言ったときも、ぼくは止めたんだけど、結局しちゃってね。だからもう、ヒナちゃんも逃げられないよ。さっきも言ったけど、ぼくとしては、無理強いしたくないんだ。なんとかしてあげたかったけど、さすがにぼくもお手上げだな」
両腕で胸元を隠しているわたしの肩に、東條さんの手のひらが触れる。こうしていつも隠れている部分を触れられるのは、あの夜以来だ。
その手が背中へ滑り、東條さんはわたしを抱きしめた。あの薄っぺらな服の生地がないだけで、どうしてこんなに感覚が違うのだろう。何度もしてもらっていることなのに、いつもよりずっと、痛いくらいに心臓が鳴っている。
「だからヒナコ、許してね。今夜のご褒美、いつもよりいっぱいしてあげるから」
耳元で、小さな声で囁いたと思えば、その唇がわたしの口を塞ぐ。そばに、わずかな溜息など聞こえてしまう距離に桃華ちゃんがいるのに。
驚いたわたしが唇を離せば、すぐに追いついてきて音を立てて何度も重なり合う。そうしてしばらくキスを堪能した唇は、やがて首筋を這う。
絶対に桃華ちゃんは気づいている。そのことばかり気にしていたわたしは、突然訪れた胸元の解放感にも、一瞬何が起きたのかわからなかった。
「あっ……」
つい声を上げると、耳をついばんでいた東條さんがわたしの顔をのぞき込んだ。
キスをしている間に、東條さんの指先がわたしのブラジャーのホックを外し、その指は今、ゆっくりと肩からストラップを下している。
「そういう泣きそうな顔は、ぼくのためにとっておいてね。ホントは写真にも撮りたくないんだから」
自分がどんな表情をしているのか、全くわからない。ただ、もう一度東條さんの唇が近づいてキスをしたとき、目を閉じると瞼の内側が熱くなって、涙が溢れそうな気がした。
されるがままに、腕からブラジャーを抜き取られて、わたしはできる限り見えないように、胸元を腕で隠す。けれどその腕も、東條さんに両手をつかまれて、ゆっくりと引きはがされた。
「大丈夫。ぼくしか見てないから」
あの夜の自分がまるで別人のように、今のわたしは見られることが恥ずかしくてたまらない。とても顔を上げることなんかできない。
東條さんにつかまれたままの両手が、どうしようもないくらい震えていた。そのわたしの指先を、東條さんが口に含む。両手の親指から小指まで一本一本、舐めて舌を絡ませて、最後に手のひらにかぶりつくようなキスをした。
わたしは声を上げてしまわないよう、唇をきつく咬んで、身体の奥からこみ上げるものも抑えこもうと必死だった。だからいつの間にか目を閉じて、次に瞼を開くときまで、右手の指を咥えているのが桃華ちゃんなのだとわからなかった。
咄嗟に手を引こうとしても、しっかりと東條さんがわたしの手首を掴んでいる。
「唇の形も変わっちゃったけど、口の中は変わりないんだよ。舌も、歯も、歯並びも、なにも変わらない、ホントの桃華ちゃん」
唇をすぼめてわたしの人差し指を吸っていた口が、ゆっくりと開く。赤い舌がちらりとのぞいたかと思うと、器用な舌先はわたしの指を歯列に沿って転がしていく。
「ヒナコ、もっと力抜いて」
一旦東条さんはわたしから身体を離したものの、今度はカメラを持って背後からわたしを抱え込むように座った。肩越しに、わたしの指を口に含んでいる桃華ちゃんの写真を撮る。そうして、気まぐれにわたしの首筋にキスをする。
わたしが手を自分のほうへ引き戻せば、エサを追いかける魚みたいに、桃華ちゃんの唇が追いかけてきて、やがて胸元に生ぬるい桃華ちゃんの唾液が滴るまでどんどん距離が縮まっていく。身をよじるわたしの動きを制するように後ろから腰を抱く東條さんは、写真を撮るのもそこそこに、耳やうなじや背中へのキスを繰り返していて、わたしはぼんやりと天井を見ながら、いつからか喘ぐような呼吸を繰り返していた。
ふたりに挟まれるようにして触れ合う肌から体温が上昇していく。その熱で頭の中が溶けてしまいそうで、苦し紛れに目を閉じた。
わたしとキスしているのが誰なのか、どの指が、誰の唇がわたしの肌に触れているのか。もう、よくわからない。
東條さんに誘導された手のひらに、柔らかく弾力のあるものが触れる。指先に少し力を込めれば、桃華ちゃんが小さく声を上げた。
「もっと、触って」
かすれた声でねだる桃華ちゃんがわたしの太ももに跨り、そのまま腰を下ろした。下着越しに擦り付けてくるそこが、しっとり濡れている。
わたしは桃華ちゃんの胸を両手で包み込むようにしてから、さっきよりも力を込めて握った。そうして、物欲しそうにだらしなく半開きになった桃華ちゃんの唇に、わたしは自分からキスをする。
そのときにはもう、理性も羞恥心も、体中を駆け巡る快感の前に平伏すしかなくて、自覚のないまま欲望のままに突き進もうとする自分がいた。桃華ちゃんがどうすれば気持ちイイのか、なんとなく知っている。オンナノコがどこをどう触れられたら、どんなふうに感じるのか、自分がよくわかってる。
こんなことまでする必要なんかなかったはずなのに。目的はこうすることじゃなくて、ただ写真を撮るだけだったのに。
そんなことを忘れて、自分がしてほしいことを、わたしにとって気持ちイイことを桃華ちゃんにしてあげたいと思い始めていた。そうすることでわたし自身まで、同じことをされているような不思議な感覚に陥っていく。
「ヒナコ、ちゃんと見てる? もっと、もっと、触って」
「……うん」
わたしは桃華ちゃんの体をよく見るために、彼女の体を横たわらせた。後ろ手に縛られているのが苦しそうで、わたしはそのリボンを解く。
そうすることでどうなったとしても、もういいと思った。むしろ、同じ快感を与えてほしくて、体が焦らされて、切なくてたまらない。そんなふうに汗ばんで飢えたわたしの肌の上を桃華ちゃんの指先が滑る。いつもの強気な態度とはうらはらに、彼女はわたしに優しかった。
背後にいたはずの東條さんがどこにいるのか、いつの間にかよくわからなくなっていた。ただ、シャッターを切る音だけは、ずっと聞こえていたはずだ。
それからわたしたちは、お互いのすべてに余すところなく触れて、キスをしたと思う。身体の一部がどちらのものかわからなくなるくらい、夢中で重なり合って、絡み合って、何度ものぼりつめて体を震わせた。
どれくらい、ふたりでこうしていたんだろう。
身体は重く、意識はずっと深い場所に潜っていってしまいそうなところで、東條さんの声がした。
「オンナノコのセックスには終わりがないって聞くけど、そろそろふたりとも限界じゃないの?」
わたしたちの頭上にしゃがみ、ふたりの髪を撫でる。
そうして、東條さんはずっと桃華ちゃんの目元を覆っていた黒いリボンを解いた。
「ふたりとも、お疲れ様。撮影はこれで終了ね」
汗をかいた桃華ちゃんの目元は、アイシャドウが黒く滲んで、つけまつげがずれている。ふとわたしが笑うと、自分の状況がだいたい理解できたのか、桃華ちゃんはまつげをはずして床に捨て、気怠そうに笑った。
「ぼくは少し出かけてくるよ。すぐ帰るけど、ふたりで留守番、お願いね」
やがて東條さんの足音は遠くなり、ドアを閉め、鍵をかける音がした。
わたしの鼓動も、横にいる桃華ちゃんの呼吸も平静を取り戻して、いつも以上の静けさの中で、桃華ちゃんが小さく息を吐き出した。
「アタシね、バカだったんだ」
自嘲を含んだ声でそう言って、桃華ちゃんは天井を見上げる。
「簡単に言っちゃえば、顔がブサイクだってことを理由に、すごく好きだった男にフラれたの。だからアタシはそいつを見返すために、整形なんかしちゃったんだよね」
「えっ……」
「ヒドイオトコだった。散々カワイイとか、愛してるとか言ってたくせに、アタシが妊娠したって言ったら、てめぇみたいにブサイクなオンナのガキなんかいらねぇよって。あ、妊娠したってゆーのは、そいつと別れたくなかったアタシの嘘だったんだけどさ。よっぽどアタシの顔が気に入らなかったみたいで、それからはもう見えるトコも見えないトコもかまわずに、殴る蹴るで死ぬかと思ったよ。鼻も折れたし、アザだらけで外にも行けないし、もちろんココロも折れちゃったしさ。いっそ殺してくれたら、整形なんてしなかったのに」
作られたものだということを、まだ信じられないでいるわたしは、桃華ちゃんの横顔を見つめた。つけまつげが取れても、その横顔は美しい。くっきりとした二重瞼に、すっと通った鼻筋。その下にある柔らかな唇も。すべてがフェイクだと言われてしまえば、そうなのかもしれない。でも、そこに不自然なものも違和感もない。
「整形したら、あのオトコを騙してやるって決めてたんだ。最初はバレるんじゃないかって思ったけど、全っ然気づかなかった。逆にこっちが不安になるくらい、まんまと騙されてくれて、引き出せる限りの金を貢がせたの。でね、バレてもいいところまで騙し尽くして、最後にセックスしてやったら、アイツ、何て言ったと思う? こんなにいいオンナ、今まで抱いたことないって。アタシ、カラダはどこもイジってないんだよ。それなのに、あのオトコ、バカみたいに夢中になっちゃってさ。もう、何回もヤリまくってたはずのオンナのカラダなのに。ブサイクだって殴って蹴ってボロボロにしたカラダをだよ? ホント、オトコって、バカ」
わたしはこくりと息を飲んだ。
だから。桃華ちゃんは、わたしにこんなことを望んだのか。
「そのオトコとは、それっきり。思いどおり騙して捨ててやったのに、アタシ、怖くなっちゃったんだ。ホントにアタシは英梨なのか、誰なのか、わかんなくなって。それで、東條さんに確かめてもらうことにしたの。何度かそーゆー雰囲気になって、セックスしたことはあったし、ヌードも撮ってもらってたし、だから、アタシがアタシであることを確認できるのは、東條さんだけだった」
そんな不安まみれな自分を安心させるために、東條さんは全身に、足の先までキスをして舐めてくれたのだと、桃華ちゃんは続けて笑った。
「今でも、時々不安になる。鏡を見てたら、映ってる人間が自分じゃない気がして怖くなるの。だから、定期的にヌードを撮ってもらってる。このカラダは、間違いなく、アタシのものだって証明するために」
自分の肩を両手で抱いて、桃華ちゃんは目を閉じる。
「桃華ちゃんのカラダ、すごくキレイだよ」
実際に触れてみて、東條さんが褒める理由を、わたしは文字通り身をもって実感した。桃華ちゃんだけ特別扱いする理由も、他人が触れるのを躊躇ってしまうようなふたりだけの雰囲気も。すべて、このことに繋がっていたんだと思うと、どれだけわたしは自分のことしか考えていなかったのかと思い知らされる。
「アタシのことは、これが全部」
桃華ちゃんはこちらに体を向けて、わたしの髪を撫でた。
「今度は、ヒナコのこと、教えて。ヒナコは、一体、誰なの」
わたしは。
いつか、桃華ちゃんのように、自分が誰であるか不安で仕方なくなるときがくるのだろうか。




