恐れ
「相手が中学生なんてまだ信じられないですよ、会長」
「それは本人に言ってくれ。私も信じられんのだからなぁ」
会社に到着した直後、椅子にもたれた私を見て平野が額をハンカチで拭きながら冷や汗混じりに呟いているのを見て──同意せざるを得なかった。
悪魔、天使なのかは置いておいて。
中身はただの中学三年生。
戸籍も確認したが本物だった。
「珈琲を持ってきてくれ」
「すぐにお持ちします」
平野に指示して、私は近くにある鏡の前に立った。
「これが私⋯⋯とはな」
病院にいた時の私は、身体が弱く、免疫や全身の筋力低下が著しかった。
髪も抜け、肌もボロボロ。
血色は死人そのものだった。
しかし──今では"日に日に"良くなっているのがわかってしまうくらいだ。
飲んだ直後は若さを。
日を追うごとに女みたいなことを言うが、肌の調子がなんとなくぷるぷるとでも言うのか⋯⋯明らかに若くなっていくのを嫌でもわかってしまうのだ。
自分の頭を触る。
毛根の部分もそうだ。
徐々にジョリジョリという手触りを感じる。
色は確かに白髪ではあるが、明らかに変化がある。
悪魔との契約⋯⋯。
ふん。自分でも笑ってしまう。
死人が僅か1週間も経たずしてこんな状態になるとはな。
「お持ちしました」
「ご苦労」
その場で珈琲を一口飲む。
「やはり、あの伊崎という少年ですが⋯⋯」
「どうした?」
「会長の件を見るに明らかです。アレは明らかに常軌を逸しています」
平野の言う通りだ。
今回の件、話しているのは平野と情報局の人間のみに話している。
さすがにコップ一杯もない量を飲んで身体が健康になるなど──信じようにも信じられまい。
だから、今回平野を連れて行った。
最後まで信じていなかったからな。
「否定はせん」
あの時。
握手を交わした時だ。
その時──全身の血が沸騰でもしたかのように振動していた。
得体の知れない圧力もだ。
あんな感覚、海外の紛争地域を回っていたあの時を思い出す。
例えるなら、海の中心で浮いている時のようなものに似ている。
圧倒時な絶望感と自分のちっぽけさ。
自分はこんなものなのかという問答をさせてしまうような独特なオーラがあった。
だから──だからこそだ。
「平野⋯⋯」
むしろ興奮するのだ⋯⋯!!
アレが欲しくて仕方ない!
「お前の全てを以て──アレを手に入れる為に必要な事をすぐに洗い出せ」
私はあの座っているアレを思い出す。
堂々たるアレを。
自分が王だと信じて揺るがないあの自信に溢れた獅子の顔を。
あの顔は、50年前の自分だ。
同類だと感じたのは久方ぶりだ。
傲慢にも、私はそう思ってしまったのだ。
「会長。それから⋯⋯」
懐から取り出した瓶を見せてくる。
「あの場で飲んだのだから問題ないだろう」
用件があらかた終わった時、彼が親切心で平野が気にしていると言っていたハゲに対する効き目があるという液体を手渡してきた。
その場で飲め。
という説明だったから飲んだが、平野は瓶も持ち帰ってきたのだ。
「はぁ⋯⋯」
「会長の言う通り、必ず取り込むべきです」
「最初からわかり切っている、そんな事はな」
私は、そもそもあの少年のお陰で助かっているのだから。
だが礼と欲しいものは別だろう?
人間である以上は。
「こっちとしては、もう少し伊崎少年を知りたかったんだがなぁ」
名前と年齢、あとは私に対する評価はなんとなく分かったのだが⋯⋯あの得体の知れない液体が量産できるのか。
一点物なのか。
そもそもこれは期間限定的なものなのか。
私としてはそこが一番気になった。
というか当然というべきか。
日に日に良くなっているという事は間違いなく、その場しのぎの嘘ではないというのは理解できるのだが、どれくらい持つのか。
正直、口から何度もでかかった。
"この力は誰が知っているのか?"
"効果はどれほどなのか"
"他にもあるんじゃないか"
そう。しかし分かっている。
ソレを口に出した瞬間──こちら側の。
いや、私はすぐに無かったことにされてしまうと。
天井を見上げると、いつもと変わらない景色。
しかし、この景色はもういつものではなくなった。
「そうですね。必要な情報はまだかなり沢山必要かと」
「金が必要だということは、まだ付け入る隙があるはずだ」
少なくとも金という貨幣に価値を感じているのだから、まだまだ人間であることに違いはない。
「情報局の三人からは?」
「話した感じはかなり感触が良いと」
まぁ。そこは私が見ても中学生、過ぎるくらいは凝視していたからな。
隠してもいないのだろうが。
「女で行けそうか?」
「いや難しいのではないのでしょうか?
金銭を持たせた中学生なんて行動パターンが丸わかりですし」
どうにかして、懐に潜る必要がある。
私としては全く他人事ではないからな。
それに、必要なことはそれだけではない。
「伊崎少年の周囲を少し探れるか?」
「ライバルがいないかですよね?」
「あぁ」
私としては一番の障害となりうるのは、私以外の選択肢が生まれるということ。
女を用意して欲しい。
家が欲しい。
ちょっと融通を効かせてほしい。
⋯⋯結構。
むしろ、分かりやすくて助かるほどだ。
今まで何人の資産家や財閥のクソガキ達の醜いほどの欲望を見てきたと思ってる。
幼さと欲望が掛かったら恐ろしい事を世の一般人は知らんだろう。
ある家では一般の中で綺麗な少女を"与える"事を平気でする。
ある家では数人の女を家に呼んでパーティーだと言って半ば強引におっぱじめる、なんて日常茶飯事だ。
あの人種達の欲望なら分かりやすい。
ただ──あの少年の欲望がまるで分からん。
分かりやすい所はわかりやすい。
だが肝心な部分はまるで鉄壁。
⋯⋯故に怖い。
私以外の選択肢が生まれるということそのものが。
私に依存して、私に対して甘くなるような、そんな状況が望ましい。
あの黄金の山をどれだけの人間が知ってる?
私が知らなければならないのは、そこだ。
「まず私達がやらなければならないのは、カードの履歴、それから周囲の状況、うちの人材から何人使ってもいい。
全部把握しろ。
期間は設けない。
ただ、成果は1ヶ月でもってこいと伝えろ」
「承知しました」
「平野、あとは情報局のあの三人から見た分析結果を元に、あそこに何でもいいから常駐出来る名目で送りこめ。
報酬は弾むと言ってくれ」
「畏まりました」
「あとは、子供と孫の問題か⋯⋯」
もたれている椅子が軋む。
「そうでしたね。会長」
「そうだろう? 最近電話が鳴らないほうが珍しくも感じる」
頭が痛い。
分かりやすく、社員の動きと子供たちの機嫌がみるみる悪くなっていく。
「これだけ死ぬ事を望まれるなんて⋯⋯中々居ないんじゃないのか」
「私は、貴方が君臨しているのをまだ見る事ができて光栄に思いますよ」
そういう平野の顔は、穏やかだ。
ふっ、コイツめ。
「今日は、ステーキでも食べに行こう。この話はまた詰めていくとしてな」
「是非」




