40 馬と果実酒。4
「アンジェリカ! お前との婚約は破棄する! お前はこの愛らしいケイトリンを虐めて――」
それはアンジェリカ嬢の婚約者のタープ子爵家の次男ナイジェル。腕の中にはアンジェリカ嬢の妹のケイトリン嬢を抱きしめて。
そう、妹。
だがアンジェリカと、三ヶ月ほどしか離れておらず。年子というには無理がある。
アンジェリカはアルト家の二人姉妹の長女で――先妻の娘だった。
アンジェリカの母が亡くなったあと、アルト男爵は愛人とその娘も家に入れたのだ。
不幸中の幸いは、アンジェリカの母の実家、親族は力あるお家だったからアンジェリカが男爵家で虐げられることがなかったことか。
好きな乗馬もやめさせられることもなく――それが、アンジェリカ嬢の幸いになった。
「僕は姉からの虐めにも今日まで耐えた健気なケイトリンと婚約する!」
皆が呆気に取られている間にもその劇は続いていた。
劇。
今日は学園の文化祭。
三日間ほどあるこの行事で、中日の本日は先ほど演劇部の催し物があり、全校生徒はこの堂に集まっていた。
演劇は無事見事に終わり皆が余韻とともに席をたち――つつあるところに、この劇が始まってしまった。
配役に巻き込まれたアンジェリカ嬢は、焦りの色を見せながらもアドリブで応えていた。
「もともと僕は君みたいな男勝りな女性は苦手なんだ。ケイトリンのような愛らしく、僕をたててくれる方を選ぶ」
「いきなりその様に言われましても……ち、父であるアルト男爵には――」
「もちろん、すでに話は通してあるとも! 僕が結婚するケイトリンがアルト家の跡継ぎだ!」
「な――」
アルト男爵は先妻の子のアンジェリカではなく、愛人の子であるケイトリンに跡を継がせたかった。
アルト男爵家はタープ子爵家から援助を受けており、ナイジェルが結婚する相手こそが跡継ぎである――と。
ナイジェルの婿入り先。そのためにタープ子爵家はアルト家と縁を繋いだのだ。
そうしたことはよくある。理不尽なことも当主同士の決定ならば仕方無し。
それが貴族でもあり。
そしてここは貴族の学園だから。皆が「ああ……」とため息をついた。こうしたことも――仕方無しと。
血筋的に、ケイトリンにもアルト家の血は流れているから資格は、ある。
「うふふ、お姉さま、ごめんなさぁい」
話はすでに、アルト家とタープ家で、そしてケイトリンとナイジェルで出来上がり。
何故今なのか。それはケイトリンはアンジェリカの泣き叫ぶ姿がみたかったのだ。いつも凛々しく、学園で女生徒にも人気な姉が気に入らなくて。
「お姉さまはぁ、次期当主になる私たちに頭を下げるなら家にいてもぉ――」
ケイトリンはその姉が見苦しく泣き、自分に頭を下げて家に居させてくれというのを期待した。
男爵家から放り出されたら貴族でなくなるのだ。自分だったら平民なんかにはなりたくない。姉もきっと――。
「はい! それなら僕、立候補します! アンジェリカ・アルト先輩、僕と結婚してください!」
講堂に、アンジェリカがケイトリンに返事をする前にその嬉しそうな声が響き渡った。
「え、ホンス君……?」
アンジェリカは妹と婚約者に対しての戸惑う顔から、今度は急な求婚に驚きの顔に。
「是非、家に来てください!」
しかも婚約すっとばして「結婚」ときた。
それは可愛らしい顔立ちでひっそりと人気の後輩。
手を挙げながら彼は嬉しそうにアンジェリカのところまで駆けてきた。「劇」が始まってからアンジェリカたちの周りは人が集まってきてしまっていたが、皆様がどうぞどうぞと、その後輩を通してくれた。
おまけにシーズリー侯爵家の跡継ぎと、その婚約者になったばかりの従姉妹もついてきた。
フレデリックはエドワードに先のお礼として「今だ行け!」と背中を押していた。
本当に、今であった。
「僕、ずっとアンジェリカ先輩に憧れていました! 是非、お願いします!」
「え、エドワード君……えぇと?」
馬術部では凛々しい先輩もさすがに急展開過ぎて。おろおろしているのが可愛らしい。後にエドワードに出遅れたと後悔するものがたくさんいたほどに。
「急に、その……君には婚約者は……?」
「いません!」
「い、いないの?」
アンジェリカは、ホンス家の跡継ぎのエドワードには婚約者が内定しているとばかり。
それは、このエドワードの入学のこの時代には。リリアラのやらかしがそろそろ薄まってきたということ。ありがたいことではある。
「はい、だから誰かをかわりに婚約破棄とか解消とかで悲しませることないので安心してください!」
それは良かった。
アンジェリカを狙い出遅れたもののうちには今している婚約を解消してから、と――本当に出遅れたものもいたから。
「ホンス伯爵家はアンジェリカ先輩を歓迎します! だから、結婚は僕とお願いします!」
「あ、えと……ありがとう?」
エドワードの目は自分を哀れんでも同情しているものではない。まったく。
馬を愛するアンジェリカには、そうした人間の嫌な視線と動物の素直に親愛を見せる視線の違いには敏感だった。
家では自分に対して嫌な視線ばかりであることか。
父も、その愛人も。腹違いの妹も――裏切りものの婚約者も。
けれどもこの後輩からは。
その目はまっすぐで……――アンジェリカの固まりかけていた心を、貫いた。
「……うん、ありがとうエドワード君。こちらこそよろしくお願いします」
こうして「劇」はまるでこのためであったかのように。
フレデリックとジャスミンが拍手し始め、皆様も「良かった」とそれに続く。
「ホンス伯爵家!? なんでよ? なんですぐに次の婚約が!? しかも伯爵家ですって!? うちは男爵家なのに!? 何よあいついきなり出てきて、台無し――」
地団駄踏む妹は、慌てた新しい婚約者に口を塞がれた。
「け、ケイトリン、知らないのか!? ホンス家はエルブライト大公家の後見があるんだぞ!?」
「え?」
大公家。なにそれ。
身分差過ぎてポカンとするケイトリン。それをみて、ナイジェルはふと思い出した。
「あ、いやでも、ホンス家て、少し前にたしか醜聞が……それに落ち目だって話も――!」
たしか姉妹が。妹が、姉の――まるで自分たちのような、醜聞。
「エルブライト大公家」で何か思い出したのだが、そんなナイジェルの肩を叩くものが。
「落ち目だったのはたしかになんだけど、持ち直してるから。それにシーズリー侯爵家の親戚ですし。お姉さんは辺境伯家の嫁だし……実家はソーン伯爵家」
フレデリックが良い笑顔で。
「フェアスト公爵家のご隠居さまはエドワードの個人的な後見人ですわ」
ジャスミンも追撃の笑顔。
二人とも幼馴染みと良くしてくれる先輩の恋路の邪魔をさせる気はなく。
虎の威というものはこういうときに振りかざすものだ。
「フェアスト公爵家のご隠居さまはエドワードが大変だったらいつでも手を貸すて、むしろ待ち構えてわくわくしてらっしゃるの」
「エルブライト大公家の当主のアンドリューさまもだよ。エドワードには借りができたって」
虎の尻尾をぶんぶんと振る幼馴染みたちに、エドワードはしっかりと感謝だ。
まさかまさか、初恋が実るだなんて。
「ホンス家を継ぐ、て決意して……はじめて良かったかも……」
棚ぼた人生。ありがたく!
そうしてエドワードの棚ぼたはまだまだ続いていた。
アンジェリカのアルト家はハーブや薬草を産地にしていて。アンジェリカは跡継ぎとしてそれらの知識が豊富だった。
「馬に使えるハーブは限られてるし……」
覚える動機はさておき、その知識は大したもの。
果実酒にハーブも加味され、寝酒や薬酒としても売り出すことができはじめた。今までは身内用だったものが、手堅き商品として。
跡継ぎ教育をしていたアンジェリカを手放したアルト家の行く末は語るまでもなく。
未だに馬上の麗人として人気のあるジョアンナに、並ぶアンジェリカの凛々しい姿がまた、ホンス家の評判を上げて。
果実酒のラベルにしたら、売れた。
そうしてホンス家はリリアラのやらかし以上の話題で持ち直しはじめて。
薬草に詳しいアンジェリカは香りや味、舌もまた、しっかりとしていた。
そして――下戸ではなく。
むしろ……。
「味見で、こんなに呑ませてもらって幸せなんだけど……」
「どうぞどうぞ」
果実酒作りの視察には、ホンス家のご当主さまはご夫婦で訪れるという。
果実酒は女性も好むというのもあるから。
ご当主さまが愛する奥さまの感想を大事にしているから、と……長く語られるのであった。
――真相を暴く野暮なものは馬に蹴られるのであった。
虎の尻尾ぶんぶん。使い方をきちんと知っている子たちです。その威力も怖さも。
頑張る子は幸せにおなり。




