36 その愛情は何の色をしているか。5
「マリエッタがかわいそうだわ。ねぇ、だから……」
母の嘆きに、マグナルは静かに問いかけた。
先ほど、叔母のマリエッタが夫と別れ、かつてのように助けて欲しい――面倒をみて欲しいとロレインを頼ってこのシュンカール家まで来たのだ。
確かにこのシュンカール家は、エルブライト大公の領地に近く、彼女が移された隠居地に比べたら多少は華やかだろうか。比べたら、だから、哀しいかなまだまだ田舎だけれども。
「では、プリシラはかわいそうではなかったのですか?」
妹ではない人間は。
「……え?」
「本来、アンドリュー様と長い間、信頼と愛情を育んでいたのはプリシラで、リリアラはただの片恋だったのは……何度も説明されてますよね? リリアラにも別にちゃんとした婚約者がいたことも」
何度も。自分からもしたのだから、聞いていないとは言わせないとマグナルは。
夜這い、寝取りという最低な行為をして、リリアラがアンドリューを奪ったことを。
無理やり身体の関係をもったことを。
だから、結婚だけはした。しなければならなかった
「そんなふうに奪いとった――いや、母上には譲られた、になるのですね――譲られたリリアラの結婚は、本当に幸せだったと思いますか?」
その後、三年。
ようやく正しい関係や位置に。
それはリリアラが離縁され……いやアンドリューが責任を取る期間だ。
まるで刑期のように終えて、自由となり。
アンドリューとプリシラが、ようやく結婚をすることができた。
そうしてリリアラがホンス家の跡取りと審議される六年が始まった。
アンドリューは、きちんとしていた。
三年の間に代替わりをきちんと申請し、ホンス家のことも考えてくれた。
彼の心情を考えたら、ホンス家をめちゃくちゃにして、家を潰すことすらできただろうに。
けれども彼は、自分の復讐より、ホンス家の――その領地に生きる民たちのことを考えてくれた。
これ以上、無能な領主に振り回されなくても良いように。
もしもリリアラが、後見のソーン家たちのお眼鏡にかなう優秀な婿を見つけられたならば、良し。
それが叶わないならば、ホンス家の血を引く親戚に。
そのように、きちんと整えてくれた。
整え――仕返しした。
リリアラに婿は無理だろう。
そして親たちは今回のことで跡取りの資格なしと王家からの調査も入り、隠居を余儀なくされた。クライスでは伯爵位を維持することは難しいと明らかにされて。
貴族の家督の相続とは簡単ではない。が、彼らはそれを復讐のためにその複雑な手続きをやりきった。
そうして。
両親はホンス家の領地に送られ、代わりに先代伯爵夫人が戻られた。
それはあまりにもまっとうな――仕返しだった。
リリアラと夜這いをうながした親たちに対しての。
マグナルは、その仕返しを、自分も見習わなければ――彼らに続かねばならないと理解していた。
それが息子であり、当主であり――兄であり、父である役目だ。
母に問う。
かわいそう。
ならば?
「とばっちりで婚約破棄されたアイリスは?」
「どうしたの、マグナル……? でもほら、アイリスは妹だから、すぐにもっとよいお話が来たじゃない? ね?」
「……私の結婚式も、リリアラのせいで出席が急に減って、妻のエリカにはさみしい思いをさせてしまいました」
「え、ああ……そうだったわね……?」
「まだまだありますが……それなのに、マリエッタ叔母様だけが、かわいそう、ですか?」
マグナルが何を言うのかと、ロレインはわからないようだった。
「だって、私は姉だから……妹を助けなくちゃいけないのよ?」
――姉だから。
ため息が出た。
だから、マグナルは告げた。
「ほら、うちはエルブライト大公家の領地に近いから、マリエッタも娘に会いやすいと思うの」
「娘、ですか?」
確かにマリエッタはプリシラのことを決して愛していないわけではなかったのだし。
だが――プリシラが会いたいと思うかな?
「マリエッタ叔母様を引き取りたいなら、母上の個人資産だけで、面倒をみてください」
「……え?」
「ああ、郊外にある別荘をお譲りします。長年シュンカール家のために働いてくださったことには感謝していますから」
「マグナル……? あの別荘は、病気療養の……」
知っている。数代前の当主の子どもが呼吸に難があり、空気の綺麗なその土地に療養のためだけに建てられた小さな別荘だ。
ホンス家の隠居地と同じく、何もない。
女二人で住むなら十分だろう。
だから、勧めているのだ。
「手直しすれば住めます。使用人を雇うなら、どうぞ?」
ロレインは息子が自分に同調し、かわいそうなマリエッタを引き取り、この家で健やかに、楽しく過ごさせてあげよう。そう頷くとばかり思っていたのだから。
まさか、自分まで。
どうしてと震えながら尋ねる母に、マグナルは静かに答えたのであった。
「だって、私はマリエッタ叔母様の――姉ではないからです」
ロレインは優秀であったとおり、シュンカール家にてもよくしてくれたから。
リリアラのことで、いや双子の娘のことでその歪んだ認識が明らかになるまでは。
良い妻、良い母であったから。
早死にした父のかわりに、マグナルが家を継ぐまで守ってくれたのは感謝しかない。母がいるから、留学もできたようなものだ。
だから別荘の手直し費用はマグナルが出した。
マグナルの個人資産から。
アイリスには、そして娘たちには今後一切、ロレインと関わらせる気がなかったからだ。シュンカール家からは、一切。
マグナルは隣国に留学もしていたことから語学が堪能で、たまに国からも難しい翻訳を頼まれたりする。
それを子爵の仕事の傍らに、個人事業に――小遣い稼ぎにしていたから。
――後に、エルブライト大公の子息から、外国の話で懐かれるとは思わなかった。
そこから縁ができるとは思わなかった――まさか、娘たちに、縁が。
優秀なロレインの個人資産はそれなりにある。姉妹二人が老後を穏やかに暮らすには十分だろう。
けれども田舎を嫌って、ホンス家から出てきたマリエッタが満足するかどうか……。
姉妹の争うような金切り声が時折聞こえるというが……。
後に。
伯父のセドリック――姉妹の兄が様子を見に来たとき。
彼は、ロレインの妹へのあまりの構いっぷりに、何かあるのではと親や一族と話し合ったらしいと。フェアスト公爵家やエルブライト大公家に睨まれたらと、一族は震え上がり、理由があるのかと――そして。
とある夫人が夫たちが酷い言葉を、幼いロレインにしていたことを、明かしてくれた。
もしやあれが、彼女の「原点」になってしまっていたら、と……。夫人も幼い頃に実の姉妹たちと比較されていたから、ロレインを心配してくれていたそうだ。
けれどもロレインは、むしろ生き生きとマリエッタを構っていたから……逆に良い関係になったのだろうかと思ったらしい。彼女の姉妹たちは、彼女に対して甘えさせるどころか、嫌がらせをするようなひとたちだったから。
夫人は、夫たちをセドリックに差し出した。
セドリックはそのまま、アンドリューたちにも報告した。
マリエッタがロレインを頼って行ったから、動向を報せて欲しいと頼まれていたからだ。
アンドリューもプリシラも、マグナルに迷惑をかけるのは本意ではなかったから。
もしも、神罰というものが本当に、あるのならば。
ああいった親戚こそが受けるべきだろうとセドリックとマグナルは……伯父と甥はため息をついた。
そしてまさしく、ロレインへと。そしてマリエッタへと。
片方の黄金色が鮮やかに美しかったばかりに。
――まさしく、呪いとなってしまったのだから。
姉は、妹を第一に考えなければならないという呪い。
そしてそんな姉に甘やかされて何も出来ない人間になってしまった呪い。
その呪いは解けることはないだろう。それが、哀しいけれども姉妹への罰だ。
マリエッタはもう、姉しか頼るものはなく。もう二度と、華やかな世界に行けもせず。子にも孫にも――夫にも逢えず。
ロレインも、このままずっと……己を削りながら妹に尽くすことだろう。
それが、二人への……――。
こうして両親は、収まるところに収まることができたならば。
ロレインに対して責任を取るべきひとたちは、ひっそりとログアウトしていきました。アンドリューは、きちんと(ここ4倍角)してますので。




