24 そして歯車は正しい位置に。6
「貴方は知らなかったのね……」
哀れな。
姉の眼差しはいっそ優しい。
「知らない……何を……?」
眉をよせ、首さえかしげる幼い子どものような反応を見せる妹に、プリシラはため息を飲み込んだ。自分まで大人気ないことはすることもない。
「アンドリューさまは、婿として、ホンス家に来てくださることになっていたわ」
「……ええ」
また今さら、何を。リリアラはそう眉をよせる。
妹の様子に、プリシラはやはり小さく息を吐いた。小さく、ため息を。
妹はあの夜まで経験もなく、そもそも嫁に行く立場であったから、知らなかったことも仕方がなかっただろうか。
「高位貴族の男子はね、閨教育で娼婦を呼ぶわ」
――娼婦。
それはいわゆる高級娼婦と呼ばれる方々だが。
そうした方を、個人的にではなく家から娼館に依頼するのだ。
娼館の方もそうした仕事はもはや隠れた伝統。娼婦たちも高級娼婦ほど、そうしたことを仕事としてきちんとした知識を、その娼婦の教育なかで学んでいる。
女の扱いを正しく教えることは、またそれも巡れば自分たちのためにもなる。
巡り巡れば、またそれが新たな伝手や仕事となるのだから。
アンドリューもホンス家に婿入りが決まったこともあり。そろそろ時期がきたと、婿としての閨教育を高級娼館に依頼をしていた。
それは公爵家である。
ときに海外の賓客を饗すときにも頼りになる、歴史ある名高い娼館を奮発して依頼していた。
座学含めた一夜目を。二夜目で本格的な実戦を。そして三夜目で最終確認が、閨教育の基本だった。
そしてアンドリューは日取りやタイミングをみて一夜目を。そして二度目をすぎ……あとは三度目の夜を過ごせは予定通りの閨教育を修了というところで。
――あの夜だ。
だから、夢うつつで。
薬のせいで。
――彼はあの夜、プリシラを抱いているものだとばかり。
当時はアンドリューとて健康的な男子だった。
閨教育により女の抱き方を知ってしまったばかりに。一夜目を過ぎてから彼はプリシラを愛することを何度も夢見てしまっていたばかりに。
リリアラをそう思っていて……。
「アンドリューさまは私とのために、閨教育を受けていたの」
女の悦ばせ方もだが――されたら嫌なことも。大事な避妊の仕方や、妊娠しやすい時期や、月経の大変さなどまで、娼婦は改めてしっかりと教えるという。
勘違いしていたり、間違った知識をもっているお坊ちゃんは、彼女らのその試験を合格しなければ婿入りできないときさえ。ときに娼婦の方より婿入り先にご忠告すらあり、話が流れることすら。
それは婿入りの閨教育ばかりではなく。ときに「跡継ぎ教育」の一環ともなるときもあり。
それくらい大事にされる依頼なのだ。娼婦の方々もこの仕事ばかりは責任感とともに矜持を、誇りをもっている。
娼婦の方々はとくに月のものに対して誤解をしまくりな男性に本当に頭が痛くなるとか。毎月来るものとも知らず、中には女が出血量すら自由に調整できるものと誤解していたり。さらに酷いこと言う勘違いさえも。
もっと学校で教えたらいいのに。
しかし。
大事な跡取り娘さまのために。
実地故に、まさに身を持って覚えこまされるのだ。
女のことは女が一番わかっている。
そして彼女らはその為の玄人なのだから。
だからこそ、この国では高級娼婦の地位は決して低くはない。
――が、しかしそれでも娼婦は娼婦である。
娼婦の中にもランクがあり、高級娼婦は人々に賛辞さえ贈られると知らない彼女には。
――むしろそれがプリシラの気付かぬ復讐となり。
「……娼婦」
リリアラが呆然とつぶやく。
娼婦を、アンドリューは……。
アンドリューは、娼婦を、先に……。
リリアラの思考がぐるぐると回転する。それほどまでに。
自分は初めてだから、相手にとっても初めての貴重な出来事だ……と、思ってくれていると――リリアラは、今までそう、思っていたのだ。
それがリリアラの中の、最後の――……。
自分は、娼婦にすら、負けた。
いや、自分はまさか、娼婦となったのでは。
リリアラには初めての夜、あれはアンドリューにとっては三夜目の。
「そうよ。アンドリューさまはそうやって私の為に経験を積んでくださっていたの」
そう、アンドリューはプリシラの為に。
――練習を。
「リリアラは三夜目の練習だから気にしなくても良いと、皆さまも励ましたのだけれど……」
お前は三夜目の練習相手だったのだ。
それはリリアラを思いやったからではない。
リリアラのせいで、アンドリューは苦しんだ。
「だけれど……アンドリューさまはそのせいで、長く苦しんだわ」
「……そんな」
「だって、アンドリューさまは本当に貴方のことが大嫌いだったのだもの」
「……えっ!?」
何故驚くのか。
プリシラはそれも知らなかったのかと、改めて哀れを感じた。
「アンドリューさまは、甘えてばかりで伯爵令嬢としての教育を身につけない、真の矜持もない、責任感もない。ちやほやされるのが当たり前だと努力もしない。だというのに姉のものを欲しがる卑しい心根の貴方のことが大嫌いなの。今でも」
ただ、プリシラの妹だから態度に出さないようにしていただけで。
「そんな貴方を私と間違えて手を出してしまったのが……本当に自己嫌悪になってしまわれて。貴方も知ってのとおり、お心はお身体の不調にもなってしまったわ」
練習だから気にしなくて良いと思えるほど、アンドリューの方が――。
心因性と言われていたアンドリューの不調。
その理由が、まさか、自分。本当に自分だったなんて。
「アンドリューさまの方が、繊細だったのよね――犬に噛まれたとでも思えなかったのだから」
リリアラの周囲が、音が、無くなった。
遠くから聞こえていた広間の優雅な音楽すら。
聞こえるのは姉の言葉だけ。
「アンドリューさまは私と、ちゃんと初夜をしたいと、頑張って治療してくれたの」
「……初夜」
自分の初夜を思い出す。
今夜こそは「リリアラ」と呼ばれて甘やかに抱いてくれると思って浮き浮きとしていた心が、「愛することはない」と改めて告げられた、夜。
「アンドリューさまにリリアラと、呼ばれて抱かれていないでしょう? あのひとは、プリシラを抱いていると思っていたのだから」
「そんな……ひどい……」
「ひどい? どこが?」
リリアラの考えていることがプリシラには手に取るようにわかる。彼女は姉であり、彼女こそが被害者のひとりだから。
「貴方が、彼を、犯したのに?」
そう。
リリアラは――。
「貴方は抱かれたのじゃあないのよ」
リリアラは――罪人だ。
「貴方が、犯したの」
「……犯した?」
リリアラはそう思っていなかったのか。プリシラは初めて妹との齟齬を。
プリシラはアンドリューが何年も苦しんだのを知っている。
側で寄り添えるようになるまでの三年間は、プリシラとて本当に辛かった。
婚約者でも妻でもなかった、三年間。
法のために、プリシラもまた、耐えた。彼に触れられないことを。その背に手を添え、慰めることまで。
彼女は被害者でありながら、加害者の姉である――罰のために。
「貴方は、アンドリューさまに抱かれたんじゃあない。貴方が、アンドリューさまを犯したのよ」
嗚呼、自分は怒っても良いのだと……ふと、プリシラは気がついた。
こうなって初めてそう感じるとは、自分もやはりあの家族によって、歪んでいるのか。
いや、じわじわとこの怒りは燻っていたのかもしれない。今まで熾火であったのは、こうして今日、燃え盛るために。
妹と対峙するために。
そもそも、自分が継ぐために努力していた家を。
アンドリューが大公という地位さえ惜しまず婿入りしてくれるはずだった、家を。
アンドリューの大切な想いや身体ごと、プリシラの大切にしていたものを。
――この妹が。
「貴方の処女? それが何? 貴方の身体に、何処に、そんな価値があるの? 教えて欲しいわ、姉の婚約者に横恋慕して最低な手段を選び、ホンス家の伯爵位を汚しに汚し価値を落とした最低な妹、ねえ……リリアラ・ホンス?」
知らない。
知らなかった。
だってお母様もお父様も、あの薬を使えばアンドリューさまが愛してくれると言ったのだもの。
だけど――私が、アンドリューさまを犯した……?
私の方が、罪……初めてだったのに?
「貴方が、犯したの。処女を捧げた? 巫山戯ないで? それが何? 貴方が――アンドリューを犯したの。アンドリューの大嫌いな貴方が」
――お前の、何処に、価値が、ある?
「ねぇ、貴方は……そんなことをした貴方は、今――幸せ?」
――無音の中。
みしみしと小さな音をたてていたリリアラの何かが、ぼきりと音をたて――折れた音がした。
これにて幕。
そう、リリアラの方が…です。このお話しでは、一話から。
処女であったかもしれませんが、彼女の方が薬を使い、既成事実を作ったのです。犯罪です。それを今日まで、姉に言われるまで、わかっていませんでした。(世には「いや絶対、女は被害者だろう」な方もいるでしょうが)まぁでも、確かにリリアラも被害者ではありますが。
アンドリューくんの方が実は本当にメンタルやばかったという…そりゃ、ね…。
……ですが、まだ罰がはっきりしてない人がいますね? これより伏線の回収と参ります。




