21 そして歯車は正しい位置に。3
アンドリューこそが、エルブライト大公家の血を引く正しい跡取りであった。
だから遠回りとなったが、養子であるプリシラとの結婚は歓迎されたし、それもまた、正しい関係に戻る方法でもあったのだ。
高位貴族たちはそれを理解してる。今さらその血筋や関係性を蒸し返すものは、理解力が足りないと自ら白状するようなもの。
何より大公家や王家縁の皆々様を不快にさせるだけ。そんなやぶ蛇を誰が好んで突付けるだろうか。
――リリアラとて理解できたことを。
顔色を失っているリリアラの耳に、良く通るエルブライト大公のお声が。
それは孫の誕生と無事に育っていることを心底から喜ぶ声だ。
「ええ、孫はどちらかというと婿に似ているのですが……」
聞こえてくる。
産まれてきたのは男の子。
アンドリューに似た淡い金の髪に藍色の瞳をしているという。それは大公家の血筋に現れやすい色。まさに大公家の跡取りと、誰もが文句無く。
――しかしそれだけではなく。
「ああ、いや。実はですな……我らの年代ならば解る方もいるでしょう。実は孫の顔立ちは、馬術部の麗人と皆が憧れた我が娘の祖母御に似ておりましてな。ええ、今からなんと凛々しい顔立ちかと将来が楽しみで……――」
高位貴族たちだけでなく、その声が聞こえた彼らの世代の御婦人たちが肩を揺らした。小声で、大公の孫の婚約者選びはいつからだ。いや、側近、友人候補に……と、政略ではなく何かしら動き始めたようだ。若りし頃を思い出すように。
リリアラはその周囲の空気に、祖母の若い頃の話を思い出す。
祖父との出会い。
アクセサリーを借りるときにも、その話に触れた。
本来なら祖母が馬術部にて活躍したという話は、誇張でも自慢でもなく、今でも皆様に鮮やかに思い出される――孫として、誇らしく思えるものであった、と。
本来、なら。
祖母は、つまり。
大公家の方々と……プリシラが子を産んでいることも、アンドリューとのことも、何もかも、知っていたのだ。
それはきっと、祖母だけでなく、叔父や叔母たちも。きっと、エドワードたち年若い従兄弟たちも。
知らなかったのはリリアラだけ。
いや――リリアラには伝えられなかった。
蔑ろにしたわけではなく、伝える必要がない、と考えられたのだろう。
アンドリューとリリアラの縁は完全に切れている。そしてプリシラも本来ならば養子となったことにより、ホンス家とは。
しかし縁は切れたとしても、祖母たちとの血筋や情はあり。
情を与えられないのは、リリアラだけだったのだ。
身内だけではなく。リリアラが復帰した社交会で誰も、リリアラにそれを教えてくれなかった。
アンドリューと姉が結婚していたことすらも。
遠巻きでクスクスと嗤われていた中には、あったかも、しれない。だが誰もが伝えず、それほどにリリアラに対して「情け」をかけてくれなかったのだ。
かける価値を見出してくれず。
リリアラ自身が、そうであると、過去の言動とやらかしから。
皆、藪をつついて蛇を出す――それを怖れて。
リリアラに関われば、エルブライト大公家の怒りを買うかもしれない。
アンドリューによる、真っ当な仕返しを皆が知ったから。
貴族など後ろ暗いことの一つや二つ。それこそそうしたところを突かれたらどうしよう、だ。
リリアラにろくな再婚話がなかったことも、また。
まともな相手は、きちんと……。
祖母は意地悪で教えてくれなかったのではないと、後に。
何人かは、知らせた方が良いだろうかと悩まれた。しかし知らせたことでリリアラが辛い思いをするだけならば――と、祖母は言い出せなかったのだ。
今回、過去の縁により、唯一「情け」をくれたのがバルトであったことがリリアラには幸運だっただろう。
彼は幼なじみの情もある、と……リリアラに悪意のある伝え方はしなかった。真実のみを、親切に。
大公たちの話題は誕生した跡取りから、数年前から始まった公路事業のことに移っていた。
「プリシラ様が学生時代に提出された街道整備の案が使われているそうだ」
呆然としているリリアラにバルトはそれも教えてくれた。
話題が変わっているとハッとすれば、時間経過により人々も動いて、それぞれにまた挨拶を交わしている。
「あ……」
自分はどうしたら良いのだろう。ここまでアンドリューを目指して駆けつけて来てしまったリリアラは、今宵をどうしたら良いのかわからない。叔父や叔母ともはぐれてしまった。
それに、わかった――。
リリアラは、もう……アンドリューの側には行けない。
バルトが止めてくれなかったら……――。
「あの、バルト――」
思わず縋ろうとしたリリアラは。
しかし――また、自分の間違いに直面した。
「あなた?」
今まで自分を止め、説明するため横にいてくれたバルト。
彼にも……。
「ああ、私たちもそろそろ挨拶にまわろうか?」
「ええ……あら? そちらは?」
「そうか、初めてだったな。隣の領のリリアラ様だ」
「まぁ、ご挨拶が遅れました。わたくし、ペギュー家の……――」
バルトに話かけてきたのは彼の妻。
――もう、あれから。
婚約破棄から五年以上経っているのだ。
バルトが結婚したことを、いつか聞いていた気がした。
それはあの三年間の、今は後悔ばかりの時間のときに。
毎日、何をしていたのか。
無駄な時間を過ごしていたその、間に。
その頃は、元婚約者のバルトが誰と結婚していようが気にもしていなかった、自分の愚かさに――笑みが浮かんだ。
「初めまして。こちらこそ挨拶が遅れました。ホンス家がリリアラと申します」
笑みを、そのまま挨拶に変えることができたことが、リリアラの遅い――しかしそれでも成長であった。
バルトの妻はリリアラのやらかしを当然知っているだろう。隣の領の、名前ばかりは伯爵なのに初めて挨拶を交わすことも、察してくれて。バルトの妻となったなら、すべて知っていただろうに。
今宵止めてくれたバルトも。その妻となった方も。本当に――。
彼女は薄茶色の髪に淡い灰色の瞳で、穏やかなほほ笑みを浮かべる女性だった。
美人ではないかもしれないが、それでも夫の髪色の赤味あるドレスは似合っていた。
バルトも彼女の瞳に合わせた銀の混じる灰色のカフスをしていると、見るものには伝わり。
並んで立つ姿は、なんてお似合いなのだろう。
リリアラはペギュー子爵夫妻とはまたいずれと、静かに礼をしあった。
――本来ならそれは、そこは自分が……。
もう少しで叫びそうだった。
既製品の安いドレスの自分が恥ずかしかった。
バルトの妻は、きっと彼が選んだドレスなのではないだろうか。わざわざ特注で染められたのではないだろうか。
あの赤みは、市販品ではなかなか難しい色だから。
何故それを自分が知っているか。
それは……かつて、彼から贈られたことがあるからだ。
今はもうサイズアウトして着れないドレスを。今はもういくつかしかないアクセサリーも。
祖母にも言われたばかり。
一つ一つ、そのときに彼は考えてくれたはず。だというのに自分はどうしていたか。
アンドリューの色である、金や藍色が良いと我儘を言わなかったか?
そして自分はバルトに何を贈っただろう……記憶にも、ない。きっと……。
リリアラが一番ショックを受けたのは。もしかしたら、アンドリューと姉の結婚よりも。
そう――彼は気が付かなかった。
リリアラがつけているネックレスが、かつて彼からの贈りものであったということを。
もはや、バルトにとってもリリアラは実はどうでも良い存在なのだ、と。
今宵親切にしてくれたのも、過去の縁、幼なじみのただそれだけ。
隣の領のひとだから。何かしら、ペギュー家にまで余波が来たら嫌だから。
ただただ、それだけ。
それだけの、存在。
リリアラの心の中の何かが、みしり――と、小さく音を出した。
リリアラがふらふらと、力なく歩いていく。
それに気がついたひとが、ひとりだけ……――。
心みしみし。もう止めて、リリアラのライフはもう…な所ですが…




