19 そして歯車は正しい位置に。1
その黒髪のひとは――まるで自分の色違い。
プリシラ?
「……お待ちなさい」
自分が腕をつかまれ止められていたことにハッと気がついて。
リリアラは慌ててその腕を振って離れようとして――また、気がついた。
赤に近い茶色の髪に榛色の瞳のその男性。今はリリアラを止めるためにきつい眼差しだが、本当は垂れ目気味の優しげな顔付きなのを、知っている。
そう、その色には覚えがある。
「……バルト?」
それはかつて自分の婚約者であったペギュー子爵家の令息。
バルトのペギュー子爵領はホンス伯爵領の隣の領地でもあり、アンドリューとはまた別な幼なじみだ。
――かつての。
「さ、触らないで……」
思わずあげた声は余り大きくなかったのは彼女自身に幸いした。
リリアラが自分を覚えていたことにバルトは一瞬驚いたか目を軽く開いて。ならば口調も大丈夫かと、彼は速やかに状況を伝える。
「騒ぎになりたいのか?」
「え……」
「あちらは高位貴族の方々ばかりだ。間違いなく――」
バルトの視線の先はそれとなく配置されている騎士たちに。
リリアラがあの勢いのまま駆けたら、刺客として騎士たちに止められて、騒ぎになっただろう。
リリアラが走るようにしていたことを気がついていた周囲は、止めるものがいたことにほっとした空気になっていた。騎士たちも。
「あっ……」
学び直しているリリアラだ。さすがに自分が危険な動きをしていたと理解した。今なら自分も、自分に向かって駆けてくるものがいたら身構えるし、騎士に捕縛を頼んだだろう。
「あ、あの……」
止めてくれたバルトに礼を言うべきか悩んで言葉に詰まっているうちに、彼はリリアラから手を放してくれた。
彼はリリアラがまたすぐ高位貴族たちに向かわないかと心配したのだろう。手を放しはしたが、それとなく話しをする体でリリアラの隣に。
だから逆に、リリアラは彼に尋ねるしかなくなった。むしろバルトは、そのためにこそ、リリアラを止めてもいたのだ。
かつての。
そして隣の領。
縁が――情けがないわけではなかったから。
「あの方はエルブライト大公だ」
「……え?」
リリアラがどう尋ねようか迷ううちに、バルトの方が先に。
バルトが再び視線で指し示したのは、プリシラの隣に立つ初老の男性。
プリシラの隣には、アンドリュー以外にもいたのだ。
そう、アンドリューしか見えていなかったリリアラが突撃しようとしたその高位貴族たち。
一番位が高いのは、プリシラに親しげな笑みを向けるエルブライト大公だった。
エルブライト大公――プリシラの夫?
「そう、あの方が……」
そういえば迎えも豪華な馬車が来ただけで、本人には会ったことがなかった。
リリアラにしてみたら義兄にあたるはずなのに。
思えば、プリシラが嫁いで三年間。
姉がどんな生活を――老人の相手を――しているのかと思ってアンドリューに姉を心配して尋ねたことがあるが、「大公家にホンス伯爵家程度がお伺いをたてられるとでも?」と、冷たく言われた。
プリシラがとてつもないお家に嫁いだのだと、改めて。ホンス家より遥かに格上の。
そのような高位貴族に後添えとして望まれたのはプリシラの優秀さゆえに。
その辺りが悔しくて、リリアラは姉のことはあまり話題にしなくなった。
その三年間。
アンドリューが今のリリアラの状況のために動いていたことを……。
エルブライト大公は亡き祖父たちと同年代、いや少し若いだろうか。
背が高く、鍛え上げられた体をしているのが遠くからもわかる。プリシラの隣にて背筋もしっかりと伸ばした姿だから、より若く見えるのだろうか。
「大公さまも二年ぶりの参加だそうだ」
それはバルトからの説明ではなく、高位貴族たちに繋ぎをとりたくて彼らの話しに聞き耳たてている周囲の貴族たちから。
リリアラが突撃しようとしたのを心配した彼らは、もう大丈夫そうだとそうした会話をしはじめた。
それは彼女に聞かせるつもりでしはじめた話ではなく。そうした会話だからこそリリアラも意識しなくても耳に、届いて。
「ああ、プリシラ様のご出産が無事に終わったのは喜ばしいな」
「だから二年ぶりなのか?」
「母子ともに安心できるまで遠出は控えていらしたそうだから」
「妊娠中もずっと悪阻が酷かったそうよ。私の姉もそうだったわ」
「だから産後も回復に時間が……」
「体質もありましょう。すぐにおさまる方もいれば、出産間際まで悪阻がある方もいるのです」
「あればかりは本当にどうしようもなくて。本当に本当に、何を食べても吐いて大変でしたわぁ……」
それは自分も覚えがあると頷くご婦人にたちに、今まさに妻が悪阻が酷くてと顔色を変えて相談したそうな男性もいて。
「大公家の跡取りのお子様の誕生とは、こちらもほっといたしましたな」
やはり政治的にも跡継ぎ問題はいつでもおきるもの。
今でこそ女性でも継げたり、血筋から後継にということも許されるようになったが。
しかしながら大公家の跡取り。
リリアラは耳に入る話に……。
「……お姉さまが、お子を?」
高位貴族たちの会話も聞こえてくる。
プリシラの無事の出産と社交界への復帰を祝う声だ。
だから……二年間。自分が復帰した社交界で、プリシラの話しを聞かなかったのかと。
「そう、妊娠して……たの……」
自分が新に婿をとらねばならないと悩んでいる間、姉もまた大変だったのかと。出産は、いやその前から大変だったのだと、皆さまの話からも。
さすがにそれに対しては嫌な言葉にはできなかった。リリアラとて出産は命がけと知っている。姉が無事に子を産んだことは良かったと思った。
ほっと息を付いた。
――良かったと、思ったのは本当に間違いなく。
「婿のアンドリュー様と、プリシラ様にお子様が生まれたなら、エルブライト大公家も――」
――良かったと……。
2話からずっとスタンバイしていましたバルト氏。この為に。この為に…。(覚えていてくださったら嬉しいキャラ。
始まります、クライマックスが。
…性格はまだまだアレだけど、人間としては、まだ良心があるリリアラさんです。
職場でコロナがまたはやり始めて人手不足時間不足でバタバタしております…何とか自分もならないように気をつけていますが…。
皆様もどうぞ、ご自愛を。




