13 そして六年が始まった。
むしろ六年の猶予を与えたのが、まだアンドリューたちの優しさで――また、仕返しの一つだろう。
真綿で首を絞めるように、じわじわと彼女らに現状をしらしめることにあるのだから。
アンドリューはあっさりとホンス伯爵家から出て行った。
本当にあっさりと。
別れの言葉すら、リリアラにくれず。
彼の執事もいなくなり、ふと気がつけば他にも何人もいなくなっていた。
「フェアスト公爵家から来ていた者達だったからですよ」
リリアラが首をかしげれば祖母のジョアンナに説明されて。
「これ以上アンドリューさまに危害を加えないよう、守るために配置されていたのよ」
それほどに自分たちが危険視されていたと。
けれども、家に残ってくれたのが逆にいた。
まず書士が。
「私はホンス伯爵領生まれで、先の伯爵さまにご恩がありますから」
これからも大変だろうに、彼は生まれ育ったホンス伯爵領の為にもこれからも働いてくれると。
彼は学園時代から優秀と評判だった。その評判と書士の資格があればどこからも就職の手がのばされるだろうに、こんな小さな伯爵領に仕えてくれた。
そして何と料理人も。
「辞めようと思ってたし、アンドリューさまから良い再就職先も紹介されてましたが……大奥様が心配じゃないですか。俺が残らなきゃ、ろくな料理人を、今のホンス伯爵家じゃ雇えないじゃないですか……」
と。
この三年の間、彼もまたあれほど苦しみ怒り、悩んだのに。
他にも何人か、ホンス伯爵領出身の良い使用人が残ってくれた。アンドリューから紹介状を用意されたのに。醜聞にまみれているホンス伯爵家の使用人では、他の家の使用人たちにも馬鹿にされるままだろうに。
それでも残ってくれた。
祖母がホンス伯爵家に戻ってきたから。
「プリシラに任せてしまって、本当に申し訳なかったわ……」
しかし孫たちは――リリアラを除いた――祖父の看病と、その甲斐無く亡くした辛さは仕方がありません、と理解をしていて。
ホンス伯爵家の代々の墓は祖父が療養していた地方にあり。長閑なその地にて祖母は祖父の墓守がてら余生を過ごすはずであった。
跡取りのプリシラが優秀で、婿であるアンドリューも協力してくれていたから。
それが。
まさか結婚一ヶ月前に。
何て卑劣な。おぞましいことをしでかしたのも、また孫。
プリシラとアンドリューはそれでもホンス伯爵家のために、別離の道を選んでくれた。騒ぎになってしまい、アンドリューがリリアラと通じてしまったのは広まってしまったから。
男として責任を彼がとらねば、彼だけでなくプリシラまで後ろ指さされただろう。妹を傷つけた男と変わらぬ顔で結婚するのか、と……。被害者であるはずのプリシラが。
だから、アンドリューはリリアラと結婚した。
すべてはプリシラを守るために。
いずれ縁を頼りにプリシラに良き婿を。それまでアンドリューがホンス伯爵の義弟として手助けをし――プリシラの婿となる方が気兼ねないよう、プリシラが結婚した後は、リリアラを連れてホンス家を出る……と、まで。ふたりは辛いことをきちんと考えて。
そして二人の決意を早々に踏みにじるのはその僅か数日後。
たった、数日間しかこらえられなかった我が子と孫に、ジョアンナも堪忍袋がぶちりときれた。
だからアンドリューの三年計画を受け入れた。
――三年もの貴重な時間を。
彼は三年間という、貴重な時間をつかったのだ。
本来ならば愛するひとと幸福に暮らせる時間を。
――それは、薬を使われたとはいえ、プリシラを裏切ってしまった自らへの罰としても。
――それは同じくプリシラも。
大事なひとに、家族がある意味、毒を盛った。そんな酷いことをしてしまった。予想も止めることもできなかった。
互いに罰として――三年間。人生の貴重な時間を。
しかしその義務を果たせば、アンドリューは自由になれる。そして……。
――そして。
「ソーン伯爵家にまだまだご迷惑をかけられないわ」
まだエドワードも幼い。ソーン伯爵家の三人の孫たちはまだまだ多感な年頃であるし、娘夫婦も子育ても大変だろう。ただでさえこちらより家格高く忙しいソーン伯爵家の領地を治めることも。
だからジョアンナはせめて期限の六年のいくらかは、自分も手助けしたいと、ホンス伯爵家に戻ってきた。
そもそも、クライスをきちんと伯爵にできなかった罪が自分にはあるとジョアンナは思ったら。
あの子には伯爵となるのは難しいと思っていたが、我が子かわいさで目を曇らした。
クライスはホンス伯爵家に久しぶりに生まれた黒髪をしていた。
それを先の伯爵は――夫の両親は喜んだ。いや、髪の色など気にしないで、喜んでくれた。
結婚したときすら、身体の弱かった息子によく嫁いでくれたと、こちらが恐縮するくらいに感謝もしてくださって。
学園で知り合った夫だった。確かに身体の弱かったことは大変だったが、穏やかな性格の夫は、自分を優しく包んでくれた。
決して淑やかとは言えず、馬術が趣味で男勝りと揶揄われたこともあった。実家が軍馬の馬具造りを家業にしていたから、馬が身近で好きだったから気にしなかった――と、言うのは乙女心には辛かったが。
しかし馬術部に公爵子息が入り、その友人として夫はよく見学に来た。
そうした出会いに――付き合いで。
むしろ先が短いかもしれない自分とはと――身を引こうとしたのは夫の方。
もう「貴男の最後まで看取ってあげる」と押しかけたほどに。
まさかそれがこんなにも早くくるだなんて……辛かった。
けれども身体の弱かった夫の執務の手伝いをしていた経験が、今こうして役に立つのは皮肉かもしれない。
そんな甲斐甲斐しい妻を、義両親も本当に良くしてくださった。夫より二つ年上だったことは始めから気にもなさらなかったし。
そう、学園で「ジョアンナ先輩」と、よく懐いてくれたかわいい後輩だった夫。馬に乗れないくせに馬術部に、仲良かったとしても公爵子息によく連れられてこられたのは大変でしたでしょうと、婚約後に尋ねたら、「それはあなたに逢いたかったから」と白状した。嬉しかった。
子を産んだことによりさらに、ホンス伯爵家は良くしてくださった。義両親はきっと子が生まれなくても良くしてくれただろうが。自分たちが苦労をした分、跡取りで悩まないように気を遣ってくださっていた。その頃には養子も認められる時代になってきていたから。
自分の髪が黒くあり、産まれた長男がそれを継いで伯爵や夫のような、金にも近い淡い茶色でないことに謝ったら、むしろホンス伯爵家の主流は黒髪であったから、元に戻ったようで嬉しい、気にするなと――本当に大事にしてくださった。
家に残っていた肖像画もまさにそうで。夫の曾祖父に当たる方は黒髪だった。
身体の弱かった息子に子ができたと、初孫を甘やかしてしまいがちではあったが、ホンス伯爵はそれなりにきちんと常識内で孫を可愛がる方たちだった。
後から産まれた次男は夫に似て淡い髪色だったが、その子も区別もなく可愛がってくれた。黒髪寄りの娘も、当然のように。むしろ末っ子で唯一の女の子だから姑が一番可愛がってくださっただろうか。自分の金髪を誰も引き継がなかったのに、姑は孫たちをたいそう愛してくれた。
子を持つことが難しかった自分たちが、三人もの孫を抱くことができたと。
彼らは辛い不妊時代をすごしたが、幸せな余生を過ごして逝かれただろう。
――まさか自分たちが残したものが、こんな事態になるとは思いもしないで。
そう……誰も、髪の色で区別も差別もしていなかったのに。
どうしてかと――未だにそれは母であるジョアンナにも謎だった。
そんなにも己より引き継いだ黒髪が、嫌だったのだろうか……。
ジョアンナは同じく黒髪の孫を想う。
プリシラには、本当にしなくても良い辛い思いをさせてしまった。
後悔しかない。
「でも、本当にどうして……リリアラばかり贔屓したのかしら……顔立ちはどちらも似ているのに……」
そう、姉妹の顔立ちはどちらかというと女顔であった亡き夫と似ている。そして美人である嫁の良いとこ取りが加わって、どちらも愛らしいのに。
ただ、色合いが違うだけ。ホンス家主流の黒髪なプリシラと、嫁に似て鮮やかな金髪のリリアラ。
姑も金髪であったが、嫁とリリアラの方がさらに蜂蜜のように華やかに鮮やかだけど。
息子も同じように黒髪だが、と……本当に、解らない。
そもそも髪や瞳の色で人をどうこうする人間こそが、どうなのだろう。
亡き義両親は、そして夫は、その辺りは本当に出来た人たちだったのに、その血を受け継ぐ息子がどうして……。
思わずつぶやいたが、同じ執務室で書類を手伝う書士にも、控える使用人たちも……返事ができなかった。
夫人が返事を求めていらっしゃらないと、様子で察して、むしろ聞こえてないふりをした。
その息子は別邸ではなく、彼が愛する金髪の華やかな嫁とともに、領地にいる。
夫人と入れ替えに。
自然豊かではあるが何も無い処だ。
だが、息子にとっては――これこそが一番よかったのかもしれない。
別館は閉じた。
公爵家から来ていた使用人たちもいなくなれば人手不足。たまに空気の入れ替えと節目の掃除くらいはするが。
残ってくれた大事な使用人たちに、無理もさせられない。
そうして。
あとの問題はリリアラの処遇だ。
リリアラもさすがに理解したらしい。
自分も良い婿を――ソーン家やネイズ子爵家も納得する――迎えなければ、同じように領地の田舎に押し込められることを。
今日も何とか伝手を頼って手に入れた夜会に行くという。
婿を探しに。
――期限は六年、だが……。
終盤入りました。最後までお付き合いくださると嬉しいです。
トドメ刺す相手は始めから決まっているので、お待ちいただけると幸いです。
説明小話。
アンドリューの祖父が馬術部に入って、後のホンス伯爵クリストフは友人を見学にきて――友人よりも逞しく格好良く馬に乗ってたジョアンナ先輩に見惚れたのでした。
憧れはやがて恋に、そして愛に。
でも身体の弱いもやしな自分では先輩の隣に立てないと身を引こうとして――先輩もまた、優しい彼に惹かれていたのでした。
彼らでまたひとつお話書きたいな……。姐さん女房は金のわらじを履いてでも~。
こうした世界観だから、画期的な女性が身体を鍛えるには乗馬かな、と。
書士さんと料理人さんはともに義理堅い三十路半ばくらいで。ひっそりと忠義の漢前です。幼い頃からプリシラたちのお兄さんのように。だから…リリアラのことも心配してくれていました。
伯爵夫人もむしろ漢前だったけど…愛する人を亡くした哀しみはそうした人ほど…。




