10 だから尋ねたのに。
「誤解なきよう。離縁されるのは、私だ」
「え……?」
「何故ならば、今言われたとおり、ホンス家の跡取りは――リリアラだから」
かつても、彼女自身が言ったのだ。
「私が次のホンス伯爵ですわ」
と。
「だから、私が身を引く形になる」
「いや、まちたまえ。そんな事を急に言われても……」
「急、ではありません」
「え?」
「三年前から、決まっていたことです」
三年前。
「そう、貴方が、次の伯爵をリリアラに譲ると決めた時から」
父とアンドリューのやり取りに、リリアラは頭がついて行かなくて首をかしげる。
「どうして私が継ぐから、アンドリュー様が出て行きますの……?」
それがわからない。
このまま、リリアラの婿として。ホンスの伯爵位をアンドリューが受け取れば良いじゃないか。
そんなリリアラに、アンドリューはため息をつく。
「君が次のホンス伯爵だとして。ならば――君の次は?」
「……え?」
それはもちろん。
「それは私とアンドリューさまの、子、が……あ」
アンドリューは、二度と抱けないと言っていた。
勃たないとも。
それはつまり、子作りは、できない。
――リリアラに、子は、できない。
ようやく、そのことに思い至った。
「三年前に、どうしてプリシラを他家に出すのかと、本当によろしいのかと確認したのは、それ故にです」
アンドリューと結婚したリリアラに子ができないならば。
ホンス家を継げるのは、その血はプリシラにしか――。
「プリシラに……婿を迎え、ホンス伯爵家を継いでもらうことが、貴方たちの正しい道だった」
それはアンドリューが爪を食い込ませるほど、決意していたこと。
愛するプリシラに、己以外の男と結婚し、子を成せ、と。
――自分以外の男と。
それがどれほど、苦しかったか。
同じようにプリシラも泣いて、苦しみ――決意した。
アンドリュー以外の男と結婚を……他の男を愛して、身を許す、と。
跡取りを成すために。
リリアラとアンドリューの結婚後の忙しさが終わったら、プリシラの婿探しをするつもりだった。アンドリューが結婚後も一時ホンス家に滞在していたのは決して婿入りしたわけではなく。自らのせいで大変なホンス家のあれこれを片付けるためで。
一ヶ月か、長くて半年もしたら、出て行くつもりであった。
責任をとり――妻となったリリアラを連れて。
それなのに。その前に。何てことだろうか。
リリアラの癇癪と、親たちからの「嫁に行け」との、釣書だ。
そしてリリアラに伯爵位を継がせると宣言された。
彼らはアンドリューとプリシラの決意を足蹴にした。土足で、無下にした。
プリシラこそ、ホンス伯爵位を継ぐために、どれほど学んできたか。遊びたいことややりたいことも我慢したか。
けれども。
親は、妹は、そんなプリシラの苦労や頑張りを――プリシラを不要としたのは彼らだ。
だから、プリシラも決めた。
――ホンス家を、出た。
「貴方たちの子は、プリシラとリリアラしかいない。私と結婚するリリアラに子ができぬとわかっていたならば、プリシラを跡取りにするべきだった」
プリシラの両親であるホンス伯爵と夫人が、三年前のあの問いかけの真意に、ようやく。
前当主が、アンドリューと結婚したものが跡取りと決めていたことを盾に、リリアラに伯爵位を継がせることにして。
あの頃は、かわいいリリアラが嫁に行かずに済み、ずっと一緒に暮らせることにばかり、喜んでいて。
その先のことを考えていなかった。
――アンドリューに、薬の副作用で、不調があると、きちんと聞いていたのに。
「そんな、そんなもの……」
聞いていない、いや聞いたけども解らないと首を振る彼らに、アンドリューは冷めた目を向ける。
聞かなくても解ったことであるし、彼らが選んだことなのだから。
「私は君と結婚した以上、君を養う気はあった」
「あ……」
「だが、君がホンス伯爵であると。君が、決めたんだ」
アンドリューはホンス家に、伯爵位など、どうでも良かったのだと、リリアラはようやく気がついた。良かれと思っていたのは自分だけ。
それに。アンドリューは家を出るとき、自分も――責任をとって、連れていってくれる、と……。
プリシラが伯爵位を継ぐならば、出て行くのはリリアラたちになるから。
でも、今は……もう違う。過去系にされた。
目の前には――離縁状。
アンドリューが責任をとる期間が、三年間が、終わったから。
「一昔前は子ができないのは女性の責任とも言われることもありましたが、今現在の法は、女性を守るためにもあります」
そう、今まさに子ができないから跡取りのリリアラは――婿であるアンドリューを家から出す、そうした形式に。
そして世の中には、今の時代ならば、跡取りができなければ血の近い縁戚などから養子をとることも許されている。
かつては子ができないから妻を離縁して、新たな妻を娶るということも度々あった。
だが、今では男性側が不妊理由であるときもあると判明し――愛する妻を、そして夫と別れたくないからと、養子を迎えることも許されるようになった。
あの薬が使われていた時代ではもう、ないのだ。
そしてもちろん、アンドリューは養子をとる気はまったくない。リリアラと子育てをする気、は。まったくない。
それを突きつけられた離縁状から、ひしひしと感じる。拒絶の意志を。
「り、離縁しなくても! 私はまだ、アンドリューさまが愛して……その、愛してくだされば……!」
愛して、またあの夜のように抱いてくれたら。
あの一夜。
アンドリューは優しく、そして甘やかに激しく、愛してくれた。
――プリシラと呼びながら。
「も、もう一度……」
女の方から誘うのははしたない。恥ずかしい。リリアラもそれくらいの感覚はあった。かつて自分から夜這いしたのだけれども。
カウンセリングに通ってくれていたのではと震え尋ねるリリアラに、アンドリューは冷たい瞳のまま。
「ああ。通っているよ。それでも君を愛することはできなかった」
愛することはない。
――そう、止めをさした。
「私がホンス家を出れば、リリアラはまた婿を迎えることもできるでしょう」
だから離縁するのですよと、アンドリューは初めて優しく微笑んだ。
冷たい瞳のまま器用に。
リリアラは愛するアンドリュー以外の男をと――さっと顔を青くした。それはまさに、三年前に姉が決意したことなのに。
だが、親たちはまだその手があるかと、娘とは反対に顔色を良くした。リリアラはまだ若い。相手次第ではまだまだ――そう、再婚して、ちゃんとリリアラに子種を仕込んでくれる貴族男性を捜せば……。
「しかしながら、リリアラが再び結婚することも……難しいでしょうね」
そしてさらなる刃を――仕返しを。
GWは風邪を引いてお布団の住人でした…。
微熱と風邪薬のおかげで文章浮かばず。
鼻と喉の血管が傷ついて鼻血と咳の度に…とほほでした。
コロナとインフルエンザが陰性だったのだけが救い。
季節の変わり目、皆様もお体、お気をつけください。




