9話
帰り道、いつものように馬にのせてもらう。のせてもらうたびに思っていたことがある。身長が高いから細身に見えるけれど、背中はがっちりされている。加えて、きれいな長い黒髪が、いつ見てもうっとりするほど美しい。馬に揺られながら、思わず髪の毛を手で掬ってみた。さらさらと手から零れていく。
「なあ、髪触んなよ……くすぐったいんだが」
しかも、気づかれていた。
「ご、ごめんなさい! きれいで、つい! いつも触るの我慢してたんですけど、気が緩みました!」
馬から下ろされるかと思ったけれど、大きなため息ひとつで許してもらえたみたい。
ほっとしました。
「ラウド様の御髪は本当にきれいですよね」
「これでも髪は気を付けて手入れしてんだぜ」
「だから伸ばしても痛まずにきれいなんですね、羨ましいです」
いつまでも眺めていられそうなほど、本当に美しい黒髪。
ラウド様は「お前は?」と、振り返る。
「ルーンは髪伸ばさねえのか?」
「……えっと」
ラウド様の言葉は、トロング侯爵様の言葉の意味じゃない。
わかっていても、一瞬、ずきっと胸が痛んだ。
「……やはり女性は髪を伸ばした方がいいんでしょうか」
こんなこと、聞くつもりじゃなかったのに。気がつくと、口に出てしまっていた。
「は!? なんだ、俺、またまずいこと、言ったか!?」
馬が驚いて、一瞬歩くのを止めてしまった。振り返った顔は大慌ての表情だった。
「おいルーン、そんなつもりじゃねえよ。別に髪が長かろうが短かろうがどうでもいい、俺はルーンが」
ラウド様、慌てすぎです……。おかしくて、笑ってしまう。
「ふふ、ご、ごめんなさい。そんなに慌てなくて、大丈夫です。ありがとうございます……。私、髪質が悪くて、ごわごわしてしまって、伸ばせなくて……。それなのに、昔、前の婚約者にそんなことを言われたんです。思い出してしまっただけです、ご心配かけてごめんなさい」
「あぁ……? いや、なら、いい。そうか。前の婚約者がいたんだったな」
「ええ。「愛する気が見られない」と言われて、婚約破棄されました。実際、ちゃんと愛することができなかったので、私が悪いんですけれど。いい反省になりましたし」
意外と引きずっていたみたいで、お恥ずかしい。
ラウド様は黙りこんでしまった。前の婚約者の話なんて、不快だったかもしれない。
こういうところを直さないと……。反省していると、小さな声で、
「今は、どうなんだよ」
「……えっ?」
「その愛する気がねえとか、なんとか……」
それは、どういう意味で言われているのでしょうか。
呆然としていると、いつのまにか屋敷の前に着いたみたいだった。ラウド様は「なんでもねえ、おやすみ」とだけ言い残して、さっさと屋敷に戻っていってしまった。
「……なにか気にさわることをしてしまったのでしょうか」
ぽつり。呟いて、ラウド様の背中が見えなくなってから、屋敷に戻った。
なんだか目がぎんぎん冴えてしまって、この夜は全然寝られなかった。いろんなことがありすぎて、頭が追い付いていない。寝られないまま朝日がそろそろ昇る時間になってしまったけれど、落ち着かなくて、結局本を読んで過ごしてしまった。
少したった頃、ドアがドンドンとノックされた。誰だろう。フォルにしては早いし、ノックもこんなに乱暴じゃないはず。
まさか、と思い「はい」と返事をすると
「起きてたのか」
予感通り、ラウド様だった。
起きがけの姿なのだろうか。髪は乱れたままだし、質の良さそうな白い寝巻きを着たままで驚いてしまった。それに彼が私の部屋に来るのは初めてのはず。なにせ、婚約者らしいことはなにもできていないし。
「寝られたのか?」
ぶっきらぼうな問いかけに「え、あ、はい」と、変な返事をしてしまった。
「嘘だな。目の下、真っ黒だぜ」
「う、あまり見ないでください。なんだか目が冴えて寝られなかったんです」
「俺もだ。うっかり日が昇る前に目が覚めちまった」
じゃあ少しは寝ているじゃないですか。
つっこみたかったけれど、野暮だと思ったのでこらえた。
「これ渡しにきたんだよ。いらなかったら捨てていいが」
ラウド様はポケットから小瓶を出して、私の手に握らせた。
見ると、橙色の液体が入っている。開けてみると、花が咲いたような香りがした。
「これは……」
「……俺が髪の手入れに使ってる香油だが。使いかけだし、いらねえなら捨てていい」
両手に大事にのせて、眺めてしまう。見た目もとても可愛らしいし、いい匂いもするし。言われてみれば、ラウド様からほのかに香るのと、同じような。
どうしよう。何を言えばいいのかわからない。胸がきゅうっとなって、耳が熱を帯びてきた気がする。心臓の音がラウド様に聞こえてしまいそうなくらい、大きくなってる。
私が、髪が痛みやすいって言ったのを気にしてくださったのかしら。
少しは、私のことを気にかけてくれたのかしら。
そう思ったと、口に出してもいいのかしら。
おそるおそる見上げた彼の表情は、口を固く結んで目を宙に泳がせていた。気のせいじゃないなら、ラウド様の耳も赤いような。
「ありがとうございます、うれしいです」
やっと声がだせた。声と一緒に、顔の熱をふうっと吐き出せた。
「使いかけで悪い。次は、ルーンに似合う香りの香油を、取り寄せる……」
「と、とんでもないです。ラウド様の香りと一緒で嬉しいです!? えっ!? あっ、すみません本音が、あっ」
どうしようどうしよう!
しゃべればしゃべるほど、墓穴を掘っている!
「あああ、あの、も、もうすぐ、フォルが来ると、おもうので、付け方を教えてもらおうと思いました!」
「わ、わかった、是非そうしてくれ。邪魔したなおやすみルーン」
大慌てで、おかしなことを言いながら部屋を去ってしまった。
な、なんだったんでしょう。
力が抜けて、ぺたんと床に座り込んでしまった。そのままどのくらい呆然としていたのか……。
いつものようにフォルが「おはようございまーす!」と部屋に入ってきて、
「なにごとですか!?」と、大騒ぎになるのに、それほど時間はかからなかった。




