6話
ヤディ地区に引っ越してから一月ほどたった。
私はといえば、毎日のごみ拾いを日課にはしているけれど、まだまだ道のりは長そうだ。拾っても拾っても、波が浜辺に新しいごみを運んでくる。それを毎日せっせと拾う。その繰り返し。
町に出て、知り合いも増えてきた。海の近くに、おいしいパン屋さんがあって、よく行く内に看板娘のお姉さん、ジュリさんと仲良くなった。
ジュリさんのパン屋さんは海辺の人気店で、家族で経営されている。お父様とお兄様がパンを作り、お母様とジュリさんが売っているということみたい。
私について、ここの領主の婚約者……と名乗るのは憚られたので、この町に引っ越してきたただの町娘ということにしている。今日もごみ拾いを一段落させたあと、パン屋に寄ると、ちょうどジュリさんが焼きたてのパンをだしているところだった。
「ジュリさん、おはようございます」
「ルーン、今日も早いわねえ! 何してるの? いつもこんな朝早く……」
まだ日が昇って少しの頃だったので、心配されてしまった。婚約者のラウド様に試練を与えられているので、毎日ごみ拾いをしています! ……と言うわけにもいかず、なんてごまかそうか悩んでしまう。
「えっと、家の手伝いをしていたらおなかがすいちゃったので、朝ごはんを買いに」
こんなところでしょうか。
そういえばパインさんもフォルも、朝早くからいないのを心配してくれていたっけ。なんだかみんなにごまかしていて申し訳なくなってきた。
ジュリさんは「働き者なのね、うちで働いてほしいくらいだわあ」と笑ってくれた。
「ねえねえ、私、今日昼からお休みをいただいてるの。よかったらお昼、いっしょにごはん食べない?」
焼きたてのパンを出しながら、ジュリさんがすてきな提案をしてくれた。
「いいんですか! もちろん!」
友人はみんな実家の方にいるので、寂しい思いを少ししてたのだ。ここでも友人ができて本当に嬉しく思う。
「じゃあ私、お昼頃にまたここに寄ります!」
「ありがとう。楽しみね、それまで頑張ってパンを売るわ!」
「ねえジュリさん、今日はどれがおすすめかしら……。どれも美味しそうでえらべない……」
「ルーンって見かけによらず食いしん坊よねえ。今日はこれがうまく焼けてると思うわ!」
ジュリさんがおすすめしてくれたのは、くるみとチーズが入ったふかふかのパンだった。あたたかいコーヒーは、ジュリさんがサービスしてくれた。海辺でパンを食べながら、港から船が出るのを見送った。
ラウド様は、なんだか私に隠し事をたくさんしている気がする。全然、まったくと言って良いほど信頼されていないのだ。がっかりするけれど、仕方ない。誰でもいい婚約者で、たまたま逃げずにいたのが私だっただけ。
妹のランナは元気かしら。少し心配になる。
かわいいけれど、私も含めて家族全員で甘やかしてしまったので、少しわがままな性格に育ってしまった。トロング侯爵様とはうまくやっているかしら。あの人はあの人で気むずかしいところもあったし……。少しの婚約期間だったけれど思い返すと、やっぱりあの人とはどう考えても合わなかったと思う。
だからといって、私は、ラウド様ともうまくいってないんだけれど……。
「せっかく婚約したんだから、少しは仲良くなりたいんだけれど、それは私だけなんでしょうね」
海に向かって呟いた。ざざん、ざざん、鼓動のように繰り返される波の音が、情けない心の声を殺してくれる気がして。
「ルーン、しょげていてはだめ。できることはがんばるって決めたもの」
ぼうっとしているからよくないことを考えてしまうのだ。熱いコーヒーをぐっと飲み干して、約束の時間までごみ拾いをがんばることにした。嫌なことを考えないように、考えないように。熱中していたみたいで、あっという間に時間がたっていた。
そのことにも気づかないで、ジュリさんが私を探しに来てくれるまでに、たくさんのごみを拾ってしまった。
「ルーン!? いないと思って探しに海に来てみたら、あなたって……どうしたの? ごみを拾ってたの!? 毎日!?」
ばれてしまった。
ジュリさんは私の頭から爪先までじーっと見たあと、大きなため息をついた。
「だから毎日ぼろぼろの格好だったのね……。どうしてごみ拾いをしてるの?」
ぼろぼろ。言われてみると、実家から持ってきたワンピースなどは、汚れて色褪せていた。いろんなものをひっかけてほつれた痕もある。
ジュリさんには本当のことを話してみよう、そう思った。隠し事をしておくのは心配してくれているのに、よくないことだ。
浜辺に腰かけると、ジュリさんも隣に座ってくれた。横目には、いままで拾ったごみが小さな山になっていた。
「実はこれ、全部わたしが拾ったんですけど」
「ひ、ひとりで?」
「そうなんです」
ジュリさんは信じられない、という表情だ。
「黙っててごめんなさい……。実は、あの、ここの領主様がいるじゃないですか」
「ラウド公爵様よね。私、ちゃんと話したことはないけれど、町の人はみんな感謝しているわ」
「やっぱりそうなんですね! じ、じつは、婚約者なんです、私」
ジュリさんは驚いて目を丸くした。そのあと、「ああ、そういうことだったの」と目を細めて笑った。
「実はね、町でも噂になってたの。新しい婚約者のお嬢様が来てるって。でも、公爵様、町の人にはなーんにも言わないし、そのお嬢様もまったく姿を現さないしで、また逃げられたんだろうって話になってたのよね。でもレストランで食事してたとか、なんかいろんな話があって、よくわかんなかったのよ。そう、ルーンだったのね、そのお嬢様って」
そうです、逃げずにちゃんといたんです。
いないことになってたのはちょっとショックだけど……。
「私、ちゃんと婚約者として認められてないんです。ちゃんと結婚もまだしてないんです。とりあえず屋敷にいるだけで」
「えっ……」
「だから、せめてこの町の役に立とうと思って、海をきれいにしてみようかなと。なかなか大変ですけど、たのしいです。それにジュリさんとも仲良くなれたし、町のひとはみんな優しいし、ますますこの町が好きです」
ジュリさんは私の手を、両手でぎゅっと握ってくれた。白いきれいな手。私の手は、いつのまにか傷だらけで、あれていた。
「ありがとうルーン。公爵様ってバカね。こんなに良い娘を放っておくなんて」
「いえ、勝手にやってることですし!」
そのままぎゅっと抱き締められて、優しく頭を撫でてくれた。
「さて、お昼にいきましょ、ルーン。私もあなたと仲良くなれてよかった」
「ジュリさん……」
「おなかぺこぺこでしょ? がっつり系でどう? 魚も良いけど肉も好きでしょ?」
手を握って歩き出した。握り返しながら、あたたかい気持ちでいっぱいになった。




