18話
殿下がお店を出て、やじうまをしていた方々がなだれ込むように入ってきた。いろいろと質問攻めに合ったけれど「よくわかりませんでした」で貫き通した。
騒々しい一日が終わり、深夜になってようやく閉店後の片付けが終わった頃には、みんなくたくたになっていた。
フォルと私も、片付け終わった床に座り込んで動けない。
このまま湯だけ浴びて寝ようかとしているときに、慌てた様子でエリーさんが戻ってきた。
「ちょ、ちょっと、なんか大事件があったって聞いたけど大丈夫だった!?」
向こうの片付けもあっただろうに、急いで終わらせて駆けつけてくださったのだろう。エリーさんの顔を見ると安心して、涙がほろっと流れてしまった。
「こっちはなんとか大丈夫ですけれど……。ちょっと殿下に喧嘩を売ってしまっただけで」
「大丈夫じゃないでしょう、ルーン……。ああ、だからあんなことになってたのね」
エリーさんも、顔がやつれているように見えた。
「クリオネストの方は大丈夫でしたか」
「いや……。ルーン、あなた当事者だから覚悟して聞いてね」
床に座り込んだままの私に、目線を合わせるようにしゃがみこんだ。
「旦那様と殿下が、あなたのことで苛烈な喧嘩をしていたわ……」
「なんですって」
疲労で限界の脳みそに、衝撃的すぎる情報だった。
エリーさんいわく。
予約時間ぴったりに現れたラウド様は、今までで一番豪華な、恐らく公爵位の正式な貴族衣を着て現れた。髪もきれいに結わえており、美しい身なりの反面、表情は怒りに満ちた鬼のような、恐ろしいものだったそう。ほどなくして、マレード殿下が現れ、ラウド様の向かいに座った。楽しそうな殿下と、今にも暴れだしそうなラウド様という恐ろしい光景で、店中の人が息も苦しいほど緊張していた。
「そういえば、お前が出ていかれたっていうお嬢様の顔を見てきたよ」
上機嫌で果実酒を飲みながら殿下が言い出したので、エリーさんは「えっ、は? ルーンのところへ行ったの!?」と内心、大いに取り乱した。
「……てめぇは余計なことばっかしやがる、毎度毎度……」
ラウド様の怒りメーターが一度ここで振り切ったと。エリーさんは震えながら教えてくれた。
「お前、あの子のこと好きなんだろ。会いに行って謝ってやれよ。帰ってきてくれるって」
「勝手なこと言うんじゃねえ。俺は自分の機嫌とわがままで傷つけたんだぞ。俺の顔なんて二度と見たくねえはずだ」
「俺はさあ、弟に幸せになってほしいだけなんだけど」
「幸せになってほしいなら今すぐ帰ってくれねえか」
エリーさん、緊張のあまりおかしくなっていたのかなと自分で切なそうに言われていた。がまんできなくて吹き出してしまったらしい。
「あの子よく働くし、良い子だなあ。お前、怒ると思うけど言っちゃったんだよ。ラウドのとこ戻ってくれないかって」
「……」
ラウド様が腰の刀に無言で手をかけたのを、店中の人が見て唾を飲んだ。
「そしたらめっちゃ怒られちゃったよ。ラウドのこと愛してないだろとか、余計なことして邪魔してんだろとか、兄弟揃って馬鹿にしすぎだって! それでね、ふふ。グラス持って立ち上がって、お酒ぶっかけられる寸前で、元メイドの子かな? その子が止めてくれたけど、いやあ、あのままだと俺、服を取りに帰らなきゃいけないとこだったよ」
殿下は大笑いしながら言ったそうだ。
それを聞いたラウド様は、刀にかけた手をテーブルの上にゆっくりと戻し、「ふっ、くく、ははは」と―――緊張の糸がぷつりと切れたように、笑いだした。
「さすがルーンだな、お前にも怒鳴り付けやがったか。はははっ」
「あの子、お前にはもったいない度胸だよ。お前がいらないなら俺が妃にでも」
「てめえ、やっぱりぶっ殺すぞ!」
また一瞬で機嫌が最高に悪くなったラウド様は怒鳴りながら立ち上がって刀を抜いたので、周りのひとで押さえつけてその日は解散になったと。
それを聞いて、どうしたらいいんでしょうか。
読んだことのある恋愛小説で、ヒロインをめぐって争う男達に「やめて! 私のことで争うのはやめて!」っていうシーンがあったから、それをやればいいの?
いいや、ちがうわ、ルーン。わたしはどうしたいの?
もう胸の奥にはある思いを、口に出す勇気が、まだない。
「ねえ、ルーン。あんたがいなくなったら寂しいし、せっかく一緒にお店立ち上げてここまで来たからすっごく残念だけど……。あんたがもし戻りたいなら、戻って良いんだからね」
「エリーさん……」
「お嬢様、屋敷に戻っても、お店の手伝いには来たらいいんですよ。ごみ拾いだって続けましょう。そのほうがきっと楽しいです」
「フォル……」
本当にみんな、優しい。
優しい人たちだから、中途半端な振る舞いはしたくない。
「ありがとうございます。私はとても恵まれています……。どうするか今すぐに決められなくてもいいですか……?」
フォルとエリーさんは微笑んで肯定してくれた。
今は初心に戻って、町のために一生懸命働こう。
もしラウド様にまた会えるなら、そのときはきちんとお話をして、
好きだったことだけでも伝えてみようと思う。
このとき、もっと早く伝えていればよかったのかしら。
ラウド様がいなくなった町の海を眺めて、そう考えてしまった。




